3 転移の始まり
いつの間に出現した男が、背後から姉さんの心臓を貫いた。
「へっへっへ、ノコノコと《始まりの村》に来た間抜けな《奈落》勢の一人、頂き――」
その直後。
「――冒涜の魔眼」
淡々と言葉を紡いだ姉さん。
一瞬、眩い黄金の輝きが彼女の瞳から放たれ、それだけで男は凍結されたように硬直し、そして、
「災厄殺刃」
木偶のように身動き取れない男を、姉さんの手刀が両断した。
あまりにも高速な攻防に、俺が状況を認識できた頃、両断された男はすでに光となって霧散していた。
「まったく、私に急所攻撃が効くわけないでしょう」
顔色一つ変えずに襲撃者を瞬殺した姉さんは肩を竦めた。
「姉さん、今のは?」
「恐らく探知に長ける斥候系のプレイヤーが私の偽装を見破ったのでしょう、あまり強くないからレベル70か80くらいかな、90以上になるとアンデッドにも急所攻撃できるからね」
「レベル80って凄く強い人じゃないか、あんなのを一撃倒せたのか」
「《レクドラ》ではレベルは重要だよ、さっきの冒涜の魔眼もレベル10以上離れてる相手を麻痺させるし、50以上離れてる相手には即死効果もついてるから」
「よく分からないけど凄そうだな、ていうか姉さん」
「なに?」
「技名中二っぽくない?」
「やかましいわ! ゲームなんだからこれくらいのほうがかっこいいの!」
「はいはい、姉さんは昔からそういうのが好きなんだよね」
「むー」
頬を膨らせる姉さん。可愛い。
「とりあえず他の場所へ行こう? さっきみたいな人がまた来るかもしれないし」
「そうね、じゃ《カステラの町》に行こう?」
「何その美味そうな名前は」
「《始まりの村》に一番近い町のことなの。ここでチュートリアル終えたら《カステラの町》でメインストーリーを進むのがおすすめの流れだよ」
「姉さんヒューマンじゃないのにやけに詳しいな」
「そりゃ当然だよ、私は《レクドラ》の全ての職業と種族を網羅してる人なんだから」
え、全ての職業と種族を網羅?
さっきキャラクター作成の時にちらっと見たが、初期種族だけでざっと30近くあったような……。
「え、マジで?」
「マジマジ。27の初期種族、121の上位種族と49の最上位種族。16の初期職業、144の上位職と64の最上位職をコンプリートしたわ。勿論一つのアカウントだけじゃなく、幾つかのアカウントでね。どう? 凄いでしょう?」
えっへん、と姉さんが胸を張った。
もともと姉さんはスタイルが良かったけど、このアバターはさらに一部を強化したような気がする。
「それは凄いな、流石に全国でもコンプリートした人いないじゃないか」
「公式では複数アカウントを認めてはいないけど、インタビューで『全ての職業と種族をコンプできたとあるプレイヤー』って言ったから、多分私しかいないと思うよ」
思えば姉さんは学校以外の時間をほぼゲームに費やしていた。
成績だけはトップに維持しているが、バイトも部活も入らず、たまに友達と街に遊ぶくらいで残りはゲーム三昧。
そんな姉さんを、世間はダメ人間だと断じるかもしれないけど、俺はいっそ感心している。
勿論そんな姉さんの世話をするのは俺の仕事だが、特に苦に思わない。
何より姉さんの《レクドラ》を語る時の顔が大好きだから、一緒にゲームに入って姉さんの楽しさと嬉しさを共有できて本当に良かったと思う。
「それで、やっぱり一番好きなのは死霊魔法系の職業だから、死霊魔法を極めたドラゴンっていう設定の血を嗜む千年龍が一番気に入ってるの……イツキ? どうして笑ってるの?」
「ううん、姉さんが楽しそうだから」
「うふふ、だってイツキと一緒に《レクドラ》できて本当に楽しいだもの」
姉さんはスキップのような足踏みで小躍り、俺の手を取った。
「さあ、早く《カステラの町》へ行こう? 《レクドラ》はメインストーリーを済ませばレベル49まで上がるし、シナリオもそこそこ凝ってるから楽しみにしてね」
「それは楽しみだね」
しかし俺が歩き出そうとすると、姉さんは俺を引き留めた。
「どうしたの姉さん、この方向じゃないのか?」
「バカね、瞬間転移で行けばいいじゃない。ほら、瞬間転移!」
姉さんの言葉と共に、世界が溶けた。
のどかな農村風景が、足元にある土地が、水平線に佇む山脈が、俺と姉さん以外の全てがまるで泡沫のように歪な形となって溶け始める。
これが瞬間転移の演出か?
なんだか……気味悪いな。
そう思って俺は視線を姉さんに向けたが、そこにあるのは驚愕に満ちる姉さんの表情だ。
「何これ……バグ?」
姉さんが小さく呟いた。
どういうことだ、これはゲームの演出じゃなかったのか?
「姉さん、これは瞬間転移の演出じゃないのか?」
「違う! こんなの知らないわ! これは――」
姉さんが言い終える前にすべてが消えてしまい、世界は暗闇に落された。
と思いきや、すぐさま光が戻って、何もなかったように世界は元の姿を取り戻した。
いや違う、元の姿なんて戻っていなかった。
「ここは……どこだ?」
俺たちの目の前にあるのは《始まりの村》の牧歌的な風景なんかじゃない。
何もかもが変わり果てている。
素朴な小屋が聳え立つ城壁と哨戒塔に、談笑してた村人が物々しい武器を持つ兵士に、一面の草原が赤鉄鉱のような色をしている焼け原に。
そしてなにより、この生暖かい風と鼻につく悪臭。
『え?』
俺と姉さんは同時にこの異状に気付いた。
触覚と嗅覚と味覚、この三つはVRでは未だ再現できないと言われてるはずだ。
だとしたら今この状況は何なんだ?
一体どうなっているんだ?
混乱に陥てる俺が答えに辿り着く前に、後ろから男の怒鳴り声がした。
「おい貴様ら!」
振り返ってみたら、そこには二人の金属の鎧を纏う兵士が居た。
「ここはついさっき戦争があったばかりだぞ、なぜここに居る?」
「せん、そう?」
あまりの出来事に、思わず復唱したら、
「うん? まさか貴様ら《奈落》か《煉獄》の者か? この《始まりの城》に近づいて何を企んでいる!」
え?
始まりの……城?