第7話 ~交渉~
「ちょっと待ちなさい! ファイン!」
彼女に僅か遅れてこの場に駆けつけたサニーが、カルムに近付く足を踏み出そうとしたファインの肩を掴んで引き止める。今あいつに近付いたら、何をされるかも想像つくであろうに、自分の責をどうにか自らに背負おうとするファインの性格には、つくづく冷や汗が出る。
「さ、サニー……」
「まずはお話からよ。馬鹿正直に傷つけられるなんて正しくないわ」
ファインの横に並び、鋭くカルムを睨みつけるサニー。離れた場所からでも充分にわかる、生意気な眼差しにカルムの頭に血が昇りかけるが、彼がまた足を踏み出すより早く、サニーの口が動く。
「まずはお詫びします。私達が町長様に手を上げたことは、申し訳ありませんでした」
ファインが前に出たりしないよう、その手で彼女を制止しながら、カルムに対して頭を下げるサニー。ファインも同じく、しかしサニーよりも深く頭を下げ、はっきりした声ですみませんでしたと述べる。まず始めにこれをすべき筋合いは、あっても悪くない。
「貴様ら、それで済むと……!」
「でも、聞いて下さい。私達は、目の前を通りかかっただけの女の人を、鞭で打とうとした町長様の行動が見ていられなくて、つい手を出してしまったんです。やり方が良くなかったことは認めますが、どうしてあんな行動に出たのかだけは、理解して頂けないでしょうか」
カルムもわかりきっているはずの言い分を、敢えてサニーが口にするのには意味がある。少なくとも周囲は、"何者かがカルムに逆らった"という事実しか知らないし、目の前のファイン達が何故そんなことをしたのかを知る由も無い。知っている者達は、危険地帯である中央市場から逃げているのだから当然だ。どうせまた、カルムが先に何かやったのだろうとは周りも察しているが、そんなことがあったと具体的に知る者はいない。
「町長たる私の目の前を、挨拶も無しに素通りした者には相応の罰があって当然だろうが!」
「でも、やり過ぎだと思ったんです。鞭で打ちつけたら、傷跡が残ります。私も女ですから、体にそんな傷を残されたらその後どうなるかを思うと、鞭で叩かれたくなんかありません。ましてそれは、動物を叩くための鞭ですよね?」
理路整然と、自分達の行動の真意を説明するサニーの行為は、対話において欠かしてはならないもの。町娘を鞭で痛めつけようとしたことを、身勝手な理屈で正当化して怒鳴り返してくるカルムという人物に、話が通じないのはわかっている。それでも、こいつは話が通じないとはっきりわからないうちから、どうせ話しても無駄だと決め付けてはいけないのだ。やがて荒っぽい方向に話が転ぶ可能性が強かったとしても、段階を踏む前から開き直ってはサニー達の方が良くない。
もっとも、対話に臨む時点でリスキー、というケースもあるので、サニーも一概に毎度こうするわけではないが。今回は大丈夫だと踏んでいる。自信はある。
「この町はそういった不文律で回っている! よそ者の貴様らに口出しされる言われは無いわ! 郷に入っては郷に従えという言葉も知らんのか!」
「本当にこの町の人達は、その不文律に納得して生きているんですか? それでいいと思っているのはあなただけで、それを私にことわざ交じりに押し付けている、なんてわけではないですよね?」
事情なんか知らないよそ者でも、今のカルムの言葉に穴があることなんて読めて然るべき。誰が町長の気まぐれ一つで滅多打ちにされ得る暮らしを、快く受け入れられようものか。サニーもカルムの神経を逆撫でする言葉を連ねている自覚はあるが、今の理屈で自分達の行動を否定されて、はいそうですかなんて言えるわけがない。あんな理屈で納得するぐらいなら、最初からあんなことするべきではない。
「私は町長だぞ……! この町のしきたりは私が決めるものだ!」
「だから私達も、その方と同じような目に遭わせなきゃ気が済まない、ですか?」
自分が町長だからルールは自分が決める、という理屈は、どんなに胸糞が悪くても筋が通っている。だからサニーも、それに対しては反論しない。代わりに答えの見えている問いかけを投げ、カルムとの対話を続行する。日頃からカルムの暴虐にうんざりしている周囲も、サニーの言い分の肩を持ちたい一方で、そんなに煽って大丈夫かとはらはらしている。
「……嫌ですよ、そういった目に遭わされるのは。確かにあなたに手を出したことは申し訳なかったし、万一当てて怪我をさせてしまった可能性を考えれば、睨まれても仕方ないと思います。だけど、それに対して何度も鞭で打ち付けられるようなことは、私達としても受け入れ難いです」
「貴様……!」
「罰は受けますし、お叱りも受けます。だけど、鞭を手放して貰えませんか。私も、この子も、あなたに頬をひっぱたかれる覚悟ぐらいはして、ここに来ています」
顔をひっぱたかれるというのは、決して生易しいものではない。当たり次第では顔の形まで変えられてしまいかねないからだ。それでもサニーは、それぐらいの罰は受けるという覚悟で臨んでいる。ファインだって、同じ気持ちだ。既に痛みを怖がって小さく震えているファインの肩を握り、交渉のラインをサニーがカルムに提示している。
「よそ者風情が町長であり、天人である私に要求するというのか……!」
だが、カルムは聞き受けない。3歩近付いてくるカルムから、サニーもファインの肩を引っ張って、二人で3歩下がる。鞭を捨てないと、あなたには近付けないという主張を行動で示す。話が通じようが通じまいが、鞭でどこを傷つけてくるかもわからない相手に、素直に体を差し出す方がおかしい。
「チッ……! 奴らをここまで引きずって来い!」
用心棒マラキアのそばを離れたくない保守性がよく出ているもので、二人の衛士に指示を出すカルム。槍を握った背の高い男二人がファイン達に駆け寄ってくる光景に、サニーはファインを抱き寄せる。
「ちょっと、やめて下さいよ……!? お話、聞いてくれていましたか!?」
「黙れ! いいから来い!」
妹を抱いて守る女性のように小さくなったサニーだが、衛士を睨む目はかなり鋭い。とても、怯えた娘の表情ではない。カルムの下で働き続け、主人以外に自分たちに逆らう者など久しい衛士達にとっては、生意気で癪に障る表情だ。
衛士の一人がサニーを羽交い絞めにし、やめなさいよと声を荒げるサニーをファインから引き剥がす。もう一人の衛士がファインの手首を握り、カルムの方へと引っ張り出そうとする光景には、誰もがこの後の惨状を予感せずにはいられなかった。
「はご……っ!?」
サニーを羽交い絞めにしていた男が、裏返った声とともにその場に崩れ落ちる光景を、ここにいる誰が予想していただろう。男の股下から後ろ足を振り上げ、思いっきり股間を叩き上げたサニーの一撃は、彼女を捕まえていた衛士を一瞬で無力化した。そして仲間の悲鳴めいた声に振り返る、ファインの手を握った衛士の前には、羽交い絞めを振りほどいたサニーが、すでに跳躍して迫った姿がある。
手首を握られ、ファインがその表情を痛みに歪ませた瞬間から、サニーの表情は豹変していたのだ。完全にぷっつんしたサニーの表情が、衛士がこの場所で見た最後の光景。ファインをカルムの元へ連行しようとした屈強な衛士の側頭部を、サニーの空中回し蹴りが捉えた。
頭を蹴飛ばされ、ファインの手を握っていた力も失って、衛士は投げ出されたように吹っ飛ばされていく。着地したサニーが腰に片手を当て、ふぅっと息をついてカルムを睨みつける姿には、助けて貰ったファインですら見上げて慄いたものだ。権力をかさに着て、怖いものなしだったカルムですら、その眼光を突き刺されて体が硬直する始末である。
「私達の非に対して開き直るつもりは本当に無いんです。ですが、話を聞かずに強行手段に出るっていうなら、こっちだって黙ってるわけにはいきません」
ひっぱたかれる覚悟ぐらいは本当に構えてきているの。だが、今のサニーの暴れぶりを見て、拘束せずに手を出す度胸がカルムには無い。衛士の接近とともに踏み出しかけていた足も止め、歯噛みするようにサニーを睨み返すことしか出来ない。
「――マラキア! あいつらをひっ捕らえろ!」
周囲が思わずどよめくのは、カルムの用心棒たるその人物が、どれほどの手練であるかを知っているからだ。マラキアから漂う実力者の風格には、はじめから一目置いていたサニーも、片足を引いていつでも動ける形を整える。
「お言葉ですがカルム様。ここは退いた方が賢明かと」
「何だと……!?」
「今ここで始めてしまえば、騒ぎが大きくなった場合、天上界からも神兵が派遣されるかもしれません。理はこちらにありますが、状況を鑑みますと、後々カルム様の立場を危うくしかねません」
カルムの背後に立つマラキアは、誰も聞こえぬほどの小さな声で進言する。騒ぎが大きくなり、天人の中でも位の高いお偉い様が、この町まで来る事になると良くない。恐らく天人たるカルムが手を出されたことで、ファインとサニーに関して説明することは出来るが、きっかけがカルムの横暴であることを、話を聞いた周囲の群集に証言されると相当にまずい。そんなことで遠路はるばる、一介の町長なんかとは比べ物にならないお方のご足労を強いたとなれば、カルムの方こそお偉い様に睨まれかねないのだ。周囲の地人どもがカルムを快く思っていないのはわかりきっているし、そういう状況が整ってしまえば、カルム達を恐れてきた群衆も、嬉々として告げ口するだろう。そこまで口封じするのは流石に難しい。
どう転んでも、ファインとサニーを天人の利権で罪人扱いすることは出来る算段はあるが、それに伴って今後の地位まで脅かされては釣り合わない。たかが旅人と、一時の感情で差し違えるなど、せっかく安定している今の地位をどぶに捨てるようなものだ。
「今後のことは、いくらでもやりようがありましょう。今この場だけは、引き下がった方が得策です」
「む……ぐ……!」
唯一自分に口出し出来る男の言葉を、ぎりぎりと歯ぎしりしながらも聞き受けたカルムは、握り締めていた鞭を地面に投げ捨てる。強行手段に出てしまった以上、今からファインとサニーの提案どおりひっぱたくわけにもいかず、無言で二人に背を向けるしかない。
馬の鐙に足をかけ、不機嫌すぎてその足を一回滑らせ、地団太を踏んで石畳を蹴るカルム。実に格好悪いカルムの姿だが、誰も笑わない。笑ったら何をされるかわからないからだ。こうした失態を晒してなお、周りに後ろ指を差されないカルムの姿が、いかにこの町で幅を利かせてきたかを物語るものでもある。
マラキアに拾ってもらった鞭を受け取り、馬の尻を叩いて自宅へと帰っていくカルム。彼を追う前に振り返り、サニー達を見てにやりと笑うマラキア。これで終わりだと思うな、と言わんばかりのその表情は、我ら天人に逆らった者をこのまま捨て置きはしないという意志と、やがて罰を下せる日を心待ちにする思想に満ちていた。
怯みもせずに睨み返すサニーは、ファインの顔を胸に抱き寄せていた。あんな薄汚い目つきをこの子に見せてたまるか、とばかりにだ。






