8 そして、転移三日目の夜
城塞都市《始まりの城》から逃げ……飛び立った二日後。
《レクドラ》の世界に転移してから三日目の夜、俺たちは洞窟に籠って《最果ての風》をやり過ごしている。
焼きウサギを食べてご満悦のように姉さんは俺の膝に頭を乗せて猫のように寝転んでいる。
その姿を愛でつつ俺はこれまでのことを考える。
あれからもう《始まりの城》に入るのは危険だと判断した俺に、姉さんは《カステラの町》へ向かうのを提案した。
あくまでゲームの中の話だが、《カステラの町》は大きな町でサブクエストも豊富だからプレイヤーがよく集まっていた。
情報収集にはうってつけと言えよう。
それで《カステラの町》へ向かった俺たちだが、色んな誤算があった。
まずは《カステラの町》が予想以上に遠い。
ゲームでは歩いて10分いらずなのに、もう二日も歩いたにも関わらず姿も見えない。
二つ目は、姉さんの飛行能力がどうやら一日一時間の時間制限があるようだ。
ゲームでは龍種の最上位種族だと時間制限なしに龍化できるとのことだが、ここではそうじゃないらしい。
そして三つ目がこの《最果ての風》。
ゲームでは《奈落》と《楽園》の境界線である《獄門の大断層》周辺しか発生しない自然現象だが、何故かこの《楽園》の真ん中で暴威を振るっている。
常人ならば即死するほどの猛毒を含む赤い液体、そして魔獣も潜んでいるこの《最果ての風》の中では、レベル一桁の俺は勿論のこと、カンストプレイヤーの姉さんでも簡単に進むことができない
まさかゲームの世界に何日も留まることになるとは、参ったな、あっちの世界今頃どうなっているやら……。
この世界に転移してからは誤算だらけだった。
《始まりの城》でもこっそりと情報収集しようとして、あの人攫い達と一悶着起こして逃げる羽目になった。
まあ俺も姉さんも荒事には慣れてないし、仕方ないと言えばそうなんだが。
今思えば、あの人攫い達はかなり弱かったな。
ただの高校生でレベル一桁の俺に体当たりされて大の男がよろめくくらいだったから、おそらくレベルにしては大したことないだろう。
人攫いをしているくらいだから一般人より弱いってことはないと思う。
もしかして、姉さんはこの世界の一般人よりかなり強いかもしれない。
姉さんに聞いてみたが、どうやら《レクドラ》NPCというものは(敵を除く)そもそも攻撃不可かプレイヤーより遥かに強いの二択がほとんどらしい。
だから人攫いがあっさりとやられて、おまけに血も出ていたことに姉さんは結構なショックを受けた。
血を見るよりも、他人をそこまで怪我させたことに罪悪感を覚えたらしい。
今は大分落ち着いているが、そこを含めて今度争うような事態になったら気を付けないと。
「イツキ、何考えてるの?」
いつの間に焼きウサギを食べ終わって、上目扱いで見つめてくる姉さん。
「次の町にたどり着いたらどうするかと考えてた」
「他の人が居たらいいなぁ」
「そうだな」
ここの「他の人」っていうのは俺たちと同じ、あっちの世界から転移してきた者たちのことだ。
「ありがとうイツキ」
「どうした急に」
「ううん、もしイツキが一緒じゃなかったらと思うとね、本当に怖いの、きっと何もできないわ」
姉さんは横に腰を下ろして、俺の肩に頭を寄せた。
さらさらの黒髪がカーテンのように肩に広がり、微かな甘いの香りがした。
「俺だって同じさ、もし姉さんと一緒に来てなかったらきっとあっちの世界で死ぬほど焦っていたし」
昔友人に言われたことがある。俺がこんなにも姉さんの世話をしたがるのは俺のほうが姉さんに依存しているから、と。
それは間違いないと思うけど、改める気もない。
「それにイツキがいなければ、こんなうまいウサギも食べられなかったしね」
「そこかよ」
俺と姉さんが同時に笑いを零した。
初めて見た食材だけど、それをうまく調理できたのは《料理》というスキルのお蔭だ。
一角兎の死体を見ると、頭の中に解体、洗浄、調理のやり方が勝手に浮かんできた。
この世界は変にリアルなところもあれば、こんな分けわからんこともあるから困る。
それに、人攫いにナイフで刺された時大事に至らなかったのもスキルのお蔭だ。
微量のダメージをカットするという《恵まれた体》は姉さん曰く、効果量が本当に低いから序盤では有効だが後々死にスキルと化すからガチ勢に人気がないらしい。
けど実際に世話になっていた俺からすればとてもありがたいスキルなのだ。
今はレベリングなんてする場合じゃないし、今後暫くは頼れるスキルになるだろう。
できればその前に元の世界に戻る方法を見つけたいなぁ。
「そろそろ寝るか」
「うん……そろそろ布団が恋しいよね」
「まあ姉さんのマントも悪くないけど、布団には勝てないよな」
俺には初期装備とアイテムしか持ってないが、姉さんはそうではなかった。
姉さんが持っている課金アイテムの《便利袋》にはレア装備や素材、よく分からないアイテム、そして冒険用キットもあった。
冒険用キットというのは冒険者の気分を味わえるフレーバーアイテムで、中には旅人用の厚手のマント、そして火起こし道具や保存食もあった。
お蔭で俺たちは野外で料理できるし、簡単だけどスープも作れた。
「イツキの枕も懐かしいな」
「そこは自分の枕だろう」
「イツキの枕で寝てる時間のほうが多いから仕方ないわ」
「いやいや、三日に一度くらいだろう俺の布団で寝るのは」
「イツキが熟睡してる時に何度も潜り込んだわよ? 知らないの?」
「気づかなかった……」
異世界で明かされた事実。
「イツキより早く起きていたからねそういう時は」
「いつもは寝坊のくせに何でそういう時だけ」
「うーんなんとなく、しいて言えばイツキの寝顔が見たいから? そうそう、イツキってば寝言を言う癖があるのよ、なんて言ったか知りたい?」
「あーはいはい、そろそろ寝よう」
これ以上続けたら俺が照れるから。
ていうか現時点でもう顔が熱くなっている。
マントを地面に敷いて、俺は横になった。
姉さんも来ると思ったら、洞窟の入口を見つめて何か考えているようだ。
「姉さん、どうしたの?」
「人の声がしたわ」
「え?」
「来て、ホリック」
姉さんが指を鳴らすと、一体の小柄のアンデッドが現れた。
黒いローブを纏うアンデッドに四つの腕と四つの目があり、明らかな異形だが利発な子供のような外見に可愛らしさもあった。
確かこれは姉さんの固有能力、《死せる従僕》だっけ?
「あっちを調べてきて、耐久が無理なら帰還すること、いいね?」
異形のアンデッド――ホリックは小さく頷き、サっと目にも留まらない速度で洞窟を飛び出た。
「大丈夫なのか?」
「ホリックは再生力と速度に優れる子だから短期間なら問題ないわ」
暫くしたら、ホリックが帰ってきた。
一人の気絶した金髪少女を抱えて。