第40話 ~自信を持って~
「状況を整理するわ」
夕暮れの宿の一室。ファイン、クラウド、そしてリュビアを前にして、真剣な表情でサニーが口を開く。切迫する危機を示唆する、鋭い目つきだ。苦しい立場に置かれたリュビアの前、あまり不安がらせることを言いたくないのが本音のサニーも、場合によっては相当まずくなる状況下、遠慮もしていられない。
「リュビアさんは、遠い地で捕われ、タクスの都の闘技場に売り払われる寸前だった」
ファインを介して、リュビアから得た情報。無言でうなずくリュビアを振り向き、大丈夫ですかと問うファインに、リュビアも大丈夫ですよと笑顔を作って応える。一夜過ぎて、彼女も随分心が落ち着いたようだ。何気にこの中で年長者なだけあり、最も追い詰められた状況下でも、その芯の強さは失われていない。あるいは、これだけ良くして貰えているのに、うじうじしていられないという想いもあるのかもしれない。
「私達は、そんなリュビアさんを匿うことを選んだ。これは、今後も絶対ね?」
「ええ」
「勿論」
「……ありがとうございます、皆さん」
不遇のリュビアを見捨ててなるかという、3人の固い決意はここに改めて確かめられた。話に横入りしてでも礼を述べたくなるリュビアも、当然の態度だろう。
「私達がリュビアさんを匿っていることが、闘技場の連中に知れたら、ほぼ間違いなく敵対することになるでしょう。連中は、リュビアさんの身柄を再び拘束したい。そして、人買いの事実を知っているであろう、私達を口封じにかかる可能性が高い」
いっそ買収で口封じに来てくれた方が穏便だ。もっとも、どんな手段で来られたところで、サニー達はリュビアを闘技場陣営に差し出すようなことはしないつもりだ。だから連中にこの事が知れようものなら、ほぼ絶対に対立関係になる。
「今日からしばらく、みんなでこの宿に泊まるのは確定として、リュビアさんはこの宿から絶対に出ないこと。どこにリュビアさんを探す連中の目が光っているかわからないからね。不自由な想いをさせてしまうけれど、それだけは納得して貰わなきゃいけないわ」
「はい、勿論です」
リュビアからすれば、ファイン達に助けて貰えなかったら、もっと不自由な立場だったのだ。その程度の窮屈、あり得た最悪と比べればどうということもないというのが、リュビアにしても本音である。当然のことだと呑み込んでうなずくリュビアに、サニーも理解してくれたことにほっとする。同時に、街を自由にも歩けないリュビアの境遇には、同じ年頃の女の子として深く同情もする。
「いつかは機を見て、リュビアさんをこの街から脱出させられればベスト。ただ、連中も関所には常に監視を届かせているでしょうし、策もない現時点ではその手段を考えるのも難しいわ。それについては後日考えましょう」
「……人を荷馬車に隠して運んできた連中の手口、どうやったんだろうな。それと同じ手段を使えれば、密かにリュビアさんを連れ出すことも出来るかもしれないのに」
「それは私も思ってたんだけどねぇ。それがわからない以上、私達はゼロから考えなきゃ駄目だからさ」
都の入り口には関所がある。荷馬車がそこを通るなら、関税を計るためや、輸送してはならないもの――たとえば密輸品の有無の確認など、必ず荷物の確認があるはずなのだ。だが、リュビアは関所の番人にも見つからず、関所をクリアして都に入ってきたのだ。連中がどのようにして、そんな手段を用いたのかは謎のままだ。まさか当人らに聞くなんて馬鹿なことも出来まい。
実は、人の身柄を売り買いすること自体は、"天人ならば"法的にも許されている。たとえば女中、メイドが、主人同士の金銭の取り引きによって主を変えることも、広義で言えば身柄の売買。要は身柄を預かる者同士、しっかりした契約で取り引きするぶんには結構な話なのだ。リュビアみたいに、誘拐されてきた人物の身柄を金銭で取り引きするのが、二重の意味で違法なだけである。人を物に例えるのも不道徳な物言いだが、今のリュビアは連中にとって"密輸品"でもある。それはもはや、闘技場で貧しく働かされている少女達のように、天人特権でまあいいよと許せる次元の話ではない。だからリュビアの身柄を確保したい連中は、今頃血眼になって彼女を探しているはずだ。事が明るみになれば、少なくとも社会的に死ぬのは間違いないんだから。
かと言ってサニー達も、リュビアがこういう立場でして、と、法務機関に告発しに行くことは出来ない。それをやってしまった時点で匿っていた事実が露呈するんだから、警備網の中にダイブするようなものだ。それに非常に率の低い話ではあるが、法務機関も天人の組織、闘技場陣営も天人の組織、何か向こうで繋がりがあって、結局それでたいした結果に繋がらなかったら洒落にならない。得るものなく甚大なるリスクだけ背負う可能性がある以上、そんな手段は取らない方がいい。仮に闘技場のギャンブラー辺りにでもアンケートを取ってみれば、恐らく満場一致で同じような回答を得られるだろう。
「しばらくこの宿を隠れ家にして、何か策が生まれるまでは潜伏。いい手段が見つかれば、リュビアさんを連れてこの街を抜け出す。それでいいわね?」
「了解」
「うん」
「わかりました」
総意を得たところで作戦会議は終了だ。ふうと息をついたサニーは、表情から険を取り、一転快活な笑顔でリュビアに向き直る。
「それじゃ、働かざるもの食うべからず! リュビアさんには、ちょーっと小間使いなお仕事もして貰って、私達に楽させて貰うよっ?」
「あはは、お手柔らかにお願いしますね」
「あら、反発ない。リュビアさん、メイドさん向きの性格してるかも」
匿ってもらう立場のリュビア、サニー達に何かお願いされても、感謝に満ちる元々から断る感性がない。小間使いおおいに結構、何か頼まれれば何でもしますよと微笑むリュビアを見るサニーも、彼女が笑えるようになったことが無性に嬉しい。
「それじゃリュビアさん、お風呂場から私のタオル取ってきてくれない? 朝入った時、うっかり忘れてきちゃったのよ」
「はい、お安いご用です」
かしこまりました、とばかりに頭を下げ、部屋を出て行くリュビア。頑張ってねー私のメイド様、と冗談めいた口で呼ぶサニーは、すでに普段の朗らかな彼女に戻っている。めいっぱい優しくしてあげたいところだけど、それは地からファインあたりがやるだろうし、自分はこうしてちょっと軽い腰で絡んだ方がいいだろうと踏んでいるのだ。これで自分が悪く思われるんだったら、リュビア目線ではファインの優しさに信頼を寄せるだろうからと、ひっそり計算も含めているから流石である。
打算的な考え方だが、傷心の彼女に対して確実に一つのオアシスを与えるなら、各自が色んな態度で接した方がいい時もあるのだ。みんながみんな、腫れ物触るように優しく接したら、逆に向こうも肩身が狭く感じるかもしれないのだから。本当の優しさっていうのは案外難しい。
リュビアが部屋を出て行った姿を確認すると、快活な笑顔を作っていたサニーは一転、神妙な面持ちで深い溜め息をつく。なんとなく、ファインやクラウドも察していることだ。急にリュビアを部屋から出す流れを作ったサニー、3人だけでしたい話があるんじゃないかって。
「……馬車が壊れた現場にニンバスがいたわ」
「は?」
「……えっ?」
ファインもクラウドも即座に反応するほど、やはりその名は有名なのだ。魔女アトモスの軍勢を退けた天人陣営、その勝利の立役者とも言えるほどの活躍を見せた天人の勇者、ニンバスの名は、生ける伝説の如く知られている。名前を聞いただけで、実力を連想せずにはいられないほどにだ。
「もし……もしもよ? 闘技場陣営とニンバスに繋がりがあるとしたら……最悪私達は、あれを敵に回して戦うことになる。そういう想定も、私の中にはある」
その最悪って、短い言葉では語りきれないぐらい危険なことだ。天界の特級兵といえば、以前交戦した天界上級魔術師よりも遥か上の実力者のことを指す。そしてニンバスという人物は、それ以上の実力者と知られているのだ。それだけの功績を、彼は長き戦争の中で残してきた。
「覚悟は出来そう?」
「まあ、別に」
「…………」
それを前提に置いたとしても、サニーは意地でもリュビアを闘技場側に渡さない決意を固めている。連中にリュビアを差し出すっていうのは、それってリュビアに死ねと言うようなものなんだから。奴隷にするつもりとわかっている相手に、その首差し出すっていうのはそういうことだ。
クラウドは決断力がある。確かに敵に大物が混ざる可能性を聞いた時、ちょっと二の足踏みかけたのは事実。だが、リュビアの命を悪辣な連中に差し出すか、それを拒むために戦う道を選ぶかなら、どういう結論になるかは自分でわかっているのだ。まるで何も考えていないかのようにサニーに即答したクラウドであったが、その裏に竹を割ったような素早い決断力があった事実は、逆に周りから見えづらくもあるほど。そして、それはきっとファインも同じことのはず。
「あの、クラウドさん……怒って、ないんですか?」
「えっ、何故」
そんなファインがサニーの問いかけに即答できなかったのは、別視点での苦悩があったから。今の言葉を耳にして、ファインが何を気にしていたかわかったサニーは、頭の後ろをかりかりかく。これはまあ、わからなくもないが、気にするクラウドでないのは、今のやりとりからわかってもいいだろうと思う。
「……私がリュビアさんを匿うことを決めたから、クラウドさんも同じ立場になっているんですよ? そこに、クラウドさんは意見を挟むことも出来なくて……それで今の状況があるのに……」
「いや、あの……あ~、何て言ったらいいかなぁ……」
サニーも黙って、密かにクラウドを応援する。自分からでは上手く言えないことを、クラウドなら上手にファインに伝えてくれるかもしれない。振る舞いには見せないが、よろしくお願いと心の中では祈っている。
「なんと言うかさ……ファインってもっと、自信持っていいと思うんだけど」
「自信……ですか?」
「自分を信じる、っていう意味だぞ。漠然と、私はやれるんだ、って意味とかじゃなくてさ」
いつかクラウドが、人生を幸せに生きるために最も大事なものは、"自信"であると言っていた事をサニーは思い出す。この局面にしては、思わぬ角度から切り出してきたクラウドの言葉を、今度は純粋な興味からサニーも耳を傾ける。
「ファインは、人売りの形で闘技場に運ばれていくリュビアさんを見て、そんなの駄目だって思って助けたんだろ? それを貫きたいから、今も匿う覚悟を決めてるんだろ?」
「あ……は、はい……」
「それって、人として何か間違ってるのか? 攫われて、奴隷として売られていく人を見て、助けたいって思って行動すること、俺は正しい行動だと思ってるよ。で、その行動が間違っていないって今でも信じられるから、ファインは今もその決意を揺らがせないわけだろ? それが、自分を信じるってことじゃないのか」
単語ひとつではすべて語りきられなかった、クラウドが口にした"自信"の一言。話の流れでそれを耳にし、かつてその本質の浅きにしか触れなかったサニーは、言葉以上に深くそれを捉えるクラウドの発言に、ひたすら耳を傾ける。ファインだって、強い押しにうろたえながらも、一言たりとも聞き逃せない。
「自分が正しいことをしてるって信じられるなら、迷わずその道しっかり貫いてみようよ。それによって何か失敗するんだったら、終わってから学んでいけばいいんだからさ。周りのことを気にする気持ちもわかるけど、それでファインが自分のことを信じられなくなるようじゃ、意味がない」
何事も、やり遂げた後でしかわからないことがあるものだ。一つの道を最後まで歩もうと思えば、人は自らに成功や失敗を問いたくなる。時間の無駄遣い、周囲の目、我が道進んだ末に生まれる後悔、いくつも恐れを抱かせる想定がある。それでも果たさねば、最後まであるはずの道のりが最大ではなくなるのだ。
「俺は、ファインがリュビアさんを助けたいって思った気持ち、絶対に正しい考えだって思ってるんだからさ」
クラウドも、己を妄信して突き進むことばかりが正解だと言っているわけではない。共感するからこそ、ファインに、自分に自信を持てと推しているだけだ。クラウドは友人の言うことなら無条件ですべてを肯定するような人物だろうか。いや、肩をはずしたまま戦闘魔術師に挑もうとしたサニーを無謀と見て、声を荒げて引き止めようとしたこともある。当たり前のような一事だが、間違いだと思ったことには、相手が親しい者でもはっきり言える彼であるのは、ささやかな過去が証明してくれている。
「自分が信じられないなら、俺の言葉を信じてくれ。俺は、ファインの決意は正しかったと思ってる。サニーだってそう思うから、ファインと同じように、リュビアさんを匿うことを決めてるんだろ?」
「……うん、そうよ。いつでもファインが正しいとは私言わないけど、今のあなたは正しいことをしてるはず」
ああ、クラウドに任せてみてよかったと、サニーは心から思えた。自分には無かった観点から、ファインの背中を押してくれる人がいたのだ。不安に満ちていたファインが、姉のようにサニーを慕ってきた目と同じもの、心強い友人を見る目でクラウドを見つめる姿が、今のサニーには何よりも嬉しい。
右手を差し出すクラウドの行動に、ファインはその目を奪われる。その手にではない。一蓮托生を表明するような行為に出たクラウドの目から、ファインも瞳を逸らせない。
「やろう。ファインの、俺達3人の思う、正しいことを叶えるためにも、リュビアさんを守るんだ」
「……はいっ」
流石のファインも、少し前の自分が恥ずかしくなったものだ。これだけ熱い魂を以って、自分が歩もうとした道を肯定してくれていた友人に、見当違いの問いかけをしていたのだから。自分を信じろと言われても、こんな調子じゃまだまだ胸を張れそうにない。ある意味で、それは後ずさってしまったけれど。
だけど、クラウドのことなら信じられる。今まで誰より信頼してきた、サニーと同じぐらいに。そんな人が差し伸べてくれた手に、同じように手を差し出して重ねられなければ、それこそ永劫自分を肯定できまい。ファインが、人生を幸せに生きるために最も大切であると考えるもの、それは"友達"だ。
「仲間はずれにしないでよ?」
「サニーのこと、忘れるわけないじゃない」
「俺、さっきちゃんと3人って言ってたろ」
夕陽差し込む宿の一室、手を重ね合わせた3人の心が繋がる。三本の手が部屋の床に落としこむ影は、強固な魂の結びつきを象徴する交差点。三者三様、眼前に立つ二人の親友を交互に見て、個性それぞれの笑顔を交換する。一度決めたことに臨む時の、力強い笑顔を浮かべるサニー。己が想いに絶対の自信を持つ時の、揺るがぬ意志を込めた笑顔を形にするクラウド。そして、すがれるほどに頼もしい二人の手に挟まれて、幸せいっぱい柔らかく笑うファイン。そこに共通するものは、自分か誰か、心から信じられる誰かの存在を触れて確信できる、先の不安も吹き飛ぶ安らぎだ。
時に人は、自信を失い、前に進むこと困難になることがある。そんな時に信じる先が、自分でなくても構わない。そうして前進していくことさえ出来るなら、やがて自分を信じていけるようになるはずだから。
 




