第41話 ~宿暮らしの営み~
「サニー、そろそろ終わりそう~?」
「もうすぐ終わるわよ~。ご飯できた~?」
「出来てる~。冷めちゃうから早くにね~」
雲ひとつない晴天の下、服やシーツを物干し竿にざらりと並べたサニーは、風にはためく洗濯物を眺めて満足げ。この天気、加えてそこそこの風、ほどなく洗濯物もからっと乾いてくれるだろう。綺麗になった服に袖を通すのが楽しみだ。二階の窓から、昼食が出来たと呼びかけるファインへ、応える声も弾んでいる。
「お疲れ様です、ファインさん。すぐにお茶を入れますね」
「助かります、リュビアさん」
宿の食事場、台所と隣り合わせの場所で、ファインとリュビアはいそいそと昼食の用意を整えていた。本来、泊まりのファイン達には、宿の女将さんが三食を作ってくれるものだが、ファイン達は自分達でご飯を作る代わりに、少し宿代を負けて貰う形を取っている。勿論、単にそんなの受け入れていたら宿も商売上がったりなので、加えて宿の従業員にご飯を作ってあげたり、掃除や洗濯などもファイン達が請け負って、色々な面で宿のお手伝いに勤しむ形を取っている。言い換えれば、泊まる宿でちょっとだけ働かせてもらうぶん、それで発生する賃金によって、宿代を少し差っ引いて貰うような形だ。
「ファインちゃん、凄いねぇ。こんなに美味しいお料理を、そんな年で作れるなんて」
「いっそこの宿に就職してみない? あなたがもしも本気で勉強したら、台所を任せられる器になりそうよ?」
「そ、そんな……私なんて……」
女将を筆頭に、ファインに昼食を作って貰った宿の人々は、身内以外が作るまかない食事の新鮮な味わいに、いずれも舌を巻いている。宿屋の働き手といえば料理も上手く、仕事柄で舌も肥えている大人達なのだが、そんな人々が素直から絶賛できるぐらいに、ファインは立派に料理上手を果たしている。半ば本気で引き抜きを持ちかけられる時点で、それだけ評価されているのだ。予想だにしなかった高い評価に戸惑うファインは、顔を真っ赤にして、抱いたトレイで目より下を隠している。
「サニーさん、早く来ないかなぁ。私もファインさんのお料理、早く食べてみたいです」
「リュビアさんまで……そんな、たいしたもの作ってないですよ……?」
今はサニーが、外には干せない下着などを、宿内の陰干しスペースで干している頃合い。宿の人々にはお先に召し上がって貰っているが、ファインとリュビアは、サニーが帰ってきてから一緒にいただきますがしたい。宿の人達も絶賛するファインの料理というのがどんなものなのか、リュビアも楽しみになってきている。あまりそんなに期待されるとファインとしては、逆にがっかりさせたらどうしようと不安になってくる。
「はーい、お待たせ。二人とも、待たずに先に食べてくれててもよかったのに」
「そんなわけにも……まあ、いい匂いがして、ちょっと待ちきれなくなりそうでしたけど」
「んふふ、リュビアさんも気付いたようだね。ファインの台所才能の片鱗に」
「あ、あの、ホントそんなに期待しないで下さいね? サニーも煽らないでっ」
今日の献立は大根の煮付けと野菜のスープ、川魚の串焼き。宿の色んなところを掃除した後の短い時間で、ぱぱっと作っただけのものだ。宿の皆様にも出すものだから、味付けはちゃんとしたのけど、ファイン目線では思いつくままにやっただけだから、期待に応えられる気がしないのだ。こんなことならもっと時間を取って、じっくりやればよかったとファインも悔い始めている。
3人で、いただきますを口にして食卓を囲む。自分が食べるより、リュビアの口に合うかどうかが気になって仕方ないファインは、箸も持たず、対面に座るリュビアが大根の煮付けを口にする姿を見つめていた。上目遣いでちらちらと、リュビアの顔色をうかがうファインの姿には、サニーも密かに苦笑する。この子はつくづく、自分の腕をわかってないなと。
「美味しいです……! なんですかこれ、どうやったらこんなに美味しくなるんですか……!?」
サニー目線では杞憂だってわかってるんだから。柔らかい大根を咀嚼するたび、沁み込んだ出汁、適度な歯ごたえ、何よりも大根の甘味と醤油の辛味を絶妙に絡めたハーモニーが、噛むたびにリュビアの目を丸くさせていった。その変遷を目で追っていたサニーからすれば、感想を聞く前から結論が見えていたというものだ。
「……ファインさん、昔は飲食店で働いてたなんてことないですよね?」
「へっ? え、ええまぁ……そんな経験ないですけど……」
リュビアも人攫いに遭う前は、妹と二人暮らしで自炊していた身、素人料理にはそこそこ心得がある。そんな彼女をして、料理人の作ったものに比肩すると言わしめるほどには、ファインの料理の完成度は高い。そりゃあこれだけの出来のものを作るなら、宿屋の女将も褒めるだろうとリュビアも納得だ。
「私ファインと結婚したいなぁって時々思うもん。毎日ファインにお料理作って貰えたらどんなに幸せか……」
「……サニー、何言ってるの?」
「ああっ、うそうそ。そんな目で見ないで」
リュビアに惜しみない賞賛を贈られ、紅潮した顔も隠せずしどろもどろしていたはずのファインが、一気に冷めた目でサニーを凝視する。最愛の親友が、ドン引き丸出しの半目でこちらを見ている。明らかに冗談でもこれはやばかったか、と、サニーも慌てて前言撤回だ。
「……リュビアさん、気をつけて下さいね。油断するとサニー、本当に手癖悪いですから」
「わぁ……気をつけるようにします」
「ま、待って待って! 冗談、冗談だから! ファインの料理は美味しいよねって言いたかっただけで……!」
隣に座るサニーから、椅子を少し動かして離れるリュビアの動きにサニーも大慌てだ。このままでは、変態の烙印を押されたまま時が進んでしまう。じとっとした目で見つめてくるファインと、乾いた笑いのリュビアを交互に見ながら、慌てふためくサニーが弁解の言葉を連ねる。くすくす笑っているのは、そんな3人をを遠目で眺める宿の人達だ。表面上はこうして揉めていても、先のやりとりから根が仲良しなのは見えているので、傍から見るぶんには微笑ましいぐらいである。
少し難しい状況下で巡り会った、ファインやサニーとリュビアの関係。しかし、出会って二日目で既に打ち解け始めているのは、非常に良い傾向にあると言えるだろう。
「ただいまー、的な」
「おかえりー、的な」
日が沈み始めた時間帯、宿の泊まり部屋に帰ってきたクラウドを、第一声を放ったサニーと、ファインやリュビアが迎え入れる。女の子3人がくつろいでいた部屋に、男の自分が一人混ざり込むこの絵図、これっていいんだろうかとクラウドも無性に感じたりする。
「勝った?」
「勝った、調子いい。明日は試合ないから、ゆっくりするつもりだけど」
「流石っ! 稼ぎ頭さん!」
「なーんか引っ掛かるな、その呼ばれ方」
早めの時間から宿を出発し、闘技場で一戦終わらせ、勝利に伴うファイトマネーを獲得し、宿に帰って来るクラウド。出勤、仕事、帰宅と、一日のサイクルが完全に家族を養うお父さんのそれだ。クラウドの勝ち得たお金は当然クラウドのものなのだが、共同生活している以上、サニー達の方にもそれが回るので、そういうふうに認識しても何ら差し支えない。
「はい、お疲れ様……っと、私自分のぶん買ってくるの忘れてたわ」
「いいよ、サニーが飲んでも」
「まあまあそう言わずに。自分で買ってくるわ」
ひと仕事終えたクラウドに、冷えたジュースの一本を用意してくれるぐらいには、サニーの気配りは細かい。お金のかからない安い気遣いだが、これが出来る出来ないで、迎えられる側の嬉しさはずいぶん変わるものだ。お金じゃなくて気持ちが大事、というのは、こういう時に使われる言葉だろう。
「あ、クラウドも来る? せっかくだから、飲み物のレパートリー見ておきましょうよ」
「ん……それじゃ、そうしようかな」
「ファイン、リュビアさん、あなた達も何か飲む?」
「いえ、私は別に」
「私もいいよ。そんなに喉かわいてないから」
宿の受付に行けば、美味しい飲み物を売ってくれるサービスがある。品揃えもそこそこだ。ファイン達にも一声かけたのち、要らないの返答を得たサニーは、クラウドと一緒に宿の受付に向けて歩いていく。これからしばらく泊まり続ける宿、どんな飲み物を売っているか、把握しておくのもいい話だ。
ファインとリュビアを部屋に残し、宿の廊下を歩く二人。一人で歩けば速さの違う者同士だが、二人で歩けば横並び。自然とそうなるのは、旅の連れとして息が合ってきた証拠か。
「あのさ、クラウド。相談があるの」
「リュビアさんの前では、言いにくいことか?」
「察しいいわね。まあ、そんな暗い話ではないんだけどさ」
二人きりになった途端、相談事。実は、クラウドも部屋を出る前に、こんなこともあるかなと思っていた。今はリュビアが複雑な事情下にいるため、彼女の前では口にしづらいことも多い。何かきっかけを作って、クラウドと二人だけの状況を作り出したサニーの行動には、きっとそんな意図があるんじゃないかって。
「ちょっとだけ、お金貸してくれない?」
「ん……別にいいけど、何に使うんだ?」
「ほら、リュビアさんって外も自由に歩けないし――」
リュビアの境遇は非常に複雑かつ、苦しい。遠き地で、妹と二人暮らしであったリュビアは、何者かの手によって誘拐され、ここタクスの都にまで連れ去られた。そのまま彼女の身柄は、タクスの都の闘技場に売り払われる段取りになっていたという。恐らく、奴隷として。
あわやのところでファイン達が救出したため、その最悪は避けられたものの、リュビアを攫ってこの地に連れて来た連中が、彼女を捨て置いてくれるだろうか。人攫いの被害者であるリュビアは、その存在自体が、罪深き行為を知る証言者になり得る。悪人目線、タクスの都にて行方不明になったリュビアを、口封じも兼ねて回収したいはずだ。そんな連中の目に留まれば、リュビアはどうされるかわからない。再び攫われ、当初の予定どおり闘技場に売り払われるならまだまし、最悪何かしら状況が変わっていたら、殺されたっておかしくない。また、リュビアを保護しているファイン達なんかは、悪事を知る者として確実に命を狙われる。だから、今のリュビアは隠れ家状態のこの宿から、一歩たりともも出られない近況なのだ。
自分と同じ年頃の女の子が、外も自由に歩けない暮らしを強いられているのが実状。それを気の毒に感じたサニーがクラウドに持ちかけたのは、確かに少し言いにくそうな相談だ。自分達だけでやってもいいが、やはりクラウドも助けてくれた方が、金銭面でもかなり楽になる。
「――ってわけ。どうかな?」
「別にいいけど……サニーそれ、お前の趣味もだいぶ絡んでないか?」
「や、否定はしないけどさ。でも、お願いっ」
サニーもその辺りは自覚があるようで、顔の前に手を合わせ、クラウドに頭を下げる。下からいっている。ついでに自分も楽しむつもりなんだろうな、とはクラウドも薄々わかっていたけど、女の子のリュビアの気持ちはクラウドよりサニーの方がわかるだろうし、話に乗っても構わないとは思えた。
幸い闘技場で勝ちを重ねているから、お金は結構持ち合わせているのだ。それを知っててすり寄ってくるサニーなんだから、ちゃっかりしたもんだとも思うけど。
「わかった。それじゃ、明日買いに行こうか」
「ありがとう! 恩に着ますっ!」
調子のいい言葉と笑顔、だけどリュビアが喜んでくれる未来を想像した楽しみも内包されている笑顔で、憎めない。安い買い物ではないが、たまにはそんな贅沢に付き合うのも悪くないだろう。




