第8話 ~画策~
「ってな感じでさー、ぜんっぜん話通じないでやんの。私も結構我慢したんだけどねぇ」
「だいたいわかってたことだろ、話す価値なんか無い相手だってことぐらい」
この夜サニー達がどこに行ったかと言えば、宿でもなくクラウドの家だ。カルムとのやり取りで相当に腹が据えかねていたらしく、愚痴る相手が欲しかったということらしい。出会って二日目の年下の男に、愚痴らせて欲しいから家に上げて、と堂々と言い放つその性格、一周回って逆に清々しい。
時間も時間、月も高く昇るような時間にやってきて、せっかくだから泊めてねっていう魂胆で来てるのも明らかだ。ファインなんかもう、さっきからずっと庭の草むしりやら風呂掃除やら、二日連続で泊めてもらう宿代代わりに働きまくっている。その一方、家主の前で立て膝で、お喋りしてばかりのサニーの態度たるや。まあ、風呂は沸かしてくれたし洗濯もしてくれたから、最低限の節度はキープしているが。
「というか、どうせ最後はそんな風に荒っぽい展開になるのも見越せてただろ。よくそこまで、とりあえずでも話をしようっていう気になれたな」
「対話って必要よ? 意志の疎通も試みないまま、喧嘩したって何も得られるものが無いし」
あんな、話が通じないのわかってる相手と対話したところで、最後は向こうが荒っぽい手段に出てきて、こっちも応戦しなきゃいけないのはサニーにも読めていたことだ。それでも話をしようとしたというサニーの行動は、労あって利なき行為にしか、クラウドには感じられない。
「話し合いで解決できない事の方が多いのは重々承知よ。最後は結局、金とか拳で語り合わなきゃいけないことも実際多いんだけどさ」
親指と人差し指で輪を作ったり、握り拳を作ったりして、対話しても最後には銭か喧嘩で解決するしかない現実もあると示唆するサニー。それぐらいのことは、サニーだってわかっているのだ。
「それでも、話すのか」
「ええ。私、人生を幸せに生きていくために最も必要なものは、"対話"だと思ってるから」
事例としては少なくても、喧嘩を話し合いで収められるケースもある。しっかり疎通を図ったら、賠償金で揉めた時も額が左右することもある。そうした利得に関わる事柄でなくとも、人と人が意志を疎通することは欠かしてはいけないと、サニーははっきり信念として携えている。
例えば誰かと喧嘩することがあっても、どうして相手が自分と対立しているかを理解しないと、争うべき価値があるかも判断できないものだ。荒っぽい言葉を投げかけるにせよ、最悪拳をぶつけ合うことになろうと、疎通をその後回しにするぐらいなら先に済ませてしまった方がいい。拳でわかり合う、という美談も、時にはある意味正解だったりするが、それで理解し合えなかったら双方何も得るものなく、何かを失うだけなのだから。
「人生を幸せに生きていくために最も、なぁ。そこまで言い切っちゃうってのは余程だな」
「だって神様が私達に与え給うた最大の財産よ? 言葉無く、誰かと分かり合う手段を欠いたままにして、この世知辛い世界を幸せに渡っていけるもんですか」
神様は優しいものばかりでなく、時には人に試練を与えるし、サニーに言わせれば結構お厳しいお方である。だけど、言葉を通じ合わせるという疎通手段が人の手にあることは、神がこの世に存在するなら、それは本当に素敵な恩恵だとサニーは考える。彼女、信仰心はあまりないタイプだが、そんな彼女が神様という言葉を使って"対話"の重要さを推す程度には、それに対する価値を強く見出している証拠だろう。
「そういうあんたには無いの? 人生を幸せに生きていくために必要なのはコレ、みたいなの」
「俺? 俺はまあ、"自信"だと思ってるけど」
「ファイン~、今の聞いた~?」
台所の吹き掃除をしていたファインが、当てこすってきたサニーの言葉に硬直する。日頃から自信をあまり持てず、小さくなってしまうことの多いファインに対し、クラウドの言葉を借りてサニーが皮肉った形だ。
「人生を幸せに生きていくために必要なものは、自信っ! はいっ、ファインも復唱!」
「そんなこと言われてもさぁ……」
「ファインはもっと自信を持たなきゃ駄目だって言ってるじゃない、私。そろそろわかって?」
サニーを直視して反論できず、顔を逸らして拭き掃除に逃げるファイン。やっぱりすぐには無理か、と苦笑を漏らすサニーだが、急いでいる表情でもない。ゆっくり、自信の持てる子になっていってくれればいいやという、お姉さん目線の眼差しがファインの背中に向いている。
「俺、同い年ぐらいで"人生にとって一番大事なもの"とか定義してる人初めて見たなぁ」
「あんただって即答したじゃない。自信だって」
「そりゃまあ、聞かれてそうだと思うものをすぐ答えたけどさ。いつまでも同じこと考えてるとは限らないぞ」
「そんなもんでしょ、人生なんて。今一番大事だと思うものさえ忘れなきゃいいんだってば、多分」
即答した時点で、現時点でのクラウドにとっての強い答えがそれだというのも、今においてはまた事実。そうした心の芯にある者を聞き出し触れることで、クラウドの人間性を知り、もっと他者のことを好きになろうと努めるのがサニー。それに必要なのもまた"対話"。他人に無興味な人間とは真逆の価値観だろう。
「ファインにも、そういうのってあるのかな」
「あ、そういえば私も気になる! ねえファイン、教えてよ!」
人生を幸せに生きていくために必要なものとは。人によっては結論を出しづらい問いに、ファインは掃除の手を止める。だが、答えを返してきたのはやや速い。
「……友達」
「えっ、じゃあ私のこと?」
ファインの無二の親友であるサニーが、物怖じせずに速攻で問いかけた。振り向かないファインが、照れた顔を隠しながらも、小さくこくりとうなずく仕草には、サニーの顔が一気に上機嫌になる。
「あぁもうファイン、可愛いっ! 愛してるっ!」
「ちょ、ちょっと抱きつかないで……! まだ掃除の途中……」
立ち上がってファインに後ろから近付き、愛全開で組み付くサニーの行動には、あまり夜にはしゃがないでくれと家主のクラウドも言いたい気分である。騒がしいとお隣さんに文句つけられたら面倒だし、時間も時間だから、いちゃつくにしたっておとなしめにして欲しい。まあ、お楽しみのようだし邪魔をするつもりはなかった――のだが。
「あー、サニー。ほどほどにしてくれ。あまり騒がしいとお隣さんに怒られるから」
やっぱり言うことにした。助けて、とばかりにファインが、困った目で訴えてきたからだ。家主の一声で、熱烈の愛を中断せざるを得なくなったサニーは、あぁ残念とばかりに部屋の真ん中に帰ってくる。
「クラウドもファイン抱きしめてみたら気持ちわかるわよ。柔らかいし可愛いし、くせになるんだから」
「いいの?」
「それはファインに聞いて」
だめだめ、と首を振るファイン。そりゃそうだ。クラウドだって、わかっていて聞いている。冗談なのはファインにも伝わっているようで、困ったお姉ちゃんでしょと笑いかけてくれている。出会って間もないクラウドのことだが、ファインもけっこう心を許してくれているようだ。サニーは露骨に開放的な性格だが、ファインもファインでおとなしい割には社交的である。
お隣さんの迷惑にならない程度に談笑し、やがて3人は眠りにつく。昨日よりも随分親しげな会話がしやすくなった3人だが、天人混じりの場でここまで短時間に打ち解ける間柄なんてのは、今の世相で余程に珍しい。ひとえにそれは、相手が天人であろうと平然たる肝を持つクラウドや、地人が相手でも鼻にかけたりしないサニーの人間性によるものだろう。
そういう二人に囲まれた、ファインの幸せそうな顔は、出会って間もないクラウドの目にもよく見えたものだ。微笑む表情を崩さないファインの姿を見て、最も胸を満たしていたのはサニー。ただそこにいるだけで、3人が互いに笑顔をもたらす関係は、この日すでに形になり始めていた。
「マラキア!」
我慢できなくなったのか自室を出て、マラキアの書斎に乗り込んでくるカルム。寝る前、金髪の先をカールさせたカルムの姿には、振り返るマラキアも笑いそうになったが、相手の手前それは我慢した。札遊びの13を意味するKを真似た所作であると知るマラキアは、見た目の似合わなさ以上にカルムの自尊心が可笑しくてしょうがない。天人の生まれでなければ何も出来ない男のくせに、と、内心でははっきり見下している。
「奴らに対する処罰の手筈は進んでいるのか……!」
「ええ、滞りなく。明日には方々が動き出すよう、根回しも済ませております」
カルムは自らの鞭をはじき落としたファイン、生意気にも口答えしてきたサニーのことが憎くてたまらない。現時点では、サニーのことも身なりから勝手に地人だと決め付けており、地人のくせにあんな態度で、と怒りも三倍増し状態である。もっとも、自分は町長かつ遥かに目上だし、仮にあれが天人だと知った後に掌を返すわけでもないのだが、地人だと思い込んでいる今はむかつき具合が違う。
今日、即刻罰を下せなかったことは、カルムにとっては相当なストレスだ。後からマラキアに、どうしてあの場で制裁を加えなかったのかも説明され、一度は納得したものの、日を改めてでも打ちのめしてやらないと気が済まない。執念深い人物が権力者でいると厄介だ。
「情報を寄せてみたところ、例の二人の逃亡を手助けした人物もいるようですしね。それについても、ある程度罰を下せる楽しみがありますよ」
「地人か?」
「そのようです。町ではちょっとした有名人ですし、簡単に割り出せました」
目撃情報から、ファインとサニーを抱えて運んだ男の存在もマラキアは掴んでいる。この町に住んでいるのは地人だけではない。カルムの支配する天人贔屓のこの町で、町長の肩を持つ天人も少なくはないのだ。カルムが町に発表したファインとサニー、それを運んだ"運び屋"の目撃情報が、マラキアの元に入ってくるのは早かった。人二人を抱えて建物の屋根まで跳躍し、軽快に走れる人物なんて、この町では有能な運び屋たるクラウドのことだと、誰もがすぐわかる。
「今のままでは、例の二人を強引に引き連れて打ちのめしても、こちらの立場も危うくなるだけです。少し煽ってやって、向こうの落ち度を増やしてから料理すればいいのですよ。罪人たれる要素を向こう側に増やしてからなら、仮に神兵が介入してからでも説明しやすいですからね」
今の世の中、天人の方が圧倒的に立場が強い。地人たるファイン達が下手にアクションを起こせば、あの手この手で向こうの非として、問題児扱いするのは簡単なのだ。天人様に逆らった者達がどうなるか、町の者含めて徹底的にわからせてやる良い機会だ、とマラキアは考ている。だから怒れる面倒な雇い主を差し置いてでも、じっくり外堀から埋めていく道をマラキアは選んでいる。
「見たところ感情的な連中ですし、早ければ明日にでも面白いことになりますよ。今日はもうお休みになって、早起きしてから鞭でも磨いて頂ければと」
「……フン!」
ここまで言っても待てないらしい。乱暴にドアを閉めて自室に向かっていくカルムには、マラキアもやれやれと鼻で笑う。これだから、親から受け継ぐだけで町長になったドラ息子は駄目なんだと、彼が町長になった経緯を知るマラキアも呆れるばかりである。まあ、彼の父も似たようなものだったそうだが。
明日以降の展開次第では、怒りを露にしたサニーやらクラウドが、カルムの鼻骨を砕く拳でも振るってくる可能性もあろう。あるいはそうなっても面白いのに、と、町長を守るべき立場にあるはずのマラキアでさえもが、底意地の悪い笑みを浮かべていた。あの雇い主を敬ってなどいないからだ。