第68話 ~リュビアさん頑張りましょう~
「あ、あの~、カラザさん……?」
「うん?」
「街角演劇、じゃなかったんですか?」
「そうだが」
いや、イメージと違う。街の一角で人形劇をしていたカラザが、街角演劇をしようって持ちかけてきたし、同じようにどこか道端で、簡単な脚本を演じるだけだと思っていたのに。
クライメントシティの公園の端には、旅芸人が芸を披露するのに適したステージが、吹きさらしで置いてある。普段はそれも単なる高台として、子供達の遊び場に使われているものだ。カラザが選んだ舞台はそこであり、子供達が走っても大丈夫なような、大人の腰ほどまでの高さの広い高台が、今回のステージとされた。劇場のステージから設備や壁、天井を取っ払った低いステージみたいなもので、見世物をするぶんには気軽に使えるものだと思う。
ステージの両端には、急造柱にひっかけた暗幕で包まれた域があり、これが上手と下手の舞台端。お客さんには見えない角度で演者がスタンバイする位置であり、ファイン達もここにいる。舞台の裏側には大きな仕切りが立てられており、その裏側を通れば、客の目に触れずに上手と下手の舞台裏を行き来できるようになっているし、青空舞台にしてはよく出来たものである。その完成度も、ファイン達が来る前に一人でこれだけのものを作り上げたカラザの熱意も、それはそれで結構なのだけど。
「す、すごいいっぱいお客さんいる……なんで……?」
「カラザさん、宣伝しました?」
「やったよ。午後からここでやるから、昼食時の皆様はどうぞってね」
がやがやと開幕を楽しみにする客の声が、ファイン達に聞こえてくるぐらい、ギャラリーいっぱい公園にいっぱい。どうやらやると決まってから、カラザが随分触れ回ったようだ。ここは地人区画、天人優遇の華やかな娯楽施設になんか行けない人々が、無料の見世物を求めて大集合である。何より今日は安息日、仕事休みで子供連れの親子にとっては特に、休日に降って沸いたこのイベントは魅力的だ。
「リュビアさん、じゃがいも、じゃがいも。あれは全部じゃがいもだから、気にしないで」
「だだだだ大豊作ですね……じゃがいも畑……」
人前に立つのが緊張する人には、ギャラリーをカボチャかジャガイモだとでも思えという常套句がある。しかし、無数の観客の存在を脳内に刻んでしまったリュビアには、上手くそう思えないようだ。始まる前から緊張の余り、生まれたての小鹿のようにぷるぷる震えるリュビアの背中を、ずっとサニーがさすっている。大丈夫ですかヒロインさん。
「あー、緊張する。主役なんかやれんのかな、俺」
「動きづらい……つまづいたりしないかな……」
緊張するとは口にするが、言って自覚し体を伸ばしたりしている辺り、クラウドは大丈夫そうだ。元より闘技場で多数の観客の前、歓声浴びつつも堂々としていた彼だから、衆目に対して耐性はある方だ。
一方ファインは、彼女だけ普段と違う服装。聖女様の役目を預かる身、安物だが真っ白なドレスを着込んで、ちょっと特別な存在である登場人物の姿になっている。カラザが用意してくれたものらしい。
「それじゃあ、3人はあちらの舞台裏に移ってくれ。合図をくれたら、私が開演の挨拶に向かおう」
「はい、よろしくお願いします」
「行きましょう、リュビアさ……だ、大丈夫です?」
「ななな何とか……歩けますし……」
関節が錆びてるのかというぐらい、かちんこちんのリュビアを、ファインが手を引いて導いていく。見送るサニーも心配だ。まさか無いと思うが、緊張のあまり舞台上で吐いたりしやしないかと。
約1分。短い距離をやたら時間かけたものだが、上手側の舞台裏にファイン達が到着。カラザも遠目でそれを確認。クラウドが頭の上に両手で輪を作れば、それが準備完了の合図だ。ファインに背中をさすられる、顔色悪くしたリュビアの姿が見えて心配になるが、ここまで来たらやるしかない。
「それでは、行こうか。いい思い出作りになることを祈るよ」
「はい。お世話になりますね」
肝の太いサニーは緊張を顔に出さず、しかし掌を結んで開いてして、汗ばむ自分の緊張をほぐしている。集まる観衆の前に、カラザが姿を現していく背中を、サニーも深呼吸しながら見送っていた。
「――時は天界歴、千年余り。泰平の世が訪れしこの世にも、かすかな混沌の名残は残っている。それはそう、時に人の心に宿る野心であったり、それを唆す悪意であったり。そうして生じた世界の歪は、往々にして人の世を乱し、悲しみと痛みを世界にもたらすことがある」
流石に役者慣れしたカラザ。よく通る声色と声量で、ナレーションを読み上げる。舞台の真ん中で黒い正装にシルクハット、付け髭を携えた今のカラザを、あの名優カラザだとは客の誰も思っていまい。野良芸人にしては随分上手い語りだなぁ、ぐらいの印象だろう。
「だが、悪意や憎しみよりも、ひどく儚く人の心を傷つける、美しくも罪深い感情が世の中にはある。"愛"と呼ばれるその想いがもたらした悲劇は、目を背けたくなるほどに痛々しく、しかし輝かしい。これより演じまするは、ひとかけらの愛が生み出した奇跡と、愛を見失った悲しき男の物語。――それでは、お楽しみ下さいませ」
ご挨拶を済ませて一礼するカラザの行動が、舞台の開幕を意味すれば、乗りのいい観客数人が拍手を送ってくれる。拍手に見送られて舞台裏にゆっくりと去っていくカラザ。さて、観客の視野に入らないエリアに入ってからが、カラザの本領発揮タイムである。
「さて、ちょっと向こうを向いておいてくれるかな」
サニーにそう言い、大急ぎで着替え始めるカラザ。今回の舞台、登場人物は主人公、ヒロイン、聖女、魔王の配下、魔王、その他いっぱい。その他いっぱいのエキストラは、全部カラザで回すのだ。客の視界外に姿を消すたび、カラザは衣装と化粧を変えて、何度も舞台に上がる心積もりである。
「クラウド、カラザさん準備オッケー……! 進めて……!」
「わかった……!」
声を発さず口パクしつつ、反対側の舞台裏にジェスチャーでそう伝えるサニーを見受け、クラウドが舞台上に進んでいく。リュビアの手を引いてだ。手を繋いだりなんかせず、二人並んで登場する予定だったのだが、あまりに彼女の動きが固いので、クラウドがリードせざるを得ず。
さて本編開始である。舞台に上がり、多数の衆目に晒された瞬間、だくっと滝のような汗を流すリュビア。舞台裏からリュビアを見守るファインも、はらはらして気が気でない。
「な、なあ、リュビア。今日も晴れててよかったな」
「…………」
無言。そうねと一言言えれば最低限なのだが、それも出来ずに硬直したリュビアがいる。開始早々事故めいた展開だが、これぐらい達人カラザは折り込み済み。こういう時はどうするかぐらい取り決めがあって、カラザはすでに舞台裏、客からは見えずリュビアからは見える位置で、大きな模造紙を持っている。
「ほ、ほら……あの洗濯物も、綺麗に乾きそうだよな?」
「っ……そ、そうね……いい天気でよかった……」
クラウドが指差した先には、客から見えない位置のカラザがいる。"そうね"の文字が書かれた模造紙を持つカラザが、相槌を打つ場面だとリュビアに伝えたのだ。ひとまずそれさえ見れば、リュビアもやるべきことを思い出して、声を発することが出来た。
第一声さえ発すれば、張り詰めたものもいくらか一緒に、口から出て行ってくれるものだ。ここから話を動かして、演者も舞台上の世界に引き込めばいい。先ほどのシルクハット含みの正装から、農夫のような服装に着替えたカラザが、小さな猫のぬいぐるみを抱いて舞台上に上がってくる。
「まったく、こいつめ……! 何度言い聞かせてやれば……!」
農夫カラザは怒っている。そんなカラザに近付いたクラウドとリュビアが近付いて、どうしたんですかと問えば、この野良猫が大事な畑をここ最近荒らしていて、やっと捕まえたんだとカラザが説明する。猫のぬいぐるみはそういう役柄を担っているようだ。
農夫カラザは迷惑なこの猫を処分するために、村はずれの山に向かっているということらしい。処分ってつまり、殺すっていうことであり、優しいヒロイン演じるリュビアは、そんなの可哀想ですよと訴える。不慣れな演技で声が少し上ずっていたが、発することさえ出来ればそれでよし。話はとりあえず進行できる。
「わ、私が飼います……! その子を貸して下さい……!」
「むぅ、そこまで言うなら……だが、しっかりしつけろよ? そいつがまたうちの畑を荒らすようだったら、今度こそ処分させて貰うからな」
リュビアに猫のぬいぐるみを押し付けて、農夫カラザは舞台裏へと去っていく。舞台上に残されたクラウドとリュビアは、カラザがいなくなった状態で、再び演技を進行しなくてはならない。
「お前、また行き当たりばったりな……」
「だ、だって……可哀想だったんだもん……」
「はぁ……聖女ファイン様のところにでも相談に行くか。あの人、動物の飼い方とかにも詳しいしな」
優しさ高じて思いつくまま、猫を飼うことを決意した幼馴染リュビアに、またこうだよと呆れるような主人公を演じるクラウド。上手に筋書きどおりにやっているものだ。リュビアもセリフを発するたび、徐々に口が回るようになってきている。そうなっていくように、序盤はリュビアのセリフを敢えて多めに設けている構成だ。
一度下手側の方へと歩いて行ったクラウド達が、程なくして上手側に歩き出せば、既に舞台上に上がったファインが待っている。場面転換、聖女様の待つ場所へ、クラウド達が移ったという展開だ。
「あら、クラウドさ……君、リュビアちゃん。どうしましたか?」
「こいつ、処分されそうだった猫が可哀想だって、飼いたいって言い出したんですよ」
「あらあら……」
第一声、ちょっと普段の呼び方が漏れそうになったが、それ以外は上手に演じるファイン。普段どおりの話し方で、おしやかな聖女様の語り口を自然に表現できるファインは、覚えたセリフを緊張せずに言えればそれだけでいい。事情を聞き及んだ聖女様を演じるファインは、リュビアから猫(のぬいぐるみ)を受け取って優しく抱く。
「私はリュビアちゃんの考え方、素敵なことだと思いますよ。この子も愛をもって接してあげれば、きっとリュビアちゃんに懐いてくれるはずです」
「そうかなぁ。こいつ、がさつなとこあるし」
「う、うるさいわねぇ、クラウド。あんただって……」
「ああ、もう、喧嘩しないの」
仲良く育ってきた少年少女らしく、気兼ねない言葉を交換するクラウドとリュビアを、ファインがなだめる。クラウドを呼び捨てにするのがぎこちないリュビアだが、それを除けば微笑ましい3人の姿。既に次の出番に備えたカラザの隣で、遠目に3人を見守るサニーも、舞台上でなければ混ざりたいと思える光景だ。
「一日だけ、私が預かりますね? リュビアちゃんは、お母さんに飼ってもいいか、ちゃんと聞いてみなさい。もしも駄目だって言われたら、その時はまた私に言って下さいね」
聖女様に猫を預ける形でお別れしたクラウド達が、上手側に立つファインに背を向け、下手側に歩いていく。やがて舞台裏に姿を消したクラウド達だが、暗幕エリアの客に見えない場所に入った瞬間、腰を抜かしたようにリュビアがへなへな座り込む。
「リュビアさん、終わってませんよ? まだ始まったばかりですよ?」
「だ、大丈夫です、わかってます……ああでも、本当に緊張して……」
ひとまず一場面お疲れ様と、サニーに肩をぽんぽん叩かれながら、へにょい笑顔を返すリュビア。今も心臓ばくばくのようだが、楽しんではくれているようだ。それを見届けたカラザは、これなら大丈夫そうだと確認して、舞台の裏側を足早に移動する。上手側の舞台裏へと、客に見えない角度でひっそり、素早く。
その頃舞台の真ん中に身を寄せて、しゃなりと座った聖女様ファインが、楽しそうに猫のぬいぐるみを撫でている。役とか演技とか抜きにして、可愛い猫のぬいぐるみを撫でるのを普通に楽しんでいる。
「……随分と、幸せそうだな」
さて、物語に転機。低く、おどろおどろしい声と共に、漆黒のローブに身を纏った男が、上手側から姿を現す。突然の不審な影の登場に、聖女ファインははっとして振り向き、猫を庇うように抱きかかえる。優しい聖女様ならこうするだろうという行動、演技指導されたままのことを、ファインはちゃんと遂行できている。
「だ、誰ですか……!?」
「ふふ、名乗るならそうだな……貴様から、愛を奪う男とでも名乗ろうか」
危ないセリフとともに、悪役カラザがファインに歩み寄る。猫を抱いたまま、体を後ろに逃がそうとするファインの前にしゃがむカラザが、ファインの目の前に掌を出す。まるで魅入らされたかのように、掌から目を逸らせないファインの前、カラザはにやりと悪意に満ちた笑いを浮かべる。この表情作りはさすが本職芸。
「すべてを忘れさせてやろう……苦しみも、悲しみも……それを生み出す、愛さえも」
開いた掌をぐっとカラザが握った瞬間、ふっと目を閉じたファインが力なく横たわる。魔王の魔力、まあ何だかよくわからないが凄い力で、意識を奪われたということらしい。猫のぬいぐるみを抱いたまま気を失ったファインを、お姫様だっこでカラザが抱え上げる。
そのまま舞台裏へと消えていくカラザ。さあ、聖女様は魔王に攫われてしまいました。達人を一人交えただけの素人演劇にしては、集まった観客も、次はどうなるんだろうと楽しんでくれていた。




