第85話 ~古き血を流す者タルナダ~
ハルサの太刀筋はこの場にいる誰よりも速い。燕の血をその身に流す古き血を流す者のハルサには、風のような速さで滑空する力がある。素早く敵との距離を詰め、すれ違う一瞬で二撃の斬を浴びせる高速の太刀筋は、これまでもあっという間に多数の敵を葬ってきた、ハルサ最大の武器である。
射程距離内にタルナダを捉えた瞬間、ハルサはサーベルを振るって豪傑の首を狙う。素手のタルナダはそれを回避するかと思いきや、振り上げた手刀でサーベルを打ち返してきた。予想外の抵抗に一瞬怯みかけたハルサだが、刃はもう止まらない。そして、タルナダの手刀とハルサの凶刃が触れ合った瞬間、人の肉体が鋼の刃に打ち勝って、ハルサのサーベルを叩き上げる形になる。
生身の男に素手でサーベルを打ち返されたことは、少なからずハルサに驚かせた。追撃を打ち切らざるを得ず、武器をはじかれた方向に流れるように滑空軌道を逃がしたハルサが、再び上空へとその身を舞い上がらせる。敵の中では一番の手練、ハルサを一時撃退したタルナダは、天界人様を大将格に据えて突撃してくる警備兵達へと、真っ向から駆け迫る。
天人達の最前列へと突進したタルナダは、かわす暇も与えず若い警備兵の一人に正拳突き。仮にも武器を握り、剣術の心得もあるはずの成人男性が、対応すら出来ずに真正面から胸を打ち抜かれ、吹っ飛ばされてしまうほどタルナダは速い。手応えを感じた瞬間には、最も近いまた別の警備兵の方へと脚をぶん回し、腕を横から殴り飛ばす回し蹴りへと繋げていく。警備兵として、戦士として鍛えられた体であるはずの男が、この一撃で腕の骨をへし折られ、蹴られるままに吹き飛ばされるパワーは凄まじい。
恐れず強敵タルナダに側面から切りかかってくる警備兵にも、タルナダは片手を振り上げて応戦だ。金属の剣とタルナダの手刀がぶつかった直後、人の体が押し勝って、剣をはじき返してしまう光景は、周囲の兵の度肝を抜く。剣を手元からはじき飛ばされて絶句した警備兵だが、その手首を素早く握ったタルナダが、彼の体をまるで人形のように投げ、少し離れた位置の味方達のそばへとぶん投げる。地人達と交戦していた警備兵の一人に、ぶん投げた男を砲弾のようにしてぶつけるのだ。
「全軍構え! 撃てえっ!」
「させるかよ……!」
敵の数がごく少数である以上、とにかく一人仕留めろと、天人の魔術師3人を従える警備兵が号令をかける。氷の弾丸、風の刃、稲妻の槍を放つ3人の天人魔術師が、タルナダから離れた位置の地人めがけて一斉放射。狙われた大槌を手にする地人は、白兵戦で一人の警備兵を打ち倒した直後の突然で、その集中砲火に気付きかけてはいるものの回避が追いつかない体勢だ。
素早く駆けたタルナダが、3つの魔術と男の間に身を滑り込ませ、自らを盾にするかのように立ちはだかる。氷と風と稲妻の魔術は、タルナダの背中、後頭部、膝の裏に直撃し、魔術師ならびに周囲の警備兵達も、敵の親分に大きなダメージを与えたと思っただろう。そう思えたのは一瞬だけ。
「しっかりしろよ……! やべえと思ったら逃げてもいいんだからな!」
今しがた守り通した二十歳過ぎの若者の肩を叩き、ぐるりと身を翻したタルナダの動きは、魔術で射抜かれた直後の人間のそれではない。3発もの強力な魔術で体を撃たれたにも関わらず、健常な脚と唐突な速度で一気に駆けたタルナダは、並ぶ3人の天人魔術師の目の前にすぐ至る。一人を巨体と速度に任せた雄牛のようなタックルで吹っ飛ばし、そばの一人も突き蹴りで遠方まで撃破する。残る一人が逃げようとした瞬間には、その胸ぐらを掴んで一気に引き寄せ、額と額をやばい速度でぶつけ合う。強烈すぎる頭突きに、その魔術師も一発で失神だ。魔術を受けてから振り向いて、敵3人を無力化するまで3秒かかっていない。
「あの野郎、蝸種か……!」
滑空軌道を整えながらも、タルナダから目を切らずにい続けていたハルサの苦々しい呟き。背面からの攻撃を無傷で受けきる肉体、加えて鋼の刃にも勝る手刀。短い時間にタルナダが見せた、その特別な体の特徴は、ある古き血を流す者の特徴に著しく一致するものだ。
「要石はどこだ!」
「あの煙突……!」
「よし、離れていろよ!」
怒鳴るように問うたタルナダの声に、暴徒の一人が少し遠い場所にある民家の煙突を指差す。それを見据えたタルナダは、側面から切りかかる敵兵の剣を、手刀で叩き上げてカウンターの蹴りを放つ。これでまた一人の敵兵をぶっ飛ばし、戦闘不能にしたタルナダがその場で高く跳躍する。
空中で両膝を抱えて体を小さくしたタルナダが、首を引いて体を前方回転させ始めると同時、突然彼の周囲に発生する岩石の数々。無から生じたそれらは一気にタルナダへと集まり、接合する粘土のように巨大な塊をあっという間に生成。体を丸めたタルナダを核とした、いびつな球形の巨岩が、落下しながらぎゅるぎゅると高速回転し始める。
着地の瞬間、地を蹴ったかのように勢いよく急加速を得て、巨大岩石が走り出す。あまりに突然、大岩石に気持ちも呑まれ、数名の警備兵がそれをかわしきれず、事故めいた激突に轢き飛ばされていく。瞬く間に敵数名を蹂躙したタルナダの巨岩は、そのまま燃え盛る建物の壁に直撃。廃屋ぶっ壊して止まったと思えばすぐさま逆回転、少し浮かせた我が身が着地した瞬間、タルナダの巨岩はある方向へと勢いよく転がりだす。そして、助走を経てある地点で一気に我が身を斜方投射し、先ほど認識した煙突の要石めがけて飛んでいく。
飛翔するハルサも唖然として見ていることしか出来ない眼前、煙突の形に作られた封印結界の要石が、巨岩の激突によって粉砕される。手応えを感じたタルナダが、直後我が身に纏う岩石の魔力を解放すれば、岩石の塊が無数の礫岩になって周囲に飛散する。
「今だ! 撃て!」
警備兵達も、驚かされて眺めているだけではない。宙高くで岩石の外殻を放棄したタルナダが、地上に向かって落ちてくる姿めがけ、無数の矢を放つ。空中で自由の利かないタルナダに向かって、あらゆる方向から的確な矢が何本も差し迫る。
駄目だ、意味がないと一瞬早く気付いたのはハルサだけだ。空中で膝を抱えて我が身を回転させるタルナダは、飛来する矢の数々をことごとくはじき返す。タルナダの背中や尻に突き刺さるはずだった矢が、まるで鉄の塊に当たったかのように、刃を欠けさせて撃退されていくのだ
ずしんと大音立てて着地したタルナダは、近場で言葉を失っている警備兵に一気に接近すると、胸ぐら掴んで体ごと持ち上げ、大きな弧を描いて自分の後方に背中から叩きつける。投げ技でも何でもない、防具を身につけた重い大人を玩具のように持ち上げ、乱暴に地面へ叩きつけただけだ。腕力だけで容易に敵一人を戦えなくするパワーと、未知めいた守備力を両立するタルナダを、誰も討てずに圧倒されていく。
「お前ら、奴を後ろから狙うんじゃねえぞ! エンシェント、蝸種は背後からの攻撃にはめっぽう強ぇからよ!」
ハルサから飛ぶせめてもの戦術。古き血を流す者の一人、タルナダが持つ体の特性を見極めた彼の読みどおり、タルナダには背面からの攻撃が殆ど通じない。後頭部から背中、肘や膝の裏、細かく言えばふくらはぎもそう。凄まじい硬度と、衝撃に対する柔軟性を併せ持つ、タルナダの全身の背面方向の筋肉や皮膚は、あらゆる攻撃を通さない。針も刃も、さらに言えば火さえ退ける、殆ど鉄壁と言っていいほどの肉体を持っている。
空中を旋回するハルサを見上げ、お前が来いよと指をくいくい引いて挑発するタルナダ。目が合った瞬間のハルサの、憎々しげな眼差しを見て笑ったタルナダは、うろたえる警備兵の一人にまた駆け迫る。巨体が迫る圧倒感に腰が引けつつ、剣を振り抜いた警備兵だが、剣をはじき返すタルナダの手刀はそれも頑強。直立姿勢で背面方向に位置するすべての部位が、タルナダにとっては最強の防具なのだ。
凄まじい速度と共に、いからせた肩を敵の胸に激突させるタックルで、また一人の警備兵が吹っ飛ばされて戦闘不能に。そうして崩れた天人達の陣に、タルナダを最後の綱とした暴徒達が突撃し、少数ながら敵陣をかき乱す。たった一人の怪物が参入しただけで、ここまで戦況を優勢に傾かせるというのは、先ほどハルサがここに推参した時と同じ現象だ。
「てめえを片付けなきゃ勝負にならねえな……!」
「おう、来いや天界兵様よ!」
タルナダに適うどころか、抗える者さえ一兵も無し。正しい現実視でタルナダへと急降下していくハルサが、敵将を屠るためのサーベルを差し向ける。しかし、タルナダの側面を滑空すると同時に振るわれたハルサの刃は、タルナダの手刀によってはじき返される。
これで再浮上せず、流されるままに地上へと足を着けたハルサが、その瞬間にタルナダへと一気に突き進み、サーベルによる連続攻撃に踏み込む。最も得意とする地上への相手へのヒットアンドアウェイ、攻めて浮上して敵の懐に入らない戦術も、これを自由にさせれば部下が次々やられる状況下、ハルサも選べず猛襲の型を選択だ。
まさに目にも止まらぬほどの速さで、一秒間に数度の刃を差し向けるハルサに、タルナダも後退しながら応戦する。手刀、ならびにその側面の腕、頑強である体の部分を剣の代わりにするかのように、襲い掛かる連続攻撃を打ち返す。タルナダのパワーでサーベルをはじき返されても、剣を手放すことなくむしろ流れるように続けざまに攻撃するハルサにより、いくつもの激突音が不断に鳴る。まるで歴戦の剣豪二人が、火花を散らして接近戦を演ずるかのような光景は、周囲からして異次元級の戦いである。
どちらも長々、相手に付き合うつもりはない。単純な連続攻撃では駄目だ、とハルサが結論付けるより早く、一手打ったのがタルナダだ。ハルサのサーベルのひと突きを、交差させた腕の交点で受けたタルナダは、敵の腕力に押されるまま後方へと跳躍。高さはそこそこ、距離は大きく取らない。地を蹴った瞬間、膝を抱えて小さくなったタルナダの周囲に、あっという間の早さで生ずる無数の岩石。それは術者タルナダに素早く集まり、彼が地面に着くまでの短い間に素早く大岩石を構築だ。その巨大な径が地に着いた瞬間には、高速回転した大岩石が一気に前進加速度を得て、突き出したサーベルを引いた直後のハルサへと一直線。
唐突なほどいきなり現れた自分より大きな岩石が、自らを轢き殺そうと突撃してくる光景に、素早く地を蹴ったハルサ。翼を広げて上空に逃れたハルサは、今しがたまで自分がいた場所を通過して、背後方向へと突き進んだ岩石を素早く振り返る。視野を一新する的確な判断力は、歴戦の天界兵が当然のように為した行動であり、高等なもの。しかし、それでも遅い。
振り返った頃にはもう、逆の高速回転を経て地上を蹴飛ばし、ハルサ目がけて飛来していたタルナダの大岩石が目の前に迫っている。振り返った瞬間には岩石が目の前、あまりの速さを前にして、ハルサも咄嗟に腕を前に交差することしか出来なかった。空を飛べるだけで生身の人間、それに地上から発射された回転隕石が激突した瞬間、人の体がどうなってしまうかなど知れたことだ。
握っていたサーベルも手放したハルサの姿は、構えた腕を粉砕されたことの表れだ。そのまま吹っ飛ばされ、離れ廃屋の屋上を飛び越える形で戦場から追放されるハルサを、地上の警備兵達は見上げて見送ることしか出来ない。その面々が青ざめるような光景だ。
手応えを感じて纏う岩石の魔力を解放したタルナダが、空中で礫岩を発散させる形で、地上めがけて予備放射を放つ。狙いなき散弾だが、運悪く自らに飛んできた岩石のつぶてに対応できなかった警備兵が二人、体を撃ち抜かれる。着地したタルナダが周囲を見回す頃には、ハルサの敗北に動揺する天人達を、暴徒達が一気に攻め立てている。圧倒的な武力を持つ将に導かれる下でなら、少数の兵で功を為す形も容易に叶えられるという好例だろう。
数の利で劣りながらも、天界兵ハルサを失った直後の天人と、未だ無傷で大将タルナダが立つ地人。流れは完全に暴徒側のものだ。確証得つつもタルナダが表情を緩めないのは、戦いを甘く見ない武人肌として当然の顔立ちだろう。しかし、習慣めいた心構えに勝り、タルナダの表情を厳しくたらしめている要素は、もっと別の場所にある。
びり、と闘士タルナダの意識の端を刺激した、殺気めいた強き闘志。そして、それに振り返ったタルナダの視界の真ん中には、少し離れた場所で角を曲がり、こちらへと駆けてくる少年の姿がある。それはタルナダの視界内に入った瞬間、あっという間に警備兵と交戦する地人との距離をゼロにする。
この速度に奇襲されては誰も対応できない。何か来た、とそちらを振り向こうとした地人を、振り抜かれた少年の腕が一気に薙ぎ倒した。前腕で殴りつける豪快なパワーは、重心がしっかりしたはずの地人の兵を人形のように吹っ飛ばし、あっという間に失神させてしまう。勢いに乗っていたはずの暴徒を一人、これほど容易に撃破しておきながら、余韻にも浸らずタルナダを睨みつける少年は、その目を闘志と惑いに満たしている。
「タルナダさん……!」
「来たか……! お前だと思っていたんだ……!」
タルナダとてクライメントシティの戦場を跋扈する中、二十歳に満たぬ少年が大暴れしているという報告は聞いている。彼の知る唯一の心当たりが、まさか本当にこいつだと確信するには半々だったが、良くも悪くもそのイメージは現実と重なった。悪い意味では、タルナダもその強さを知る少年が、地人陣営を脅かす一兵として参戦した風向きの悪さ。そして良い意味では、そんな強者と相見えた、闘士としてのタルナダの悦びを刺激するこの邂逅だ。
トルボーの鉄分銅にあばらを砕かれ、今も息苦しい少年にとってこの再会は、二重の意味で苦しいもの。しかし、かつて敬い親しんだ人が、今は暴徒の一人に混ざって、友達の故郷を荒らしまわっている。絶対に引き退がれない。力ずくでも止めねばならぬという使命感が、彼にとっての最大の行動原理だ。
「行きます……!」
「おう! かかって来い!」
構えたタルナダに、恐れ知らずの速度で突撃するクラウド。かつて大きな都の闘技場で、互いを認め合った男達の再戦は、瓦礫に満ちたクライメントシティの一角で叶った。力を比べる男のプライドを懸けたものではなく、譲れぬ道を奪い合う熾烈な一戦としてだ。




