7.アルファ曹長1
他の分隊員たちが短機関銃を構えてビジネスホテルの建物へ向かう中、アルファ曹長は自分の身長の半分ほどもあるシングルストラップ型のダッフルバッグを肩に担いで、小さな前庭を設けた食堂らしい建物の前に立っていた。植えられた植物が萎れてしまった庭の脇に、散水栓に繋がれたホースのリールが置かれている。
散水栓のコックを捻ると少しの間を置いて、リールの端に伸びた青いホースの先端から水が流れ出した。
水が出ることを確認すると、アルファは食堂のテラスへ移動した。
防護服とフードの継ぎ目に貼ってある粘着テープを剥がして鬱陶しいフードを脱ぐ。
アルファはフードの内側にグローブをしたままの手を突っ込んで、凝固した血液によって接着されたようになっていた裏地と頭髪を剥がしていく。
外したフードをテラスの脇に放ると、汚れたグローブも継ぎ目のテープを剥がして手から抜き取った。続けて首元からワイヤーを引き抜いてタクティカルベストを外す。
アルファは広げたベストをテラスに置き、その横に防水シートを敷いた。ベストのポケットから取りだした物をシートの上に並べていく。
無線機は銃弾で破損していたが、ハンドグレネードが無事なのは幸運だった。こんなものがポケットの中で爆発すれば身体はバラバラだ。
小銃弾が装填された弾倉やファーストエイドキットのケース、板ガムの箱などをシートの上に置き、腰のベルトから自動拳銃のホルスターを取り外す。
ホルスターから抜いた銃に損傷はないようだった。マガジンキャッチボタンを押して弾倉を抜いてみると、0.35口径自動拳銃弾7発が一列に装填されている。複列収納式の弾倉を用いる拳銃に比べると半分の装弾数だが、そのぶん銃が平べったくなるので、携行には都合が良い。
アルファは再び0.35吋自動拳銃に弾倉を装填した。スライドを引いて弾倉の一番上の弾丸をチャンバーに送り込み、安全装置を掛ける。ダッフルバッグからタオルと歯ブラシを取りだして、歯ブラシの方はポケットに突っ込む。拳銃以外の荷物は防水シートでくるんでバッグに収納し、左肩に掛けた。
タオルと、穴の開いていないことを確認した水筒の紐を左手に持ち、開けた右手で0.35吋自動拳銃の銃把を保持する。アルファたちと同レベルの能力を持つ相手に対しては全く効果のない武器だが、ニンゲン相手には十分有効だし、用心しておくに越したことはない。
散水栓のところに戻ったアルファは、手近な垣根に水筒とダッフルバッグを引っかけた。ホースを引き出したリールの上にタオルを敷いて、その上に拳銃を置く。
その場にしゃがみ込むと、アルファはホースを手に取り、もう片手で散水栓を開ける。頭からホースの水を浴びる。流水が襟ぐりから流れ込んで、アルファは思わず身震いした。
ホースを持って頭の上から水を掛けながら、もう一方の手でゴワゴワになった頭髪を掻き回す。血糊や脳組織混じりの水流が流れ落ちて、アルファの足下で赤い水溜まりとなる。
血混じりの水は泡立ちながら小さな水流となって、枯れた花壇へと流れていく。水に浮かんだ蟻の死骸がくるくると回りながら流されている。頭部に酷い傷を負ったはずだが、頭皮の上を擦るアルファの指先に、傷跡らしきものが触れる事は無かった。
顔から首元へも直接水を掛けて、汚れを洗い流す。首元から流れ込んだ水で防護服どころか下着までびしょ濡れになるが、アルファは一切気にしない。どうせ全部捨てて着替えるのだから、いくら濡れても問題ない。
顔の汚れを粗方洗い終わると、ホースの水でうがいをする。口の中に広がった苦みと一緒に水を吐き捨て、ポケットから取りだした歯ブラシで歯を磨く。もう一度うがいをしたあと、ホースに直接口を付けて水をガブ飲みする。
いまのアルファには、生ぬるい水道水がどんな甘露よりも美味く感じた。神経ガスなどの有毒な化学物質に汚染されている可能性があるが、いまの身体にBC兵器が効かないのであれば気にする必要も無いだろう。
アルファは、水で流し終わった頭と顔をタオルで拭き上げた。首にタオルを引っかけると、生け垣から手に取った水筒にホースから出した水を満たす。
満タンになった水筒を肩から斜め掛けし、拳銃を手に取る。ダッフルバッグを左肩に担いで、アルファはふたたび店のテラスへと戻る。
アルファは、ダッフルバッグをテラスに置き、ハンドグレネードなどを包んだ防水シートを取り出た。歯ブラシを洗面キットの中に仕舞い、バッグに収納する。
顔と頭がサッパリしたので次は、汚れた上にずぶ濡れになって、数日放置した雑巾のような匂いを放ちだした防護服を着替える番だ。
先ずはファスナーカバーの両面テープを剥がしてから防護服の前面に付けられたファスナーを引き下ろす。腰をかがめてブーツのカバーを外すと、足下まで降ろした防護服から片足ずつを引き抜く。胸元に大きな血の染みが出来たアンダーシャツも頭から抜き取った。
シャツには胸と背中の真ん中に穴が開き、その周りが真っ赤に血で染まっていた。顎を引いて見下ろしたアルファの胸にはキズ一つ見当たらない。手を後ろに回して背中を探ってみるが、指先にはすべすべした皮膚が触るのみだった。
アルファは肌に残った血の跡をタオルで拭き取ると、テラスに腰を下ろしてブーツを脱いだ。足が汚れるので靴下は履いたままだ。
続けて、下半身にぴったりと密着していたズボン下を脱ぎ下ろす。どうせ誰もいないのだから、人目を気にすることもない。アルファはスポーツブラとコットンのショーツも脱ぎ捨てた。
身長5フィートと、プライマリースクールの最終学年並みに小柄な身体は無駄なく引き締まり、白く輝く肌には疵一つ見当たらない。
これまで日焼け止めはおろか手入れ一つしていなかったアルファの肌は、30歳過ぎという年齢も加わって、本来、小皺と染みだらけであった。それが生まれたての赤ん坊のようなすべすべの肌となり、任務や訓練で付いた全身の傷跡も綺麗さっぱり無くなっている。
トレーニングのしすぎで過剰に付いていた筋肉も程良く絞り込まれ、どことなく愛嬌があるものの美女とまでは呼べなかったその相貌は、整った中にも幼さを感じさせる清純な美貌へと変化を遂げていた。
アルファは自分の肢体をためすすがめつ眺めたあと、体中をぺたぺたと触り始める。
目尻や口角のシワを確かめるように顔に指を這わせると、こんどは大慌てな様子でバッグの中からカメラを取りだす。手鏡でもあれば簡単だったのだろうが、あいにくとアルファにはそのような物の持ち合わせはなかった。
精一杯に腕を伸ばして自分の顔を撮影したアルファだったが、再生ボタンを押して背面のディスプレイに現れた自分の写真を見た瞬間、大きく目を見開いて固まってしまう。
アルファの主観を借りて有り体に言えば、そこには“女神”が写っていた。年の頃は十代初めぐらいだろうか、気品を帯びた儚げな美貌の中に、蜜を蕩かしたような幼さが見え隠れしている。甘さを含んだ美貌の上には、クルリと巻いた絹のような金糸がフワフワに広がり、女神ならずとも、何処の高貴な姫君かという風情であった。
「だれっ!?」
アルファが思わずそう叫んでしまったのも、仕方の無いことだろう。
「え? なに? これ、わたし……?」
自分の顔をぺたぺた触っていたアルファは、ひとしきり狼狽えると今度は、きゃーきゃーと声を張り上げながら、靴下だけをはいたほぼ全裸のまま、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。
三十女らしからぬ行動に、誰か見咎める者がいれば眉の一つも顰めただろうが、生憎とだれも居合わせなかったため、アルファの奇行は暫し続くのであった。外見だけはローティーンなので問題ないのかも知れないが。
少し気分が落ち着いたところで、アルファはダッフルバッグからビニールパックに入れた下着を取りだした。チャックを開けて、中に入っていたショーツとブラを身につける。ビニールパックは再利用できるから、バッグに戻しておく。
バッグに押し込んでいたフィールドグレーの野戦服の上下を身につけ、テラスに腰を下ろして靴下を履き替える。コンバットブーツを履き、緩めていた紐を締め直す。
腰にハンドガンのホルスターを付け、ウエストポーチを巻き付けると、先ほどタクティカルベストから取りだした様々な物を野戦服とポーチのポケットに収めていく。
壊れた無線機とテラスに広げたままのベストは、テラスの脇から拾い上げた防護服や下着と一緒に防水シートで包んだ。
アルファは糊の効いたギャリソンキャップを被り、水筒とダッフルバッグを担ぎ上げた。
小柄な身体に大きなバッグを担ぎ、防水シートの包みを手から提げて、トロワたちの待つ場所へ小走りで向かうアルファの姿は、神の御許へと急ぐ信者の歩みそのものであった。






