プロローグ 転移三日目の夜
小さな洞窟の中で、パチパチと燃える小さな焚き火を囲んでいる俺と姉さん
火の真上に吊るされている兎の肉がゆっくりと色が変わっていく。
「姉さん、兎焼けたよ」
俺は肉汁滴る美味そうに焼けた兎の後ろ足を一本、姉さんに渡した。
「うんありがとう、本当にあんたが料理スキル取っててよかったね」
「まあ料理が趣味だしね、ゲームの中でも料理しようかなと思ったから。ていうかこの魔獣……一角兎だっけ? まさか食べられるなんてね」
「無害のパッシブモンスターで、しかも経験値も少ないからゲームじゃ誰も見向きもしないのにね。あ、でも角が青かったからレア種かもしれないよ?」
「まあ、レアだとしても今じゃウェルダンになったけどね」
「ぷっ」
俺の渾身のギャグに、姉さんが思わず吹きだした……と思いきや、
「ぷぷぷぷ、ぷぎゃはははは、イツキの顔、どや顔ツボった、ぷはははは、ひーだめだめ、笑い死ぬぅぅぅぅ」
「……」
けらけらと笑い転げる姉さんを眺めて、俺はさっと焼き兎の串を奪い取った。
「あ、あぁん。ごめんなさい、お姉ちゃんが悪かった、許して、イツキのギャグ大好きです、イツキも大好きです!」
「……はぁ」
「わーい、イツキ優しい大好きー、ふーふー」
熱々の焼き兎肉を少しずつ食べていく姉さんを見て、俺はなんとなく和んでしまった。
姉さんの姿は現実と同じ、腰に届くストレートな黒髪に切れ長の目。
涼しげな雰囲気を漂わせる姉さんは立ち振る舞いも優雅だから、よくどこぞのお嬢様だと思われる、それがスタイルも抜群となれば嫌でも人目を引く。
クラスメートにお姉さんを紹介してくれと何度も迫られたし、姉さんと街に出ればほぼ百パーセント本物かどうか知らないスカウトに遭遇する。
少々……いやかなり人見知りのきらいがある姉さんはクラスメートにすら中々素を出すことができず、つい自分を取り繕ってしまう。
器用が故になんでもそつなくこなすことができる姉さんだから、完璧美少女を演じるのもお手の物で、こうして老若男女問わずいろんな人に慕われる姉、桐谷楓が生まれた。
しかし彼女は猫かぶってるだけで、家では調子者でしかもズボラであることを弟の俺は知っている。
オンラインゲームガチ勢の姉さんは、よくシャツ一枚で深夜までダイブして、デバイスをつけたまま寝てしまったこともしばしばある。
俺が止めなければ、風呂も入らずに昨日の下着のままで登校してしまったのかもしれない。
徹夜三日目でボーとしているの姉さんを見てクラスメートが、「なんて儚げな姿」と囁き交っていたが。これが言わぬが花っていうやつだろうか。
「あちち……」
「急いで食べるから、ほらお水」
「ありがとう、イツキは食べないの?」
「俺のはもう少しかな……それにしても風が止まないな」
今俺たちがいる洞窟、その外では轟音と共に大地を削り取るような勢いで吹き止まない嵐が猛威を振るっている。
ただの風だけではなく、常人ならば即死するほどの猛毒を含む赤い液体、そして魔獣も潜んでいるこの《最果ての風》の中では、レベル一桁の俺は勿論のこと、カンストプレイヤーの姉さんでも簡単に進むことができない。
幸い、この《最果ての風》は夜にしか発生しないから、俺たちは日没となるとこうやって洞窟の中でやり過ごしている。
「……姉さん、あとどれくらいで《カステラの町》につくの?」
「さあね、ゲームだと歩いても10分も掛からないのに、やっぱりこの辺の地理も変わったのかしら」
「10分ってもう二日も歩いたのに……まあ、現実だとこんなもんか」
「徒歩10分でつく町なんてあり得ないのよね、もう隣じゃん」
ゲームだと、プレイヤーが最初に現れた場所――《始まりの村》から一番近い町まで徒歩10分も掛からなかったのに、俺と姉さんはもう二日も歩いて、未だ町の姿が見えない。
何故ならここはゲームではなく、現実だ。
「そもそも《最果ての風》は《始まりの村》付近では発生しないはずなんだから、何もかもゲームの世界と一緒ではないのよね」
「……なのに料理スキルで調理できるし、姉さんも魔法を使えるなんて、もう滅茶苦茶だね」
「本当、滅茶苦茶だね」
姉さんが指を鳴らすと、何もなかったところに魔法陣が出現して、そこから一体の黒い影が現れた。
どう見てもローブを着込んだ骸骨としか見えないそれは、タナトスという姉さんが好んで使役しているる召喚アンデッドの一つである。
影が濃縮されたような真っ黒な表面には金色の刺青が入っており、虚ろな眼窩には妖しい光が宿っている。
おぞましい外見なんだが、姉さん曰くかなり有能な僕のようだ。
ネクロマンサーである姉さんはこうやって簡単に不死生物、つまりアンデッドを呼び出すことができる。
勿論現実の姉さんも俺もただの高校生で、こんなファンタジックなことができるはずもない。
それができるのは、あくまでゲームの中ならではの話だ。
だとしたら今俺たちが居るのは現実ではなく、ゲームなのか?
違う、この兎肉の味と匂い、肌をなでる風、どれもゲームなわけがない。
ここは間違いなく現実だ。
そう、今日は俺こと桐谷壱月と一つ上の姉・楓がこの世界――《レクイエム・オブ・ドラゴン・オンライン》というVRMMOゲームの世界に転移してから、まだ三日目である。