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私は忙しなくパソコンのキーボードを動かしながら、チラリと時計を見た。終業時間まであと2時間近くある。なんだか今日は時計の針がなかなか進まない。
昨日は本当に大変だった。異世界から連れて来た連中がテレビを分解しようとしたり、自動ドアを警戒して通らないと駄々を捏ねたり、コンロの火を水で消そうとしたり、電車を見て大騒ぎしたり・・・
私の人生で最も大変な週末だったと断言できる。予定通りであれば今日も異世界から来た3人は街を散策しているはずだけど、あくまでそれ予定である。
あの人達は大丈夫だろうかと、仕事をしていても気になって仕方が無い。
「高木さん。進捗状況はどう?」
ハッとして顔を上げれば同じチームの3つ上の井上さんがいた。私の斜め後ろからパソコンを覗き込んでいる。
「はい。もう少しで終わりそうです。」
私は進捗具合を簡単に説明し、井上さんはパソコンと私の顔を見比べるながら親身に話を聞く。
「うん、大丈夫そうだ。今日はちゃんとした時間に帰れそうだね。高木さん最近忙しい日が続いたからお疲れ様で今日は飲みに行こうか。奢るよ。」
井上さんが少し微笑んで私を慰労する。
井上さんと食事!行きたい!!
咄嗟にぱあっと表情を明るくした私は、すぐにがっかりした様子で項垂れた。駄目だ。あいつらをほったらかしにはしておけない。なんでよりによって井上さんが食事に誘ってくれた日があいつらのこっちの世界での初日なのか。どこまで迷惑かける気なんだ!
「ごめん、予定あったかな?」
私の様子をみた井上さんが少しばつが悪そうに頬をかいた。
「えっと、今日は先約があって。せっかく誘って頂いたのにすみません。」
「いいよ、気にしなくて。もう少しだから頑張れ。」
私が心底がっかりしながらも泣く泣くお断りをいれると、井上さんは気にするなと肩をぽんと叩いた。
井上さん、相変わらず優しいな。格好いいし、食事一緒に行きたかったな。
私はこの日のこの誘いより異世界の3人を優先させたことを翌日に後悔することになった。なぜなら私が断ったのを見て井上さんを食事に誘った一1個上の女性社員が急接近して深い仲になったと知ったから。タイミングの悪いことにこの上ない。ま、縁が無かったと諦めるしかないか。
仕事が終わって戻ったマンションで異世界から連れてきた3人がきちんと揃ってる事を確認して、私はドアを開けた。
ドアの向こうはやっぱり異世界だった。4人は私の居室に戻って話をすることにした。私の部屋の続き間には10人程度は座れるダイニングテーブルも置いてあるため、食事をしながら話すのに丁度良いのだ。
「おかえりなさいませ、リナ様。すぐに皆様のお食事をご用意しますね。」
「うん、ただいま。ありがとう、キャロン。」
戻ってくると、キャロンが笑顔で出迎えてくれた。
部屋は綺麗に掃除され、シーツもきちんと交換されていた。お姫様みたいに贅沢な生活だな、と思う。
どうせ面倒ごとに巻き込まれてしまったならとことん楽しんでやろう。私は持ち前のポジティブシンキングを発揮することにした。
しばらくして留守番していたサスケとグリンも現れ全員集合して食事の席に着くと、キャロンが温かい食事を次々に配膳していく。
「今日は3人はどこに行ったの?」
「私は魔道具のようなものが沢山置いてある店に行った。動く本物のような絵があったり、冷たい空気の風を作り出す箱があった。とても興味深いものばかりだった。」
ロンの発言を頭の中でかみ砕く。はて、魔道具??
「それは家電量販店かな。電気を使って機器を動いているから魔法は使っていないよ。詳しい原理は私にはわからないけど、ここでも電気さえおこせば使えると思うよ。」
おそらく電化製品を魔道具と勘違いしていると私は想像して、ロンに教えてあげた。ロンはここの世界でも使えるということをきくとひどく喜び、明日以降はその原理について調査すると意気込んだ。
「俺は商店にいったら、夏の作物も冬の作物もあって驚いたぞ。なぜ夏の今、冬の作物があるんだ?一部の場所は冬のような冷気が漂っていて氷漬けの肉などもあったな。」
今度はギルが興奮げに話しだした。あー、今って一年中季節感無く色々な野菜や花があるもんね、と私はスーパーの食品売り場を思い浮かべた。
「温室で育てたりわざと冷気にあてて植物に季節を勘違いさせたりするらしいよ。」
私もあんまりよく知らないけど、なんかそんなこと聞いたことある気がするので言ってみた。ギルは植物の生産方法について調査すると言っていた。野性的な見た目なのに興味の対象が植物の調査というのが少し意外に感じる。
「今日一日歩いてみて気付いたが、どうやらリナ殿の国は身分制度が無いようにみえた。違うか?」
今度はエルが逆に質問をしてきた。
「私のすむ世界に身分制度はないよ。ずっと昔はあったけど、今はないの。今は国民は全員平等って事になってる。」
「政治はどうやって動かすんだ?」
「選挙っていうのがあって、政治家を選ぶのに国民は等しく一票を入れることができるの。沢山の人に選ばれた人が政治を動かすのよ。」
エルはなるほどと感心しており、この世界の政治の仕組みを知りたいと言っていた。3人が3人とも着眼点が違って面白い。
「リナ殿の世界は身分制度がないのか。そんな国もあるのだな。」
サスケが小さな声で呟くのが聞こえた。サスケが政治体制に興味を持つなんて、私にはちょっと意外に思えた。
「ねえ。みんなは私の国の文字は読める?」
「聖女を召喚した召喚士は読めるはずだ。今日リナ殿の世界に行っても、文字は問題なかった。」
「そう。じゃあ、図書館に行くといいよ。色んな本があって色々調べられると思う。明日、大きな図書館がどこにあるか調べてあげるね。貸出カード作らなきゃ。」
5人には、色々な本が無料で読める図書館を紹介して、明日はそこに行くことを勧めた。
「リナ殿はやはり聖女だ。我々は今日一日で沢山のことを知るきっかけを得た。」
エルが目を細めて優しく言った一言が嬉しくて、私は自然と笑顔をこぼした。