第64話 ~ファインの家族~
「ごめーんくーださいっ」
ある一軒家のドアをノック2回、日も沈んだ夜の町でサニーの大声。近所迷惑じゃないのかなと、リュビアも一瞬心配になる。
「……留守かな?」
「ファインのお婆ちゃん、あんまり足腰よくないのよ。出てくるまでちょっと時間がかか……」
ノックしてからしばらく経っても、誰かが出てくる気配がないので留守を想定したクラウド。それにサニーが返答した直後、その言葉を半ばにして、目の前の玄関の扉が、軋む音と共に向こうからゆっくり開く。
「あら……もしかしてと、思ったら……」
「お婆ちゃん!」
扉を開いて出てきた白髪の婦人は、サニーを見上げて驚いた顔をしていた。背の低いファインよりも、また一回り小さな背丈は、腰が曲がっているせいもあって非常に小さく見える。その目の前へ、一番前に立っていたサニーの後ろから、いてもたってもいられないというふうにファインが顔を出す。
「ファイン……!」
「ただいま……! 帰ってきたよ!」
曲がった腰で少し前傾姿勢のお婆ちゃん、その背筋が軽く伸びるぐらい、真正面から柔らかく抱きつくファイン。サニーにハグされるのをよく拒むファインだが、今日は彼女がハグする側だ。
「サニーちゃんも、おかえりなさい。後ろの人達は?」
「お久しぶりです。こちら、ファインの新しいお友達っ!」
まるで自分の母親に再会したかのように、顔をくしゃくしゃにしたサニーが、その手でクラウド達を示して紹介する。ども、とばかりに会釈するクラウドと、彼より少し深めにお辞儀するリュビアに、ファインの腕から解放されたお婆ちゃんが歩み寄る。
「はじめまして、フェアと申します。うちの娘が、お世話になっています」
自分達の3倍以上は生きている人が、恭しい笑顔とともに敬語を用い、深々と頭を下げてくる姿を見て、クラウド達も恐縮したものだ。同時に、ファインによく似て物腰柔らか、優しそうな人だなとも。この人があのファインを育てたという話なら、よく似たんだなとすぐに思えた。
還暦を過ぎたご高齢のフェアは、頭に巻いた三角巾と割烹着がよく似合っている。ファインならびにクラウド達に敷居をまたがせ、夕食はもう済ませてきた旨をサニーが話しても、ご飯とお味噌汁ぐらいはと客人をもてなす料理を手早く作る。これがまた美味しいもので、このお婆ちゃんに育てられたファインが料理上手なのは、間接的に納得できた気がした。
「みんな疲れただろうし、泊まっておいで。狭いところで申し訳ないけどねぇ」
で、その後当たり前のように布団を敷き始め、4人に宿を提供してくれるフェア。遠慮がちなクラウドとリュビアだったが、サニーが二人を後ろからぽんぽん叩いて、いいのいいの甘えちゃいましょうと笑う。二人よりもフェアとの付き合いがある、サニーがこう言うんだったら、甘えておいてもよさそうか。
「お婆ちゃん、布団もう一枚ない?」
「あー、そういえば3枚しかないねぇ。どうしようか」
ファインがここ暮らしだった頃は二人暮らしで、布団は予備含めて3枚あるのがこの家。多く揃えてある方だが、今この家にいるのは5人であって、布団の数がちょっと足りない。
「あ、いいですよフェアさん。私はその辺の床で寝ますから」
「俺も布団なんかいいですよ。野宿暮らし慣れてますし、屋根あるだけでも嬉しいですから」
「お二人ともそんな……私は別にいいですから……」
「リュビアさんは疲れてるでしょ。布団どうぞ」
クラウドとサニーの中ではとっくに結論が出ている。家主のフェアとファインが布団で寝るのは当然として、もう一枚の布団はリュビアのものと。慣れない長旅で疲れているはずのリュビアから、布団を奪って潜れるはずがない。二人ともそういう性格をしている。
「いいよ、いいよ。私は朝まで起きているからね」
「えっ、いやいやフェアさん、流石にそれは」
「いいんだよ。ちょっと今夜は忙しくなりそうだから」
そう言ってフェアは、ファインの服の袖をちょいちょいと引っ張る。と振り向くファインの目の前、フェアはじっとりとした目でファインを見上げている。
「こんなに服、ぼろぼろにして。縫ってあげるから脱ぎなさいな」
「えっ、あっ……い、いや、でも……」
「どうせ昔みたいに喧嘩してきたんだろう? するなとは言わないけど、こんな格好で街を歩いていたら、寄ってくるはずの男の子も寄ってこないよ?」
昔みたいに、だそうで。昔のファインってどんな子だったんだと、また気になってくるクラウド達だが、そんな彼らの顔色を見る暇もなく、ファインはしどろもどろしている。言われていることに反論できないのもあるが、みんなの前で脱げるわけもないという事情もあって。
「あー、うー……く、クラウドさん、布団使って貰えません?」
「えっ」
「私もお婆ちゃんと一緒に起きていたいですので……サニーとリュビアさん、3人で布団は使って下さい。多分、お婆ちゃんも途中で寝ると思いますので、それまでは一緒に起きていたいんです」
その提案は、みんなが寝静まった後に服を脱ぎ、それをフェアに縫って貰おうという算段込みだろう。確かにクラウドの起きている前、あるいは寝ている前で服を脱ぐのはファインもやりづらいだろうし、察したクラウドも、布団を一枚貰うことを了承したのだった。
「それじゃ、おやすみっ。フェアさん、お世話になりまーす」
「すみません、ありがとうございます」
「いいんだよ、いいんだよ。ゆっくりおやすみなさいな」
この家は、居間含む部屋3つが扉を隔てず繋がっている形で、寝室にあたる部屋に上がらせて貰ったクラウドとサニー、リュビアが布団の中に潜り込む。重ね重ねフェアにお礼を述べた後、居間と寝室の間を仕切るカーテンをサニーが閉じ、灯りを消して3人は就寝に移った。
さて、これで居間にはファインとフェアの二人だけ。服を脱いでフェアに手渡し、縫ってもらう立場のファインだが、誰も見ていないこの状況になっても、そわそわしてなかなか服に手をかけない。
「ふふ、恥ずかしいかい?」
「んん~……」
カーテン一枚の向こう側に、寝ているとはいえ男のクラウドもいるのだ。勝手知ったる我が家でも、裸になるのはちょっと落ち着かない。ちらちらとカーテンの方を見て、しばらくためらっていたようだが、やがて意を決したように服を脱ぎ始め、それをフェアに手渡す。下着一枚姿になったファインは、足早にもう一つの部屋に駆け込んで、代わりの服を取りに行った。
「旅立つ前にサニーちゃんと買った服だろう? 大事にしなきゃいけないよ」
「ごめんなさい……わかっては、いるつもりだけど……」
下着一枚にネグリジェを纏って帰ってきたファインが、しおらしく謝る姿を見て、フェアもくすっと笑う。かつては本当に反抗的で、事あるごとに自分に反発してきた頃のファインを知るお婆ちゃんからすれば、今や本当に素直な子になったものだと思うからだ。感慨深い。
「でも、ファインが喧嘩をする時は、大事な何かを守ろうとする時だよね。私は知ってるよ」
裁縫箱から針と糸を取り出したフェアが、それらを繋いでファインの服を縫い始める。小さな灯りに照らされるお婆ちゃんの表情は、元気に世界を駆け回ってきた一人娘との日の再会を、心から喜ぶ柔和さに溢れている。服をこんなにして帰ってきた我が子を見ると、親として心配もするけれど、それもある意味、自分の手を離れた子が元気にやっている証拠である。
「そうだろう?」
「……うん。私は、そのつもり」
リュビアという気の毒な少女を守るため、命懸けで戦った何日か前のことを、ファインは悔いてなどいない。そうした事情を聞かずして、荒事に臨んだファインの中にあった信念を、想像で補って肯定してくれるお婆ちゃん。ファインにとっては本当に嬉しい理解者だ。混血児だって言うだけで、何かあるたびどうせお前がやったんだろうって、ひどい言われようだった昔とは違う。自分をよく知る誰かが、言葉もなく心根の奥を知り届き、理解を表明してくれる幸せは、もしも離れていても孤独を感じずにいさせてくれる希望そのものだ。
「お婆ちゃん、半分貸して。下の裾は私が縫うから」
「ふふ、そうかい? それじゃ、任せようかな」
ファインの服の上部をフェアが手に、服の下部をファインが手にし、一枚の服を二人で手に持って、共同作業でほつれを直していく。生地を通して繋がる二人の心は、そばにいる家族の存在を確かめ合うかのように、二人の表情を温かい笑顔に満たしていた。
「おはようござい、ま……っ!?」
翌朝、一番最初に起きたのはクラウドだった。寝ぼけた頭で寝室を出て、フェアにご挨拶しようと思ったら居間に二人の姿がない。書斎というか、今はフェアの自室となっている部屋に行ったら、確かにそこにフェアはいた。ファインと一緒に眠っていた。
まあ、その姿を見てクラウドは、慌てて寝室に帰ったわけだけど。
「んむ……おふぁよ、クラウド……どーしたの?」
「……何でもない」
ばたばた早足で寝室に戻り、再び布団に潜ってしまったクラウドと、その物音に起こされた形のサニー。彼女が問いかけても、クラウドは何も答えない。布団にくるまり、まるでまだ寝てますよと言わんばかりに、亀のように動かなくなってしまった。
不思議に思いながらサニーも起き上がり、ご挨拶しようとフェアの部屋に足を踏み入れていく。ああ、なるほどとサニーも納得した。クラウドが顔真っ赤にして帰ってくるはずだって。
ソファーに座って寝息立てるフェアに膝枕されて、ファインもすやすや眠っていた。下着一枚の上にネグリジェを纏っただけのファイン、肌すっけすけ。こんな無防備な彼女を見てしまったら、クラウドがあんな感じで帰ってくるのも納得というものだ。
その少し後、目覚めたファインは縫って貰った服に袖を通し、何も知らない顔で起きてきた。ファインがおはようございますと言えば、今起きたばかりというふうに演技しているクラウド。サニーは笑いをこらえるのが大変だった。




