第82話 ~目覚めた少女と追う少女達~
「……ぅ」
闇の中で、ファインは目を覚ました。朦朧とした意識の中、目を開けてもそこは真っ暗闇で何も見えない。胸の上に片手を置き、土の上で仰向けに寝そべっていた彼女は、目を開けて数秒経ったある瞬間に、がばりと上半身を起こした。
ここは一体どこなのか。巡りの早い頭を最速で回し、自分の状況を最初から、筋道立てて推察する。巨大植物に食われて圧迫され、半ば溺れさせるかのように意識を奪われた時のことは思い出せる。光なき暗黒の空間で目を覚ました自分は、死んで地獄にでも落ちたのかとも考え、背筋が凍ったりもする。気が気でないように首を回し、周囲を見渡しても真っ暗闇。何も見えない、何も新しい情報がない。
不安に脈打つ胸の痛みに耐え、座ったままで胸の前に、両掌でお椀の形を作る。念じた彼女の精神に従い、光の魔力がその掌の上に集まる。やがて、両手でも収めきれないほどの大きさの光球が手の上に浮き、淡い光を放ち始めた。弱い光でも、目覚めたばかりのファインにはまぶしくて、自分で生じさせた光にファインが両目を細める。
ゆっくり光に目を慣れさせながら、徐々に光を強くして、ファインは周囲を照らしていく。天井はそこそこの高さで、上を見てもそこまで圧迫感はない。掌の上の光球をふわりと浮かせ、天井まで届かせて浮遊させたファインは、一気に光球の放つ光を強くさせ、周囲一帯を真昼のように照らした。
「な、何……ここ……?」
どこだと思うよりも、何だという印象の方が強い。平たい土壁、平たい土天井、そして平たい地面。まるで地中に直方体をくり抜き、その中にファインを押し込んだような空間だ。出口はどこにもなく、四角い土の箱に閉じ込められて入り口を塞がれたような奇妙な状況、ファインも動けず、立ち上がれない。
そしてふと視野を広げれば、すっからかんの空間内に一つだけ、目立つものがある。杭のように地面に突き刺された石槍の足元には、一枚の大きな紙が貫かれている。見るも孤独な空間下、唯一の同居人である石槍は気味が悪いものだ。それでも槍の下にある紙が目に留まれば、ファインも恐る恐る這い寄ってみる。
「…………?」
"やがて助けは訪れよう。今しばらくは、ここでおとなしくして貰いたい"
石槍に貫かれた一枚の紙には、そうした意味合いの文字列が書かれてあった。どこかで見た筆跡のような気はしたものの、さすがにそれで、誰が書いたものかまでは気付けまい。とにかく、何者かが操る巨大植物が自分を捕らえてしばらく、その何者かはファインをここに閉じ込め、しばらくじっとしていろと筆で命じてきている。そんな図式だ。
謎多き状況に読めぬ何者かの真意と、わからないことは山積みだ。誰かが自分をここに幽閉した、それはいい。しかし、殺さなかった。風の魔力で空を舞い、水の魔力で天人陣営を支援していたファインとは、暴徒達の陣営からすれば目障りなものだったはず。捕まった時点で殺されてもおかしくなかったから、意識を失う寸前のファインだって泣いた。もう人生が終わったと思ったんだから。正直今の彼女にとっては、思い返せば生きていること自体が奇跡に感じる。
さらには書き置きまで残して、しかも言葉遣いもやや丁寧で、危害は加えないからじっとしていろと言う。何の真意があるのか全く読めない。殺されていてもおかしくなかった立場、下手に逆らわず文面に従い、じっとしているべきだろうかと思ったのもファインの本音である。不気味な状況、得体の知れない恐怖を胸に抱く臆病な少女が、保守的な発想を抱くのは自然なことだ。
頭に浮かんだその選択肢を、ファインはその場で首を振って破棄。どれだけの時間、気を失っていたのかは知らないが、今もきっとクライメントシティは暴動の渦中。育ちの故郷が傷つけられていくのを、保身のために動かず見過ごすなんて、ファインの価値観では出来るはずもないことだ。
立ち上がり、土壁のひとつに掌を当てたファインは、その掌から魔力を発する。土の魔力で壁の本質を探れば、土壁の厚さは無限大にすら感じられ、仮にいくら掘っても向こう側に空間が現れる気配がない。一枚、と形容される土の壁ではなさそうだ。となればやはり、ここは地中に作られた空間であり、自分は地下深くに幽閉されたものだと推察が立つ。入り口つまり出口が見当たらないが、それも土で埋め立てられたんだろうとは、まあ想像で補える範疇だ。
入れたなら出られるはず。少なくとも手紙の主は、誰かがここに到達できると明言している。脱出不能の密室ではないと信じたファインは、今しがた触れた場所とは少しずらして、また土壁に手を当てて魔力を注ぎ込む。そこを掘り進めばやがて道が開ける、そんな土壁のスポットを探し求めてだ。
ファインを探し求めるサニーは、天人と地人が交戦する戦場を避け、巧みに裏路地を使って駆け抜ける。クライメントシティを荒らす連中をぶっ飛ばしたい気持ちはあるものの、今はそれ以上に大切な目的がある。戦いに巻き込まれたら、ファインを探すための時間がどれだけ奪われるかわからない。
それに、人目を避け続けてきたことにはもう一つの目的がある。やがてクライメントシティの天人区画、大きな時計塔の裏側に身を滑らせたサニーは、改めて周りを見渡す。周囲は瓦礫が散らばっており、街を侵食していた火も小さくなり始めた、既に一度戦場となって人の過ぎ去った場所。きっとしばらく誰も訪れぬその場所で、時計塔の陰に隠れたサニーは、何者もそばにいないことを再確認して魔力を練り上げる。
絶対に見つけてみせる。そんな強固な意志力を掌にかき集めた、彼女の魔力を抱いた両掌は、石畳が砕けて露出した地面に強く触れる。柔らかい土にくっきりと指紋が残りそうなほど、開いた両掌を地面に押し付けるサニー。彼女の掌から発される魔力は、触れた地表から地面へ電流のように走り、広いクライメントシティ全土へと一気に拡散する。
魔力を介してサニーに伝わる、今のクライメントシティの地中の実状。土が詰まっているはずの地中は、どこもかしこも不自然な空洞だらけ。そして空洞は長く繋がり、枝分かれし、人が通れるほどの空間を保ちながら末広がり。クライメントシティの地の底に、蟻の巣のように掘り進められた迷宮のような空間を、魔力を介してサニーが認識する。
「……うん」
思わず独りで小さくつぶやいたサニー。連中の狙いが理解できたのだ。無差別に暴れ回るように見えて、その実狙いはクライメントシティの大地に魔力を放つ要石の破壊。それが、地中をこうして掘り進める何者かの行動原理と直結していることは、サニーには容易に想像がつく。
「あとは……」
その地下迷宮の入り口はどこか。クライメントシティ全土へと発信され、反射した波紋のように帰って来る魔力が、サニーに地中の全容を訴える。蜘蛛の巣のように広がる長い迷路の端、地上に繋がる出入り口を探し求め、サニーが集中力を研ぎ澄ませる。天人達にとっての最大の都と呼ばれる、あまりにも広いクライメントシティすべてから、そんな一点の入り口を探すのは大変だ。甚大な魔力を注ぎ込みながら、意志力と精神力をすり減らし、意識が飛びそうなのを必死で堪えている。
「……あった!」
見つけた瞬間には希望の光に、失いかけていた意識も目覚めたように戻る。立ち上がった瞬間に立ちくらみを覚えながら、サニーはぱちんと両頬を挟んで叩き、持ち直す。ふうっと強く息を吐いたのち、今一度周囲を見渡したサニーは、今の自分の行動を誰にも見られなかったことに胸を撫で下ろす。
迷いは晴れ、光は見えた。駆け出すサニーはある地点へ向け、全速力の足を差し向ける。目指すは勿論、地下迷宮の入り口があると思しきその一点だ。
「ん~、おいひっ♪ こんなに贅沢できるの久しぶりだなぁ♪」
火の海に囲まれた商店街の真ん中で、たった一人上機嫌で歩く少女がいる。この状況下で呑気にてこてこ歩く姿は異質だが、はっきり言ってその風貌は、こんな状況下でなくても目立つものである。
青白赤の斜めのストライプで染められた、ぴっちりと肌に吸い付く薄い服を一枚纏い、その服と一枚で繋がるスカートは、膝より上の短いもの。膝上まで伸びたニーソックスも、青白赤の縞模様で一貫されており、頭にかぶった二股分かれの帽子も、左右を赤と青に分けて白の水玉で彩られている。顔と腕、スカートが風に揺れるたびちらつく肌の色と、腰まで届く長い金髪を除けば、全身すべてが青と白と赤の三色で一貫されている。
一度戦場と化したこの場所からは既に誰もが逃げ出し、店主を失った店の売り物が、熱い風に吹きさらしで放置されている。白昼堂々、出店の果物をつまみ食いしながら歩く少女は、左手に乗せた3つの苺を、右手で一つずつ口にする。甘い味わいが口の中に広がるたび、凄惨な周囲に目もくれず、美味しいなぁとうっとりした目つきである。
やがて燃える看板の下、棒つきキャンディーが並んでいる光景を目にすれば、目を輝かせてとことこ駆け寄っていく。何本も立てられたキャンディーを見比べ、どれにしようかなぁしばらく悩んだ少女だが、やがては、やっぱりこれだよねぇと一言つぶやいて苺キャンディーを選択。包み紙を開いてぱくんと口の中に含めば、美味しさが口の中を満たしてくれて、両頬を押さえて首を振ってしまうほど幸せ。行動にも表情にも、ほっぺたが落ちそうだという一言を全身で物語っている。
そんな彼女の頭上にて、燃え盛る出店の看板ががたんとぐらついた。支えを焼き切られ、落ちてくる3秒前。さぁて行こうかなと出店に背を向ける少女だが、キャンディーの棒をちんたら指先でつまむ行動は、頭上の異変に気付いて逃げようとする素振りではない。そして、少女の体にぶつかれば大怪我させそうな大きな看板は、めきりと傾き落ちてくる。
今、初めて看板の存在に気付いた少女が、ふいと見上げた瞬間には看板が自分を押し潰す一瞬前。そんな光景を目の前にしながら、まるで危機感も抱かぬ目をしたまま、少女がひょいっと片手を振り上げる。燃える大きな看板を、はたくように彼女が触れた瞬間、それは軌道を僅かに逸らして少女の横に落下する。看板の角が石畳をひび入らせた光景からも、相応の質量ありし看板だったはず。それを片手であしらった少女はもう、口の中のキャンディの甘みに意識を戻している。
「……んぅ?」
お楽しみ中の少女の意識に、割って入った一つの気配。魔力の流れに敏感な彼女は、誰もが混沌とした戦場で戦いに意識を注ぐ中、ある事象に気付いた数少ない一人だ。クライメントシティの全域を駆け巡る、何者かが地表に走らせた魔力を、足を介して地面から感じ取った少女は、口の中でキャンディを舐め回していた舌を止める。
「な~んか勘の鋭い人がいるなぁ……」
魔力の本質もわかる。街全体を走る魔力が、地中の何かを探し求める意志力に満ちていることもだ。地下迷宮の存在を探り当てるであろうその魔力は、"アトモスの遺志"に属する少女の味方ではない。味方であれば、地中を探ろうとする動機がないから、敵対陣営の誰かが地底の秘密を暴こうとしているのだと、簡単に結論づけられる。
少女は地下迷宮の入り口、つまりザームの地底への侵入経路を知っている。その入り口の場所に、この魔力の持ち主は気付くだろうか。広大な街全域に響き渡るほどの探査魔力を生み出せる使い手、そういう悪いケースに繋げてくる可能性は高そうだ。
「う~ん、一応チェックしにいかなきゃダメかな」
赤々と燃える街の真ん中、お散歩気分でいた少女も残念そうに、任務向けの頭へと切り替える。とてとて疲れない程度に駆けていく少女が目指すのは、ザームが地底に潜るために使った入り口だ。それは、今サニーが向かっている目的地と一致している。
出会えば間違いなく敵対する、クライメントシティ陣営のサニーと暴徒陣営の少女。"アトモスの影の卵"と身内に称され、その高き実力を保証された少女の行き先は、サニーが駆ける先の延長線上と交わっていた。




