2-8
名前が、決まらない。
悩むこと早半刻。
儚の考え出すゲテモノを却下したくなる気持ちはわからないでもないのだけれど、いつまでも首を横に振られ続けると話が進まなくて困る。
幸いなのは、この世界における名前が「姓」と「名」に分かれているものの、一定以上の身分にある人間以外が苗字を名乗ることが出来ないことだろうか。
今の二倍時間をかけるとか絶対にありえねーって。
我慢強い僕でもいいかげんウンザリだ。
そもそも、名前ってそこまで拘る必要があることなんだろうか。
例えば、僕は今の両親に貰った名前――「独」という呼称に大した不満はない。
図らずも、今の僕の状態を的確に表現していることや、僕のことが嫌いな連中の揶揄の材料になっていることや、本当のところ「独りで逞しく生きていけるように」という意味を籠めた名前だったということまで――全部含めてどうでもいい。
十何年間別の名前で生きて来た僕にとって、今の呼称は偽物だ。
ホンモノの名前じゃない。
一時的な過ぎす、だからそこに意味はない。
この女の子だって、名前がないことがそのまま名前だったのだから、同じことではないだろうか。
とはいえ。
現状を鑑みるに、どうやらそれは僕の勝手な思い込みだったようだけれど。
「あー、御二人さん? そろそろ決めてくれないと困るんだけど」
「あと、もーちょい待つっす」と儚が答える。
何が任せろだよ、と僕は苦笑いする。
それにしても名前、か。
元の世界を思い出して少し暗くなってしまう。
そんなガラじゃない。
ガラじゃないが、やっぱりそれはどうしたって郷愁を誘う。
元いた世界の生活。
家族や友人はどうしているだろうか。
僕がこっちに引き摺り込まれてから、もう十数年が経つ。時間にズレがなければ、向こうでも同じだけの時間が経過していることになるだろう。つまり、何の痕跡も残さず失踪した僕は既に死んだも同然。皆にとっては遠い過去の存在になっている。帰ったところでおそらく僕に居場所はない。
安っぽい不幸。
我が人生ながら嗤えてくる。
こんなのお話の中だけで十分じゃないか。
お粗末で出来の悪い茶番。
全くやってられない。
やってられないのに、僕はこうして此処にいる。
残念ながら被害者としていてしまっている。
今を生きる為に必死に外面を取り繕って。
帰った時の為に必死に内面を守り抜いて。
どうにかこうにか適応して、ようやくこの無様。
向こうで僕が消えたとき、誰か涙を流してくれたのだろうか。
両親はきっと泣いてくれただろう。
友人も親しくしていた奴等の何人かは泣いてくれたのかもしれない。
そして、妹は――怒ったに違いない。
僕なんかとは比べ物にならないくらいしっかりしたやつだった。駄目な兄貴だとよく叱られた。別段容姿に恵まれていたり賢かったりするわけじゃあないが、僕には勿体ないくらい良く出来た妹だった。
「…………チナツ」思わず、名前が零れた。
「ひーくん、それいただき」
「は?」
いただきって、何を。
「チナツちゃん、これで決まりっす」
「え、いや、それは僕の」
驚きに一瞬思考が停まっていた。
二の句が継げずにいる僕を尻目に、女の子が頷き、儚が「決定」とはしゃぐ。
「御手柄っすね、ひーくん」
「案外センスあるじゃないですか」
おいおいおいおい、それは駄目だ。
他の名前ならいくらでも使ってくれて構わない。
だけど、これは駄目なんだ。
「……も、もう少し考えた方がいいんじゃないか」
「こういうのは偶然の出会いが大事なんすよ。チナツちゃんも気に良ってるみたいでよかったじゃないっすか。それとも何か嫌な理由でもあるんすか」
本当のところは絶対に言えない。
でも、他に思いつく言い訳もない。
儚は僕が名前に固執するような人間じゃないことを良く知っているから、これ以上下手に食い下がれば間違いなく不信感を抱かせてしまうだろう。
どうする。
どうしようもない。
「…………特に何も。ただ、あんまりあっさり決まったもんだから、本当にそれでいいのかと思ってさ。それより、字はどうするんだ?」
「うーん」儚は少し考えてから、「千の夏でチナツ、どうっすか」そう言った。
妹の名前は知に奈津でチナツ。
発音は同じだが、字面は完全に別物だ。
ここが妥協点なのだと自分に言い聞かせる。
「いいんじゃないか」
「よし、じゃあ今度こそこれで決まりっす」
拳をぎゅっと握り締める。噛み締めた奥歯がぎりりと鳴る。ともすればこぼれそうになる罵倒を無理矢理飲み下し、目の前の、たった今千夏と名付けられた少女をじっと見つめる。はにかむチナツの顔が、今はもう擦れてしまった妹の笑顔と重なってゆらゆらと揺れた。
勇者の付き人になってからというもの、本当に碌なことがない。
千夏の話を纏めよう。
結論からいえば、僕の抱いていた危惧は的中した。この街には――というよりもこの街自体が、反王国を標榜する連中の温床だったのである。王都から遠く、ろくすっぽ管理の為されていなかったこの土地は、逸般人たちにとって格好の潜伏場所。もともと土地に住んでいた人々は、まともな恩恵を与えないにも関わらず税金だけは搾取する王国より、柄は悪いけれど金はきちんと落とす人間たちを取った。だから今僕らがいるのは完全なアウェー。倒さんと乗り込んだ敵地のど真ん中。過剰なまでの歓迎は単なるフェイクだったらしい。これだから人間ってやつは信用できないのだ。
だが、それ自体は大した問題じゃない。勇者の力を持ってすれば、たかが悪人が束になってかかってこようと蹴散らすのは容易。赤子の手を捻じ切るようなものだ。と事実はどうあれ、少なくとも敵方は思っていたはず。だから解せないのは、端から勝てないとわかっている戦いを挑んできた敵の胸中ということになるのだけれど、その答えはとうに用意されていたらしい。
あの襲撃。
あれは僕らを葬ることが目的だったのではなく、とある事実を確かめる為のものだったのである。
それは――藤間君に人殺しができるのか、ということ。
勇者の圧倒的な殲滅能力が如何なく発揮されるかどうかは、彼が躊躇いなく人を殺せる人間であるか否かにかかっている。人間離れした力というやつは、相手を殺さずに無力化することには適していないのだ。一振りで人の身体を断つ/断ってしまう勇者の剣は、使い手に相応の覚悟がなければ酷く脆い。今の藤間君では、こぼれる内臓や赤黒い血液を見た段階で良くて嘔吐、悪ければ気絶というオチが待っているだろう。
全ては不覚悟が招く事態。
藤間君が召喚されてから日が浅いことを考えた上で、敵は僕らの対応を見守っていた。
そうすると、あのときの僕の対処は間違いなく最悪。
血腥い現場と藤間君の接触を全力で避けてしまったことがそのまま、彼の、ひいては勇者様御一行の脆弱さの証明になってしまった。
要するに。
勇者の力という虚仮落しが露見してしまったのだ。
重ねてまずいのは、事の成り行きを見守っていた何者かの存在に、僕と儚が気付けなかったということ。下手をすれば、相手方に僕らよりも腕が立ち知恵の回る人間がいる可能性がある。
以上が、千夏の話から吸い上げた要素に僕の推測を交えたものなのだけれど、
「うっわ、まじありえないって、これ。そもそも僕が生き残れるかどうかすら微妙じゃん」
「そうっすね……思ってたよりずっとやばい状況っす」
儚と二人、意気消沈。
がっくりと肩を落とし、どうにか打開策をと苦しい思考を巡らせる。
「藤間君に殺人への忌避感さえなければ万事解決なんだけど、んな甘い可能性は頭から振り払った方がいいよなあ」
「勇者さんは到底人殺しなんかできるタマじゃないっすよねえ」
頭を抱えている僕らを他所に、千夏は次の話へと移る。
「勇者さんは、人間以外の殺害経験はおありですか?」
「ない」「ないっすね」
即答。
彼はきっと獣も殺せないだろう。
千夏が渋い表情になる。
「じゃあこれも耳に入れておいた方がいいと思うんですが――勇者さん、これから竜退治に出掛けることになるはずです」
「え。ごめん、もう一回言ってくれるかな?」
「竜退治ですよ」
そう言ってしまってから、千夏は溜め息を吐いた。
自分で自分の顔面が強張っていくのがわかる。隣で儚が捨て鉢な笑みを漏らす。もはや言葉もない。竜だって? おいおい、なんつー真似しやがるんだ。
「約束したんですからね。お兄さん、ちゃんと私を守って下さいよ?」
いや、たぶん無理。
前半と後半で文章の質が変わってしまっている気がします。月日って残酷ですね……。
開いた間のわりに分量が少なくて申し訳ない限りです。でも話はちゃんと動いたと思うんです。話は。
次回こそ素早く形になるといいなあ。