第54話 ~1対1~
けさ斬り、横薙ぎ、振り上げ、返す刃の振り下ろし。あの長尺の刀を、一秒間に何度振るい、クラウドに迫らせてくることか。小回りの利く短剣を両手に持つフルトゥナあたりが、手数多くして戦えるのは納得できる。これほど大振りの武器を流麗な連続攻撃に繋げていく、しかも隻腕でそれを叶える人間がこの世にいるなど、誰かに話しても信じて貰えないだろう。それほど、ケイモンの刀さばきは圧巻の一言だ。
攻勢に向けて体を前に傾けることも出来ず、重心を後ろのめりにして、襲い掛かる刀をかわすことしか出来ないクラウド。一薙ぎの刃を大きく後方に退がって逃れても、一気に踏み込むケイモンは、クラウドが着地した瞬間には彼を射程距離内に捉えている。攻められない、逃げられない、そんな時間がもう随分長いこと続く一方で、疲れる気配もなくケイモンはクラウドを攻め立てる。
炎の壁を近く背にし、つまり追い詰められてこれ以上退がれなくなったクラウドは、その瞬間から否応なしに勝負に出ることを強いられる。首を切断する軌道で刀を迫らせたケイモンの一撃に、かがんでかわすと同時、一気にケイモンめがけて体すべてを直進させる。刀の先が届く距離感、クラウドからは手が届かぬ距離を一気に詰め、無骨な体当たりをケイモンの胸元に激突させるかのように。しかしケイモンは容易にその体をずらし、クラウドからの衝突を回避。さらにはクラウドの後方から返す刃を迫らせ、彼の突進速度に追いつく速さで、肩甲骨を断ちにきている。
見えぬ角度からの一撃さえをも、クラウドが前に飛び込む形で体を沈め、回避できたのは勘の賜物でしかない。一瞬後に刃が自分にひたりと触れ、直後自らの肉体を切断する予感、殺気、それを恐れるクラウドが前転するように地面を転がりケイモンから離れる。さらに逃がさぬとケイモンが差し迫る眼前、体をひねりながら前転していたクラウドが体を起こすと同時、ケイモンに体を向けて膝立ちになると同時、クラウドの片手がケイモン目がけて弾丸を放った。
転がる中で掴んでいた石畳の破片を、ケイモンの額へと直進させていたその一撃は、敵を怯ませ駆け足を鈍らせることに成功した。石畳の弾丸はケイモンの刀にはじき返されたが、それによって僅かでも前進を遅らせたケイモンの前では、後方に鋭くバックステップしたクラウドが、立って構えを完成させた姿がある。万全の迎撃体勢まで繋げたクラウドには、ケイモンも迂闊には飛び込めず、刀ふたつぶんの距離を保つ形で一度立ち止まった。
焦らず獲物を見据えるケイモンに対し、クラウドはぜぇぜぇと荒げる呼吸を整えようと努めている。鋭く光るケイモンの刃を、手甲で食い止めることも何度か考えたクラウド。しかし、石壁をも切り裂く刀を、果たしてこの手甲で受けられるだろうか。それが不可で、防具ごと四肢いずれかを断ち切られたら、それこそおしまいだ。敵の攻撃を、受けて止めるという手段が封じられたクラウドは、持ち札さえも剥奪されて追い詰められた状況に等しい。
ケイモンを打ち倒すことは出来るか。一撃相手にくらわせれば、どんな相手でも一撃必殺で沈められるパワーが自分にはある。それをケイモンに当てることが出来るかどうか。攻撃一辺倒だけでなく、いよいよ守りに入れば、身のこなしにも判断力にも秀でているであろうケイモンに? あれほどの練達の剣豪に、一撃見舞ってやろうと思えば、いくつもの攻撃と陽動を一連の動きで為し、隙を作ってやらねばならない。逆のことがケイモンにも言えるから、仕切り直しに構え直したクラウドに攻め込んでこないのだ。
断言できる、不可能だって。クラウドが、今の自分の体のことを一番よくわかっている。ガスを吸わされ、今も前後不覚寸前の状況、燃え盛る炎の海の真ん中でなおも空気が肺を焼き、息が苦しいのに。ケイモンの攻撃に、判断力が追いつかなくて的確な反撃もこなせない今、あれを突き崩す合理的な手段があったとしても、それを実現できる状態じゃないのはわかっている。結論はシンプルだ。勝てない、絶対に。
だったら、もう一つしか選択肢はない。諦め悟ったように、ふうっと息を吐くクラウドの姿は、ケイモンにもその心模様が伝わった。諦観を露骨に表した態度が演技でなく、心からのものだと見て取れるケイモンは、かえって警戒心を強めたものだ。
勝てませんから殺して下さい。クラウドが、そんな脆弱に生存欲を捨てるような人物に見えようものか。
「見せてみい……!」
踏み出したケイモンが、一気に射程距離内にクラウドを捉える。振り上げられた刀は、退がったクラウドの残影を切り裂く。続き、けさ斬りに振り下ろされる刀がクラウドに迫るまで、1秒の半分の時間も経っていない。
身をひねってクラウドがそれをかわし、ケイモンの振り下ろした刀の外側へ。背をケイモンに向けて振るう裏の拳は、交錯ざまにケイモンの肩口に迫っている。並の相手ならそのカウンター一発で終わっている素早き一撃、しかしケイモンは地を蹴ってクラウドから離れ、さらには離れざまにクラウド目がけて、下方から斜めに刀を振り上げている。回避してなお届く距離感、やはり武器が生み出すリーチの恩恵は大きい。
裏の拳がケイモンの肩位置あった場所を空振った直後、その手も振り抜ききらないうちに迫る刀に、ちゃんと離れる方向へ跳んでかわしたクラウドも見事。だが、浮かせすぎた体は着地までに時間をかけ、そのタイムラグをケイモンは見逃さない。クラウドから離れるために動いた脚、それをまるで跳ね返るように再びクラウドに差し向けると、着地直前のクラウドを射程距離内に捉えている。空中に身を置いたクラウドに、もはやかわすという選択肢がない状況を強制する。
そう、ここしかない。クラウドへのとどめの一撃は何か。振り上げ、振り下ろし、薙ぎ払い? 闘志揺るがぬクラウドの瞳が、この時一瞬傷ついた獣の目から、獲物を狩る獅子の眼光に変わったことには、刹那の間にケイモンも肌がひりついた。何十年も戦い続けてきた修羅にさえ、戦慄に近い想いを抱かせるほどのクラウドの覇気。しかしそれに怯まず、決めていた一手を遅延なく迫らせたケイモンは、やはり熟達の剣客といえる人物だったはず。
ケイモンの放つ決めの一撃が、どの角度から迫るかをその目で見極めようとするクラウドへ、ケイモンの刀が真横から迫った。胴を真っ二つにするための一撃、地に足着けぬクラウドにはかわせない一閃。それをしっかり視認したクラウドが選んだ行動とは、右の肘を振り下ろすと同時、右の膝を振り上げる勝負手だ。
炎の海の中、ばきんという耳を劈く音が響いた。直後、クラウドの体を両断する刀を振るっていたケイモンの腕は、そのまま彼を切り落とすかのように刀を振り抜ききった。苦痛いっぱいにクラウドが表情を歪める前、ケイモンもまた絶句した表情だ。
瞬時に退がった。ケイモンの方がだ。緊急的に訪れた危機に、ケイモンは後方に跳んで逃れることしか出来なかった。直後、右膝を痛めたかのように、その場で体の右半身から崩れそうになるクラウドの姿が続く。そしてさらにクラウドの後方、あらゆるものを切断する凶刃のかけらが、きぃんと高い金属音をあげて石畳に転がった。
「……底知れん童じゃのう」
自らの右から迫ったケイモンの刀。クラウドは右肘と右膝で、音速かとも思える敵の凶刃を、上下から全力で挟み打ったのだ。いかに熟練の剣豪が振るいし、万物を断つ刀であろうとも、斬を為すのは刃のみ。切れ味無き刀身を、鋼の肘当てと膝当てで全力挟撃したクラウドの一撃は、自らの膝と肘に相応の反動を得ると引き換え、ケイモンの刀をへし折ったのだ。クラウドの後方に落ちて転がった、先ほどまでケイモンの刀の一部であった金属片は、もはや持ち主の武器が不全に陥ったことを物語っている。
自らの片足や片肘も鈍く痛む中、ぜはぁと息を吐いた後、歯を食いしばったクラウド。ケイモンがその表情を目にした瞬間、戦慄を抱いたのは迫真だ。不完全な武器を手にした自らに、猛牛のように襲い掛かるクラウドを予感した直後、その予感は真実となってケイモンに飛来する。一瞬早く、そんな気配を感じ取っていたケイモンであったからこそ、素早く跳躍してクラウドから大きく距離を取ることが出来た。ケイモンの立っていた位置に、拳を打ち込もうとしていたクラウドが立ち代わり、逃れた標的の動きを目で追う動きが一連する。
「耄碌はしとうないもんじゃ……!」
十五年連れ添った愛刀をへし折られたケイモンは、冷静沈着に一貫していた表情を苦く染め、炎の壁を跳び越えて去っていく。サニー達が交戦するバトルフィールドとは別の方向、いずれにせよ武器を失ったケイモンには、退く以外に選択肢がない。クラウドの決死の反撃は、凶獣の牙を粉砕し、この戦場から追放する結果に繋がったのだ。
完全勝利は望めない戦況下、敵の継戦能力を剥奪して撃退する。冷静に高望みしないクラウドにとって、最善最高の結果が導き出せたと言えるだろう。ほっとした瞬間に、燃え盛る炎に囲まれ呼吸もままならない環境下、元より毒によってぐらつく体から力が抜け、その場にクラウドは膝から崩れ落ちそうになる。
膝を痛めた右脚で、がつんと地面を踏み鳴らし、倒れまいと留まることは、傷ついた足をさらに痛める愚行。それでも倒れ、これ以上何もしない道を短時間でも踏むよりはましだ。炎の向こう側では、あるいは空では、サニーがファインが命をかけて戦い続けている。
たった数秒の休息でいい。息を整え、苦闘に身を置く友達のもとへ、駆けつけ戦うための力を取り戻せれば。胸焼けがしそうなほどの熱気の中、肺の痛みをこらえて何度も深く息を吸い吐きするクラウドの目は、傷ついた己の体に屈してなどいなかった。




