5 空中デート
「あの壁の中に、どうして? 私たちはそこから逃げてきたばかりじゃない、またあの怖い兵士に捕まっちゃうよ?」
「今はタナトスさんの魔法があるから大丈夫だろう、それにたとえ捕まれても逃げればいい、姉さんは強いだろう?」
「でも《レクドラ》の兵士NPCはめちゃくちゃ強いのよ?」
「あれはゲームの話だろう……本当にそんなに強かったら俺たちはもう捕まれたはずだ」
「あ、それもそうか」
そう、さっきは頭が混乱してるから姉さんの手を引いて逃げたんだが、お蔭で重要なことが分かった。
あの兵士は、恐らくはそんなに強くない。
俺の足でさえ逃げ切れたんだから、姉さんなら造作もないことだ。
「でもどうしてあそこに行くの?」
「まず、俺たちはゲームの世界に入った、と仮定する」
「え、なになに。イツキもついに認めちゃうの? さっきは馬鹿にしたくせにぃ」
「別に馬鹿にしてないが……まあ否定材料がないし、そうだと仮定しないと話が進まないってことだ。とにかく俺たちはゲームの世界に入ったとして、まず考えねばならないことはなんだ?」
「うーん、イツキのレベリング? このままじゃ弱いしやっぱりメインストーリーを進むには……」
姉さんは指を顎に当てて言った。
「……違う、どうやって帰るか、だ」
「え、帰るの?」
「姉さんは帰りたくないのか?」
「ううん、父さん母さんが心配するからそのうち帰りたいけど、今はもう少し遊べばよくない?」
良かった、ここでゲームの世界に生きるって言い出したらどうなるかと思った。
ここはゲームにしろ現実にしろ、俺も姉さんも元の世界での生活があるから帰らねばならないのだ。
「まあそれには同意だが、まず帰る手段を確保するのが先だろう?」
「うん、そうだね」
「となると情報が必要だ。もし他にこの世界に来たプレイヤーがいれば一番いいのだが、そういうプレイヤーが居そうな場所は?」
「んと、プレイヤーが一番多いのは《奈落》だと《大焦熱地獄》っていうところなんだけど、《楽園》だとヒューマンが築いたルベラン帝国の首都かな。分かった、そこに行けばいいんだね、瞬間――」
「待て」
俺は姉さんを制した。
「忘れたのか? 俺たちはあの変な瞬間転移でここに来たのだぞ?」
「あっ……」
「あれはバグにせよ何にせよ、原因がわからない以上、暫く瞬間転移は控えるほうが良いと思う」
「そ、そうだね」
姉さんは硬い表情で頷いた。
あの不気味な瞬間転移はよほどショックだったらしい。
「だからこのままあの砦に入って、何か話を聞けるじゃないかなと思ってるんだ。もし俺たちと同じようにこの世界に来てしまったプレイヤーが居たら、噂になってるかもしれないしね」
「なるほど、イツキって色々考えてるのね」
「何を今更、いつものことじゃないか」
姉さんが思う存分だらけるように、あれこれフォローするのが俺の仕事だ。
両親から「楓をあまり甘やかせるな」、とよく言われるが、姉さんの笑顔を見てついつい甘やかしたくなるから仕方ない。
ある意味、今の姉さんを育てたのは俺だと言えなくもない。
「ふふ、イツキってば頼もしー」
姉さんはおどけるように俺の腕を絡めてきた。
「じゃはやく行こう」
「待て」
「えーなんでー?」
二度目の待ったに姉さんは不満を申した。
「まず入る手段を考えないと、そこいらの兵士についていけばいいと思うが、もしかして城門が閉めているか人が混んでいる状態だ気づかれやすい。まず城門を探して遠くから観察――」
「なんだ、そんなことか」
姉さんは俺の言葉をさえぎって、えいっと後ろから俺に抱き着いた。
「え、なに?」
柔らかい。
くそ、やはりここは現実か。
だってこの感触は明らかに俺が熟知している姉さんの柔らかさなんだよ!
世の中広しといえども姉さんの感触を知っているのは俺しかいない、たとえVRがどんなに進化しようとも再現するのは不可能だと俺は断言できる。
つまり、ここはVRではなく現実であると。
っと、こんな風に予想外なところで衝撃を受けた俺を余所に、姉さんは俺の脇の下から腕を入れて、ふぁさっと翼を生やして飛び上がった。
「え、えええええええええ――!」
幅が数十メートルもあり、華奢な姉さんとは不似合いのゴツゴツとした黒いドラゴンの翼が力強く羽ばたき、俺と姉さんは瞬く間に宙に舞う。
急遽な高度変化に不思議と風圧も重力も感じられず、俺たちはまるで風船のようにゆっくりと浮遊している。
「姉さん、これはどういうことだ?」
「これは半龍種の固有能力の一つで、一時的にドラゴンのような飛行能力を得るものなんだよ。ちなみに私は龍種の最上位種族だから翼だけじゃなく完全龍化もできるのよ、見たい?」
「ドラゴンかぁ、それは興味あるな」
「不可視の球体からはみ出ちゃうけど」
「やめろ」
知らない人が居たらまず連行するほど兵士がピリピリしているんだ、いきなり空中にドラゴンが現れたら大騒ぎになるぞ。
「しかしこれはドラゴンというよりは風船、もしくはヘリコプターだな。まあそのほうが都合がいいか」
よく考えたら、いくら翼があっても俺と姉さんの肉体は飛ぶのに適していない。
なのにこうして空気の抵抗を感じることなく浮遊しているのは、おそらく魔法的な何かが働いているのだろう。
やばい、「魔法的な何か」ですべて説明できそうで怖い。
下を見ると、さっき俺たちが身を潜めた茂みは平野の一点となって、遠くないところに城壁に囲まれた都市があった。
「あれが《始まりの城》だな」
「そうだね」
「……あれ、そういえばタナトスさんは?」
「タナトスは飛べないから帰ってもらったの、必要な時だけ呼べばいいわ」
「そうなのか。じゃ行こうか」
「ふふ、イツキとお空のデートだぁ」
上機嫌な姉さんは翼を動かし、俺たちは空中をスライドしながら《始まりの城》へと向かう。