第6話:嫌がる話題
「あの、前から聞こうと思っていたのですが…」
馴染みの一室となったベッドの上で、ハクはモノクルを拭きながら口を開いた。
「ヒツギさんは、どこか娼婦館に所属しないのですか?」
それは彼にとっては何気ない疑問だった。しかしヒツギは一瞬眉を顰め、乱雑に跨ってボタンを外し始める。
「そんなこと、あんたが気にすることじゃないよ」
「え、まぁそうですが…」
それ以上の追及を許さないように口づけ、やや乱雑に舌を絡め言葉を奪った。
ハクとヒツギとの交わりは緩やかで静かなものであり、ヒツギにとっても気が楽なものだ。しかし、その夜は思考を奪い取るようにヒツギは熱く息を吐いた。
日差しが差し込む時間になっても、ヒツギは目を覚まさず深い眠りについていた。昨夜の激しさは小さな身体に負担が大きかったらしく、ハクは初めて彼の寝顔を見ることとなった。
深く黒い髪に幼さを残した顔立ち。自分の胸くらいまでしかない身長と声の高さは子どもらしいのに、その立ち振る舞いは幼さからかけ離れている。
「私は、何も貴方のことを知りませんね」
それは娼婦と客にとって当然のことなのだろう。知るべきではない、自分達は深く関わるべきではない。金と身体だけが自分達を繋ぎ、それ以上得るものなど何も無いのが、あるべき形だ。
今この瞬間、誰よりも近くにいるというのに。その距離は誰よりも遠く、交わることは決してない。この指を絡めたところで、自分たちの関係は所詮客と娼婦なのだ。
「ヒツギ、入るわよ」
ハクの思考を割って聞こえたノック音に顔を上げると、赤髪の女性が立っている。ハクがいたことが予想外だったのか、ごめんなさいと一言残して扉の向こうへ消えようとするのに、声をかけた。
「貴方はヒツギさんのお知りあいですか?」
「え、ええ…」
「ヒツギさんは今就寝中で…よろしければ、少しお話しよろしいでしょうか?」
赤髪の向こうから見つめてくる瞳が、ゆっくりと瞬きハクを映す。
ヒツギから兼ねてから聞いていたハクという男を知るには、いい機会だろう。彼がヒツギにとってどのような人物か、彼がヒツギをどう思っているのか、彼がヒツギにとって害悪にならないか。
赤い髪に負けず劣らず赤い色が弓なりに細められ、薔薇の花を思い出させる表情でロゼリープは唇を開いた。
「ごめんなさいね。女将に聞いたら、お客さんはもう帰っている時間だろうって言われたものだから…」
「ヒツギさんが寝入っていて…金銭は直接お渡ししたかったので、待っていたんです」
「律儀な人なのね」
ヒツギを部屋に残し、ラウンジに腰かけた2人以外には女将しかいない。静かな朝の静かな時間に、艶やかな赤色の娼婦と、清潔感漂う貴族の男は不釣り合いで景色に馴染まない。
「実は…昨夜ヒツギさんを怒らせてしまったようで…」
「あら、何をおっしゃったのかしら?」
ロゼリープは紅茶に砂糖とミルクを入れ、ゆっくりとスプーンをかき混ぜる。白濁が薄紅色の液体に混ざり濁る様子を見つめながら、ハクは昨夜の言葉をそのまま伝えた。
「どうして娼婦館に所属していないのか、と…」
「…余計な詮索は、どの娼婦さんにも嫌われるものよ」
「ええ…私はきっと、今までも余計なことを言って不快にさせてきたと思います。けれどヒツギさんは、いつも笑顔で流して下さっていました…そんなあの人が怒ったということは、よほど嫌なことだったのでしょう」
「…そうね、その話題をヒツギはとても嫌うわ」
紅茶を啜り、ハクに微笑みかけるロゼリープの目は笑っていない。警戒心と敵意を隠そうともせず、喉元にナイフを突き付け尋問するかのようなまなざしを向け続ける。
「それで…貴方はどうするつもりかしら。本人が話したがらないことを、私の口から聞きたがるの?」
「正直に言えば事情を知りたい…けれどそれ以上に謝りたいのです。きっとあの人は目覚めたら、笑顔で流してくれるでしょう。けれど私は客として…一人の人間として、謝罪したい」
ハクの言葉に耳を傾けながら、ロゼリープは浅くため息をついた。
彼はヒツギの言うとおり、恐ろしく単純で底がなく、だからこそ恐ろしい。人は誰しも壁があるからこそ、安心してある程度近づけるのだ。その壁が、彼はまるでガラスのように澄んでいる。澄み切った透明な壁は、逆に向こう側が見えてしまいそうで近づきにくい。
好奇心も野次馬根性もなく、ただただヒツギへの謝罪を口にする彼の目を、ロゼリープは信じるかしばし迷う。幾人もの男を相手にし、人の汚さも裏も重ねられた偽りも見てきた彼女でも、彼の真意が誠か測りかねた。
「…いつも通り、変わらず相手をしてあげて。それがヒツギを一番傷つけないことよ」
なにかあった後に態度を変えられるほど、心に響くものはない。それが、あの仏頂面のヒツギが警戒心を緩めた相手ならばなおさらに。
「…はい。私はヒツギさんの何を知っても、態度を変えるつもりはありません」
「その言葉、違えば路地裏の鼠の餌になると思いなさい」
この短し問答の中で、ロゼリープはハクという男が、良くも悪くもまっすぐであると判断した。この男ならば、小賢しい小細工などせずに、まっとうにヒツギと接してくれるのではないか。そう僅かに期待しながら席を立つ。
ロゼリープが退席したあと、ハクが口にした紅茶はすっかり冷めきっていた。