第94話 ~クライメントシティ騒乱の最終戦~
翼を広げて空へと舞い上がったファインの滑空軌道を遮るため、少女が無数の炎の幕を召喚する。空に赤々と光る炎の幕の数々を、ファインはすべて回避して飛ぶ。危うい瞬間はいくつかあるものの、スピードを落とさず姿勢も崩さない飛翔を為すファインの動きは、少し前に翻弄されていた同一人物とは思えない。
心模様が変わっただけでも、人は容易に動きが変わる。なんとか少女を退けて、サニーのもとへ一刻も早く戻ることばかり考えていたファインと、少女との一対一に集中した今のファインは別人と言ってもいい。少女の側も、ここからが本当の戦いだとわかっている。
「すごいすごい! それじゃあちょ~っと難易度上げてみよう!」
常にファインの真下地上へと駆け、距離を稼がせない少女が念じれば、地面あらゆる場所から上天へと、炎の柱が突き上がる。オーロラのように張り巡らされる無数の炎幕、さらに発射地点から空へと真っ直ぐ伸びる炎の柱が交錯し、空を赤色が十字刺しのように埋め尽くす。
しかしファインは捕われない。速い上で柔軟な軌道で空を舞い、前方を阻む炎の幕を急降下して回避。さらに下向きの彼女を、真下地面から射抜こうとする炎の槍も、首を引いて軌道を曲げて回避。仰向け模様で頭の上に向かって平行滑空するファインが、くるりと回ってお腹を下にするのも速い。
「んん、怖い怖い……!」
そんなファインが自分に向かってくる姿が、少女にとっては緊張感のある光景だ。一手早くしゃがんで地面に掌をつけた少女が、地に魔力を送り込んだ瞬間に、少女前方の地面から岩石の大壁が発生。ファインが少女めがけて放った火球が、岩石の壁にぶつかって爆発するのがその後だ。少女にとっても油断できない状況になってきた。
「命綱切っ」
「っ、ぐ……!」
両手を広げた少女が、自分を中心とした小範囲に、領空まで異常重力をもたらす魔術を発動。見上げる少女の上空を滑空していくファインが、いつかと同じように重力に引っ張られ、上昇力を失って墜落軌道に曲げられる。
自分の後方地面へと墜落していくファインに、少女は素早く振り返って駆け迫ろうとした。だが、ファインは着地寸前に体を回して足を下に。着地と同時に腰を沈め、落下の衝撃を和らげる魔力を足裏に添えて、さらに足元を泥増しにして地表を滑っていく。水溜まりを馬車の車輪が走れば泥が跳ねるが、それと同じように泥を跳ねながら地面を滑り、少女に向き直って両手を突き出すファインの姿がある。
「地術、螺旋熱砂……!」
「むぅ」
凄まじい勢いで発射される、熱を伴う多量の砂が渦を巻く砲撃。反動でファインを後方へと加速させながら、迫る少女を飲み込もうとする砂塵を、高く跳躍した少女が回避する。足元の土を勢いよく隆起させ、その勢いを足して自分の身長の3倍ほどまで跳んだ少女が、ぎりぎり回避できた太い砲撃だ。
自らの魔術によって後方へと吹っ飛ぶファインは、思いっきりのけ反って低空の宙返り。足を下に瞬間に着地して地面を擦り、ブレーキをかけながら後方の壁まで退がる。ファインの前方に着地した少女の周囲には無数の火球、壁のすぐそばまで近づいたファインの周囲には無数の光球。視線をぶつけ合わせる二人の少女は、互いに同じことを考えていることを察し、方や微笑み方や目を鋭くする。
「泥む生霊」
「天魔、雷陣閃!」
少女が作った無数の火球が、ファイン目がけて一気に迫る。しかしファインの光球が放つ、前方広範囲を一気に席巻する勢いの稲妻が、火球を貫き吹っ飛ばしながら少女へ迫撃。地上にいては逃げ場なし、他に選択肢のない少女が高く跳び、近場の民家の玄関屋根に着地する。
一方、ファインの稲妻に貫かれた火球もまた、はじかれ火の粉になった状態から、すぐにもとの形を取り戻して再び行進。一度砕かれても容易に攻撃力を失わない火球が、多種多様の角度から弧を描いて迫る光景に、ファインも横へと大きく跳んで回避せざるを得ない。
「さ~て、終わりにしようかなっ……!」
ファインが立っていた場所へと着弾した火球の数々は、同じ場所で爆発を重複させ大きな火の手を上げる。しかし、横へ逃れたファインを目指し、軌道を曲げて迫る火球も多い。自分へ追い迫る火球を二度見したファインは、そのまま休まず火球から離れる方向へ駆ける。素早く今の位置から跳躍した少女が、ファインの駆ける先前方位置へと着地する。
背後からは多数の火球、前方には砲台を構えた術士。離れた前方、頭上で手首を交差させる少女の姿が、走るファインの全身の鳥肌を立てる。
「墓への陥穽っ!」
勢いよく少女が掌を地面に叩きつけた瞬間、彼女の僅か前の地面から、巨大な壁のように噴き出す大量の土砂。あまりの目の前の光景に、背後の火球から逃れるために走っていたファインも、圧倒されて立ち止まる。そんなファインの前方から、数階建ての建物の高さにまで達する高き土砂の壁は、津波のようにファインを押し潰しにかかってきた。
振り返るファインは、迫り来る火球の群れを鋭く見据え、魔力を練り上げる。後方の土砂津波、前方の火球、その両方を一手で対処しなくては、明日がない。やってみせる。
「天魔! 一捻りの旋風!」
からっぽの掌をぎゅっと握ったファインの両手が、彼女周囲の大気を掴む。そのまま両腕を振り抜くファインの行動が、巨大な風の塊をまるで風呂敷のように振り回し、迫った火球の数々を横殴りにする。さらにそのまま後ろを向くほど体も回したファインが、高密度の風で火球を振り回し、後方の土砂津波にすべての火球を投げつけるのだ。言い換えるなら、ファインを襲おうとしていた火球が、彼女の風に振り回された末、土砂の津波に投げつけられる形。
対象に着弾すれば爆発する火球の数々は、土砂の津波にぶつかるたびに猛火を伴う爆撃をもたらし、押し寄せる土砂を乱す威力を連発させる。飛び散る土と砂、礫岩、しかし津波はすべての火球を受けてなお勢いを弱めず、そのままファインに飛びかかる。だが、ファインはすでに両掌を突き出して、迎え撃つ構えを完成させている。
「――はあっ!!」
彼女の一声と同時に掌から放たれる、凄まじい勢いの鉄砲水は、火球の連続爆発を受けて形の崩れかけた土砂の壁にとどめを刺す。立ち上る土砂の津波に大きな穴が開き、それによって全体のバランスを崩した土砂津波は左右に割れ、轟音と共にファインの左右を粉砕していく。まるで地すべりに呑み込まれたような左右の様相は壊滅的だが、窮地を逸したファインは、息を切らして立っている。
「んん、凄い……!」
目の前に放っていた土砂津波を、向こう側から水の砲撃で貫いた光景。その突破口からすぐ、翼を広げたファインが突き抜けてくるのも早い。周囲の地面に魔力をばら撒く少女、着弾した魔力が数多くの火柱を高く昇らせ、さらに上空へ召喚する炎のオーロラ。あっという間に空へ生じる、炎の柱と幕のジャングルが、空へ飛び立つファインの飛翔空域を大きく遮った。
だが、ファインは高みに昇らない。土砂の波を突き抜けてすぐのファインは、ほぼすぐに滑空を下向けに折り、少女にやや近い地上へと降下する。眼前にそびえ立つ火柱を旋回飛行で回避し、傾いた軌道で自分の方向へと迫るファインには、予想外の行動に少女も身構える。
いよいよ地面に自らぶつかろうという時、それでもファインは上昇しない。それどころか少女に向けて片手を振って魔力を放つと、少女の周りに着弾した魔力が大量の粉塵を発生させた。
「えっ、ちょ……!? ぺっ、ぶへっ……!?」
「んっ、ぐ……!」
視界を塞がれ、口に入った粉塵を吐き出す少女が戸惑うとおり、すぐそばの地面でファインが地面に転がる。あの低さまで落下して、目くらましの魔術の発動に集中したファインが、急上昇できるはずがないのだ。がつんがつんと人の体が、地面を跳ねて転がる物音には、なんて無茶をするんだと少女も驚いている。
しかし、まずいと思って少女が物音の方向へ駆け出し、粉塵から脱出した時にはもう手遅れ。クリアになった視界前方、既に地面を飛び立ったファインが空へと舞い上がり、はためく翼を鋭く構えて加速を済ませている。右肩を押さえる後ろ姿からも、今の乱暴な不時着で体を痛めたのが明らかだ。それだけの勝負手だったのだろう。
「う~ん、ここまでかぁ」
そもそも二人の戦いは、少女がファインを、交戦するサニーとザームから引き離すことに端を発している。ファインには、少女と決着をつける必要がない。突き放して離れられればそれで勝ちなのだ。追っても無駄な距離まで加速したファインを見て、少女も諦めた息を吐くが、一応念のために両掌を地面に当て、クライメントシティの大地に魔力を流す。多分、大丈夫だろうとは思っているが。
「……うん、よかったよかった」
地を介して帰って来る魔力を通じ、ザームが既にサニーを退け、逃亡する足を駆けさせていることがわかった。それなら、少女の目的も充分達成済みだ。元より今の彼女の第一目的は、自陣営の要人たるザームの逃亡をサポートすることだったのだから。任せられたお仕事はここまでだ。
うーんと背伸びし、ふぅと息をついた少女は、とことこ走ってクライメントシティから去る道を駆けていく。通りがかりに、誰もいなくなった露天商の出店から、飴の数個をねこばばしながらだ。自分はたった一人、誰の援軍も求められない状況下、追っ手の存在も恐れない気楽な足取りは、誰が来ても負けないという少女の自信に裏打ちされたものだろう。
「……強かったなぁ、あの子」
一度追い詰め、あなたは私には勝てないよと、過剰なぐらいに強調してやったのに、ファインは諦めずにあれだけの底力を見せてきた。年を同じくした強き混血児、ファインとここで巡り会えたことは、少女にとって大きな収穫だ。やがていつか再び顔を合わせることもあるだろうと、今から少女もわかっている。
きっとまた、戦う。その日が来ても、絶対負けない。陽気な表情のその裏で、驕り無き少女の決意があったのは、誰にも知られぬ一事である。
「――サニー!」
超特急でサニーの交戦域に帰ってきた彼女が叫んだ時、親友は壁に背中を預けて深く息をついていた。声に見上げるサニーと、彼女のそばに降り立って駆け寄るファイン。疲れた風体のサニーを案ずる目のファインだが、肩を押さえて走りにくそうにするファインも、サニーからすれば心配になる姿である。
「ごめーん、逃がした……強かったわぁ、あいつ」
「そっか……でも、サニーが無事でよかった」
「肩、大丈夫? なんか痛そうだけど」
「ちょっと打っちゃった。でも、大丈夫だよ」
一対一でなんとかザームを仕留めようとしたサニーだったが、難敵ザームを制することは出来ず、逃亡を許してしまったとのこと。苦笑してごめんねとファインに謝るサニーだが、目の奥には最後の最後で詰めを誤った悔しさがちょっと感じられる。ファインにとっては、サニーが無事なら何でもいい話だが。
「連中も殆ど撤退し始めてるみたいね。終わり、かな」
「……どうする?」
「ひとまずクラウド探して合流しましょうか。やっぱり、心配だしね」
やや肩の力が抜けたサニーに対し、生真面目な目のままうなずくファインの頭を、ぽんと手を置いたサニーが優しく撫でる。急なことに片目を閉じるファインだが、もうちょっと力抜きなさいとばかりに微笑むサニーの表情で、緊張感に満ちていたファインの顔も少し柔らかくなる。
「行きましょう。探すのは大変かもしれないけど、人に聞けば早く見つかるかもだしね」
「うん……!」
全力でない程度に走りだす二人。戦場跡と化したクライメントシティを駆け抜ける二人は、今やこの街で動くマイノリティだ。殆ど誰もが疲れ果て、敵の撤退に伴い、武器を鞘に収めている時間帯。そんな中、大切な友人との再会を目指して駆ける二人の力強さは、街を守るために戦い抜いた戦士達と比較しても色褪せない。




