表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブランコ  作者: スギヨシ ハチ
7/7

7

この時間に、戻ったとして。

何をやり直せばいい?


電話を切らずに最後まで聞く?

いっそライブを中止にする?


それが何になるというのだろう。


彼女は今も、きっと戦っている。

事故の怪我に打ち勝って、またここへ戻ってきて、僕にその『決心』を伝えるために。


それなのに、僕はどこに戻ろうというのだろう。



僕は顔を上げて、鏡の中を見つめた。

マーコと楽しそうに買い物をしている彼女。


君はずっと、僕自身も知らない僕を、たくさん見てくれていたんだろうな。


僕の知らない気持ちを。

僕の知らない思い出を。

僕の歌が背中を押したという『君のやりたいこと』を。


君の言葉で、僕に話して聞かせてよ。


だから――。


「僕は、この時間へは戻りません」


光は、ふっと消えた。




奥のほうから、再び青白い光がさしてくる。

僕はまた、その光をのぞき込んだ。


カーテンは、あけっぱなし。

時折、前の道を通る車のヘッドライトが、灯台の光のように闇を照らしては過ぎ去っていく。

雨はまだ、激しく降り続いているんだろうか。


そばには受話器が転がっている。

彼女の母さんから電話があってから、どれくらい経ったんだろう。


頬には、いくつもの涙の跡。

床に倒れこんだまま、僕は窓のほうをぼんやり見つめていた。



何やってんだよ、オマエ。

こんなとこで泣いてる暇なんかあるのかよ。


僕は、鏡に手を当てて言った。

「僕をこの時間に戻してください」


鏡全体が、青く輝きだす。


鏡に当てていた手が、するりと光の中へと入っていく。

僕はためらわず、鏡の中へと歩みを進めた。




時計が一秒を刻む音だけが聞こえる。

雨は上がったんだろうか。


僕は床から立ち上がった。

振り返ってみたけど、後ろには薄汚れた壁があるだけ。


扉も、不思議な空間もなかった。


夢だったのか?

分からない。

そうだ。そんなこと、どっちだっていい。


僕が今、やらなければいけないことは、ただひとつ。


玄関に向かう。

雨はやっぱり上がっていた。


僕はくたびれたスニーカーをはくと、夜の町へと飛び出した。




雨上がりの月が、僕らの町を優しく照らしてる。

その下を、僕は全速力で駆け抜けた。



やりなおしたいこと、ありますか?

僕にはたくさんあります。


来週になれば忘れてしまうような、くだらないことも。

今でも夜に歯を食いしばって泣くほど、忘れられない痛みも。


やりなおしたいことなら、いっぱいあります。


その全ての思いを背負って、僕らは明日に向かうんだ。

いや、それ以前に『今日』を精一杯生きるんだ。


誰も、過去を修正することなんてできやしない。

やれることは、いつだって未来にある。


やりなおしたい過去にも、たくさんの思いがあることを、もう僕は知っている。

後悔するほど強い思いなら、そいつを背負って前へ進むんだ。



彼女は今、事故の怪我と戦っている。

必死で生きようとしている。


だったら、僕が今やるべきことは何だ?

泣いて部屋に逃げ込むことでも、あの時こうしていればと嘆くことでもないじゃないか。


今、行くよ。


君の名前を呼ぶよ。

君の背中を押したっていう歌を、歌ってあげる。


だから、負けるな。がんばれ。今すぐ行くから。



水たまりを飛び越えて、僕は病院までの道を駆け抜ける。

静まり返った町に、僕の足音だけが響いている。


病院まで、あと少しだ。


気のせいかもしれないけど。

公園の横を通りすぎたとき、風にゆられているブランコが僕に「大丈夫」と言った気がした。


(「ブランコ」終わり)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ