第73話 ~サニーの家族~
「はろー」
「っ……サニー、お嬢様ですか?」
「そんな堅苦しくしてくれなくていいわよ、私あの人とはほぼ絶縁状態だし。それより、お父様は?」
クライメント神殿に足を踏み入れたサニーは、目についた若い神官服の男に声をかける。サニーの育ての親である人物は、今やこの神殿において相当な力を持つお偉い様であり、その養子であったサニーもまた、神殿の者達からは謙られる立場である。そういう対応をされるたび、あの父との関係を強調される気がして、サニーは嫌な気分になるのだが。
「ブリーズ様は、その……今はお忙しく……」
「へぇ、私と会う時間もないぐらい?」
絶対に嘘だとサニーには一発でわかる。サニーが父を嫌っているのと同じで、父もサニーのことを完全に見放しており、顔も合わせたくないと思っているだろう。目の前の若い神官服の男は、そういうサニーの父の性格も知っているから、何かと理由をつけてでもサニーを帰らせたいのだ。
「忙しいかどうかは会って直接聞いてみるわ? お父様はどこ?」
「ええと……」
「ご自室?」
「……恐らく、ですが」
あぁもうじれったい。サニーの父、神殿の大司教たるその人物は、サニーのことが大嫌い。だからサニーに彼の居場所を教えたら、大司教様に嫌いな人物を会わせる形になる。神官服の男も、そんなことしてお偉い様に睨まれては嫌だというのはわかるけど、それにしたって面倒なものだ。結局サニーの方から、父が一番いそうな場所を聞き、多分そうなんじゃないですかねと曖昧な答えを吐ける状況を用意してやらなきゃいけなかった。
ああそう、それじゃあ、とサニーが神殿の奥に歩いて行こうとした時、ふと奥からこちらに向かって歩いてくる人物がいる。奇遇も奇遇、自室にいなかったら探さなきゃいけないと思っていた人物が、たまたまだろうが自ら姿を現してくれた。
「はろ」
「……おお、サニーか」
にこやかに手を振るサニーと、白髭たくわえる年老いた顔を笑顔に満たした男。白い神官服に身を包んだ、少しふっくらした姿の大司教は、泣いた幼子も安心して泣き止むような、優しい笑顔で近付いてくる。
傍から二人を見る若い男からすれば、気味が悪くて後ずさってしまうような光景だ。この親子、どれだけ最悪の関係かは周知の事実であろうに、両者ともに満面の笑みで不気味すぎる。狐と狸の化かし合いにしか見えない。
「お父様、お部屋に行かない? 疲れるでしょ?」
「おぉ、おぉ、そうだな。さあ、こちらにおいで」
クライメント神殿の大司教を務める男、ブリーズ。表面上、甘えるようにその腕にしがみついたサニーと、ブリーズが神殿の奥に向かって歩いていく。それを見送る若い神官は、今日はもうブリーズ様に近付くのはやめておこうと決意していた。
忌まわしい養子、サニーに再会したこの日、大司教ブリーズがずっと不機嫌であるのは間違いないからだ。
たとえばファインは、クライメントシティに里帰りしたその日に、育ての親であるお婆ちゃんに喜んで会いに行った。良好な親子関係ってああいうものだ。一方サニーは、里帰りしてもう5日目になる今日、やっと父との再会にクライメント神殿を訪れている。それも、育てられた義理もあるし顔ぐらい出さなきゃなあ、という、理性発信の行動だ。義理抜きにして父と会う動機など、サニーにはこれっぽっちも無い。
父が自分との再会など望んでいないのはわかっているが、サニーだって義理も果たさぬ挨拶すらせぬ、そんな自分が嫌だから顔を見せに来ただけで、まさに誰得の再会劇。せいぜい得をしているのは、不義理をしたくなかったサニーが自己満足している程度だ。神殿内を歩くブリーズとサニー、そんな二人が一緒にいる姿を見て、ぎょっとする神官達の視線に見送られながら、二人はやがてブリーズの自室に辿り着く。
「お疲れ様、お父様。もう誰も見てないわよ?」
がちゃりと個室唯一の入り口を後ろ手で閉め、挑発的にサニーが言い放つ。部屋の端、ソファーに腰掛けたブリーズは、外向きの優しい大司教の表情から一変、汚い野良犬を疎ましむような表情でサニーを睨みつけた。外面だけはいい顔をしていたいブリーズを知るサニー、"疲れるでしょ"と先ほど言っていたのは、人前で笑顔を作って私と話すのは疲れるでしょう、という意味だ。
「何をしにきた」
「べっつに~? せっかく里帰りしたっていうのに、育ての親に顔も見せずっていうのは、良くない気がしただけよ?」
「ならばもう用は済んだな。さっさと消えろ」
「冷たいわねぇ、娘を前にして。相変わらず過ぎて懐かしむのも疲れるわ」
ブリーズとサニーには、血の繋がりが無い。サニーは孤児だったのだ。彼女は幼少の頃、地人に拾われ、物心つくまではその人物に育てられたが、やがてサニーを案じたその人物により、クライメント神殿に預けられた。地人の私が天人と思しきこの子を育てるのは忍びない、誰かこの子を天人のどなたかに育てて頂けませんかと、そういう訴えとともにだ。
そんなサニーを受け入れたのがブリーズ。しかしそれが彼にとって、寛大な神職者であることを演じるための行動に過ぎなかったことは、幼いサニーにもわかっていたことだ。当時からそれなりの地位に就いていたブリーズは、一夫多妻が認められているクライメントシティのしきたりに則って、多くの女をはべらせていたし、サニーのことは侍女に任せて放ったらかしだった。養子と言ってもブリーズがサニーにもたらしたのは、屋根のある個室と、彼女をお嬢様と言って頭を下げてくる神殿の召使いぐらいのものだ。
はっきり言ってサニーは、ブリーズに親らしいことを何ひとつして貰った覚えが無い。むしろブリーズの実子とサニーが話そうとしたら、拾われ子のくせに私の子供と対等に話そうとするなとばかりに、無意味な叱責を受けたとか、差別的な記憶の方が濃い。
「お前がここにいるということは、あの異端児もいるのだろう。まったく忌まわしい」
「ファインのことを汚いものみたいに言うのはやめてくれる? あなたなんかよりよっぽど綺麗な心の持ち主なんですけど」
「ダニを忌むことを口にして何が悪い。つくづく貴様は天人の面汚しだよ」
そして、ブリーズがサニーを徹底的に嫌う理由はファインにある。天人と地人の間に生まれた混血児というのは、崇高なる天人と下賤な地人が血を交わらせたという、天人にとって忌まわしい出来事の象徴そのもの。だからステレオタイプの天人、特にブリーズもそうだが、混血児ファインのことは、存在そのものが許容できないのだ。言ってしまえば、ファインと付き合いのある者すべてさえ嫌悪の対象になる。だからファインを親友と称するサニーなんていうのは、ブリーズにとって、糞にたかる蝿のような存在にさえ感じられるのだ。
サニーもその逆。血筋だけであれだけ差別され、それでも心は綺麗なままでいるファインに、サニーは敬意すら払っている。それを汚らわしいものを見るような目を注ぐ連中なんて、サニーからすれば、あんた達こそ腐ってるわと言い返せる。元よりブリーズのことは人としてまったく尊敬していないサニーだが、ファインをこうして軽々しく貶されることが、いっそうブリーズを見限って揺るがない最大の要素である。
「まあいいわ。顔だけ見せたし用は済んだから、今日はもう帰るけどさ」
わかっちゃいたけど、長く話しているとむかむかしてくるので、退くなら早い方がいいだろうとサニーも帰りを意識する。どんな相手とであっても"対話"を重視するサニーをして、ここまで思うというのは、よっぽど既に相手を見限っている証拠である。
「私達、スノウ様を探してるんだよね。今どこにいるか知らない?」
「あの異端児の母親か」
「聖女様って呼ばなくていいわけ?」
魔女アトモスを討伐し、天人の覇権を守り通した聖女スノウは、今や多くの天人に聖女様と呼ばれる存在だ。内心では、彼女が地人との間に子を儲けたことを快く思っていない者も多いが、立場もあるため表立ってそれを口にする者は少ない。こういう口で聖女スノウを叩くのは、ブリーズのように、天人内でも相当な立場を持つ者だけだ。
「知らんな。あの女の所在になど、興味はないものでね」
「はいどうも。予想通りの回答ありがとうございました」
今も各地で暗躍する"アトモスの遺志"の鎮圧に奔走する聖女スノウ。その動向が、クライメントシティの中枢たる、クライメント神殿に届いていないわけがない。ましてスノウはクライメントシティ生まれの偉人、ブリーズの元にその手の情報が入るのは最速のはず。要するに、母に会いたいというファインの助けになるような情報を提供したくないから、知らぬふりして教えてくれないだけの話である。
「じゃあ帰るわ、偽善者のお父様。今度来る時には、ファインも連れて来ようかしら」
「消えろ。その顔も声も、二度と目に耳にしたくない」
「ええ、私も」
ぺろ、と舌を出して挑発的に笑い、サニーは部屋から退出する。ばたん、とすごい音と共にドアを閉める態度からも、本気でこの数分間のやりとりにイラついていたことが明らか。ドアの向こうから、家具を蹴飛ばす音が聞こえたことからも、ブリーズも同じ心持ちなのだろう。
いい年して物に当たるブリーズに呆れると同時に、今しがた強くドアを閉めた自分も似たようなものか、とサニーも反省、あるいは後悔。めらついていた気性がちょっと落ち着くと同時、なんだかへこみさえしてサニーは深い溜め息をついていた。改めて、あの人と同じことをしてしまっただけでこんなにへこむぐらい、自分はブリーズのことが嫌いなんだなぁと思う。
こんな自分じゃファインに顔向け出来ないな、と、ぱちんと自分の両頬叩いたサニーは、宿に帰る足を進めていく。いつかここに帰ってくるとしても、それは当分先の話だ。帰ったらファインの顔でも眺めて、心の清涼剤にでもしようと考えながら、サニーはクライメント神殿を後にしようとする。
「――おーい」
ふと、そんな折に空から呼び声が聞こえた。誰を呼ぶのかわからない声だったが、ふいと顔を上げたサニーの上空から、一人の男が舞い降りてくる。
茶色の短髪、白銀の鎧、腰に下げた立派な騎士剣を収めた鞘。風格だけで、既にいくつもの戦果を挙げ、名高さを獲得した騎士を思わせる存在感は、既に確かな特筆点。後はその背中に背負う、大きな黒い翼がその人物を物語るもう一つの特徴だ。
「あっ……えーっと……」
「覚えてくれているかな?」
「……あぁ、そうそう! テフォナス様ですね!」
そしてその顔には、サニーにも見覚えがあった。しばらく前に、イクリムの街という場所で大きな揉め事を抱えた際、天界司法人を招いてまでの話し合いになったことがある。その際お世話になった天界司法人様が、今は誰もが頼もしいと思えるほどの、武装した騎士様のような風貌で目の前にいる。
天界の特級戦士、"黒翼の騎士テフォナス"の名は非常に有名なものだ。思わぬ所で再会し、思い出してその名を口にしたサニーに、テフォナスは朗らかな微笑みを返していた。




