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王宮内部の巨大な広間。
この国の初代国王が建設した、とある儀式専用の場所だ。
何から何まで白大理石で出来たこの空間は今、異様な熱気に包まれている。
広間の中心に敷かれた巨大な魔法陣を取り囲むようにして、王族が貴族が民衆が、その時を待ち侘びていた。
恐れ多くも勇者の旅に参加することとなった僕は最前列、王族の傍で事の推移を眺める。何時もの法衣で出席しようとしたら、ちゃんとした装丁の物を渡された。下級聖職者と言えどもそれなりの格好はしていないと教会の面子が立たないらしい。ご機嫌取りも楽じゃない。
おのぼりさんな僕が、滅多にお目にかかれないような高貴な人々を確り見ておこうと辺りをキョロキョロ見回していると、お姫様と目が合った。軽く会釈してみたが、無視。歯牙にも掛けられないとは、無念。
それにしても、王国屈指の魔法使いが一丸となって神代の大魔法を詠唱するのは壮観な眺めだ。どいつもこいつも超一流の腕前。名のある貴族お抱えの魔法使いばかり。僕が知ってる奴なんて――
「あ」
いた。
一団の中で特に小さな女の子。栗色のお下げ髪に質素な――といっても周りの連中と比較すればであって、決して酷い格好ではない――ローブ。他の魔法使い達が一生懸命な中、あの子は何にもしちゃいない。呪文は口ぱくだし、魔力の放出も確認できない。儚の奴、あんな所で、なにやってんだ。
見つめる僕に気が付いた儚は、一瞬虚を突かれたような顔をして、はにかむ。この御時世、僕に優しくしてくれる子なんて彼女くらいだ。癒されるなあ。
儚は、自由契約の魔法使いで、僕とはある仕事でご一緒してからの仲だ。
『積もる話もあるし、後で飲みに行こう』
声には出さずにそう伝えると、儚は満面の笑みを浮かべた。
そして、一転、真剣な表情に戻って、今度は本当に呪文の詠唱を開始する。彼女が加わったことで魔法の完成が早まった気がしたのは僕の買被りだろうか。
紡がれる一言一言に反応して共鳴して、<勇者の間>が脈動する。
柱。壁。天井。その全てに刻み付けられた魔法が魔法陣へと力を注ぐ。
さあ、儀式が始まるぞ。
異世界から勇者を召喚する際は本人の同意が必要だ。
互いの領地から民を攫うのは自由。
但し、当人が納得していなければ門は開かない。
其れが世界同士の約束事。
呼ばれて、請けて、彼は何を期待して此処に来るのだろう。
変化か進化か、はたまた退化か。
此処は異世界。死の世界。
期待そのものが間違いだと何故気がつかない?
大方、勇者になれるって甘言に惑わされたんだ。そうに違いない。
お姫様美人だもんね。
鵜呑みにしなきゃ男が廃るってもんだ。
程度が低い。浅はか過ぎる。思慮の足らない大馬鹿野郎め。
僕は見てたよ先代の死に様。
響きは良いんだ。勇者と正義。悪即斬なんて憧れるじゃない、男の子だもの。
だけどさ、だけどだ。
此処は異世界。異の世界。
常識。良識。通用しない。
在るのは冷たい現実だけ。
勇者が正義。笑わせる。
何故縛られる。何故振り解けない。其処がお前の駄目なとこ。何時まで経っても引き摺って、何時まで経っても色眼鏡。此方と其方じゃ勝手が違う。
「ほんと、男の子ってのは夢見がちだよね」
「式の最中よ。黙りなさい」
隣の観那と周辺の人々が僕に咎めるよな視線を向ける。
そんなにジッと見るなよ。恥ずかしいじゃないか。
「いや、だって結果が見えてる茶番なんて必死に見たって面白くないよ。八百長試合より性質が悪い。観那だって本当はそう思ってるだろ?」
返事はしてくれなかった。ただ刺すような鋭い視線を彼方此方から感じる。
いよいよ儀式も大詰め。
お姫様が観衆の輪から一歩踏み出して、異世界人に問う。
「汝勇ましきモノとして破魔の力を振るうと誓うか?」
返答の代わりとばかりに、一際強く魔法陣が輝いた。陣を中心に魔力の篭った風が広間を吹き抜ける。
あーあ。残念ながら儀式は成功だ。
自分から地獄に来るなんて間抜けな奴。
僕とは違って事前にしっかり確認されたじゃないか。
気が付いたときにはもう手遅れがセオリーだってのに。
広間中の人々が王宮そのものを揺るがすような大歓声を上げて、勇者の到来を祝っていた。老婆一人だった僕のときとは大違いだ。大層なご身分だよな。
ま、初めはこれくらいが丁度良い。知らぬが仏。騙されている内が華だ。
徐々に徐々に、疑念や疑惑が脳髄に浸透し、順々に段々と、真実へと近づいていく。
困っている人々を救いたいという熱望。
唯一無二の特別な存在になりたいという非望。
可愛い女の子に持て囃されたいという欲望。
現状から逃げたいという願望。
人は異世界に自らの望を投影し、異世界は其れを利用する。
究極のギブ・アンド・テイク。
彼の者は異世界に希望を与える。
そして、彼の者に異世界が与えるのは――失望。
おおゆうしゃよ。
しににくるとはなさけない。