第4話 ~町長~
「サニーも食べないの? おいひいよ」
「こーら、余所見して歩かないの。人にぶつかるわよ」
クラウドに一晩の屋根を借りた朝、慎ましく礼を述べて別れた二人は、真昼前のこの時間帯を、中央市場で過ごしていた。今日は晴天、石畳も日光を受けて薄白く輝くほどの晴れ晴れとした空だ。出店で買ったお饅頭を食べながら、幸せそうに歩くファインの笑顔は、青空の太陽と比べても、どっちが輝かしいわからない。
市場が最も賑わう真昼時の少し前、人通りは最大ほど多くないが、それでも町ゆく人は絶えない賑わいだ。隣を歩くサニーを見上げ、お饅頭をお勧めするファインに腕を絡め、ぐいっと引っ張るサニー。余所見して歩いていたファインだが、もしもサニーのフォローがなかったら、今しがたすぐ横を通っていった通行人とぶつかっていたかもしれない。
「あぁもう、口の周りもこんなにして。もう子供じゃないんだからさ」
「だ、だって美味しいんだもん……」
ファインの口の周りについた餡子を指先で拭い取るサニーが呆れるように言えば、言い訳にもなっていない言い訳を口にするファイン。年の差ひとつの二人なのだが、身長差といい、ファインの幼げな顔立ちといい、風格だけでずいぶん年の離れた姉妹に見えるものだ。サニーは、平均的な身長の男であるクラウドより僅か小さい程度であり、女の子の中でも背が高い方なので、小柄なファインと並ぶとそれも際立つ。
「――うん、まあ、美味しいけどさ」
「でしょ? ほら、サニーも食べようよ。まだあるから」
ファインの口元から餡子を拭った指先をちゅっと吸うサニーへ、自信満々でお饅頭を一つ勧めてくるファイン。太るからいらない、と最初は断っていたサニーも、美味しいものは二人で分けっこだと笑顔で見上げてくるファインを前にすれば、観念したようにお饅頭を受け取った。
「楽しいのは結構だけど、あんまりはしゃぎ過ぎちゃ駄目よ? トラブルは……」
言いかけたところで、サニーの言葉が半ばに止まる。どうしたの、と彼女を見上げて問うファインをよそに、サニーはその手を隣のファインの胸に当てる。遠くを見据え、立ち止まったサニーの足と手が、同時にファインも立ち止まらせる。
サニーが無言でも、彼女の目線の先を目で追えば、ファインにもこの態度の所以がすぐにわかった。大通りを我が物顔で進んでくる、大きな白馬の姿が、サニーをこうさせたのだろう。
「多分あれ、天人ね。ちょっと端に寄りましょ」
白馬の上にまたがった、ちょっと人相の悪い小太りの男のことをサニーは言っている。毛皮のコートに大きな宝石のついた指輪、白馬の隣を衛士二人で固めた姿からも、その辺りの一般市民とは違う地位の人間であると容易に想像できる。あそこまで富豪丸出しの風体だと、地人がそんな立場に易々と就ける世界じゃないんだから、あれは天人なんだろうなと推察するのも簡単だ。
ファインの手を引き、そそくさと道の端へと逃れるサニーの行動は賢明である。多分あれは、あまり関わり合いにならない方がいいタイプだ。
「おい、そこの。今日は安息日だというのに市場が賑わっておらんな」
「あっ……これは、カルム様……」
「景気が悪いのか?」
「いいえ、そんなそんな。カルム様がお治めになる町が、不景気になるなどありませんよ」
カルムと呼ばれた男に声をかけられた商人は、おべんちゃら丸出しの言葉で機嫌を取る。話の流れから察するに、白馬の上の小太りの男カルムが、この町を治める町長ということらしい。ということは、やはりまず間違いなく、天人であると見てよさそうだ。
「お前達商人が頑張らねば市場の火は消えるのだぞ? もっと盛り上げていかんか」
「はぁ……申し訳……」
「地人風情に商いの場を設けてやっておるのだから、この町全体の利潤となるよう金を回して貰わねば困るんだ。言っておくが、稼げず税を納められんようになれば、容赦なく商権も剥奪するからな」
市場には市場なりの商人間のやり方があるだろうに、現場の苦労も知らない者がふと現れ、頭ごなしにものを言ってくるのはいささか頭が痛くなるところ。カルムの言うことは、町を統べる者として一見真っ当な指摘をしているが、それにしたって一言も二言も多かろう。
どこの町でもこんなものなんだなと、サニーも苦い顔で見届けてしまう。強い立場に就くのは天人ばかり、地人はその下で同等の権利も与えられず、気まぐれ一つで当たり前の行動ひとつ取る権利さえも奪われ得る世界。横柄さと、他人を見下す思想を口ぶりいっぱいに溢れさせるカルムの姿には、同じ天人であるサニーでさえ、嫌な奴だなと溜め息が出そうになる。
「まったく、どいつもこいつも上の気苦労も知……むっ!? おい、そこのお前!」
相手の目も見ずぐちぐち言い出したカルムが、急に目の色を変えて別の方向に声を放つ。その先にいたのはファインと同じ年頃の若い町娘であり、彼女はちょうど、カルムのまたがる馬からやや離れ、走り抜けようとしていたところだ。先を急ぐ足取りなのは見るも明らかなのだが、天人かつ町長のカルムに呼び止められ、町娘も急く足を止めざるを得ない。
「貴様、地人か? 天人か?」
「えっ、あ……地人、です……」
「私に挨拶もせずに素通りか。おい、そいつを捕えろ」
白馬の両脇を固めていた衛士が、町娘の両脇に立つ。槍を握る、武装した衛士に挟まれた町娘は、肩を縮まらせて震え始めた。捕えろ、と言っても、逃げ出さないように囲めという意味のようだが、いきなり武器を持った屈強な男二人に挟まれては、身がすくむのは当たり前。
「す、すみません……! 仕事が遅れがちで、急いでいまして……!」
「それは貴様の勝手な落ち度だろうが。私に会釈もせずに過ぎ去る傲慢を、そんな言い訳で許せと?」
「ふ、深くお詫びします……! ですからどうか……」
白馬から降りて近付いてくるカルムに、跪いて懇願するように頭を下げる町娘。カルムがどういう人物なのかをサニー達は詳しく知らないが、この光景を見ればだいたい予想はつく。こうやって、市民にいちゃもんをつけて批難し、態度次第では理不尽な罰を振るったりするのだろう。馬の尻を叩くための鞭をその手に持っているが、馬から降りている今なぜそれが必要なのか、想像しただけでカルムの嗜虐性が見て取れる。
そりゃあ賑わっていたはずの市場から、さっきから少しずつ人が消えているはずだ。こんな奴が現れたとなれば、カルムを知る町の者なら、関わり合いになるのを避けるため、逃げるに決まってる。
「私は甘く見られているのかね?」
「いいえ、いいえ、決してそんな……!」
鞭の先を指で弄ぶカルムを目の前にして、町娘は最悪の予感を抱きながら必死で弁明している。涙目でやめて下さいと懇願する町娘を眺めるカルムの目が、なんと楽しそうで下品なものであろう。これだけ謝っているのに、ひゅんと風切る音とともに鞭を振るカルムが、町娘をびくりとさせる。
「まあ、見せしめにはちょうどいいな」
そう言って、カルムは鞭を振り上げた。両手で頭を庇い、ぎゅっと目を閉じた町娘を遠目に見届けていたサニーは、まずい、と直感して隣のファインを見た。まずいのは町娘ではなくファインの方。
ほらやっぱり。両手を前に突き出したファインの横顔がある。そしたら遠く、放たれた岩石の弾丸で、鞭をはじき落とされたカルムの姿があるではないか。思わず岩石弾丸を放つ魔術を発動させたファインは、ふんわり笑顔が良く似合うはずの顔立ちを一新、鋭い眼差しでカルムを見つめていた。
「……あっ」
「はい、やっちゃったわね」
思わずの行動から我に返った途端、青ざめるファインの顔を見て、サニーも渇いた笑いを返す他ない。露骨にトラブる予感がしてならないサニー、多少はファインの勢い任せの行動を戒めるべきかとも思ったが、まあいいかと結論づけた。見るに耐えない光景だったし、手を出したファインを責める気にはなれなかったからだ。何より、胸糞の悪い町長に一矢かましてくれたファインの行動は、目にしてちょっと気持ちよかったぐらいだったし。
でも、これはこれでどうするんだと。例の町長、カルムがもの凄い形相でこちらを睨んでいる。さあ大変だ。
「……あの地人を捕えろ! 絶対に逃がすな!」
「ですよねー! さーファイン、逃げるわよっ!」
「えっ、あっ、でもでもっ……!」
「だーいじょうぶよ! ほらもうあの子逃げてるしっ!」
カルムに指示を受けた衛士二人はこっちに駆け出しているし、すっかり頭に血が昇ってファインに目をつけたカルムも、隙を見て逃げ出した町娘に全く気付いていない。これがまた商人達も勘が賢いもので、売り物を放棄してでも市場から逃げ、カルムの周りからすっかり人が消え去ってしまった。今のカルムに近付いたら、どんな八つ当たりをされるかわからないという話なのだろう。流石、この町で暮らしてきた皆様はわかっていらっしゃる。
サニーに手を引かれ、衛士達から逃げる足を駆けさせるファイン。鍛えられた衛士の足は速いが、それに勝って速いサニーの逃げ足が光っている。そしてそれにちゃんとついていくファインも、なかなかいい足を持っているようだ。路地裏に駆け込み、一度衛士の視界から姿を消し、その先にある道を抜け、追っ手を振り切る走り方を追従していく二人。二人とも旅人暮らしが長く、揉め事には慣れているようで、緊急時の立ち回り方には長けている方だ。
地人の少女が天人の町長に魔法を放ち、喧嘩を売った。真昼の市場のど真ん中で起こった、なかなか例を見ない種のこの事件は、この後しばらく町中を騒がせる、スキャンダラスな出来事として知れ渡る。