第74話 ~やっぱり私は天人が好きになれない~
「テフォナス様って天界兵様でしたよね? 大変ですね、こんな所にまで出張されて」
「クライメントシティの安寧を守るために遣わされた身さ。名誉ある仕事だと思ってるよ」
天人達にとっての王朝とも呼べる場所、天界に住まうことが許されるのは、相応の実力を持つ者か名誉ある血筋の天人だけだ。テフォナスは天人貴族の生まれであり、同時に戦士としての実力も高く、天界に招かれる条件を併せて満たしている。正真正銘のエリートとは、こういう人物のことを言うのだろう。
神殿離れのベンチに座り、サニーとお喋りするテフォナスの笑顔も温かく、好青年だと評じられるのもよくわかる。巡回の仕事中、思わぬ再会に短時間ながら仕事を抜け出し、談笑してしまう気さくさも良い人柄だ。妬みを抜きにすれば、テフォナスのことを悪く言う人物が皆無なのは有名だが、それは彼の端正な顔立ちのみによるものではなさそうだ。
「さっき天界兵のハルサさん? にも会いましたよ。けっこうたくさん、天界兵様が来られてるんですか?」
「50人強ぐらいかな、来てるのは。クライメントシティは自警団のみんなも実力者揃いだから、それぐらいの出兵で大丈夫だろうという見解でね。ちなみにハルサは、僕の後輩だよ」
クライメントシティという広大な町を守るために、派遣される人材の数としては少なくも感じる頭数。逆に言えば、その程度の人数の増援であっても、有事の際には悪い状況を押し返す影響力を持つほど、天界兵というのは個々の能力が高いということだ。
「それにしてもびっくりしましたよ~。テフォナスさんも"エンシェント"だったんですね」
「僕も殆どは天界暮らしで、下界にはあまり顔を出さないからね。エンシェントの証明であるこの翼も、あまり多くの人に見せたことはなかったな」
古き血を流す者と呼ばれる、人ならぬ血をその身に流す末裔の一人に、テフォナスもまた名を連ねている。魔術で生み出した翼でなく、実体ある翼を背負っていたテフォナスは、そうした血を身に流す"エンシェント"ということなのだろう。
「僕は鴉種と呼ばれるエンシェントでね。空の戦いならこう見えて自信があるよ」
「鳥のエンシェントかぁ。ニンバス様とかと同じですね」
「よしてくれよ。言葉は悪いが、今のあの人と一緒にされるのは少し嫌だな」
「あ、もう聞いてます?」
「聞いているよ。タクスの都で、部下達と一緒に大暴れしたんだろう?」
かつては近代天地大戦で、天人陣営の勝利に一役買った英雄として知られていたニンバスだが、以前の騒動が明るみになって、その名も良くない響きとして今は知れ渡っている。口伝で聞くニンバスの人物像を尊敬していたサニーだが、今やテフォナスがこうした反応を示すのも仕方のないことだろう。少し寂しい。
「それにしても、こんな場所に何の用だったんだい? 君は、神殿に祈りを捧げるほど信心深くはないように見えるけどな」
「あははは、仰るとおり。今日はお父様に会いに来てたんですよ」
「お父様っていうのは、この神殿で働いている人なのかな?」
「ウェザー様の養子だったんですよ、私。ああ、もう縁切りされてますけどね」
ウェザーの名を出した瞬間、ちょっとだけテフォナスの目の色が変わりそうだったので、サニーはすぐさま、あんな父親との関係はもう無いと補足する。クライメント神殿の大司教、ウェザーの養子ともなれば、天界兵のテフォナスとてそういう目で自分を見てきそうだったし、それが嫌なサニーは先手を打つのも早い。
「縁切り、とはねぇ……あまり詳しいことは聞かないでおくけど」
「私、素行悪かったんですよ。なんとなくわかりませんか?」
「んーまあ……荒っぽそうな印象はあるね」
「ひどっ! もうちょっと言葉選んでくれてもいいんじゃないですか!?」
「あははは、ごめんごめん」
どちらも笑いながらの会話であり、冗談も互いに上手く通じている。別にこの空気で、女子力とは真逆の形容詞を当てられたところで、サニーとしては気にする部分ではない。自覚はあるし、振ったのは自分だし。
「それにほら、私には"狭間"の親友がいるでしょ? お父様は、そういう私のことを認めてくれなくって」
「あぁ、あの日君の隣にいた混血種の子か。……確かに、ウェザー様なら受け入れてはくれなさそうだね」
「私もそこに、自分の非があるのはわかってるんですけどねぇ……」
嘘も嘘、あり得ないレベルの大嘘。人として好きになれたからファインを親友と称しているんであって、その付き合いに非があるなんて、サニーは微塵も感じてなどいない。むしろ血筋だけで差別されるファインと、普通に付き合っているだけの自分を批難する天人の考え方に、おかしいのはあんた達の方だと堂々と言い返すタイプである。というか、昔それで年上の男に中指立てて、ビンタまでかましたことがある。
何故そんな嘘を、天人の価値観に合わせてまで、混血児のファインと付き合っている自分にも非があると言い出すのか。サニーは、テフォナスという人物を見定めようとしている。
「テフォナス様はどう思います?」
「うーん……まあ、君がその人を友達だと言うのは君が決めたことだし、おかしいとは思わないけどな。ただ、殆どの天人はその価値観を、肯定してくれないとも思うよ」
当たり障りのない回答だ。自分の価値観では相手を批難せず、マジョリティの総意があなたの敵になるという言い回し、しかし私はあなたの敵ではない。そうしたテフォナスの回答を得て、サニーはだいたいテフォナスがどういう人物なのか見切れた気がした。
「やっぱり、あの子とは絶交した方がいいのかなぁ……テフォナス様もそう思います?」
「その方が、君のためにはなると思うけどな」
「そっかぁ……うーん……」
念のため、もう一言問いかけてみたところで、もう充分だと思えた。人格者で通っているテフォナスだし、立派な社会人の鑑だとは思う。模範的な大人といえば、きっとテフォナスみたいな人物のことを指すんだろうなとは、サニーも結論付けることが出来たけど。
「――あっ!? ちょっと、テフォナスさん!」
ちょうどいい所で横槍が入った。紫の髪が特徴の、身軽な武装をした天界兵の一人が、こちらに向かって駆け寄ってくる。しまった見つかった、とばかりに立ち上がり、気まずそうな顔のテフォナスだが、そりゃあ哨戒任務をさぼって女の子とお喋りしている姿は、同僚に見つかれば気まずかろう。
「や、やぁ、ハルサ。首尾はどうだい?」
「そのセリフそっくりそのまま返しますわ。ナンパは絶好調なんすかね?」
「な、ナンパじゃないよ。以前ちょっと縁があった子とたまたま会って……」
「はいはい、言い訳はいいから仕事に戻って下さいね。俺も交代の時間が待ち遠しいってのに、これでも一応仕事してるんすから」
「いたたたた! こ、こら、ハルサ! 乱暴すぎるだろ!」
後輩のハルサに耳をつままれ、サニーから引き剥がされる方向に引きずられていくテフォナス。こういう愛嬌のある姿も、彼がもてる要因の一つなんだろうなとはサニーも思うけど。実際見ていて、蔑んだ意味ではなく少し笑えてしまうのは事実である。
「サニーちゃん、邪魔してすまねえな。でもこの人、仕事中なんで」
「いえいえ。お仕事頑張って下さいねー!」
「痛い、痛いからっ! ハルサ、とりあえず耳離してくれってば!」
仲良く去っていくテフォナスとハルサを、手を振って見送るサニー。さて、まあまあ用事は済んだ。あとは宿に帰って休むだけである。
「お、サニー。もう帰るのか?」
「あ、うん。もうだいたい用事は済ませたからね」
帰り道、巡回しているアウラに再会し、軽く挨拶するサニー。自分の巡回エリアを離れない程度に、サニーについてくるアウラだが、傍から見たらサニーに気でもあるのかとしか思えない。
「そういえば、テフォナス様にも会ったわ。あの人、ハルサ様の先輩なんだってね」
「へえ、そりゃ羨ましいな。俺からすれば、声をかけるのも憚られる人だよ」
やっぱりテフォナス、天人の若者からは広く尊敬される人物のようだ。あれだけ外面が良くって、かつ強さも兼ね備えている人物なんだから、多くの人の憧れの対象であるのは理解できる。
「あんたは、テフォナス様のこと尊敬してる?」
「そりゃそうだろ。テフォナス様って言えば……」
語り始めようとしたアウラの言葉が途絶えたのは、答えた直後にサニーが鼻で笑うような息を漏らしたからだ。快活で竹を割ったような普段の彼女からして、これは珍しいぐらいに意地の悪い態度である。
「……何だよ?」
「いや……ごめん、別にそれを否定するつもりはないけどさ」
確かにわかるから。わかるけど、サニーはテフォナスのことを尊敬できないから。
「テフォナス様に憧れるのはいいけど、模倣するのはその実力だけにしておいた方がいいと思うな、私は」
「何だそれ、どういう意味?」
「私はあの人のこと、好きじゃないよって意味」
たとえ仮に心底から、サニーのことを案じたものであったとしても、保身のために親友と絶交することを推奨してきたテフォナスなんて、根底にある価値観は天人のそれだと思った。百歩譲って、テフォナスが他の天人とは違う考え方で、それでも周りの目だけ意識してそれを勧めてきていたとしよう。それであっても、他者の人間関係の断絶を軽々しく口にしてくる時点で、選民意識がテフォナスの中にあるのは明らかなことであり、たいして本質は変わらない。
だいたい、ただでさえ極度に友達に恵まれにくい立場のファインなのに。そんな彼女の数少ない親友のサニーに、絶交した方が君のためだといい人のふりして言ってくる時点で、その後のファインの孤独なんか毛ほども考慮していない証拠である。
優しい人に見られたいだけで物腰はオブラート、しかし性根は他の天人達と何ら変わらない。サニーがテフォナスという人物を見て導き出した結論はそれだけだ。昔は嫌いだったが、今はある程度話がわかるようになったアウラに、あんな人を敬って欲しくないというサニーの言葉は、心からの願いである。
「ただいまー……って、あんたまだ引き篭もってんの?」
「しにたい」
夕暮れ時に宿に帰ってきたサニーだが、ファインはまだ布団にくるまっていた。近くには、空になった食器が膳の上に乗っていて、食事も宿の食事室ではなくここで済ませたようだ。多分持ってきてくれたのは世話焼きのリュビアだろう。母親に食事を自室に持ってきてもらう引き篭もりかと。
「いつまでいじけてんのよ~。ほら、ちょっとは体動かしなさいって」
「やっ、やっ……! 明日まで起きないっ……!」
昨夜クラウドに一人遊びを見られたのが相当なトラウマのようで、今は誰にも顔を見せたくない衝動なのか、顔を枕にうずめて隠しっぱなしのファイン。サニーが掛け布団を引っ剥がしても、団子虫のように丸まって体を横にするファインは体を起こさない。
「よろしい、レイプしてあげよう」
「ちょっとー!?」
ファインに上から覆いかぶさり、掛け布団を自分の上から背負い、布団の中にファインと一緒に潜り込む形にするサニー。なんだか急に逃げ場を塞がれた感触に、ファインが危機感を覚えて暴れようとするが、ぎゅうっとファインを抱きしめるサニーが動きを封じてくる。
「ファイン大好きっ。私達、ずーっと親友だよ」
「し、知ってる、知ってるから……! 変なことしな……」
「絶交なんかしないからね。絶対、ずっと、友達だよね」
唐突なスキンシップに、ひどいお触りを予感していたファインだが、追撃は来なかった。サニーはぎゅっと、ファインを抱きしめるだけ。おかしいな、とファインが暴れようとするのをやめれば、抱きしめる力をゆるめたサニーが、真っ暗闇の布団の中で、きゅうっとファインに抱きついている。
「さ、サニー?」
その気のない嘘とはいえ、ファインと付き合う自分に非があるのだろうとか、絶交すべきなのかなとか口にしたことは、サニーの中にずっと引っ掛かっていたことだ。嘘であっても、当人の前でなくても、言ってはいけない言葉というのはある。ファインの耳に届かない限り、誰にも迷惑のかけない言葉であったとしても、嘘でも口にしただけで、それはサニーに罪悪感さえ芽生えさせる。
友達っていうのは掛け替えのないものだ。たとえ世界じゅうを敵に回したとしても、サニーは自分からファインとの絆を断ち切ろうとすることはないだろう。そうでもなければ、唯一無二の親友を名乗る資格は無いと、サニーははっきり信念として定めている。
「……何かあったの?」
「んーん、別にいつもの私だよ。あなたの友達♪」
今日のサニーはちょっと変だな、とは勿論ファインも思う。だけど、優しく抱きついてくるサニーのぬくもりは、べたべたひっついてくる普段以上に温かいような気がした。




