第56話 ~3対1~
魔術は便利な力だ。離れた相手も攻撃できるし、強力な物理的攻撃に対する強固な守りも叶えられる。戦場においては並ならぬ影響力を、わかりやすく擁した力だろう。白兵戦にいかに秀でていようとも、敵に接近することも出来なければ傷をつけることも出来ず、攻め手に押されて追い詰められていくだけ。魔術を駆使するオラージュに近寄れず、勝ち筋を見つけられなかったサニーのように。
魔術という力がある現実の中、白兵戦の実力で名を馳せようと思えば、相当な力量を持ち合わせていなければならない。それこそ遠近いずれもの攻防に優れる魔術師、その攻めをくぐり守りを破って、敵に得物を届かせて撃破するほどの実力があってこそというものだ。オラージュの柔軟な魔術の間隙を走破し、ついにはその拳で撃退してみせたクラウドのように。
だからファインもサニーも、風のように迫るニンバスに、牽制の魔術ひとつさえ放たなかった。それが功を為さず、隙だけ見せる無駄撃ちになったら、取り返しのつかない致命傷に繋がるからだ。その結果、ニンバスがファイン達めがけて、障害物いっさい無しの超速度で迫る形になる。
ファインよりも三歩ぶん前に素早く出たサニーが、真っ向からニンバスの側頭部めがけて蹴りを放つ。歴戦の元英雄ニンバスは、容易に体を沈めてその一撃を回避。駆け抜けざまにサニーに向かわせる、瞬迅の剣の一振りは、あらかじめ反撃を予感していたサニーが、回し蹴りを放つと同時に跳躍していた行動によって空を切る。
止まらぬニンバスの目の前に立ちはだかるファインは、頭上から両手を地面に向けて振り下ろす行動とともに魔術を発動。火の魔術、ニンバスが駆け抜ける一点から爆炎の火柱を生じさせる魔術の発動と同時、地を蹴ったファインは上空高くへ。折れるような走行軌道を止まらず叶え、大きな火柱を容易に回避したニンバスが、ファインに剣を向かわせた瞬間には、あわやのところで上空へ逃れた彼女の下を、剣が通過する結果になる。
二人の少女が散ることで、後方に守るべき対象としてあったはずのクラウドへの道が、ニンバスに明け渡される形になる。それで元より。二つの寄り道、特にファインへの攻撃を空振った直後のニンバスに対し、クラウドが一気に急接近する速度は脅威的。ファインから目を切り、次なる標的に目を向けていた瞬間には、既に射程範囲内にニンバスを捉えたクラウドがいる。
単調に見えて大きな的めがけて放つ、ニンバスの胸元へのクラウドの右拳。接近速度に加えて規格外の腕力、二つが相乗された亜音速の拳を、ニンバスも素早い身のひねりで回避する。さらには同時に突き出す剣の一突きで、クラウドの右脇を刺し貫こうとする動きを両立。拳を振り抜ききりもしないうちから差し迫る、ニンバスのカウンターはあまりにも速い。
瞬時にニンバスから離れる方向に跳ぶと同時、距離を僅かにでも稼いだクラウドが、外側から来るニンバスの剣先を、左の手甲を盾にして受ける。たった一瞬で攻防一回ずつが交錯する、刹那の戦いだ。さらに、自ら跳んだ勢いと、突きに押される勢いでニンバスから離れるクラウドだが、一蹴りでそれに追いつき迫ろとするニンバスが速過ぎる。地に足着くより早く、敵が一気に急接近してくる光景は、クラウドですら危機感で背筋が凍りそうになる。
「させませんっ……!」
クラウドの窮地を、翼を背負って空に舞うファインは見逃していない。逆さまの空中姿勢、頭を下にしてでも地上を見据えたファインによる魔力が生じさせるのは、クラウドとニンバスの中点地表で爆裂する火柱。眼前に立ちはだかったそれに突っ込む寸前、ニンバスはぎりぎりの所で横っ飛びに回避する。ニンバスの一歩の遅れの間にも、建物の壁に向けて高速で押し出されていたクラウドは、そのまま両足で壁に着地し、蹴って低い軌道で近くの地表に降り立つ。着地寸前、くるりと体を回して足を下にして、ニンバスを向き直る形に重心を沈めるクラウドの身のこなしへ、即時ニンバスが差し迫る速度も凄まじい。一難去っても気を抜く暇がない。
横入りする形で弾丸のように迫るサニーが、ニンバスの側面から額を前に出して猛突進。動く標的に的確に直進する、スナイパーの凶弾の如きサニーへと、ニンバスは地を蹴って跳躍すると同時に反撃の刃を振るう。リーチの長いフランベルジュの一閃は、敵を射程距離に入れる直前のサニーに、身を沈めて回避することを強要する。彼女の首を断つはずだった剣は回避されたが、跳躍してクラウド上空を飛翔していくニンバスに、サニーの攻撃は届けようがない。しかし、クラウドへの追撃を遮断させたことは成功。
サニー達を地上後方に位置したニンバスは、剣を握る手の指、人差し指と中指を後方へ向ける。その瞬間、詠唱もなくニンバスの指先から放たれる電撃は、数本の稲妻のように指先から拡散する軌道で、クラウドとサニーが立つ地上へと降り注ぐ。光る電撃、不規則に折れる軌道、錯綜する雷音。あらゆるノイズが瞬時にクラウドとサニーを惑わし、なんとか回避しようと地を蹴る二人の体を、その稲妻の一部が逃さず貫く。左脚を撃たれたサニーが小さな悲鳴とともにその場で片膝立ちになり、肩口を撃たれたクラウドは、鋭いうめき声とともに後方に倒れそうになる。電撃による強い衝撃は、クラウドも一瞬気を失う寸前だった。
そしてニンバスが飛翔し、迫る対象とは。空を舞いながらもクラウド達から離れず、低空の位置取りを保っていたファインへ、弧を描く滑空軌道でニンバスが急速接近する。見上げてそれを目にしたサニーにとっては、それこそ血の気が引いた光景。接近戦の心得のないファイン、空中戦における迫撃を得意とするニンバス、ファインの懐にニンバスが到達したら終わりだ。
「地術、爆炎砲撃……!」
自らの側面、僅か上方から迫るニンバスに体を向け、両掌を前に出したファイン。魔術の名を唱えた瞬間、彼女の掌から放たれた炎は、夜の街をまぶしいほどに照らした。小柄とはいえ人なりの大きさを持つはずのファイン、そんな彼女が小さく見えるほど、彼女が放った火炎の砲撃は巨大。象も呑み込めそうなほどの太さを持つ凄まじい火術には、遠目にそれを見たクラウドもぎょっとしたものだ。
滑空軌道を上方へと勢いよく曲げ、ファインの巨大な砲撃軌道から逃れたニンバスは、火炎に足先をかすめて上空へ。そして自らの火術の反動で、後方へと急加速度を得て吹っ飛ぶファインは、そのまま低角度で地上へと向かう形。地面に背中から叩きつけられる瞬間、水の魔力を背に纏って緩衝し、さらには風の魔力で身を跳ねさせ、ワンバウンドしたのち足を下にして立つファイン。靴の裏で地表を擦りながら、慣性任せに後退しながらも、見上げる彼女は上空の標的を見逃さない。そしてファインの練り上げた魔力は、それを狙撃するためのもの。
「天魔、雷迅帰航!」
自らの真上にニンバスが位置することを見据え、最速で選んだファインの魔術。両手を広げた彼女を発射点とし、上方まっすぐに伸びる極太の雷撃は、一瞬で天高くまで届かんほどの輝く柱を作り出す。あらゆる対象を黒焦げにする、特大の雷撃の柱から身を翻して逃れるニンバスだが、遅れて彼女周囲の地面から放たれる無数の稲妻は、多種多様のジグザグ軌道で上天へと駆け、ニンバス在りし空域を無数駆け抜ける。素早い身のこなしでそれらも回避するニンバスだが、稲妻の一筋が右の翼を撃ち抜いた瞬間には、彼の全身まで伝道する電撃が、天駆ける元英雄の体をぐらつかせる。
されど片目を僅かに細くしただけ、表情を大きく揺るがすこともなく、ニンバスは離れたファインへ剣先を向ける。次の瞬間、曲がった剣身の先端から発射される無数の光が、波打つような軌道でファインとその周囲に降り注ぐ。まるで波形のレーザーの如く、極めて読みにくい軌道で素早くファインへと迫るそれらは、地を蹴り身を逃がしたファインを逃がさず、その一本がファインの二の腕をかすめていく。
波形の光線はファインの服を貫き、彼女の肌を焼き傷つけ、地面に着弾して真っ赤な焦げ後を残す。痛みに小さくうめきつつも、空のニンバスから目を切らないファインは、跳躍すると同時に背中に風の翼を生成。滑空しながら低空へと近づくニンバスへと距離を詰め、同時にクラウド達との距離を縮める滑空を為す。
ファインが自分との距離を詰めてくる気配を察しながらも、ニンバスは彼女を振り返らない。なぜなら後方側面から、弩弓より放たれる矢の如く、凄まじい速度で急接近する者がいたからだ。助走からの一蹴りで跳躍したサニーが風を纏い、一気に対象へと差し迫る姿は、ニンバスが振り返った瞬間すでに目の前にある。
向き直る瞬間にはフランベルジュを振り抜いているニンバスは、サニーの射程外から最速でその剣を食いつかせる。絶妙すぎる間合いだ。しかし、咄嗟の最速だからこそ良し。サニーもまた、自らの左身から迫るその剣へ、体ごと回して振り上げたつま先を向かわせる。刃ではなく剣の側面、靴の先端を切り裂く力のない剣身をサニーが蹴り上げ、反動でサニーは軌道を下方に、ニンバスは握り締めたままの剣が上方に跳ね上げられたことで体を大きく回す。後方回転しながらも飛翔軌道を変えられないニンバスへ、地上からクラウドという弾丸が放たれるのが直後のこと。
前後上下不覚に陥るほどの大回転状態、そんなニンバスに直進したクラウドが突き抜いた拳は、どんな空の名手でも撃ち落とせるものだったはずだ。しかし、クラウドをすぐそばに控え、胸が上向きになったたったの一瞬、その翼で上天を押し出すニンバスの瞬発力が、彼の位置取りをわずか下方へとずらした。対象を失い、ニンバスがいた場所を通過するだけの結果となるクラウド、しかもその瞬間に剣を振り上げたニンバスの一閃は、クラウドのアキレス腱へと的確に迫っている。
その視認できようはずもない攻撃を、えも言われぬ勘で脚を引いたクラウドが、致命傷を避けたのはあまりにも見事。しかし、ニンバスの剣先はクラウドのふくらはぎを浅く斬りつけ、そのエネルギーを受けたクラウドは空中姿勢を崩される。脚を貫いた激痛に表情を歪めつつ、建物の壁へとそのまま飛来するクラウドは、なんとか体を回して足を壁に向けたものだ。しかし、強く着地、着壁した瞬間に脚を貫く衝撃は重く、浅くとも断裂した片足に尋常でない痛みを生じさせ、壁から離れたクラウドは不安定な形で地面に落ちていく。
同じく理想の飛行姿勢を失っていたニンバスが、翼を広げて体勢を整えた瞬間には、進行方向すなわち正面に回り込んだ少女の姿がある。魔力をかき集めた掌を腰の後ろに構え、翼を纏うファインが狙撃魔術を放つ一瞬前。もはやニンバスにも回避不能、そうなる一瞬を見逃さず、必中の魔術を放たんとするファインを前にして、無表情一貫であったニンバスも小さく舌打ちした。
「地術、爆岩撃!!」
掌を振り上げたファインに応ずるかの如く、ニンバス下方の近き地表が大爆発を生じさせた。爆心地から勢いよく突出した岩石の塊は、凄まじい速度でニンバスに迫る。下方から迫る高速の岩石の塊、強烈な破壊エネルギーを持つそれに対し、ニンバスは構えた剣に水の魔力を纏い、激突の瞬間に緩衝。さらに翼を羽ばたかせて上空へと身を逃がし、なるがままに上空へと殴り上げられていく。
地表の爆発と共に飛散する石畳の破片は、噴火した火山の礫岩のように天高くへ舞い、空へ離れたニンバスへ遅れて襲い掛かる弾丸となる。緩衝かつ受け流してなお、剣を盾代わりに握った手が痺れるほどの衝撃を受けたニンバスは、破片の一つをかわしきれずにこめかみを切る。血を流すその痛み、あるいはあわや顔面を礫岩が直撃していた危うさにさえ、ニンバスは無表情を揺るがさない。それどころか、劣勢を覆す大魔術を放つための魔力を既に練り上げたニンバスの行動早さは、ファイン達3人が空中豆粒ほどの大きさにしか見えぬ遠き敵から、濃密な殺気を匂って鳥肌を立てるほど。
「天魔、三叉雷」
天上ニンバスの一点がぴかりと光った瞬間、彼を発射点とする、太い稲妻が三筋放たれた。ひりついた肌が訴える危機感に従い、空中を蹴ってその狙撃から逃れるサニー。同じくして、地を蹴り地表を転がるようにして稲妻を回避したクラウドの後方、爆音と共に地面を粉砕して黒焦げにする稲妻の爪跡が残る。
「くっ……ぁ……!」
だが、ファインは。空に身を置き、地を蹴る瞬発力を叶えられない彼女へと迫る稲妻は、回避が遅れたファインを逃がさない。来たとわかったその瞬間、翼を押し出し前に前方に身を逃がした彼女の脚を、痛烈な稲妻が直撃した。
一瞬、両膝より下が無くなったかと思えるような激熱を得たファインが、溢れかけた悲鳴を喉の奥で潰した直後、彼女の全身に強く伝導する稲妻の電撃。全身の筋肉が千切れそうなほどの痛みとともに、心臓がばくんと跳ねる実感の末、一瞬意識が飛びかけたファインが滑空軌道を一気に低くする。
ニンバスの稲妻に撃ち抜かれたファインの名を、血の気が引いた想いで叫ぶサニー。その視界内遠く、脱力した翼を背負うファインが地面に墜落し、数度体を跳ねさせて止まる。半身で倒れて動かなくなってしまったファインの姿は、彼女の死さえ予感したクラウドがぞっとするには充分な光景だった。




