第46話 ~露呈した殺意~
「それでは、ここでしばらく待機しておいてくれ。ここに飲み物などは、好きに飲んで貰って結構だ」
闘技場全体で言えば隅の方。関係者含め人通りの少ない区画の一室に、クラウドを案内した赤髪の青年は、小さな会釈と申し訳なさげな顔を見せて、外から部屋の扉を閉じた。狭くも広くもない一室でソファーに腰掛けるクラウドは、少し焦れる想いを抑えるために息をついていた。考え過ぎならいいけれど、やっぱり身内が心配な想いは拭いきれるものではない。呼ばれた用事を片付けたら、走って最速で宿まで帰ろうと心に決めていた。
「――さて、と」
腰の低い顔でクラウドと接していた、赤髪の青年は、ドアの向こう側でふぅと一息。そして、すぐにポケットから、拳に収まらないぐらいの銀色の金属を取り出した。無表情の青年が、その金属をドアの縁に押し当て、魔術行使のための力を込め始めた姿を、ドアの向こう側のクラウドには知る由もない。
銀色の金属を握り締めた青年の掌が、鉄も真っ赤に染まるような、激熱を生み出す。その熱は、青年の握った銀色金属をどろりと溶かし、ドアの縁からその隙間へとじんわり流し込んでいく。そして、溶ける金属でドアの縁をなぞる青年の動きによって、青年の手から遠のいた金属は、ドアと壁の隙間で再び凝固し、溶接する形でドアを開かなくする。
低い融点を持つ特別な金属塊により、クラウドを開かぬドアの向こう側に閉じ込めた青年は、最後にポケットから小瓶を取り出す。そして、瓶の蓋を開けると中に息を吹きかける。瓶の中の丸めた紙が、青年の吹く息に混じる熱、火の魔術によって燃焼するが、目に見える煙や鼻をつく匂いは発生しない。そして青年は、ドアの下の隙間の前に、蓋を開けっ放しにした瓶をことりと置く。瓶の中のものが燃え、煙も匂いもなく発生する無色の気体は、この瞬間からクラウドのいる密室に流れ込み始める。
「ご冥福を。お前に恨みはねえんだがな」
闘技場の片隅の一室にクラウドを監禁した青年は、足早にその場を去る。ありもしない来訪者を待つように言われ、気が急きながらもドアの向こうで待つクラウドは、何が起こっているのかさえも知らないままだった。
速やかに闘技場を出た青年の前にあったのは、タクスの都を赤い光で照らす夕陽。そして、彼とほぼ同時期に闘技場から出てきた少女だ。青年よりも僅かに早く闘技場外に出て待っていた少女は、彼の姿を見つけると同時に駆け寄ってくる。
「オラージュさん……!」
「おう、フルトゥナ。待たせちまったな」
闘技場でクラウドと戦っていた少女、暗殺者のような風体をしたフルトゥナは、目より下を隠す黒い布をはずしている。幼さを残しながらもやや大人び始めたその顔は、クラウドと同じ年だという事実に、より強い納得を促すものだ。
「すみません、討ち損ねました……オラージュさんの手間を……」
「構いやしねえさ、ありゃあ相手が悪い。俺でも真っ向あれとの一対一じゃ、勝てるかどうかわからねえよ」
ばつの悪そうな顔で謝ってくるフルトゥナの頭を撫で、オラージュと呼ばれた赤髪の青年はにかっと笑う。妹を優しく見守るようなその笑顔は、今しがた悪意の檻にクラウドを閉じ込めてきたばかりの人物のものとは思えないほどのものだ。頭を撫でられ、片目を閉じてはにかむフルトゥナも、信じる誰かの愛情を受けて安らぐ想いが隠せていない。
「さあ、行こうか。うちの大将も、もう動き出してる頃だ。急ごうぜ」
「はいっ……!」
応えたフルトゥナは、臨戦態勢とばかりに、マフラーの上から首にかけてあった黒い布で口元を隠す。そして、あっという間の急加速度を得て走り出したオラージュを後を追うように、彼女もまた風のような速さで駆け始める。
「……まあ、失敗してよかったけどな」
「…………? 何か言いましたか?」
「いんや、何も。それより仕事に集中しな」
強い声で戒められ、目線を前に向けて走り続けるフルトゥナ。彼女が人殺しになってしまうぐらいだったら、彼女がやると決めた暗殺の密命も、し損じてよかっただろうという、オラージュの真意が密かにある。主の役に立ちたくて、人生初の殺生に踏み出そうとした少女の失敗を喜べるほどには、オラージュという男は身内を愛していた。
敵対陣営に属するクラウドを、監禁した上で命まで奪おうとまでしているオラージュが、善人であるはずがない。身内を重んじ、第三者の命さえ軽んじるからこそ悪人だ。
夕陽に照らされたタクスの都を、宿に向かう足で歩いていたサニーは、今日の思い出を咀嚼していた。赤髪の青年と楽しくお喋りしたことにとどまらず、その前のことも多数だ。アクセサリーショップで、リュビアに似合いそうな髪飾りを見つけたことや、闘技場周りに初見のクレープ屋を見つけたことなど。宿から出づらい暮らしのファインや、一歩も宿の外に出られないリュビアに、どんなふうに土産話を語ろうかと、起こった事を順番立てて並べ直している。楽しい話をするための構築を、暇な時のサニーは欠かさない性格だ。
陽も沈みかけ、薄暗い市街地にも人通りが少なくなってきたものだ。通行人のすっかり少なくなった大通りを抜け、行商人や屋台の主人が片付けに入っている姿を尻目に、サニーは宿に向かって歩き続ける。あと10分も歩けば、宿に着くという頃合いだ。宿周り限定の地理には、サニーもこの数日間でだいぶ明るくなった。
そんなサニーの前方から、串団子をくわえた男が近付いてくる。あれは、と、見たことのある人物の姿にサニーも目を丸くしたが、向こうもサニーに気付いたのか、ぱっちりと目が合った。着物に身を包み、草鞋で地面をこすりながら歩いてくる、剣客を思わせる中年男には、2日前に関所前で声をかけられたばかりだ。確かあれは、ケイモンとでも名乗っていたか。
先日の流れが流れだけに、少しサニーも身構えそうになったが、串団子をくわえたまま右手をひらひら振る彼の姿に、敵意らしきものは無さそうだ。考えすぎか、と、サニーも隠した警戒心を緩め、歩きながら小さく手を振る。
二人が正面から近付き合う。あと3歩ですれ違う、という距離感で、串団子の串を持って小さく会釈した剣客に、サニーも会釈を返した。二人が頭を上げた瞬間がちょうど、近しい距離で二人がすれ違うその時だ。サニーの目が剣客を視界内に含まぬ前方に向き、剣客もまたサニーを視界外に前方向き。次の一歩から二人は、離れていく足をひとつずつ刻んでいく、そんなはずの瞬間のことだった。
「っ……!」
視界外から突如感じる、肌さえちりつくような色濃い殺気。思わずサニーは、剣客から離れる方向へ、勢いよく横っ飛びに逃れていた。そして彼女が瞬発力任せに動いたその瞬間、胴がちくりと焼けるような感覚は、もしも動いていなければ彼女を死に至らしめていた何かの象徴だ。
「やはり、ただのお嬢ではなかったか」
自らの左の腹を抱くように押さえ、振り向いたサニーの目の前には、棒立ちでこちらを見据えている剣客の姿がある。左の腰に下げた刀の柄から、手を離した瞬間の剣客の姿だけが見えたが、振り返った瞬間には既にその形だったのだ。焼くように痛み始める、左の腹を実感しながら、今の一瞬で何があったのかをサニーが想像力で補う。
答えを頭の中に決め打つ前、左の腹からぶしっと血が溢れた事実に、サニーは思わず片目を閉じて表情を歪める。道着とアンダーウェアを貫き、自らの胴を切り裂こうとした、鋭利な刃の存在を示唆する刀傷。それを再実感するサニーの心に思い浮かぶのは、あのすれ違った一瞬に剣客が抜いた刀が、視認も出来ぬほどの速度で自らを襲っていた事実。すなわち、あれは目にも止まらぬ抜刀術の使い手だという結論だ。
「ご……っ、ご挨拶にしては過激すぎやしないかしら……?」
「あっしぁ、こいつで語らう癖が染み付いておりやしてね」
ざり、と草鞋の足音とともに、サニーに剣客が一歩近付いてくる。思わず一歩下がったサニーの反応は、極めて自然な行動だ。しかし、剣客がゆらりと刀の柄を握った瞬間、サニーの中に鳴り響いた非常警報が、一瞬で彼女のバックステップを促す。
一歩の踏み出しと共に、音速とも思える速さで刀を抜いた剣客の刃は、ほんの一瞬前までサニーがいた場所の胴位置を通過していく。その速度たるや、真正面でそれを見たサニーも、速過ぎる刀の動きを目で追えなかったほどだ。激烈な危機感と共に、ほぼ無意識に後方に跳んでいたサニーだが、それでも黒帯の結び目の少し上が、ぴりっと破れて小さな穴が開く。刀の先端が、あわやサニーの胴を真っ二つにする寸前だった表れだ。
時を等速で巻き戻したかの如く、再び鞘に刀を収める剣客から漂う殺気は、先ほどまでより一層濃い。左腹の刀傷を押さえながら、さらに二歩三歩後ずさったサニーも、背を向けて立ち去ることをためらう存在だ。視界外にこいつを入れてしまう隙を晒したら、次の瞬間には自分がばらばらにされている――そんな未来にさえ現実味がある。生温かい血を流す刀傷の、焼けるような痛みを奥歯で噛み潰し、サニーは足早に後方へと後ずさる。
そして、7歩ぶんほどの距離感を作った瞬間、サニーは剣客にぐるりと背を向けて駆け出そうとした。充分に作った距離感、背後からの攻撃に対処する自信も、逃げ足にも自信があった。そのまま逃亡を果たそうとしたサニーだったが、3歩駆け出した時点で、ざすりというブレーキ音とともに彼女の足は止まってしまう。
前方からこちらに向かって人物の姿。それに意識を奪われかけたサニーへと、背後の剣客がひとつの踏み出しから急接近。射程距離内にサニーを捉えた瞬間、素早い抜刀術で彼女の胴元を断ちにかかるものの、一手早く跳躍したサニーは、剣客の頭上を跳び越えたのち、宙返りひとつ挟んで着地する。血に足を着けた瞬間、腹に走る衝撃でまた血が噴き出して、くぐもった声とともにサニーは膝から崩れそうになった。
だが、力尽きていい状況などではない。サニーを振り向く剣客の背後、サニーから見た前方の果てから、こちらに歩いてくるもう一人の人物。それは、彼女がリュビアに関わった瞬間から最も恐れていた存在だ。
青銅の鎧に身を包み、黄金色の髪を携えた姿は、一国の騎士を思わせるような風貌。左の腰に携えられた、やや太い鞘の存在も、その人物をよく物語る特徴だ。フランベルジュを片手に空を舞い、無数の敵空軍を蹴散らすという英雄の名は、数年前の近代天地大戦で、一気に大陸全土に名を轟かせたものである。
「……今日は随分モテるわねぇ、私」
ここまでくると、サニーも無意味に笑えてくる。その刀を差し向けられる前から、相当の手練だと見えていた剣客のみならず、こんな男にまで迫られて。剣客よりも一歩前に出て、立ち止まった歴戦の英雄は、何を考えているのかもわからない無表情でサニーを見据えている。
「まさか英雄ニンバス様にまで、迫られるなんてさ……!」
「…………」
鳶色の翼の勇者ニンバス。苦笑い全開で強い言葉を返すサニーも、これと本当に敵対したと確信できた今、心中頭を抱えたい想いでいっぱいだった。




