第5話:客への信頼、人への信頼
ヒツギがハクを客に取るようになって、生活に若干の潤いができた。
毎晩寝る場所を探し歩く必要がなくなり、最低価だが宿の一室を確保できたこと。それに伴い毎夜襲われる警戒をせずにすむこと。三日以上何も口にしないということが無くなったこと。
週に一度、彼が来る日予定を開けるようにし、彼を待つことが多くなった。
しかし、それが良いことばかりでないと友人は言った。
品質最低、量だけが取り柄のエールを煽る。未成年飲酒など文句を言う者はこの宿にはいない。久しぶりに杯を分かち合う友との語らいに水を注す輩もいない。友の前でほろ酔い気分になっていると、友が口を開く。
「あんた最近、表情柔らかくなったわね」
友であるロゼリープ、愛称ロゼは短い赤毛を揺らしてヒツギを覗きこむ。彼女の名にふさわしい薔薇の香が鼻をくすぐる。花街の宿に身を置く娼婦である彼女の瞳に見つめられると、大抵の男なら一夜を買うだろう。それほどの艶も友人のヒツギには一切効かず、近すぎる美貌を押し返す。
「僕を鉄面皮みたいに言わないでよ」
「無表情に近いくせに、何言ってんのよ」
事実、ほろ酔いで上機嫌のヒツギの表情はとても薄い。傍から見れば不機嫌だと思われる程に、少なくとも友と談笑中だとはとても思えない顔をしている。濡羽色の髪と目が余計に表情から色を無くしている。
ヒツギが表情を出すのは、客引きのための媚びた作り笑顔か、肉体への負荷から漏れる苦悶くらいだ。もちろんそれは固定客のハクの前でも同様である。
そんなヒツギの表情が和らいだとロゼは微笑み、くしゃくしゃと小さな頭を撫でまわす。好きに撫でさせながら、ヒツギは金払いの良い客を得たとだけ口にした。途端にロゼの表情は曇り顔に変わる。
「ヒツギが固定客をとるなんて珍しい・・・というか初めてじゃないの?」
「そういえば、一か月以上連続の客は初めてだね」
「大丈夫なのその客?あんた厄介なのに絡まれやすいから・・・」
彼女の言うことは最もだ。宿なし身売り子は不貞な輩の恰好の餌食で、ヒツギは何度も被害にあっている。一つの花街に身を置くロゼと違い、宿なしに助けなど来ないこの街でヒツギがとった防衛方法は「無抵抗」であり、それがヒツギの表情を奪った要素の一つであろう。
客に一定の品質が求められる花街でも、面倒な客はやってくる。だからこそロゼの心配は一際強く、彼女はいつもヒツギの身を案じていた。
「大丈夫じゃないかな、一応身元もしっかりしてるし」
「生まれ育ちが良くても、変態は所構わず生まれるもんよ」
「今までの客で一番まともだよ」
「そうやってじわじわあんたの警戒を解こうって魂胆かもしれないじゃない」
ロゼの形の良い指の腹がヒツギの喉元に押しあてられる。
「前より優しい顔になったわ。でもその分、警戒心が薄くなってない?」
ロゼの言葉にヒツギの心臓は正直だった。強くなった拍動がロゼの指を伝わっていく。
ああそうだ、そう言われると。
ハクの前では若干気を緩めて眠りにつけている自分を思いだした。客が少しでも身じろぎするとナイフに手を伸ばすあの神経は、彼の前では鈍っている。
それは確かに自覚している。
「馬鹿にしないでよロゼ」
ただそれは、彼の言動や人柄に絆されたわけではない。
あえて言うなら金への信頼。売り子と言えど客と商人というフェアな立場を彼は貫いている。その態度への信頼、いうなれば自分の商売の勘への信頼だ。
優しい態度に気を許していては、この街で生きていけないことをヒツギはロゼ以上に知っている。
「客としての信頼と、人間としての信頼は別物、だろ?」
ロゼの指をあやすように撫で、ゆっくりと喉元から離す。彼女の心配はありがたいが、ヒツギはそんな心配は毛ほども必要としていない。彼女より若いながらに修羅場の経験は多いことの自信もあった。
「ねぇ・・・やっぱりあたし、もう一回うちの女将に頼もうか?うちも治安いいとは言えないけど、それでもここよりは」
「駄目だよ、僕なんて引きいれたらロゼの印象が悪くなっちゃう」
ヒツギはどこにも属さない独りの身売り。
「僕は今のままで十分さ。君という親友がいるだけでも幸運だ」
どこにも属せない、独りぼっちの身売り。友達と呼べるのはロゼ一人。
「さ、この話はここまでにして、呑もっか」
半ば強制的に話をブツ切り、彼女の杯にエールを注ぐ。
杯を握る手はしばらく文句を言いたげに揺れたが、ロゼの口がそれ以上開くことはなかった。