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「ありがとう。助かったよ。」
違和感を与えない程度に早口全開で簡潔にあっさりと言い放つ。
むず痒い。唇が、舌が、口内が、ピリピリした。
最早、一種の精神病。だからお礼なんて言いたくなかったんだ。
「い、いえ。俺なんかでお役に立てたのなら」
勇者は面と向かってはっきり感謝されたことが照れ臭かったのか、赤面しながら、僕とは目を合わせようとせずとせず小声で返した。
ふーん。なるほど、そうか、そういうことね。
彼は――<必要とされたい>タイプか。
ま、異世界に取っては最も扱いやすくもあり、最も扱いにくくもある、そんな所だろう。初めのうちはオドオドしていても、確固たる自信が出来始めれば、どうなるかはわからない。全てはお姫様の手腕次第。お手並み拝見ってね。
でも、その前に――
僕としても久々に会った御同輩だ。このまま逃がしてしまうには惜しい。機を逸してしまえば、一対一でなど数日は会えなくなるだろう。少し話をしてみるのもまた一興かもしれない。
「異世界に来るなんて、君は恐いとか思わなかったの?」
「いえ、少しは恐怖もありました。でも、困っている人を見捨てることが出来なかったというか、僕なんかで力に成れるならやれるだけやってみようと思ったんです」
周囲の喧騒に掻き消されてしまいそうな弱弱しい声だったけど、声量も大したことはなかったけど、彼の言葉には強い意志が感じられた。
僕なんかで、の行に反応して様子を伺っている連中が口々に「なんて謙虚なお方だ」だの、「そんなことはない」だの勇者を褒めそやす。
いや、実に感傷的な名場面だね。
――気持ちが悪くて吐き気がするよ。
「そいつはまた、御大層な志だね。究極の自己犠牲。これでも僕は聖職者だからさ、そういう姿勢には素直に感服するよ」
「そんなことないですよ」
ああそうだね。勿論、何から何まで嘘だ。
我ながら気色の悪いベタ褒めに、勇者は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「魔王討伐、自信の程はどうかな?」
「これでも少しは腕に覚えがあるので少しは。それにこっちに来てから体が軽いんです。漫画か何かでは、重力が弱いから超人的な力を発揮できるとか解説する場面があったけど、どうやら本当みたいですね」
言い終わってから気が付いたように、漫画なんてわかりませんよね、と付け加える。
いや、よーく、知ってるよ。
「呆気無く死んでしまうかもしれないとは、考えなかったのかい?」
「………………」
俯き黙る。
余計なお世話だ、とか、勇者さまが死ぬわけないだろう、とか、周囲で僕への罵声と勇者への声援が入り混じる。
やはり、というか、彼は答えを持ち合わせていなかった。
俺が死ぬわけない! なんて阿呆な返事が戻ってこなかっただけまだましなのだろう。
イフの話。もしもの話。
もしもああだったら、もしもこうなったら、弱気な人間は未来形の「もしも」を好み、強気な人間は過去形の「もしも」を好む。それは心配性だということ。それは自信家だということ。此度の勇者は確実に前者だ。
そんな彼をしても、自分の死なんて現実離れし過ぎているから考慮に入れる必要性を感じない。そもそも、問題として設定するにはリアリティーが足りないというわけだ。
確かにそれはそうなのかもしれない。
だけど、それは、考えが甘いと思う。
死が遠いのは君の居た世界での話だろう?
じゃあ、落ち着いて、ゆっくり考えてみるんだ。
此処は何処か?
答え――異世界。本当の意味での正解者は――僕のみ。
人形の代わりに命をボッシュート! なんちゃって。
「まあ、深く考えることは無いさ。後々、僕の言葉の意味もわかってくる。それに宴の主役を長時間足止めするのは悪いからね。最後に一つだけ。君の名前を教えてくれるかな?」
「藤間剣です」
外見どおり、やっぱり、日本人だね。お仲間さんだ。
勇者とそれに付随するように、取り巻きがいなくなり、やっと平穏を取り戻した僕の周辺地帯。傍にいるのは儚のみ。話してばっかりで喉が渇いているだろうと、水を持ってきてくれた彼女の好意を素直に受け取る。
「なんとかなったっすね」
「なんとかなるもんだね」
「流石にあれはどうかと思うっすよ?」
「あれってなんだい?」
「惚けたって無駄っす。ひー君が勇者嫌いってことは調べがついてるんすから」
調べなくても判り易過ぎる態度だった気がするんだが。
「いや、まあ、ね。僕だって自己犠牲を厭わないってのは高尚な精神だと思うよ。だけどさ、彼は元々いた世界の住人と異なる世界の住人を天秤に掛けて、こっちを取ったんだ。自分の居場所を捨ててね。選択ってのはつまりそういうことだろ? にもかかわらず、本人には大した考えもないみたいだし、僕としては其処に至った彼の境遇や精神構造に興味があるんだよ」
「またおかしなことを考えるんすね。理由なんてどうだっていいじゃないっすか。勇者は選択の結果此処に来て、事を成す。それで皆が幸せなら、外野がどうこう言う問題じゃないと思うっすよ」
「それは確かにそうだけどさ。確固たるものが無いってのはコントロールし易くもあり、し難くもあるものだろ? 僕の見立てじゃ、彼、きっと化けるよ。それも厄介なほうに」
環境が人を変えるって言葉があるけど、このケースはその最たる例だろう。
異世界。勇者。特権階級。
要素としては十分過ぎる。
「そうっすね。ああいうタイプは一度方向性を誤ったら危険分子でしかないっすから。でも、まあ、そのときはそのときで、秘密裏にきっちり始末するんじゃないっすか?」
「それをやるのは誰の仕事だと思ってるんだい?」
「ひー君や私のように勇者に随行することを義務付けられた人間っすね」
「その通り。仲間なんてのは建前。事実上の監視役なのさ。儚がこんな仕事を請けるなんて意外だけどね。僕はさ、物臭な人間だから、基本的に面倒事は嫌なんだよ。だからああやって辛辣な物言いをすることで勇者に嫌われて、あわよくば担当を外して貰えるかもしれないって、淡い期待を抱くのさ」
「それだけじゃない気もするんすけどね」
「それは……まあ、秘密って事で」
同じ世界から来た存在なのに、喚ばれ方が違いすぎて嫉妬した――なんて言えないだろ?
勇者が<帯剣の儀>を行うまで後二日。