第87話 ~クラウドVSタルナダ~
地中を走るファインだが、何のしるべもなく駆けているわけではない。時々立ち止まり、土壁に手を当てる彼女は、発する魔力で地中の様相を探っている。ものを叩けば音が反響するように、土に走らせた魔力が地中を駆け、手元に戻ってくる。その反応を肌で感じ取り、地底迷宮のように広がるこの空間全体を把握しようとする。精密に、細部まで把握することは不可能だが、ある程度はこうして地中の様子をうかがえるのだ。
一定の距離を進んで、また立ち止まり、壁に手を当て魔力を流す。今の進行方向の遥か先、何者かの気配と振動を感じ取ることが出来る。クライメントシティの地下にある、こんな謎めいた空間で暗躍するそいつとは何者だろう。逃げずにそれを追うことを選ぶファインは、一方で、実力も未知数な何者かに対する不安もある。
「……っ!?」
しかし、その前方に意識を傾けていたファインは、血相変えて振り返らずにいられなかった。後方から、何者かが近付いてくる足音が聞こえてきたからだ。静かな地中、音はよく反響し、聞こえ始めればその足音は大きくなる一方。こんな場所で自分に駆け迫る、得体の知れない謎の音は、ファインの心臓を跳ねさせる。
誰、と叫びたい衝動を喉の奥に仕舞い込み、ファインは振り返った先に身構える。魔力を練り上げ、場合によっては戦うことも厭わない。こんな狭い場所で敵と対峙しても上手く立ち回れる自信がなく、腰が引け気味になるほどファインは緊張感でいっぱいだ。
「……ファインっ!」
だが、その警戒心が杞憂であると知らせてくれる声。自分の光球の放つ光が相手を照らし、相手の光球が放つ光が自分を照らしてくれて。互いに相手が誰かをその目で見た二人は、片や解けない強張った顔と、片や親友との再会にほっとするような顔。
「さ、サニー……?」
「よかった……! 無事で、いてくれて……!」
息を切らして汗だくで、しかしファインの無事を確かめたサニーの表情は、ファインの光に照らされてよく見える。心配で心配でたまらなかった友達が、無事に生きてくれている姿を確認して、涙ぐんでいるんじゃないかってぐらい、その表情は崩れきっている。
「っ、だめ……!」
いてもたってもいられないかのようにファインに近付いてくるサニーへ、ファインは両手を前に出して制した。この親友のことだから、なんとなく気配でわかった。抱きついてくるんだろうなって。
「あははは……つれないなぁ」
「ちっ、違……私今、汚いから……」
普段のようにスキンシップを拒まれたと思って、苦笑いするサニーに対し、ファインは大きく首を振ってそうじゃないと訴える。抱きついてきそうなサニーを拒絶したのは、今の自分が植物の分泌液でかぴかぴになった服を纏い、服の中まで入った泥だらけの格好だから。今の自分に抱きついたら、サニーの体が汚れてしまう。
あぁそういうことか、と理解したサニーは、くしゃりと笑ってファインに近付いた。目線を落として首を振っていたファインが顔を上げると、すぐ目の前にはサニーの胸元。それが視界に入った直後には、腕を回してぎゅうと抱きしめてくるサニーがある。
「ぜーんぜん気にならないよ。ファイン、無事でよかった。本当に」
泥だらけのファインの頭の横に頬をすり寄せ、服の下の体温と回した腕のぬくもりで、サニーがファインを包み込む。サニーの柔らかい胸元に顔を押し付けられたファインも、はじめは唐突に引き寄せられたことで戸惑っていたが、やがてサニーの道着の襟元に両手を添え、温かいサニーに触れて再会を実感する。
時間にして僅か5秒の肌合わせが、独りで不安でいっぱいだったファインをどれだけ癒してくれただろう。程なくしてファインの両肩に手を添えて、そっと距離を作った真正面で笑顔を見せてくれるサニーに、ファインも涙目で微笑みを返した。本当に、この人がそばにいる安心感には適わない。
「さあ、ファイン。どうしたい?」
「こっち……!」
「うん、気が合うわね……!」
ファインが指差して示すのは、サニーが来た方向とは逆。地上への道を帰るのではなく、先に進もうという意思表明に、サニーも頼もしい笑顔でうなずく。命が惜しくて逃げるより、得体の知れないこんな地下空間で暗躍する何者かを、二人は放っておきたくない。
魔力を介して何者かがこの先にいることを知っているファインは、目指す先は向こうだとサニーに示した。目的と情報を共有した二人は、ファインを前にして走り始める。狭い地下道、光で照らしてもやや暗い道を走る二人は、このまま駆け続ければザームのもとへと辿り着く。状況はそこまで出来上がっていた。
「土に還りな」
その遥か前方で、土天井を殴りつけたザームの行動に、二人が気付けるはずがない。その一撃は、万が一のケースに備え、ザームが地底に広がる地下道にばら撒いていた、外敵を撃退するための仕掛け。ファインが密室空間から脱出したことといい、そんなファインのそばに一人の足音が増えたことといい、自分にとって不都合な奴が後ろから来ているのも、ザームにはお見通しだ。土属性の魔術を最も得意とするザームは、この地下道内においてどこで何が起こっているかを、ファイン以上に広く把握している。
走っていたファインが急に足を止め、後ろのサニーを広げた片手で制止する。止まって、と態度で示すファインに、サニーも怪訝な表情だ。だが、ファインに僅か遅れてサニーも、耳で異変を察しただろう。
「何、この地鳴り……!?」
「いけない……! 気付かれてる!」
気付いたサニーと切迫したファインの声、揺れる足元、前方から近付いてくる不気味な音。ここは一本道。少しずつ傾斜を昇るような真っ直ぐな道が遠くまで続くこの場所で、前方から地鳴りとともに近付いてくる何かとは。手元の光で周囲しか照らせない二人にとって、道の遥か先は闇に染まっていて視認することが出来ない。
「サニー!!」
「えっ、えっ!?」
唐突に振り返ったファインが、右腕一本をサニーに巻きつけるかのように抱きしめ、土の天井に左の掌を向けた時のことだ。下り坂の一本道、前方の闇の向こうから迫る、重力任せに地すべりの如く迫る土石流が、目にした頃にはもう手遅れな速度で二人へと襲い掛かってきた。
地底にサニーの短い悲鳴が響いた。地上の耳には届かない、恐るべき土砂災害に呑み込まれる寸前の少女の悲鳴。その声さえも、突き進む土石流の轟音に呑みこまれて消え、あっという間にファインとサニーが立っていた場所を押し潰す。
狭い地下道を隙間無く埋め尽くし、あったはずの空間をゼロに踏み潰していく土石流。逃げ道のない空間でそれに襲われた二人の何者かが、為すすべなく圧殺されたであろうことを感じ取り、離れた位置のザームはにやりと笑っていた。
クラウドもタルナダも、互いの強さはよく知っている。小さな体で巨漢顔負けのパワーを誇るクラウドに、誰より大柄ながら豹のように素早いタルナダ。見た目どおりの機敏さとパワーも持ち合わせた二人の戦いにおいて、体格差による大きな違いなど、リーチの差しか生じまい。
風を切るような音を立てながら、武器である腕と脚を交錯させ合う二人の攻防は、傍から見る立場が目で捉えることのできない速さだ。周囲の地人も天人も、次元が違う戦いだと早期に結論付け、まったく別の立ち位置で敵軍との交戦を再開している。始めからごく少数の地人と、タルナダに削られて頭数が減った天人の戦いだが、それでもまだ天人達の方が優勢だろう。地人側のタルナダという最大の切り札が、クラウドという怪物との交戦に縛り付けられているからだ。
じっくりとした力比べなどしていられないタルナダが、一気に攻め立ててくる猛襲性は、負け知らずで今日まで来たクラウドも苦しい。太い脚を水面蹴りのように低く薙ぐタルナダの攻撃も、跳んで避けたら身動き取れない空中に決定打が飛んでくる。退がってかわすしかないクラウドだが、そんな彼に勢いよく迫るタルナダのスピードは、息つく暇も与えぬもの。
体躯を生かしてやや大振りな攻撃を連続するタルナダに対し、いずれもクラウドは接触を避け、回避に努める。砕けたあばらがひどく痛み、積極的に前に踏み出すことが出来ないのだ。どうしてもかわしきれなかったタルナダの手刀を殴り上げるのがせいぜいで、終始苦しい表情のクラウド。それすらも、重みとパワーに満ちた体同士の接触が、あばらにまで響いてさらなるダメージになる。
続けて放たれるタルナダの前蹴りを受けられるはずもなく、退いてかわしたクラウドだがいよいよ苦しい。骨のずれも大きくなってきたのか、うめいて一瞬動きが止まってしまう。そこに拳を突き下ろすタルナダへの対応が遅れ、額の前で交差させた拳二つで食い止めないと間に合わなくなる。
「ぬが……!」
「かっ、ぐ……!」
手甲を纏ったクラウドの拳が、踏ん張る彼の脚力で全く下がらず、鋼より硬い壁を殴ったような痛みにタルナダも呻いた。クラウドはもっとだ。腕をびしばしと貫く重みに加え、体まで伝わるエネルギーが、砕けたあばらを震わせる。意識が朦朧としそうなほどの苦しみを奥歯で噛み潰し、ぐっと押し返すクラウドの全力が、拳を突き返されたタルナダを一歩退がらせる。
長く戦うことが出来ないと自覚するクラウドは、距離が生じたタルナダから逃げず一気に接近。タルナダの腹部めがけて拳を突き出すクラウドだが、対するタルナダも、身をひねってこの一撃を回避するのは容易い。
振り抜く手刀をほぼカウンター気味にクラウドの側頭部に向かわせるも、気配だけで呼んだクラウドは体ごと沈めて回避。さらに薙いだ脚でタルナダの膝裏を狩りにかかり、跳んだタルナダが後方に両手突いて後方回転、回避する形を強いる。一回転してタルナダに体が向いた瞬間、素早く矢のようにタルナダに迫るクラウドに対し、宙返り直後の低姿勢で脚を着地させるタルナダ。
裏拳を振り上げるタルナダが、突撃してくるクラウドの顎を絶妙な距離感で打ち抜きにかかる。それを素早く前方低くに飛び込み、拳の振り抜かれる下へ滑り込んだクラウドが、前転するままにタルナダの側面へ。さらに前転受け身の形ですぐに立ち上がったクラウドは、攻撃直後のタルナダの横から、すぐさま地を蹴れる形を作っている。
相手がタルナダでなければ、これで勝負は決まっていただろう。急接近したクラウドが拳を突き出す攻撃に、タルナダが返せるものは限られている。そのまま接近を許せば我が身を砕くであろうクラウドと自分の間に、力を込めた腕を挟んで盾にするしかない。それを全力で殴りつけるクラウドが、タルナダの片腕を粉砕する、そのはずだった。
突撃したクラウドの拳を迎え入れたのは、構えられたタルナダの肘。肘当てもない生身かつ、骨に最も近い場所は、手甲つけた怪力少年の特攻を、一番受けてはいけない場所のはず。普通なら砕けてしまう。直撃の瞬間、やったとさえ思わず、こんな展開があっていいのかとさえクラウドも思ったほど。だが、クラウドのパワーを手甲に乗せた破壊力でなお、砕けていないタルナダの肘の手応えには、直後クラウドの全身が粟立つ。
古き血を流す者、蝸種と呼ばれる部族の末裔のタルナダは、正姿勢で後方に位置する体の部位、すべてが人智を超えた守備力を持つ。肘もその一部だ。
「終わりだ……!」
激突の衝撃が腹にまで響き、動きが一瞬鈍った間も致命的。肘を振り上げ、接していたクラウドの拳をはじき上げたタルナダは、彼に腕を上げさせて胴をがら空きにする。危機に瀕したクラウドが後方に跳んで離れようとするより、回し蹴り気味の突き蹴りを放つタルナダの方が速い。逃れきれなかったクラウドの腹に、タルナダの大きな足の踵が突き刺さる。触れた瞬間、クラウドの中では時間が止まったと思ったほど、その一撃がクラウドにもたらした臨死の想いは大きい。
壊れかけていたあばらが、タルナダの凄まじいパワーの踵の一撃で一気に崩壊した。破壊はそれだけにとどまらず、骨の奥の痛んでいた内臓まで響き、体の中身までめちゃくちゃに粉砕する。肺が潰れ、胃の中のものもすべて押し上げられ、余ったパワーで吹っ飛ばされたクラウドは、廃屋の壁にまで吹っ飛び背中から叩きつけられた。意識も飛びかけ受け身も取れなかった彼の後頭部が、固い石の壁に叩きつけられ、体ごとはずんで地面に転がる。
人形のように力なく地面に倒れた、クラウドの口からごぼりと血が溢れる。そのままぴくりとも動かなくなったクラウドの姿には、よしとばかりにタルナダも鼻息を鳴らす。周囲を見渡し、加勢すべき地人の位置を素早く確かめるタルナダの視界の端、頬を地面につけて目に光を失ったクラウドは、指一本さえ動かさずに横たわっていた。




