第71話 ~ファインさん強く生きましょう~
「すまないね、ご馳走になってしまって」
「いいえ、そんな。こちらこそ、本当にお世話になりました」
晴れの共同制作舞台を終え、酒場で打ち上げした5人。店の外に出てすぐ、ご馳走様でしたと一礼するカラザに、ファイン達も感謝の念を伝え返す。
楽しい思い出作りになった野良演劇だったが、脚本作りに演技指導、宣伝に舞台装置の用意、果てには聖女様のドレスや猫のぬいぐるみなどの備品揃えまで、一手に引き受けてやってくれたのがカラザだ。彼の尽力なしにして、あんな素敵な思い出作りなんて出来なかったのは、もはや言うまでもないことである。せめて打ち上げの飲食代ぐらいは奢らせて下さいとファイン達が申し出て、カラザも快諾して夕食を終えたところだ。
「そろそろ夜も深くなってくるし、帰り道には気をつけるんだよ。今のクライメントシティは、普段よりも少々気が立っているようだからね」
「普段よりも、ですか?」
打ち上げの席で少々の酒を頂いたカラザだが、しゃんとした背筋で頼もしい大人の姿そのままだ。そんな彼が、ふとして穏便でない言葉を発したことに、サニーがすかさず真意を問う。
「ここ最近、不穏な動きが街の随所で見られるそうで、天人様がぴりぴりしているんだよ。ほら、クライメント神殿の地下に封印されているもののことは、みんな知っているだろう? だから少々の不穏に対してであっても、天人様が敏感になるのはわかるんだがね」
クライメント神殿というのは、クライメントシティの中央、天人のみが立ち入れる区画の中心に位置する建物だ。そこがどれほど、天人達にとって重要な場所であるのかは、ファインやサニーは勿論のこと、クラウドやリュビアも概ね知り及んでいる。
「やはり、"アトモスの遺志"なる組織が未だに各地で暗躍しているのが、天人様の懸念を煽るんだろうな。奴らがクライメント神殿を狙っているかもしれない、と天人様達が不安視するのは安直な気もするが」
「でも、流石に天人達がこれだけ堅固に固めるクライメントシティを、例の残党が狙ってきますかね?」
「私もそう思うんだがな。まあ、天人様達は、万に一つを恐れて警戒を強めているということなのだろう」
"アトモスの遺志"とは、かつて天人の支配体制を終わらせようとした魔女アトモスが率いた一団、その残党を指す言葉である。統率者であったアトモスが討たれた後も、天人の覇権を終わらせる夢を未だ諦めない者達が、各地で活動を続けているのだ。
「そんなわけだから、今は天人様も僅かな出来事にも敏感で、特に地人の行動には目ざとい。関所をくぐって街に入る時にも、きつい目で睨まれたりはしなかったかい?」
「あ~、アレってそういうことだったんだ?」
「てっきり、まだ私達のこと睨んでるものだと思ってたけど……」
不良娘で有名だった混血児ファインと、その親友かつひと暴れしたことのあるサニー。悪い意味で有名人の自覚があったが、別にそれだけで睨まれる凱旋になったというわけではなかったらしい。ゼロでもないだろうけど。
「そんなわけだから今は、どこもみんな肩身が狭くて窮屈しているんだ。私が人形劇を嗜んでいたのは、少しでもそういう人達に、気軽に楽しんで欲しかったからなんだよ」
「そうだったんですか。カラザさんって、本当に優しい人なんですね」
「共同演劇に乗ってくれた君達の協力あってこそ、今日は私の一番得意な形で、町の人達を楽しませられたと思っている。君達には、そういう意味でも感謝の意を改めて伝えたいね」
「いいえ、そんな。私達こそ、あんなに楽しい想いをさせて頂いて、感謝こそすれ頭を下げられることなんてありませんよ」
慮りに満ちた言葉を交わし合うファインとカラザは、双方礼を述べ合い笑い合う。カラザの物腰はつくづく丁寧で、恐縮するばかりのクラウドやリュビアだが、綺麗に適切な言葉で対応し、自分達の気持ちを代弁してくれるファインは頼もしい。普段から人の良さがひどく際立つファインだが、だからこそ礼を重んじるべき場面では、その性分が武器にさえなる。
「それじゃあ、またいつかどこかで」
「はい! 今日は本当に、ありがとうございました!」
改めて一礼し、背を向け去っていくカラザに、子供のように大きく手を振るファイン。すっかりカラザに懐いたような素振りだが、いい人に巡り会った時のファインの無邪気さはいつもこんな感じである。それを知るサニーも、一番前でカラザへの好意を大きく表明するファインの姿を見て、つくづく微笑ましかった。
「クラウドさん、かっこよかったですよ~。なんだか本物の勇者様みたいでしたもん」
「あー、うん、そう言ってくれるのは嬉しいんだけど勘弁して? 思い出したら恥ずかしくなってくるから」
宿の一室に帰った4人は、今日の思い出を語り合う。特にファインのテンションが高い。最初は望んでいたヒロイン役を降りて残念がっていた彼女だが、終わってみれば一番楽しんでいたのはこの子だ。世の中何でも、与えられたものをすべてひっくるめて楽しめる人というのは勝ち組である。
「ねぇねぇ、クラウド、もっかい言ってみてよ。愛の力」
「やーめろ。それが恥ずかしいんだってば」
かっこよかったとファインに言ってもらえて、気恥ずかしくも満更でない顔だったクラウドだが、それを言われると羞恥が勝る。どうしたのほら言ってよ、と、にまにま詰め寄るサニーに、掌をひらひら振って顔を逸らす。流石に復唱はご勘弁。
「えー、でも素敵なシーンでしたよ? 恥ずかしがることなんてないと思いますけど」
「ファインさん、お気持ちはわかりますけど、クラウドさんの言ってたセリフ、今ここで言えます?」
ファインはああいう展開が大好きである。愛の力で悪を乗り越える的なクライマックスを発案したのも彼女であり、カラザも苦笑していたのは主にその辺りだ。そんなファイン発案のストーリーに沿って、愛の力とか叫ばされたクラウドの気持ちを知るリュビアが、念のためにファインに問いかけてみると。
「あ、あ~……確かに、今ここでやれって言われると恥ずかしいですね……」
「だろ? 俺今日それを、あんなにたくさんの客の前でやってたんだぞ」
「あははは、ほんとお疲れ様。でも、かっこよかったのは本当よ? 似合ってたわ」
「やめろって。俺あんなこと言わないから。あんなの俺じゃないから」
思い出すと恥ずかしくなるけど、サニーに心から賞賛して貰えたら、ちょっとはにかむようにしてクラウドも笑いがこぼれる。口先は羞恥心に忠実だが、やりきった上で褒めてもらえるのであれば、やっぱりそれって気持ちがいい。
「さて、お風呂入ってきましょうか。いっぱい汗かいたしね、今日は」
「サニーさん、お背中流しましょうか? 疲れたでしょう」
「え、いいの?」
「お触りはしないで下さいね?」
サニーの奔放さに振り回されることの多かったリュビアだが、お触り厳禁前提なら、こうしてご奉仕しようとしてくれるぐらいにはサニーにも懐いている。リュビアが一番好きなのは間違いなくファインだが、みんなを率先して引っ張ってくれるサニーに対する信頼も、日を追うごとに大きくなるのは必然だ。
「それじゃ、お言葉に甘えて行ってきまーす! いざ桃源郷へ!」
「ああもう、そんなこと言って。変なことしてきたら怒りますよ?」
リュビアと一緒に、宿の風呂場へ向かっていくサニー。部屋に残されたクラウドとファインだが、見送った後にクラウドも立ち上がり、うーんと背を伸ばす。
「サニー達の次はファインも風呂入るだろ? 俺、ちょっと体動かしてくるよ。なまると良くないからな」
「今日もあれだけ体動かしてきたのにですか?」
「な~んか体硬かったんだよ、今日。最近あんまり動いてないせいかなって思う」
舞台上でサニーを相手に、常人なら目を瞠るような模擬戦を見せていたクラウドだが、彼の中ではいまいち納得のいく体の動きではなかったらしい。確かにここ数日間、クライメントシティに辿り着くまでの旅路、体を使うシチュエーションも少なかったし、それは密かにクラウドも気にしていたようだ。何をするにも体が資本、そう考えるクラウドにとって、体がなまるのは嫌な話である。
「宿の裏でひと汗かいてくるよ。適当な時間になったら帰ってくる」
「わかりました。サニー達にも、そう伝えておきますね」
そう言って部屋を出て行ったクラウドにより、ファインが部屋に残される形になる。4人で寝泊まりできる充分な広さを持つ一室、小柄なファインがぽつりと座る光景は、部屋を余計に広く感じさせるものだ。
「…………」
暇だ。一人で何しよう。とりあえず布団を引いて、その上でごろごろくつろぐのもいいし、飲み物でも買ってきてゆっくり休んでもいい。ぺたんと背中から寝転がり、天井見つめてぼーっとするファイン。思えば最近、常に誰かがそばにいてくれることが多かったし、一人での時間の潰し方をちょっと忘れかけている。
ふと、何かを閃いたファインが、体を起こして立ち上がる。いそいそと部屋の出口に近付き、扉を開いてきょろきょろ。近くには誰もいない。クラウドも宿の外に出て行ったようで、しばらく誰もこの部屋に帰って来る気配はなさそうだ。
んふ、と小さく笑ったファインが、部屋の中心に立つ。そして唐突に自分の胸に手を当て、壁に向かって少しだけ体を前に傾ける。
「――誰かを守ろうとする時にこそ、本当の力は宿るんです! 聖女様を助けるため、リュビアさんを守るために、私は戦ってきました! それが、聖女様の教えてくれた、愛の力ですっ!」
一人で、クラウドが演じていた内容を物真似。あるいは、自分が主役だったふうに演じて、客のいない空間で主人公ごっこ。しぃんと静まり返る室内だが、無性にファインは満足げ。ああ、やっぱりいいセリフだなぁ、と。一人でやっても少し恥ずかしいけど、こんなセリフが言えるんだったら、主役やりたいって言ってみてもよかったかなぁ、とか考えてる。
「ふふ、名乗るならそうですね……あなたから、愛を奪う者とでも名乗りましょうか」
ふぅと一息ついた後、今度は魔王カラザの真似。片膝ついて、目の前に聖女様がいるイメージを作って、低い声を作ってみて悪役ごっこである。あの時のカラザさん、雰囲気出ててよかったなぁなんて思い返して、ちょっとやってみたくなったらしい。
「うんうん……! 悪役も、なんだかかっこいい!」
一人でハイテンション、人に見せられないはっちゃけぶりで、ファインは肩をぱたぱたさせている。いよいよ楽しくなってきたのか、次々舞台上の色んな役、自分がやらなかった役の数々を真似っこだ。
「落ち着いて下さい、クラウドさん……! 聖女様も言ってたはずです……! 憎しみは、何も生み出さないって……!」
口調は自分風にアレンジして、台本上でファインの名を語る場面は"聖女様"に置き換えて、ヒロインだったリュビアのセリフをなぞる。前に立つクラウドの背中にすがりつくようなポーズも作っている辺り、随分この遊びにのめり込んでいる。
「クラウドさん、頑張って……! いつものあなただったら、そんな人に負けないはずです!」
ああ、とっても楽しい。誰にも見られていない一人遊び、恥ずかしいセリフも言いたい放題だ。別にヒロイン役にまだ未練があるわけじゃないが、クラウドの名を呼び鼓舞する役を一人で演じているだけで、何だか無性に楽しい。ヒロインの真似事をする時間が、他の役をやるよりもいくらか長い。
ファインは気付いているのだろうか。ハイテンションで一人遊びするこの部屋の扉に、今まさに近付いている人物がいたことに。サニーもリュビアさんとなら長風呂だろうし、まだまだ時間はあるだろうと自重しないファインの目の前、向こう側からドアノブに手をかけた誰かさんがいる。
「手甲、忘れ……」
「あの方の邪魔はさせません! どうしてもと言うなら、私を打ち倒していくことです!」
ドアに向き合い、ばっと手を振り、対峙する勇者めがけて言い放つサニーを演じたファイン。ドアを開いた瞬間に、そんなファインの姿を真正面に見てしまったクラウドは、発しかけていた言葉も途中で止まって硬直する。
やばい沈黙が流れた。ドアノブに手をかけたまま絶句するクラウドと、振り抜いた手と胸を張った体をそのままに固まるファイン。体を動かすついでに、買ったばかりの手甲を手に馴染ませようと、忘れ物を取りに来ただけだというのに、なんちゅうものを見てしまったものだろう。
ぽぽぽぽとファインの頭から煙が沸き出始めた。瞬時に顔を真っ赤に染め、それでもファインは動けない。どうしたらいいのかなんて、今の頭でわかるわけがない。
「……あの、なんかごめん」
気まずさ全開でクラウドが声を発した瞬間、ようやく完全停止していた時が動き出す。よろりと後ろにぐらついたファインが、そのまま腰砕けに尻餅つくと同時に身を転がし、近くに置いてあった枕に顔をうずめてしまった。丸いお尻をクラウドに向け、そんなはしたない格好を晒してしまうのも厭わないほど、今の彼女は誰とも顔を合わせられない。
「ふぁ、ファイン……? その、誰にも言わないから……」
「~~~~~~~~っ!!」
枕に顔をうずめて足をばたばたさせ、悶絶するように壁まで転がると、部屋の隅で小さくなってしまうファイン。顔をうずめた枕を抱きしめ、クラウドが何を言っても声になっていない悲鳴を上げ、忘れて下さいお願いしますと首を振るばっかりだ。
後から帰ってきたサニーとリュビアも、部屋の隅で芋虫になったファインをあやすクラウドを見たら、何があったんだろうと気にするものである。誰にも言わないから、と言った手前とて、何があったんですかと心配するように尋ねてくるリュビアには、結局クラウドも説明しないわけにもいかず。
こうしてまた、ファインの黒歴史が一つ増えたのだった。苦笑するサニーやリュビア、気まずく頭をかくクラウドの手前、ファインは溶けて無くなりたい想いでいっぱいだった。




