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グリッター

作者: 永見坂

 カシャン——カシャン——と軽快に鳴り響くこの音は結晶を砕く音。

 その後に続くカランカランと鳴るのは結晶が転がる音で、ザラザラと崩れたのは細かな破片のさざ波。

 大地がこの青い結晶に覆いつくされたこの世界で、それに代わって鳴り響く音はもうほとんどない。


 一体の自動人形(オートマトン)がいた。

 全身が滑らかな弧を描くように加工された白銀の金属部品に覆われており、その顔には口も鼻も眼もない。鉄製のマネキンと言ってしまえばそう差異はないだろう。

 青ばかりの世界で人形が独りでに動いて、黙々と結晶を手なり足なりで壊して、崩して、砕いていくものだから、その音だけが虚しく世界に奏でられていた。


 人形には上がる息も無く、動く心臓もない。

 ただ、その役割を全うするためだけに人形は、人形(オスカー)は、結晶を砕いて、砕いた結晶を前へ前へと押し退け続けていた。


「精が出るな人形」


 のそり、と鈍く大きく地上の海の中で動いた。

 作業を取りやめて、何もついていない頭の前方部分を声が聞こえた方向へと向けた。

 青い結晶の中でその赤い鱗に覆われた巨躯はとても目立っていた。姿形は翼が付いたトカゲに類似しており、俗には《ドラゴン》と呼ばれている種。


 ——言語機能解除。


「トビアスじゃないか」


 静謐を保ち続けていた鉄面皮が突如として人らしい音声を発した。

 発し終えたところで、オスカーは作業を再開した。


「たった一人でよくやるものだな。何がお前をそこまで動かす?」


 オスカーはトビアスの問いかけには答えなかった。


「やはり、あの人間の赤子か?」


 答えずに作業を続ける。


「早く殺せと言ったはずだ」


 勃然とした顔色に変わって口早になり始めた。それでも人形が手を止めることはない。


「世界がこうなったのは人間が幾千もの大魔法を行使した結果だ!」


 巨躯が右前脚を叩きつけたことにより、ズシンッと下腹に積もるような重低音が響いた。

 一方で、結晶を割って放り投げる。


「分かっているはずだ。たとえ世界が再生したとしても人間がそこにいてはまた滅びる! 人間を一人たりとも生き残らせてはならないのだ!」


 蹴り崩して、蹴り上げる。


「なのになぜ貴様は人間の子を守る? 答えろ人形!」

「それは私が人の手によって作られたからに他ならない」


 無機質に響く音がドラゴンの言葉を返した。


「人によって人のために造られた人形(オートマトン)である私の行動は全て人のためにある」


 その言葉に疎ましさと哀れみとの表情を織り交ぜた顔でトビアスはオスカーを見据えた。


「……哀しいな人形。人間を、儂らドラゴンすらをも超越した不死に近い命を持ちながらも、そう造られたからそうするしかないとは」

「それが私達の生き方だ」


 また一つ結晶を砕いた。


 ——目を一度瞑る。赤いドラゴンは首を空へと伸ばして周囲を広く見やる。

 どこまでも続く青い結晶で埋め尽くされた大地。

 この結晶はどこからともなく現れ、発生した地点を中心に周囲を徐々に浸食していく。浸食を受けたものは自力ではどうすることも叶わず、固着し、ただ在り続けるだけとなる。


 トビアスは苦々しく双眸に力を入れる。

 見えるのは変わらない青い結晶だけ。しかし、琥珀の中に虫がいるようにその中には呑まれる以前の姿がそこにはあるのだ。

 辺り一面の結晶。特にこの地域に多い中身は——大量の自動人形(オートマトン)に他ならなかった。


「見ろ。お主の仲間も皆、呑まれた。結晶に呑まれてしまえばドラゴンであろうと人形であろうと抜け出すことは叶わない」


 神秘的な美しさと共にある凄惨な光景だった。


「この青き結晶の輝き……恐らくこれは空や海と同じ青だ。結晶(あお)が地を覆うことで陸空海の境界がなくなり、全てが同一の(あお)になる。それが世界の終焉だ」


 そうかもしれないな。とオスカーが冷たく鉄らしい答えた。


「よく考えておけ、人間がこの惨状を作り出した。そして、人間の手に作られたからといってお主らも共に罪を背負うことなどないのだ」


 言い残して赤いドラゴンは飛び去った。

 その風圧が結晶を吹き飛ばして、オスカーの作業を結果として後押ししていた。


「………………」


 最後に手に持った結晶を投げ入れたら、踵を返して青くない道を進んでいった。




 暫し歩けばオスカーの拠点である木造の小屋が見えてくる。

 海岸に隣接した砂浜に建てられたこの地域はまだ結晶の侵食もそう酷くはない。——ただ、ただの一度でも結晶が発生してしまえば、それで終わりではあるが。

 人間の赤子がいた。小屋の中で屈託のない、まだ何色でもない顔が幾重にも重なったブランケットの中で僅かな寝息を立てている。


 ある時、砂浜の上にまるで託すように置き去りにされていたこの子供が人形、オスカーの動く意味であった。


休眠状態(スリープモード)に移行」


 赤子の前に腰を下ろして人形は眠った。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 ——オスカーは休眠状態に入ると六時間は目を覚まさない。残りの十八時間の一日を活動するために動力源の補給と機体調整を終えるのにそれほどの時間がかかるからだ。


「スリープモード——緊急解除」


 それが途中で解除されると言うことは、十八時間の活動時間を減らしてでもやらなければならない事案が発生したからに他ならない。


 巨大敵性存在感知——保護装置解除(セーフティアンロック)——機体調整確認——感覚機能解除——聴覚機能解除——視覚機能解除——身体機能解除——これより保護対象の——最優先とし——。


 オスカーが腰を上げ、きびきびと動き出すのと並列して文字通りの鉄面皮の内側から無機質な音声が無数に流れ出る。

 小屋の扉を——開ける。


 広がる青一色の景色の向こう側で蠢く巨躯が見て取れた。

 言ってしまえばそれは蛇だった。手も足もなく、寸胴で細長い胴体を持っており、先頭には仰々しい顔がある。そして、その大蛇は海にも、空にも、結晶にも似た。一色の青のみで構成されていた。


 ——対象の脅威レベルを5と推定。


「気を付けろ。我々の種もやつらに滅ぼされた」


 屋根を跨いで、天上からの声。見慣れた赤い巨躯によって自然とオスカーは影に入っている。


 ——言語機能解除。


 アレは? と失われた地平線上のそれを凝視したまま問いかける。


「儂にも詳しいことは分からぬ。ただ、儂はあれが結晶の意思なのだと思う」

「結晶の意思?」

「左様。世界を覆い尽くすことを結晶の意思とするならばあの結晶龍はそれに抵抗するものを排除する存在。貴様が長らく結晶を崩し、侵食を妨げていたことによって発生したのであろう」


 なるほど、とオスカーは相槌を打つ。——そして、その場で為すべきことを考え、一瞬の迷いもなく作業的に導いた。

 それは紛れもなく、


「トビアス。一つ頼まれてくれないか」

「……人の為。に動けと言うのか?」

「ああ、そうさ。どうせもう、私たちに出来ることは少ない」


 くっくっく、と歯を見せながら赤いドラゴンは悔しいような可笑しいような顔で笑う。


「いいだろう。貴様が何をする気かは知らぬが一つ貸しを作ってやろう。何をすればいい?」


 助かるよ。と一拍を置いて、


「そう複雑なことじゃない。アレを足止めさえしてくれればいい。三〇秒だ」

「三〇秒か……容易く言ってくれるなこの人形は、あれは謂わば結晶の集合体。下手をすれば触れた瞬間呑まれるぞ」

「直接交戦はしなくていい。周囲の結晶を破壊して、注意を逸らしてくれるだけで十分だ」


 巨躯から出た特大のため息から——良いだろう。と再び返答すると、ドラゴンは小さな小屋など飛び越して目前へと迫る結晶龍へ突撃して行く。

 斥候は大口から放たれる火球。着弾点から煙幕のように周囲は黒い煙に包まれ、トビアスは一定の距離を保ちながら結晶龍との交戦を図る。


「さて、最後のひと仕事を終わらせなければな」


 人形は呟いた。

 首を回して背後の赤ん坊を見やる。小さな寝息を立てて眠っているのは依然として変わらない。

 起こさないようにそっと近づき、おもむろに抱き上げるとオスカーは小屋の表へと出た。

 宣言通り、なんてことはない三〇秒でできる作業だった。

 予め用意していた小舟に赤ん坊一人を乗せて、海へと流す。

 ブランケットは少し増量して、丁寧に、潮風に吹かれても大丈夫なように舟は少し深めだ。

 そして、そこに人形の姿はない。

 もうついてはいけないのだから。


「残酷なことをする」


 時間だった。三十三秒経っていた。

 トビアスは海岸へと戻る。その半身は、既に結晶に呑まれつつあった。


「どの道、世界は結晶によって滅びる。否、例え世界がこの難から逃れたとしても、人間はまた同じ道を辿るぞ?」

「そうかもしれない。だが、賭けてみたくなった」

「戯言を言う。お主ら人形が賭けるだと? 悪い冗談だ」

「概ね同意だ。私自身もこのような結果にあるとは思っていなかった……ただ」

「ただ……なんだ?」


 らしくなく、間を空けてからオスカーは答える。


「もしかしたら、この海の向こうに繁栄があるかもしれない。

 もしかしたら、この空の下で新しい命が育まれているかもしれない。

 もしかしたら、遥かどこかの地で歩み続けられているかもしれない。

 そんな幾つもの戯言(もしかしたら)が重なって、私たちが予測できなかった光が——世界を照らすかもしれない」


 これまたらしくない、長い答えだった。

 ああ——と低く唸るような声でドラゴンは感嘆する。


「なんて酷い……最後の最後でなんて酷い戯言(きぼう)を口にするんだこの人形は……」


 程なくして、一体の人形と一頭のドラゴンは青い結晶に呑まれた。

 遠く水平線上に輝いた最後の光を見据えたまま。

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