第53話 ~1対2~
サニーだって万全の体じゃない。魔術で傷口を強引につなぎ合わせただけ、今でもじわじわと血は流れ続けている。今の体を激しく動かし、まして戦うことなど自殺行為みたいなものだ。
喉元を短剣の先で裂こうとする一撃をサニーが退いてかわせば、フルトゥナはその動きを見て踏み込んでくる。逆の手でサニーに向けて突き放つフルトゥナの短剣は、対象の上腕に突き立てることが狙い。身をよじってなんとかかわしたサニーの下方からは、フルトゥナが逆手にして振り上げる短剣が、顎元めがけて迫ってくる。この一連の行動が、1秒かからずに行なわれている。
れっきとした戦闘訓練を積んだ傭兵、フルトゥナの猛攻はサニーに安易な反撃も許さず、サニーは一度離れて体勢を立て直したい局面だ。それ自体は難しくない。胸元めがけて振り抜かれる短剣をかわすに際し、敢えて後方に大きく跳んだサニーは、建物の壁に向かって直進する勢いだ。壁を蹴り、フルトゥナから離れた場所に自らの体を着地させる。そういう狙いはフルトゥナにもわかる。
もちろん、オラージュにも。サニーが向かう壁に彼女が到達する寸前、そこ目がけて火球を投げつけて計算を狂わせる術士がいる。足場に届くよりも早く、オラージュの放ちし大きな火球が自らを丸焦げにすることを察したサニーは、急遽水の魔力を展開するしかない。水の壁を作り、オラージュの撃ってきた火球を、1秒でも抑圧する結果を導き出す。
それなりの速度で壁にぶつかりにいった自分の足を、水の魔力で緩衝して痛めないようにするのと、火球を抑える魔力の両立は大変だ。どちらも中途半端になる。緩衝は不完全、壁に着地した足が、高所から飛び降りたかのように痺れながら、なんとか蹴って他の着地点に体を逃がした直後、サニーの後方を水の魔力を突き破るオラージュの火球が通過していく。専念すれば抑えられたかもしれない火球も、あれでは完全には抑え込むことが出来ない。
さらにサニーの落下予測地点を目指し、素早く駆ける刺客もいる。サニーがそれに目線を移した瞬間、迫るフルトゥナよりも速くサニーに向かう火球がもう一発。目を奪うノイズにサニーが一瞬の惑いを得、しかし良い判断力で地を蹴り回避するが、サイドステップした先に迫るフルトゥナを迎え撃つ形を、緊急回避を強いられた直後のサニーには作れない。
また振り出しだ。フルトゥナの二本の短剣が、反撃の機会も与えない連続攻撃を繰り出してくる。顎元を二つに割るような振り上げ、胸を裂くようななぎ払い、そして血の滲む道着のかすめる突きの一撃。体を動かすだけでも、ケイモンにやられた傷がひどく痛むサニーは、終始苦痛に歪む表情でフルトゥナの攻撃を凌ぎ続ける。
近接戦闘中のサニーとフルトゥナ、そこへオラージュがサニーだけ目がけて術を放つのは不可能だろう。味方に当たったら笑い話にもならない。だが、ペースを握れず防戦一方のサニーが、なんとか体勢を立て直そうと距離を取れば、常に立ち位置を動かしているオラージュが、即座に狙撃してくる。状況の利はフルトゥナにあり、そんな状況を正しく理解するオラージュが、隙なくサニーの動きを制限するはたらきを為す。この戦況は、サニーにとってあまりにも苦しい。
傷が痛む、息が荒れる、熱気渦巻く戦場下では呼吸も苦しい。サニーの動きが目に見えて鈍ってきているのは、フルトゥナにも見えていることだ。それでも一切油断せず、反撃されぬ間合いと連続攻撃を叶えるフルトゥナの戦闘能力は、サニーに思索の間も与えず追い詰める。優勢を悟った狩猟者の勢いある猛襲は、捕食される者にとっては相当に苛烈である。
無策でこのまま逃れ続けても、力尽きた末にとどめを刺されるだけだ。サニーもこの数秒で、実にいくつもの突破口を探してきた。札が無い局面だ。切れ味鋭い短剣に抗う防具も無いから、防御手段もろくに無い。離れて体勢を整えることも、オラージュが許してくれない。風を纏ってさらなる速度で動き、フルトゥナに真っ向から勝つのか。それが出来るならとうにやっている。思い浮かんで捨てるの繰り返し、まともな考えでこの状況を打破する手段が見つからない。そうこう考えている間にもフルトゥナの刃は迫り、サニーの思考を阻害してくる始末。
普通にやっても八方塞がり、だったらいっそ普通にやらない方が。フルトゥナが振り下ろしてきた短剣を、退がって回避したサニー。さらに沈んだ体で、そのままサニーの太ももめがけた短剣を振り抜いてくるフルトゥナに対し、跳躍して後方に宙返り。距離を取る動きだ。そこに側面からオラージュの火球が飛来するが、すでに意を決したサニーは、右手で黒帯の結び目を握っている。
左手から飛来する火球に向け、渾身の水の魔力をつぎ込んで、自分を丸々呑み込みそうな大火球と同じほどの水の塊を発射。火球と水の塊が激突し、水蒸気を伴う大爆発を起こすが、サニーにオラージュの大火球は届かなかった。爆風に飛ばされ、サニーの体が地面に叩きつけられるが、半身ながらもその左腕で地面を叩いたサニーは、受け身任せにすぐ体を起こしている。
爆風に煽られてなお、サニーの落下予測地点に向けて最速で迫ったフルトゥナの動きは、やはり流石の戦闘傭兵だ。しかしそんなフルトゥナであっても、サニーに差し迫るその直前、中腰の彼女が武器を得て反撃してくる姿は予想もしていない。左手に纏った風の魔力、鋭利な刃にも勝る切れ味の風を手に纏ったサニーは、それで黒帯の結び目を切断し、その手に握った黒帯を鞭のようにしてフルトゥナに振りかぶってきた。
だが、そんな奇襲も結果はどうか。自らの頬を横殴りにする鞭が突然襲い掛かってきても、瞬時に体を沈めて回避したフルトゥナの反射神経は、サニーの想定を上回るものだ。しかも減速せず、帯の鞭を振り抜いた直後で隙の多いサニーへと、そのまま差しかかってくるのだから笑えない。
「っ、ぐ……!」
駆け抜けるままに、中腰のサニーの頭を真っ二つにする一閃。敢えて懐まで飛び込んだフルトゥナが振り上げた短剣は、咄嗟に後方に跳んだサニーの目の前、まさに目と鼻の先で風切り音。逃れながら思いっきり頭を後方に逸らしてそれだ。のけ反るようにして大きく後ろに跳んだサニーは、いっそ背中から地面に落ち、両の二の腕で地面を叩いて、そのまま後転する形で片膝立ちだ。
低姿勢のサニーに真っ向から接近するフルトゥナは、すでに彼女を歯牙にかけられる距離まで迫っている。至近距離のフルトゥナ、その刃をかわす動きに移れないサニー。やや近くして戦況を見守るオラージュは、一刃を受けて傷ついたサニーが、敗北へ転げ落ちていく第一歩を確信していただろう。
片膝立ちになったその瞬間には、帯を失った道着から既に右腕を引き抜いていたサニーの妙手など、正面のフルトゥナですら正しく視認していなかった。迫るフルトゥナの眼前、素早く道着を脱ぎ捨てて身を翻すサニーの行動は、道着のカーテンを振り乱すような結果を残す。突然目の前の人間が、一枚の布に変わるような錯覚に陥りながらも、フルトゥナは迫らせた短剣を止めることが出来ない。短剣は、中身が空の道着に刃を噛み付かせる結果を残すものの、顎が地面に着きそうなほどに体を沈めたサニーは、フルトゥナの視界外で無傷のまま。
道着が短剣とその手に絡みつくフルトゥナに、ついに明確な隙が生じた。そのままサニーは腰を沈めたまま我が身をフルトゥナの側面に逃がし、さらに左手で相手の左足首を掴みにいく。握ったそれを軸にして我が身を滑らせ、低い体勢のままフルトゥナの背後に回ると、背後から右手で相手の右足首を捕らえる。そのまま思いっきりフルトゥナの両足を引っ張り上げたサニーの行動が、一気にフルトゥナを前のめりに転ばせるのだ。
それでも両腕で前に受け身を取っただけでも、フルトゥナの対応力は高いと言えただろう。しかし手に絡む道着を振り払う暇もなく、前のめりに倒れたフルトゥナの側面に、素早く身を翻して立つ敵がいる。サニーはほぼ四つん這いのフルトゥナの右腕、それを跨ぐような形で足を置いた瞬間、フルトゥナの腕を抱えて前転する。転がるサニー、その両脚で胸元を押し上げられるフルトゥナは、顔を地面に向けた状態から、上天見上げる形を一瞬経て、背中から地面に叩きつけられる形だ。そして、フルトゥナの右腕はサニーがしっかり捕まえている。
「ひあ゛、っ!?」
腕十字の形でフルトゥナを捕えたサニーは、その瞬間に容赦なく力を込めた。てこの原理、全力でフルトゥナの右腕をねじ上げたサニーが、敵の右肩で残酷な音がする衝撃を与える。骨をやられる痛烈な痛みに、初めて少女らしい高い悲鳴を上げたフルトゥナのそば、彼女の腕を手放したサニーが素早く後方に転がり退いている。
後転直後、勢いよく地面を押し出して体を逃がしたサニーのいた地面を、オラージュの放った火球が焼き焦がす。術者が下手なら、地面に横たわるフルトゥナに誤爆してもおかしくない、近接対象への的確な狙撃だ。フルトゥナの右肩を粉砕してなお、油断せずにすぐさま逃れたサニーの判断力が、オラージュの支援放火を回避した結果である。
自慢げな顔を演じ、どうだと笑うサニーだが、片目が開いていないことからも、疲労と傷の痛みで苦しいのは明らかだ。だが、フルトゥナはもっときつい。サニーの道着を左腕に絡めたまま、悶絶するようにうめく彼女の右肩が、もう使い物にならないのは明らかだ。片膝立ちのサニーと、横たわるフルトゥナの間に駆けつけて立つオラージュが、両者の戦いの決着を正しく理解している。
「フルトゥナ、立て。脚が死んだわけじゃねえだろ」
「っ、ぐ……は、はい……っ」
口走り、サニー目がけて火球を投げつけるオラージュの後ろ、涙目でよろりと立ち上がるフルトゥナの姿がある。火球はなんとか回避して、地面を転がった末に立ち上がるサニーだが、厳しくサニーを見据えるオラージュの後ろ、涙目のフルトゥナの闘志は見るからに半減しているのが見える。
「退がれ。お前はもう役に立たねぇ」
そう言ってフルトゥナ後方位置の、炎の壁を指差すオラージュ。サニーの遠方、誰もこの戦場からは離れさせぬとばかりに立ちそびえていた炎の壁、その一部がぽっかりと抜け道を作ったのだ。炎の壁を操るオラージュが、負傷したフルトゥナを逃がすための道を作ったのだとよくわかる。
「い、嫌です……! 私も、まだ……!」
「殺すぞ!! 黙って言うことを聞けクソガキ!!」
サニーもびくりと肩を跳ねさせるほどの声で怒鳴るオラージュに、涙目ながらも戦意を失っていなかったフルトゥナが、一気にその闘志を消沈させた。短い沈黙、黒い布で覆った上からでもわかりそうなほど、ぎゅっと口の端を絞ったフルトゥナの表情が、目の色からでも見て取れる。
無念いっぱいの表情のフルトゥナが、オラージュの後方に向けて駆け去っていく。彼女が炎の壁の抜け道を通れば、再び炎は壁を塞いで戦場を閉じる。立ち上がって構えるサニーと、それを睨みつけるオラージュが、1対1で睨み合う形に戦況が一新されている。
「女泣かせ」
「それも甲斐性」
「ええ、部下想い」
口角は鋭くとも、オラージュの発言と行動は、傷ついた仲間を戦場から撤退させるためのものだ。対立陣営にも向こうなりの絆があるのは当たり前。同じ志で動く者同士、互いを繋げる心なくして、組織は容易に崩壊する。英雄と呼ばれしニンバス、その下で動く者達が、それを持ち合わせていないはずがない。
「同じように泣かせられる女だと思わないでよね……!」
「涙よりも血を流す心配をしな!」
火の手から逃れる人々に取り残されし、たった二人が立ち会うバトルフィールド。日暮れ前、闘技場までの道のりを笑い合って歩いた二人は、火の海の真ん中で戦意に満ちた眼差しと声をぶつかり合わせた。




