第62話 ~ファインの黒歴史~
大陸いちの大都市、クライメントシティの周囲には、いくつかの町村が散開している。大きな街のそばには、大小さまざまな人里が集まっているものだ。たとえば首都とて、それ単体でその大きさを維持していくのは難しく、それをそばで崇める存在あってこそ権威も成り立つ。限られた土地では産業にもどうしたって限界があるし、懇意または傘下に置く人里の協力あってこそ、様々なものがよく回る。輸送も、産業も、商売もだ。外界と繋がる人の動線がしっかりしていないと、世間に認められる真の都にはならず、図体だけ大きくても所詮は村社会止まりである。
まだまだクライメントシティまでは距離があるが、近づくにつれて道中いくつも、大小の村に巡り会う機会が増えるのはそのせいだ。ファイン達も、旅慣れしていないリュビアには、あまり野良小屋泊まりを強いたくないというのが本音で、これはいい傾向。雨露しのげる野良小屋は旅人には助かるものだが、やっぱりどうしたって清潔感には欠けるし、人里で宿に泊まった方がリュビアのためにもいい。
「ここまで来たわね~。ここからなら、一日ごとに村か町を移っていけるから、宿には不自由しないわ」
「でも、あまり宿を借りるとお金がかかりませんか?」
「お金の心配なんてしなくていいのいいの。まーだまだ余裕あるから」
日が暮れるまではなるべく北の目的地、クライメントシティまでの距離を稼ぐ足を進め、適度な所で宿を確保してお休み。宿の一室で体を休める4人は、いつものように、寝るまでの時間をお喋りして過ごしていた。
ファインもサニーも財布の中身を周りに見せたことが無いが、けっこう入っているらしい。元より長く、ファインの母に会うための旅を続けてきたのだから、金策と節制術には秀でているのだが。
「そういえばさ、ファインやサニーの持ってるお金ってどうやって稼いだものなんだ?」
クラウドは旅人にしてはお金持ちだ。それはファイン達の旅に同行し始める前、長らく働いていた時の貯えがあるし、少し前に闘技場でたんまり稼いできたから。一方で、ファイン達の財源がどうなっているのかは、クラウドも少し気になったので尋ねてみる。
「私達はクライメントシティを出発する前、1年ぐらい日雇い仕事を続けてましたから。その時の貯金がけっこう大きいかな」
「旅の中ではちょくちょく商人様のお手伝いや、護送に付き添ったりしてお小遣い貰ってたわね」
護送とは。まあ確かに、ファインもサニーもその気になれば、そんじょそこらの悪者を撃退できそうなだけの実力派ではあるけど。その可愛らしい風体で、二人揃ってガードマンめいた仕事をやっていたというのは、人は見かけによらぬの凡例と言える。
「クラウドも傭兵稼業やったことあるんでしょ? あれ、リスクはあるけど儲けはいいわよね」
「天人地人の差別が少ないし、傭兵を雇おうとする商人様はだいたい金持ちだから、金払いもいいしな」
「雇い主様が天人様だと、交渉の腕の見せ所よね。天人様はお金持ちだけど、地人に対して給料ケチるから」
「俺は口下手だったから給料は安かったなぁ。その日暮らしが出来るだけの額はあったから、当時はそれでもいいやって思ってたけど」
クラウドはともかく、見た目にはまだ垢抜けなさも残るサニーまでもが、俗な上に生臭い話を軽い口で語る。平穏な環境で生きてきたリュビアには、この人達って本当に私の年下なんだろうかと思えてしまう光景だ。ちら、と近くのファインを見るリュビアだが、私の顔に何かついてます? とばかりに首をかしげるファインを見ると、なおさら。元気っ子のサニーが荒事にも対応できる姿はまだ想像できるが、幼顔で清純を絵に描いたようなファインが、傭兵めいた仕事で路銀を稼いでいた姿なんて、改めて想像しにくいものである。
「商人様の護送って、悪い人達から商人様を守るお仕事ですよね……怖くはなかったんですか?」
「逆かなー。護送してると、ならず者来い来いって気分になるわよ。難事があって、それを凌いだ実績見せられたら、給料上乗せされるんだもん」
「不謹慎ではあるけど、自信があったら山賊野盗、野良狼の襲撃待ってます的なとこ、傭兵にはあるよな」
何事もなく商人の護送を済ませただけでも給金は貰えるが、道中で非常事態が発生した際、それを切り抜け商人様が危機を免れさせる形に出来れば、そのぶんボーナスが出る風潮は確かにある。だから極論、どんな危機も切り抜けられる腕があるんだったら、いっそむしろ何か緊急事態あった方が、撃退ボーナスあるから美味しく儲かるのである。クラウドの言うとおり、発想は不謹慎だが。
何せ、天界の上級魔術師を一対一で圧倒するサニー、名高い闘技場で最強と呼ばれた男といい勝負をするクラウド、近代天地大戦で英雄と呼ばれた元勇者と空中戦で渡り合うファインだ。そんじょそこらの無法者に襲撃を受けたところで、束になってかかられても負けない実力者である。つくづく、戦いや荒事とは無縁の世界で生きてきたリュビアにとっては、年下の少年少女だとは思えない。
「……あの、リュビアさん? さっきから、その……」
「へっ? あっ、いや、特には何も……」
そんなことばかり考えているもんだから、リュビアは何度もファインをちらちら見てしまっている。言ってはなんだが、リュビアはファインを見る目が、他の誰を見る目とも違う。攫われた暗い箱に閉じ込められていた自分を救い出してくれた恩人で、その後もずっとそばにいてくれて、優しくて、料理もやたら上手で、いよいよ無法者達の急襲を受けた際も逃げ道を作ってくれて、激しい戦いの末に傷だらけで、しかし笑顔で手を差し伸べて、もう大丈夫ですよと言ってくれて。多分、もしもファインが男だったら惚れている。
「わかんないでもないけどさ~、リュビアさん? その目を見てると、あなたが私をどんなふうに見てるかもわかってきた気がするなぁ」
「ええっ!? い、いや、あのっ、そんなつもりじゃ……!」
だから、護送だとか傭兵だとかいう仕事の経験があるファイン、という話を聞くと、この人がそんなことをしていたようには見えない、と、ちらちら見てしまうのだ。でも、サニーのことはそんなふうに見たりしない。なぜってリュビア、サニーはそういう仕事をしていても(まだ)不自然ないと、無意識下で考えているからだ。実際、この図星の反応はそれを物語っている。
「私ももうちょい、女子力気にした方がいいのかもしれないわねぇ。こんな話題に弾んで乗るのは、女の子らしいかって言われたらそうでないんだろうし」
「それはそれでサニーらしくていいと思うけど。そう見られるのが嫌だったら俺も謝るけどさ」
「んふ、ありがとクラウド。別にリュビアさんも、思うまま私を評してくれていいのよ? 私にどういう印象を抱いても、それはあなたの自由なんだからさ」
サニーは、ファインと自分が対極に見られやすいことをよく知っているから、ああいうリュビアの目の動きとその奥の感情には、目ざとく気付いてしまう。その上で、他人が自分に対してどういう印象を持ってもそれはその人の自由、とするから、特に気にしてない顔でリュビアに笑いかけるのみ。相も変わらず、こんな屈託のない笑顔を返されては、慌てていた自分が杞憂な気遣いをした気がして、リュビアも少し恥ずかしくなってくる。
「でもさ、二人は知らないでしょうけど、ファインも結構きついとこあるのよ? ファインがこんなふうにおとなしくなったのって最近のことで、昔はかなり尖ってたんだから」
へぇ、と興味を示す顔のクラウド。そうなんですか? と目を丸くしてファインを見るリュビア。そして、急に目が覚めたようなような顔で勢いよくサニーに振り向くファイン。直後、崩した正座で座っていたファインが、四つん這いで素早くサニーに詰め寄る。
「あの、ちょっと、サニー」
「いーじゃん、別に話したって。今となってはいい思い出でしょ」
「尖ってたファインって想像つかないなぁ。どんなだったんだ?」
「それがさ……むぐっ?」
面白そうな話なので、クラウドが軽い気持ちで話を広げようとする。しかし、嬉々として続きを話そうとしたサニーの口を、ファインが前から両手で塞いだ。穏やかな彼女のことだから乱暴に押さえつける力はないが、それ以上はやめてと行動で強く主張している。
「ぷは、いいでしょ別に。今はあなたも変わったし、思い出話に過ぎないんだからさ」
「そうだけどさぁ……わざわざ話すような事でもないでしょ」
サニーがぽんぽんファインの手を叩けば、簡単に口を解放してくれたが、ファインの表情の嫌そうなこと嫌そうなこと。ちょっとした好奇心で今の話を広げようとしていたクラウドも、このファインの顔色を見たら、よっぽど思い出したくない過去があるんだろうなとすぐわかる。
「二人とも、気になるでしょ? 今とは違う、ファインの過去」
「……まあ、気になるっちゃ気になるけど」
「聞いてみたい気持ちはありますけど……」
「あーもうサニーずるい! 多数決にしようとしてる!」
サニーの策略を論破しようとしてまで、過去を語られる流れを断とうとするファインの焦りが、逆にクラウドとリュビアの好奇心を刺激する。この態度を見るに、あんまりファイン本人の前で聞かない方がいい話なんだろうけど、知りたいという想いはかえって強まってきてしまう。
クラウドもリュビアも優しいから、気にはなってもファインが嫌がるなら、これ以上はあんまり聞かないようにしようと、そういう返事をサニーにしている。でも、気になる想いは顔に書いてある。でも、かえってそれを見てしまったら、お人好しの"今の"ファインは、秘密にするのも悪い気がして、諦めたかのように溜め息つく。サニーが意図して完成させた空気ではないが、押すより引いた方がファインには効くようだ。北風と太陽。
「……不良だったんですよ~。私にもそういう頃があったんですっ」
白状したファインが遠い目で深い息をつく。サニーは笑っているが、ファインがその昔、不良と形容できる女の子だったことなんて、最近のファインしか知らないクラウド達にとっては新鮮な響き。
「ほら、"狭間"の子って差別受けるじゃない? ファインもそうで、ちっちゃい頃から長いこと、そういう目に遭わされてきててさ。初めて私が会った時なんか、そりゃあもう荒んでたんだから」
「あ~。まあ、それを聞いたら半分納得だけど……」
半分はわかる。生まれの血だけで周りから冷たく接されて育ってきた子が、そう簡単に品行方正に成長するのは難しいだろう。ましてファインの故郷クライメントシティは、大陸いちの都であって、つまり天人様の支配力が殊更強い場所。天人びいきも他より如実なそんな地で、地人よりもさらに悪い扱いを受けていた幼少のファインを想像すると、少々ねじれて育っていた時期があるというのは、まあわかる。
ただ、そういう頃のファインを想像できないのがもう半分。確かに戦闘時は、そんじょそこらの男にも負けない意志力を見せるファインだが、日頃の彼女なんて泣き虫で、どこか抜けてて、何より人に対してお人好し過ぎるぐらい。出会った頃からファインに優しくされっぱなしのリュビアなんて特に、荒んだ頃の彼女の姿なんて、想像力の外の外である。
「……全然想像できない」
「目つきからして凄かったわよ。10歳そこらで大人もびびらせるような目……」
「やめて、本当にやめてっ……! クラウドさんもお願いですから、あんまり掘り返さないで……!」
今度は乱暴にサニーの口を塞ぎにいってまで、話の続きをさせたがらないファイン。哀願するような目でクラウドに振り返るファインからも、これ以上は深く掘らない方がいい話のようだ。もっとも、そんな目で見られると、余計にこの子が昔はそんな不良だったのが想像できなくなるが。
「わかった、わかったわよ、ごめんって。もうやめるから」
「……別に話してもいいけど、私の前で話すのはやめてね。思い出すたび、恥ずかしくて消えたくなるから」
「わかったってば。あんまり拗ねた顔してると皺が増えるわよ?」
くすくす笑うサニーと、じっとりした目でサニーを見つめるファイン。傍からそんなファインの拗ね顔を見るクラウド達をして、これが昔不良だった女の子の顔とは思えない。昔は尖ってたっていうのなら、こうして怒った時ぐらい、丸くなる前の鋭さが目に戻ったりするものじゃないのかって。童顔で、怒っても人を怖がらせようもないファインの顔つきを見ていると、サニーの話から真実味すら欠けてくるというものだ。
でも、サニーが言っててファインも否定しないんだから、昔はそういうファインもあったのだろう。だとしたらそれはそれで、そんな子がどんな過程を経て、こんなおとなしい子になったのかが気になるものである。




