6 街に入ってさっそくトラブル!
姉さんの翼のお陰で俺たちは聳え立つ城壁を越え、《始まりの城》と呼ばれる城塞都市に降り立った。
その三時間後、俺たちは一つの確信を持った。
ここは間違いなく現実だ、と。
何故なら。
「ひぃぃぃぃ、イツキ助けてぇぇぇ」
「目を閉じればいい、俺たちが見えるわけじゃないから大丈夫だ」
「無理無理むりむりむり、だって真っすぐこっち向かってるもん!」
そう、黒くて素早い、何故か人を見たら無謀にもカサカサと突進してくるアレだ。
勿論実際俺たちが見えるわけではない、やつの進路上に丁度俺たちが居た、ただそれだけのこと。
だがそれでも姉さんをパニックさせるには十分すぎる。
俺は目を強くつむってる姉さんを抱きかかえ、ネズミやらハエやら黒い悪魔と呼ばれている昆虫が跋扈している飲食店を出た。
ここは《始まりの城》という城塞都市の真ん中である。
さっきの飲食店もずいぶんと人が多いが、ここは更に行き交う人々が多く、俺たちが気を付かなければ誰かとぶつかりそうだ。
いかつい顔で警邏する兵士。
武器を背負って疲れた顔する旅人。
栄養失調と思われる子供。
俺たちが見てると露にも思わず露店の果物を万引きするコソ泥。
その一人一人の服と顔に刻まれた生活の痕を見て、俺は思わず呟いた。
「やはり、ゲームの世界に入ったということか」
この世界はあまりのもリアルすぎる。
さっきのゴキブリとネズミもそうだが、ゲームでは不必要だけど人間が生活している以上避けられないあらゆる物がありのままでここに存在している。
もう認めざるを得ない、ここは現実だと。
だが現実だと言っても、ここは俺が知っている現実とかけ離れている。
姉さんの魔法も変身もそうだが、ここには人間以外の種族も居る。
ファンタジー小説でお馴染みの笹穂耳の人、どう見ても成人だが身長が俺の半分しかない人、獣耳が生えた人、二足歩行するトカゲ。
どれもキャラクター作成の時に見た《レクドラ》の種族である。
つまりここは、《レクドラ》の世界だ。
そして分かったことはもう一つある。
ここはどうやら《レクドラ》の《始まりの村》と同じ場所らしい。
それに気づいたのは姉さんだ。
飛ぶのが好きで何度も《始まりの村》を空から俯瞰したことがある姉さんは、村自体が城塞都市に変わったがここは間違いなく《始まりの村》だと言い切った。
それならどうして《始まりの村》はここまで変わり果てたのだろう?
俺たちが来たのは《レクドラ》とは異なる時間軸なのか?
見たところこの都市の文明水準は《レクドラ》と同じ中世っぽいだが、数十年や百年くらい前後しているもおかしくはない。
まあ、今はそんなことより。
「ほら姉さんもう目を開けていいよ」
「もうイニシャルGいない?」
抱えられたまま俺の胸にしがみ付く姉さんは相変わらず目を閉じている。
「少なくとも視界にはいないな」
「う、うん」
恐れ恐れと目を開いた姉さん。
「うぅ……うちに帰りたい」
「もう少し遊べたいじゃなかったのか?」
「だって《レクドラ》にあんなモノはなかったはずだよ」
「まあわざわざアレを再現するゲームはないだろうな、つまりここはゲームじゃなくて現実ってことさ」
「でも《レクドラ》とそっくりだし、魔法も使えるし」
「それがこの世界の現実ってことだろう」
俺は肩をすくめた。
「む、ゲームの世界に入るわけないのだーって言ってたくせに」
「いや別にそこまで言ってないだろう。まあ確かに俄かに信じられなかったがここまで来るともう認めるしかないしな。それより、ここがもう一つの現実であると分かった以上、ここからは更に慎重にならなければ」
「なんで?」
「現実は死んだらお仕舞いだからな。まあ《レクドラ》に復活の魔法があるらしいが、もし俺たちが一遍に死んだらもう終わりだ。もちろん姉さんは強い、でもこの世界だって強い人や魔物が沢山いるかもしれないから騒ぎと面倒事はできるだけ避けるほうがいいと思う。分かったか?」
「うんうん」
「よし、じゃそろそろ俺の首を離そう」
俺は依然と俺にしがみ付いた姉さんに言った。
「やだ、もう少し」
そう言って俺の胸に顔を埋める姉さんを、俺は苦笑してもう暫く抱きかかえることにした。
「さて、まずは情報収集だな、できれば俺たちのようないきなり現れた不審者の情報、もしくは今はどの時代か知りたい。姉さん、《レクドラ》に紀元や年表とか、そういうのない?」
「確か最新のメインストーリーでは六龍紀722年になったはず。あと有志プレイヤーによって纏められた年表もあるけど流石に覚えてないわ、まあメインストーリーのことなら大体知ってるけど」
「六龍紀?」
「あ、そうか。イツキはまだ世界観を知らないのよね、普通ならカステラの町で説明を受けるはずなんだから」
「それは長いの?」
「うーん、そこそこ?」
「じゃ今はいいや。とりあえず紀元がある以上、今は何年か分かれば《レクドラ》との時差が分かる。まあこれはついでだ、大事なのは俺たちと同じような転移してきたプレイヤーがいるかどうか、だな」
「そうね、でも情報収集と言ってもどこに行けばいいの?」
「この時代に人が集まるような場所と言えば教会か酒場かな、姉さんはどう思う?」
正直俺も中世なんてよく分からないから、ほぼファンタジー小説などからの知識だけど。
「噂を聞きたいなら酒場かな、なんとなくそんなイメージじゃない?」
「そうだな。しかし今はまだ昼だ、酒場が開いてるかどうか。それにそういう混雑してそうな場所で身を隠したまま誰かにぶつかったりでもしたらまずい。できれば普通に客として入りたいけど、姉さんの服装がな」
俺が今着ているのは太陽神ミーロの神官ローブ。
初期装備だから大したこともなく、少し珍しいけど似たような服を着ている人もいなくはない。
しかし姉さんの黒マントと数々なアクセサリーは見るからに高価そうで、決して道端の酒場に入るような人が身に着けていいものじゃない。
「私の服? あ、これは髪の色と同じ自由に変えるのよ?」
「そうなのか?」
「ええ、この《天衣無縫》というアイテムはアバターのカラーリング、服装、そして表示される種族を自由に変えるの」
姉さんは両手でマントの裾をたくし上げて説明した。
「便利なアイテムだな、じゃ――」
「きゃ……ッ!」
小さな悲鳴が俺の言葉を遮った。
くぐもった声が間違いなく女性のもので、しかも後半は何かに塞がれて声が出なくなったように消え入った。
「姉さん、これは……って待て!」
俺が何か言いだす前に、姉さんは既に俺の手を引いて走り出した。
「しかも速いし!」
基本インドアの姉さんが明らかに俺を上回るスピードで入り組んだ小路を駆け抜ける。
「姉さん、どこに行くんだよ!」
「決まってるじゃない、あの悲鳴のところよ!」
俺にはくぐもった声としか聞こえなかったが、どうやら姉さんはそれだけで声の場所を突き止めたようだ。
疾走する姉さんに引っ張られて、人気のない路地まで来てみたら。
そこには数人の大男と一人の少女がいた。
「暴れんなっつってんだろ!」
不可視になっている俺たちに気づくことなく、大男の一人は少女の頬を叩く。
口が塞がれた少女は必死に金髪を振り回して抵抗を試みたが、男の腕力に叶うわけもなく徒労に終えた。
「え、この子は!?」
姉さんは少女の顔に目を見張った。
「知ってる人? ってミアさんじゃないか!」
金髪の少女は《レクドラ》のチュートリアルNPC、ミアなのだ。