第42話 ~メイドさんごっこ~
「リュビアさ~ん」
昼頃、クラウドと一緒に宿を出たサニーが、おやつ時過ぎに帰ってきた。宿の一室で、ファインに駒遊びを教えて貰って楽しんでいたリュビアの前に、えらくにまにましたサニーの姿がある。
「今日はね~、リュビアさんにプレゼントがあるのですよ」
「えっ?」
「……サニー?」
思わぬ言葉に目を丸くするリュビア。悪巧みの気配が腐臭ばりに匂うサニーを、訝しげな顔で見上げるファイン。きょとんとした目と細められた目を一身に受けながら、サニーは背中の後ろに隠し持っていたそれを、ぱっとリュビアの前に出す。
「あ、ありがとうございま、す?」
「気に入ってくれるといいなぁ~。出来ればすぐに着て欲しいなぁ~」
袋詰めのようだが、何だろう。突然のプレゼントに戸惑いながらも、封を切るリュビアの隣で、ファインも袋の中身を覗き込む。袋から出しても、すぐにはそれが何かわからなかったリュビアは、畳まれた衣服らしいそれを広げてみる。
広げてやっとわかった。リュビアの絶句する表情も、サニーはお構いなし。
「いいでしょ、そういう綺麗な服も」
「い、いや、あの、確かに可愛いし、いいとは思いますけど……わ、私にはこういうのは……」
「いいんだよね!? じゃ、着よう! 今すぐ着よう!」
「えっ、うそ!? い、今からですか!?」
「今いいって言ってくれたじゃん! ほら着て着て! お願い着て!」
「やっ!? さっ、サニーさん、やめ……いやーっ!!」
全力で、強引に、リュビアの服を脱がしにかかるサニー。ほぼほぼ、実録レイプの現場である。あまりに不憫なリュビアを見て、助けようと近付いたファインだが、らんらんと目が輝いたサニーの横顔を見て、鳥肌が立ってしまった。言葉を失い、棒立ちで一歩後ろに後ずさってしまうファインの目の前で、乱暴に半裸にされたリュビアが涙目になっていた。
「見て見てクラウドー! この可愛さ、美しさ! 劇的ビフォーなんちゃら!」
「……いや、すごく可愛いとは思うけど」
「うぅ……恥ずかしいですよぉ……」
リュビアに抱きつき頬ずりし、ここ一週間で一番幸せそうな顔のサニー。リュビアの反応からして、非常に強引に服を着せ替えられたであろうことはすぐわかるので、クラウドとしては反応に困る。サニーさんの横暴には呆れるが、その一方で新しい服に着替えたリュビアが、すごく可愛らしかったからだ。
名家の女中服のレプリカ――早い話が市販のメイド服。外を自由にも歩けず、服を買いにも行けないリュビアに、ちょっとぐらいお土産を買ってあげようよと、サニーがクラウドに提案して買ってきたのがこれだ。彼女いわく、女の子はこういう可愛い服が好きなのだそうで。誰もがこういう服が好きなわけではないだろ、と、疑問を持ったクラウドもあったのだが、自分は男で女心には疎いし、女の子のサニーがそう言うなら、信じることにしようと、この服を買うお金を半分出した。お金貸してと言われたけど、気の毒な境遇のリュビアに贈り物を買いたいというサニーの意気に免じ、貸し金でなく割り勘で半額、クラウドも支払いに協力した形だ。
で、蓋を開けてみたらこれ。メイド服に身を包んだリュビアのことが、可愛くて可愛くて仕方ないらしく、抱きついてすり寄せていた頬を放し、一度リュビアと正面向き合うサニー。あ、あんまり見ないで下さい、と、顔を真っ赤にして目を逸らすリュビアを目の前にして、サニーの目の色がさらに輝いた。
「か~わいい~! リュビアさんそのリアクション反則~!」
「ひゃあああっ!? 駄目っ、駄目ですっ、そんなとこっ……!」
真正面からリュビアに抱きついて、柔らかいリュビアの胸元に顔をうずめ、谷間めがけて鼻をぐりぐり潜らせようと頭を振るサニー。人攫いに遭って奴隷にされかけた所を救出され、最悪から免れた立場のリュビアだが、これではあのまま攫われていた場合と、扱われ方が一緒ではなかろうか。
「サニー、そろそろさぁ」
「へわっ!? ふぁ、ファインっ!?」
匙を投げた目で眺めていたファインも、流石にやり過ぎのサニーのリアクションを見かねて背後から近付く。後ろからサニーの脇腹に指を食らいつかせ、握力任せに脇腹の奥、肋骨まで届く圧力を十本の指に込める。そのままぎゅりぎゅりとサニーの脇腹をねじ揉みながら、後ろに引っ張りサニーをリュビアから引き剥がす。
「やめっ、離し……離してファインっ! くるし……」
「反省しますか」
「しますっ! しますから離してえっ!」
もがきながら後ろを振り向いたサニーの前、ファインの目の冷ややかなこと。敏感な脇腹を全力でぐりぐりされると、くすぐったさと息が詰まる苦しみの二重苦で、サニーも根を上げて降参するしかない。
リュビアから充分に離れた床にサニーを座らせ、手を離したファインの前、短時間で呼吸を乱されたサニーが、猫背で息を荒げている。その正面では、胸に顔をうずめられるという前代未聞のセクハラ経験から、両手で胸を隠したリュビアも呼吸が荒い。傍観者のクラウドは、サニーに協力したのは失敗だったかなと思い始めていた。
「さまになってるねぇ、リュビアちゃん。手際もいいし、助かるよ」
「えへへ、そうですか? ありがとうございます」
変な流れが最初にあって、けちがつきそうなところだったが、時間が経って落ち着けば、リュビアも機嫌よく宿の暮らしに馴染んでいた。台所で食器を洗うリュビアの姿は、メイド服を身に包んだ風貌も相まって、仕事ぶりが何段か水増しして板について見える。
サニーのようにはしゃいで抱きついてこられるのは困るけど、可愛らしい服に身を包み、お世話になっている宿の人達にご奉仕する形なら、リュビアも快く取り組める。故郷では着慣れなかった短いスカートは、股下が風通し良すぎて落ち着かないが、窮屈なはずの暮らしの中で可愛い服を着られる楽しみは、諸々の違和感を打ち消して心地いい。
「おう、ねーちゃん。せっかくだからひとつ、お酌して貰えんか?」
「こら、あんたは。お客さんだよ?」
宿屋の主人、女将の旦那様もメイド姿のリュビアを呼び寄せ、杯片手に上機嫌で晩酌の一杯をお求めだ。私という妻がありながら何を鼻伸ばしてるんだい、と、旦那の頭を後ろから小突く女将さんの突っ込みも、仲睦まじさがかえってわかるほど流麗だ。
女将さんを立てるべきか、旦那さんを立てるべきか。とはいえこの空気、用意のいい旦那さんに、一杯のお酒を注いであげるぐらいがちょうどいいだろう。とっくりを受け取り、杯を持った旦那さんに酌してあげると、若くて綺麗な生娘の注いでくれたお酒に、旦那さんもことさら上機嫌。
「ああ、なんだか面白くない。あんた、今月の小遣いはちょっと差っ引いておくからね」
「っ、ぶ……! げほっ、げほっ! お、おいおい、そりゃあねえだろぉ!?」
妻の目の前、若い娘にでれでれと鼻を伸ばす夫がぐいっと一杯いった瞬間、女将さんから稲妻のような一言。むせながら振り返って抗議する旦那さんの前では、女将さんが冗談めいた朗らかな表情で笑っている。
「リュビアちゃんも、スケベ親父に言い寄られないよう気を付けるんだよ~? あんたは可愛いから、悪い男も含めてきっと放っておかないだろうからさ」
「あははは……気をつけます」
おいそれよりも小遣いの件は嘘だよな、と、慌てて前言撤回を求める旦那の手前、言葉と手振りをあしらう女将さんは、娘を見守る母のような笑顔でリュビアに語りかけてくれる。さすがは宿を営む女将さん、昔はきっと、もっと綺麗な人だったんだろうと思うが、老いて美麗さを失う代わり、若き日以上の温かみを携えた笑顔には、リュビアも亡き母の優しさを彷彿とさせずにいられない。
ひととおり、そうして宿のお手伝いをしてきたリュビアが泊まり部屋に戻れば、そこでは年の近い恩人達も待ってくれている。おかえり、とリュビアを笑顔で迎えてくれるサニーも、同じ言葉で迎えつつもリュビアを直視できないクラウドも、一人この都へと攫われたリュビアにとって、孤独でいさせないでくれる優しい灯だ。
「クラウドってば、目のやり場に困ってる~♪」
「ああっもう、うるさいな……いいだろ、別に……」
「せっかく着飾ったリュビアさんなのよ~? ほら、見て見て、素直に可愛いって言ってあげなさいな」
リュビアの後ろに回ったサニーが、ぐいぐい彼女の背を押して、クラウドの前に突き出す。頭をかいて床にあぐらかいたクラウドの前にリュビアが来るが、下からそれを見上げる形のクラウドは、さっきより目が泳いで仕方ない。
「へ、変じゃないですよね……?」
「変じゃない、変じゃないから……ごめん、可愛いって思ってるのは本当なんだけど……」
顔を赤くして額を押さえ、目線を落としてリュビアを直視できないクラウド。16歳の少年、短いスカートを履いた2つ年上の女性を、間近で見上げるのは目に毒だ。手を前にしてスカートの中の三角領域はちゃんと隠しているリュビアだが、張りのある細い腿が風晒しの姿、上目遣いに直視するのは、健全であればあるほど直視しづらいだろう。
「ただいま……あ、リュビアさんもお帰りでした?」
「あっ、ファインさん。おかえりなさい」
明日の朝一料理の仕込みを手伝ってきたファインは、リュビアより少し遅れて帰ってきた。振り向いて、最も信頼するファインを満面の笑顔で迎えるリュビアは、ファインでも綺麗だと思えるほど美しい。人ってどんな苦しい状況にあったって、信服を寄せる人がそばにいる安心感を抱けるなら、こんなにも魅力的に笑えるものである。
「お風呂、もう沸いてますよ。リュビアさん、最初にどうですか?」
「はいはーい! 私も一緒に入るっ!」
「サニーは駄目だよ、何するかわかんないから」
サニーのリュビアとの同伴入浴をぶった切るファイン。ファインなんか過去の数年間で、何度風呂場でサニーにいたずらされたかわからない。サニーのことは大好きだけど、あれは他の人にやっちゃいかんもんであって、そんな露骨にしゅんとしたって容認するわけにはいかない。事故は未然に防ぐものだ。
「もー。じゃあファインがリュビアさんと入ってきなさいよ」
「えっ、それはそれでリュビアさん、どうなんです?」
「私はいいですよ? サニーさんじゃなくてファインさんと一緒なら……あっ」
「天然で辛辣かまされるとキツいわ……」
日中あれだけやったのでそう思われてても仕方ない自覚はあったが、素のうっかりでその本音を聞かされると胸にざっくり刺さる。言われてるなぁお前、と苦笑いするクラウドの隣に座るサニーは、まあいいですけど~、と唇をとんがらせていた。
「あはは……それじゃリュビアさん、行きましょうか」
「はい」
浴室に向かっていくファインとリュビア。女の子の中でも背が低い方のファインだし、加えてリュビアの方が2つ年上で、とりわけ姉妹らしく見える後ろ姿である。一方で、自分を助けてくれたファインにすっかり懐いてしまったリュビアだから、誘ってくれたファインに甘えるように返事したリュビアの方が、大きな妹のようにも見える。二人を知らない立場が傍から見れば、どちらが年上とも取れそうな絵面だろう。
お風呂上がりのリュビアは、洗濯していたもとの服に着替えてしまったため、メイド服はしばし見納め。また明日も着てくれるよね? と問いかけるサニーに、満更でない返事のリュビアを見れば、それなりに楽しんでくれたのがわかる。サニーにべたべたされるのはちょっと困るが、着るぶんには良いと。
日中のサニーの強引ぶりを見て、この買い物は失敗だったかなと一度考えたクラウドだったが、顛末までちゃんと見届ければ、それは間違いだったと思えた。窮屈な状況下であってなお、リュビアが今日を楽しめてくれたならそれが一番。昨日今日知り合ったばかりの人を案じ、安くない買い物を持ちかけたサニーの優しさを思い返すクラウドは、リュビアの笑顔を見るたびに、いい買い物が出来たんだなと思えた。それはサニーと財布を共有するファインも、はじめから考えていることだろう。
どんなにお金を積んだって、掛け値なき本物のスマイルを、必ずしも買えるとは限らない。心のこもった贈り物ひとつでそれが買えるなら、それはむしろ安い方である。




