5.死者の分隊2
それまでは不安定に身体を揺らしているだけだった“元”死体たちが、銃弾で穴の開いたガスマスクを頭部からむしり取る。叫ぶように開いた口からドロドロの赤黒い液体を吐き出す。気道を閉塞していた血餅を排出しているのだ。
幾分かでも気道の閉塞が除かれて、換気が可能になると、こんどは息を吸い込んで肺を膨らませた空気を、胸郭と横隔膜の力で急速に押し出す。気道に残った血や粘液の塊を鼻と口から吹き出す動作を、何度も繰り返す。
ようは、咳き込んで痰や鼻水を撒き散らかしているのと同じ状況なのだが、実際に飛び散っているのが半ば固まった血糊なため、例えようもなく不気味な光景となっていた。
頭部を撃ち抜かれたせいで唯でさえ血みどろな顔面を、さらに血まみれにしながら、緑色の人型が身体をくねらせている。骨や関節が接合される際に生じる鈍い響きを伴奏にして、電気ショックでも受けたような硬直と痙攣を合間に挟んだダンスを踊っている。
トロワは、この地獄の盆踊りのような光景を眺めながら、ポケットから取り出したチョコバーの包装を剥いて囓っていた。
ナッツ入りのチョコクランチをさらに甘いチョコレートでコーディングしたこの菓子は、歯ごたえと食べごたえが良い感じに両立したトロワのお気に入りだ。レーションに入っている耐熱性チョコレート製のデザート・バーに比べれば若干溶けやすいのが難点だが、味は断然こちらの方がいい。「dessert」ではなく、「desert」なレーションのチョコバーは、進んで食後に食べたいような味ではなく、文字通り「砂」を咬むような味気無さで、不人気を誇っている逸品なのだ。
ナノマテリアルを燃料とする人造人間は、本来食事を摂る必要がない。以前は毎日数個、戦闘のある日はその数倍から数十倍のナノマテリアルカプセルを経口摂取していたが、ニンゲンたちは知らないものの、現在ではその必要すら無くなっている。
だがトロワは食べることが好きだ。無駄と分かっていても、止めることの出来ない行為だ。酒は飲んでも酔わないし、タバコやドラッグも薬理効果が生じないので使う意味すら無い。だが美味しい物は素敵だ、甘い物はさらに素晴らしい。
トロワは食べることにはまった。ただ、子供舌というのか、ジャンクフードやチープな物を好んだ。シスも付き合ってはくれるが、彼は酔いもしないのに熟成されたアルコール飲料の香りや風味のほうが趣味に合うらしく、一緒に飲み食いすると菓子はトロワの独り占めになる。
トロワは思う。アン姉さんも、このお菓子は好きだろうか?
このチョコバーの存在を発見したのはミサイル基地襲撃のあとだから、作戦直後に眠ってしまった姉さんは、食べたことがないはずだ。
もし姉さんの目が覚めたら、一緒に美味しいチョコバーを食べよう。
そして姉さんが、自分と同じようにこのお菓子を好きになってくれたら嬉しい。
トロワは、背後に立つシスに背中をもたせかけて、3本目のチョコバーを食べていた。シスは、忙しなく頬を動かしているそのトロワのつむじを、何をするでもなく眺めている。
「なあ、あの悪趣味なディスコダンスはいつまで続くんだ?」
「ん? むぐむぐ……」
「あんなのを見ながら良く食えるな」
「美味しいですよ。シスも食べますか?」
トロワはポケットから4本目のチョコバーを取り出した。掴んだ右手を肩まで上げてシスの顔の前に差し出す。
「いや、俺はけっこうだ」
「ふう、それは残念。そういえばシスは辛党でしたね」
「そうだな、こんどは旨いモルトでも頼む。だがそれより、アレはどうするのだ」
シスが右手に持った重機関銃の銃口を、死者の分隊へと向ける。
「いくら気持ち悪いからといって、そんなモノで撃たないでくださいよ。せっかく直したのにまた壊れてしまいます」
あごを反らして後ろ向きにシスを見上げるトロワの頬が、ぷくっとふくらんでいる。
「大丈夫だ、撃たないよ。それにこの銃が片手で撃つのは難しいのは、トロワも知っているだろう」
「そういえばそうですね。安心しました。すでに肺のガス交換と脳への血液循環は再開していますし、外観の修復も完了間近なので、ここでまた壊れるのはちょっと……」
「トロワが頑張っているのに、俺がそんな事をするはずがないだろう」
口の端にチョコレートの欠片を付けたトロワの顔に、笑みが浮かぶ。ついさっきまで、監視分隊の成れの果てたちに向けていた邪悪な笑みとは異なる笑顔だ。
「シスにしては嬉しいことを言いますね。何故いつもそうでないのか私は疑問です」
「十分トロワには優しくしていると思うのだが、違うのか?」
「ぜんぜん違いますよ!」
トロワの不満げな笑顔という珍しいものを見たシスの頬も緩みそうになるが、自分には似合わない気がして無表情を装う。
兵士達の顔面は血と汚物に塗れ、頭髪も凝血と脳の残骸が絡み合ってゴワゴワになったままだった。いつのまにか彼らの身体の動揺は止まっている。分隊全員が真っ直ぐに立った姿勢で、トロワたちの方へと顔を向けている。
これを見てトロワが頷いた。
「どうやら終わったようですよ」
「俺には、立ったまま死んでいるようにしか見えないが」
「たしかにちょっと汚れていますね」
頭部の悲惨な有様に加えて、服の方も銃弾の穴が開いている上に血みどろ。兵士達の装いは、凡そ人前に出せるような風体には見えないた。
「しかし、ああやって修復するのなら、殺すにしても、あまり壊さない方が良かったのではないか」
たしかに、その方が服も汚れなかっただろう。シャワーや着替えの必要もなかったかも知れない。
「洗脳や思考誘導と違って、今回はシナプス構成をスキャン解析して再構築していますから、既存の構造が残っていない方が便利だったんですよ。とは言っても、記憶と思考パターンを改変するのに解析プロセスが複雑化しすぎた所為で、修復までの時間が掛かり過ぎたのが反省点ではあるのですが」
「ふむ……そうしたものか」
「まあ、そんなものですよ」
「わかった」
アッサリと応じたシスに、トロワとしても拍子抜けな感じであった。
「シスのその淡泊なところが、優しくないのですよ。わかっています?」
そう言いながらシスに指を突きつけたトロワだったが、すぐにクルリと身を翻して坂の下へと向き直る。そのおかげでトロワは、シスの困り顔という珍しいものを見損うことになったのだが。
「それは、すまなかった……」
シスの、わけが分からないがとりあえず謝った方が得策だろう、という策は、どうやらトロワのお気に召さなかったようだ。
トロワは憤然として宣言した。
「もうイイです。彼らを再起動しますから」
いずれにせよやることは同じなのだが、どうせなら景気の良い方がいい。
「りぶーと!」
その瞬間、どろりと濁っていた死者たちの瞳に生気が宿る。だらしなく緩んだ頬が締まり、精悍ともよぶべき貌が現れる。身体に鋼の芯が入るように背筋がぴんと伸びると、文字通り地獄から舞い戻ってきたかのような有様ではあったが、精悍な兵士の一群が出現した。
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彼女は目を開けた瞬間から自覚していた。
自分の使命は、目の前に居られるあの尊き方に従い、あの方をお守りすることだと。
あの方を欺き、背いてきた、自らの許しがたい罪業を洗い流すための死という許し、そして、あの方に付き従うことを許された、光輝ある生を与えてくださった、慈悲深きお方。
いまなら分かる、復活と同時に身内に流れ込んできたあの方の御印によって、自らがより素晴らしいものへと作り替えられたことが。
創造主である尊きお方のことを考えるだけで、体内に例えようもないヨロコビが湧き上がる。“アルファ”の全身が歓喜に震え、思わず声が漏れ出る。
「ああ! なんと素晴らしい!」
もちろん部下たちのことは、彼女の頭からすっぽりと抜け落ちていた。
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「え?」
どうやらトロワの目の前で、とんでもないことが起こっているようであった。
復活させた兵士達は全員が瘧にでも罹ったように身体をぷるぷると震わせている。血糊で覆われてはいるものの、顔には恍惚の表情を浮かべているようだ。中には全身を身悶えさせて、感極まったかのような声を漏らしているものまで居る。
……やりすぎたのだ。