1 転移、その前(一)
REQUIEM OF DRAGON ONLINE、通称レクドラはVRMMOの黎明期から十数年もサービスを続けてきた老舗タイトルであり、今も百万単位のユーザーを擁するVRMMOの歴史を代表するようなゲームだ。
VRMMOという新しいネトゲの形態が世に出てから十数年の間、《レクドラ》はトップセールスランキングの常連とは決して言えないが、長らく一部のプレイヤーの心を摑むことに成功した。
うちの姉、桐谷楓も《レクドラ》のガチ勢として、時間とリアルマネーを注ぎこんで《レクドラ》の世界でカンストプレイヤーの一人として活躍している、らしい。
らしい、っていうのは俺はプレイヤーじゃなかったからだ。
姉さんが夢中なのは知っているし、何度も誘われていたが、なんとなくVRMMOを避けてきた俺はずっと二の足を踏んでいた。
だが高二になって、中学時代から続けていたバスケットが膝の怪我で退部せざるをえなくなってしまった。
それで気分転換として《レクドラ》を始めようかと思ったのが三日前のことだ。
「なるほど、こうやってダイブするのか」
ゴーグルタイプのデバイスをつけてゲームを起動すると、俺の視野が一瞬闇に包まれて、やがて一つの半透明のパネルが俺の目の前に浮かび上がった。
パネルには上から種族、能力値、職業、スキル等々が書かれている。
「さてキャラクター作成、と。種族は……多ッ!」
VRMMOは不慣れだがコンシューマーゲームは結構やっているから、キャラ作成なんてパパっと終わらせようと思ったのに、なんで初期種族だけで30近くもあるんだよ。
しかもオークとかもいるぞ、これはモンスターじゃないのか。アンデッドみたいな化け物もいるしどうなってんだ?
「うーん、まあ無難にヒューマンでいいか。次は職業……ん?」
ピロロロ~ン、と携帯が鳴ったので俺は一度デバイスを外した。
別室でダイブしている姉さんからだ。
一つ屋根の下だから直接言ってこいよ……。
「やっほー。イツキ、もうゲーム始まった?」
「まだキャラクター作成だよ。そういえば姉さんの職業って何?」
「私はねえ、ちょっと複雑かな、とりあえず魔法を使える前衛職って感じ」
「ふーん、魔法戦士みたいな感じ?」
「そうそう、そんな感じ。まあイツキは気にしなくていいよ、種族と職業がとにかく多いのは《レクドラ》の一番の特徴だから好きな職業にしなよ、そのほうが楽しいし」
「分かった、そうする」
「うふふ」
「なんだ今の笑い」
「だってやっとイツキと一緒に《レクドラ》遊べるから、つい嬉しくて」
「姉さん好きだもんな、《レクドラ》」
「それもあるけど、やっぱりイツキと一緒に遊べたらいいなってずっと思ってるもん」
姉さんの弾んでいるような声色から喜びが滲み出ている。
それを聞けただけで、膝が怪我するのも悪いことばかりじゃないと思ってしまう。
「……三年になったら忙しくなるけど、それまでは一緒に遊べるよ」
「うふふ、ありがとうイツキ」
「礼を言うほどのことじゃないだろう」
「えへへ、じゃゲームに入ったら連絡してね」
「あいよ」
通話を切って、俺は再びキャラクター作成を取り組む。
「姉さんは魔法戦士とすると……回復役がいいかな?」
なんとなく姉さんのフォローに回るのが習慣になっている悲しき弟根性。
まあリアルはともかく、さすがにゲームの中ではカンストプレイヤーの姉さんにフォローなんて要らないと思うけど。
「ヒューマンの神官、と。え、貴方が信仰する神を選んでくださいって」
パネルの下には《レクドラ》に存在する神の一覧と簡単な紹介がある。
よく分からないからとりあえず『ヒューマンの中で最も信仰されている』、と書かれている太陽神ミーロにした。
「あとは能力値とスキルか……」
前情報がほとんどなく、俺は直感であれやこれや適当に選んで、なんとかキャラクターを完成した。
「最後のハンドルネームは……」
特に洒落たハンドルネームを思いつかないし、捻った名だとなんか恥ずかしいから名前をそのままカタカタにした。
ちなみに姉さんのハンドルネームは『楓』の中国語読みで『フォン』っていうらしい。
「イツキ、と」
パネルにタイプして、送信。
すると、周りがゆっくりと明るくなって、まるで夜の幕が静かに上がっているように視野に薄日のような光が差す。
そして、落ち着いた雰囲気の、どこか牧歌的な風景が俺の目の前に現れた。
まず目に飛び込んできたのは、澄み渡る空と緑の草原の境にある地平線。
一目でそこまで見通せるくらい、視界に邪魔となるものは少なかった。
ヒヒーン……。
舗装されてない道に、馬車がカラカラと通り過ぎていく。
アスファルトのない道路と素朴な家屋、見た目からして小さいな村と言ったところか。
人もまばらで、俺の前には幾人の男女が談笑して、他には商人と旅人らしき人が行き交う。
「これが今のVRMMOなのか、凄いな。本当、凄い。凄く、リアルだ」
現実と見紛うほどの光景に、VRMMO初心者というよりVR自体に疎い俺はただ圧倒されていて、凄いとしか言えない。
建物は勿論、そこいらを歩いている男女の作りも細かく、生身の人間となんら変わらない。
「てことは俺自身も……おぉ、ぬるぬる動く!」
適当に手を振って、足を動かしてみたら、その滑らかさに驚いた。
怪我を負った左膝も違和感なく曲げられる、まあリアルボディじゃないから当然か。
俺が感動に浸っている時、ピロンと小さな音が鳴った。
「もしもーし、イツキですかー?」
姉さんの声だ。
「姉さん、どうしたの?」
「あ、やっぱりイツキだぁ」
「やっぱりって……そういえばどうやって通話できたの?」
そういうのはハンドルネームとか知らないとできないのでは?
「どうせあんたはHN思い付かないからイツキにしたのでしょう? お姉ちゃんにはお見通しよ、うふふ凄くない?」
「……お見通しでござる」
実際そうだったから何も言えない。
「それで、どうしたの?」
「いえね、実は今はちょっと手が離せないから、まずチュートリアルを進めて、30分後そっちに行くから」
「こっちってどうやって来るの?」
「フレンドなら瞬間転移で行けるわよ、フレンド申請も送ったからよろしく」
「そうなのか。30分後だな、分かった」
「バイバーイ」
姉さんとの通話を切ったら、視野の済に点滅している小さなパネルに気付いた。
なるほど、これがフレンド申請か。
とりあえず姉さんの申請を承認したら、一人の女の子が近寄って来た。
「ようこそ《始まりの村》へ、旅人さん。私はミアです、もしよかったらご案内いたしますよ?」
小鳥のさえずりのような声と共に、肩上まで切り揃えたボブヘアの金髪少女が微笑んだ。