第38話 ~棺桶になるはずだった箱~
「ありゃ~、派手にやっちゃったわねぇ」
他意なく野次馬気分で、荷台から崩れ落ちた荷物の数々に近付くファインとサニー。大きな音がしたものの、荷台に積んでいたものの数自体は少なく、ちょうど人が一人すっぽり入れそうな大きさの木箱が、十個に満たない数あった程度だ。あれは大方、多量の香辛料などを運ぶために使われる木箱。闘技場内にも食堂はあるから、そのための何やらを運んでいた荷台なのかな、という発想には至れる。こんな夜中にそんなものを輸送しているとは思いにくいから、引っ掛かる想いは拭えないけど。
乱雑に崩れ重なった木箱のいくつかは、端がひしゃげて隙間から塩が漏れていたりする。商人間ではえらい損害になっているだろうなと見受けながら、サニーもどこか向けに気の毒な目をしていたところ。しかし、まるで他人事を見届けるような態度だったサニーのそばで、ファインの表情はそうではない。
「ねえ、サニー……! あれ!」
数個の木箱の中に紛れ、同型ながら黒塗りの箱が一つある。他の木箱に覆いかぶさられる形で、夜の風景では見えにくいものだが、明らかに一つだけ様相が違う箱だ。それを指差し、何やら急に迫るような表情で駆け寄るファインの行動は、サニーにとってもはじめ不可解だったものだ。
しかし、彼女を追って黒塗りの箱に近付くにつれ、もしやという予感がサニーの顔色をも強張らせる。ファインを追う足、箱に近付く足も自ずと速くなる。他の木箱の数々に隠れながら、黒塗りの箱が僅かに、かたかた揺れているのが見えたからだ。箱はいずれも生き物じゃないんだから、勝手に揺れる箱というのは、箱の力だけでそうなっているはずがない。
遠目から見た印象が、近付きさらに事実だと肯定されたファインは、血相変えて黒塗りの箱に耳を当てる。黒塗りの箱は、未だに僅か揺れている。まるで、中に人でも入っているかのようにだ。仮にもしもそうだったら、それが中で暴れているから箱が揺れていたのだと、嫌な仮説も自ずと立つ。
「……気配がする!」
「冗談でしょう……!?」
信じられない想いを口にするも、ファインの言葉を疑わないサニーは、即座に魔力を展開した。黒塗りの箱に覆いかぶさる木箱の数々、その一番上のものに横から掌を当て、鋭い眼差しとともに魔力を放出するのだ。その瞬間、サニーの掌から溢れた勢いのある水が、局地的な鉄砲水のように木箱を押し出し、不安定な形で積み重なっていた木箱の一つが、その圧によって吹っ飛ばされる。石畳の上に転がって損壊を大きくする木箱だが、そんなものには意にも介さず、サニーは他の木箱も同じように排除していく。
やがて黒塗りの箱の上部が、綺麗に一面で空を見上げる形になる。サニーにありがとうと一言告げながら、険しい表情のファインは黒塗りの箱の隅に掌を当てる。ん、と短く漏らした声とともにファインが発動させた魔力は、彼女の掌から岩石の槍を放つ形で、黒塗りの箱の蓋の角を破壊する。四隅をいずれも同じように破壊したファインの手により、四隅を釘で抑えられていた黒塗りの箱の蓋が、誰の手にも開けられる形になる。
まさかとは思うが。そうした想いとともに蓋を開けたファインの目の前には、本当にまさかの光景があった。サニーと同じぐらいの年頃の、褐色肌の少女が、足首と後ろ手の手首を鎖で縛られ、身動きとれない芋虫のような姿で束縛されていた。猿ぐつわで塞がれた口元は、周りの頬と同じくびしょびしょで、涙目でファイン達の姿を見る彼女の瞳が、そうさせたのだと想像に難くない。
「だ、大丈夫ですか……!?」
目の前の少女のことしか考えていない顔で、切実に呼びかけたファイン。親友と少女を見下ろして、晴天の霹靂に表情をしかめるサニー。今でも涙を流しながら、荒い息とともに二人を見上げる少女は、憔悴した顔色で突然の見知らぬ顔に怯えきっていた。
宿に帰ったクラウドは、事のあらましをファイン達に聞かされ、まるで信じられないというような顔だった。友人二人の言葉を疑う意味ではない。突然のことに、一瞬頭がついて行かなかっただけで、それも当然だ。
黒塗りの箱から少女を救出した二人は、その場でファインの火の魔術により、少女を拘束していた鎖を焼き切った。縛られた少女の手足も駄目になるはずのところを、そうさせなかったのはサニーの水の魔力による保護の賜物だ。ファインも流石に一人では、鉄も焼き切るような熱の生成と、その熱から体を守るための魔力を両立することは難しく、あの場に二人居合わせたのは幸運なことだったと言える。
サニーとファインが肩を貸し、まずは少女を泊まっていた宿に担ぎこんだ。やつれた少女のそばにファインを置く形にし、サニーはクラウド達がいる酒場に帰りついた。あの場ですべてを話すことはせず、ファインも疲れちゃったみたいだから私達も帰ろう、と告げ、闘士達の酒宴からクラウドだけ抜けさせて貰った形を作った。
宿への帰り道、二人で歩く中、ちょっとびっくりすることがあるから覚悟しておいて、とサニーも釘を刺していた。いい意味でのサプライズを物語る顔でなかったことからも、クラウドも嫌な予感はしたものだ。そして、宿の一室に帰ったクラウドの目の前にあったのは、疲れ果てて眠りについた少女と、そのそばに座るファイン。そこから何があったのかを聞かされて、現在に至るということだ。
「……要するにその子は、真っ黒な箱に入れられて、闘技場に運ばれていくところだったのか」
「ええ、恐らくね。あのままいけば、きっとそうなっていたんだと思う」
唐突なことを聞かされて、無理なく頭がその発想に辿り着いたのは、3人ともそれに順ずる闘技場の暗部の一端を知っているからだ。ファインが以前、タクスの都の闘技場に奴隷として売り払ってやると脅された一件もあるし、クラウドは闘技場内で、身なりの綺麗でない女の子が働いている姿も見ている。人身売買という、口にするのも気分の悪い単語が、あの闘技場の裏側に根差している推測はあった。その矢先、このような出来事に直面すれば、むしろ連想する思考回路も自然な方だろう。
ああいうことになったからよかったものの、あのまま少女が黒塗りの箱に入れられたまま、闘技場まで連れ込まれていたらどうなっていただろう。とても、満足に幸せを得られる立場に置かれていたとは思えない。今となってはあの黒塗りの箱も、闘技場という人生の墓場に少女を運ぶ、棺桶であったようにさえ思えてくる。
「タルナダさん達には隠し事をする形になったけど……この方が賢明よね?」
「……まあ、そうかもしれないな」
酒場にクラウドを迎えに行ったサニーは、彼と一緒にいたタルナダ達には、敢えてこの出来事をほのめかしてすらいない。彼らは、闘技場側の人物だからだ。人の身柄を売り買いするという、明らかに闘技場にとっては公開したくない出来事を、タルナダ達に話してもいいかは確信が持てない。まして宿のすぐそば寝息を立てている少女の身柄を匿っているのが、自分達であることを闘技場側の者が知れば、向こうがどういう動きに出るかわからない。悪人には見えないタルナダ達だったが、手放しで信用するにはこの件が重過ぎる。
ファイン達がやったのは、拘束されて物のように荷台に詰まれ、闘技場に運ばれる少女を救出するという行為。そしてそれは、場合によっては、闘技場側の闇仕事を担う連中を、敵に回す行動ということだ。衝動に任せてここまできたが、ここからの立ち回りを慎重にしていかねばならないのは、サニーとファインが一足早く、後から知ったクラウドも思考を追いつかせて理解している。
「何にせよ、今日のところはおとなしくしてるべきでしょうね。この子が目を覚ましてから、いくつか詳しい事情も聞けるでしょうし、今後の動きはそれを聞いてから考えればいいはずよ」
「そうだな。俺は明日も闘技場での試合があるから、今日はもう寝ることにするよ」
具体的に何をしていくかを練るには、今はあまりに情報不足だ。今日はここまで。一夜明け、目覚めた少女に話を聞いてから次を考えようということで、今日の話は纏まった。
「……あの、クラウドさん」
体を伸ばして寝ようかというところのクラウドに、ファインが静かに語りかける。ちょっと離れた位置というだけで、聞き逃してしまいそうなほど、か細い声だ。
「……何を気にしてるのか知らないけど、何であれ俺に気を遣うことなんかないぞ」
ファインが何を言おうとしているのかまではわからない。だけど、過去にクラウドを騒動に巻き込んだ際、青ざめた顔で自分に謝ってきたファインを見たことがあるから、何となくわかる。あれはあの時と同じ顔で、やましい何かを詫びたい顔だって。何を詫びたいのかは具体的にはわからないけど、少なくとも今のクラウドの思考内で、ファインに詫びを入れられるような心当たりはない。
短い付き合いでもすぐわかることだが、ファインは何かと気にしすぎる。何を言うつもりであったかなんて、敢えて知らないままでいいとクラウドには思えた。俺にそんな顔で目を伏せる必要はないよとだけ返し、ファインの言葉の続きを封殺する。サニーも思わず驚いたものだが、短期間でファインのことをちゃんと見て、どういう子なのかしっかりわかっている反応ではないか。
「寝て覚めれば、きっと気分も変わるよ。気にせず、今日は寝た方がいいんじゃないかな」
「あ……はっ、はい……そうかも、しれませんね……」
自分の謝罪を未然に突っぱねたわけでなく、クラウドの側からファインを心遣い、そうした言葉を向けてくれたのは、優しく微笑みかけてくれた彼の顔からもわかることだ。浮かない顔の陰まで消えたわけではないものの、クラウドの気持ちを真正面から受け取ったファインは、恭しいものを見るような顔で微笑みを返す。最善最速でファインに笑顔をもたらしたクラウドの言葉には、長年ファインの親友であったサニーも、一歩前を行かれた気がして妬けてしまう。
「ふふ。それじゃ、灯り消すわよ?」
それでもファインの気持ちが安らぐなら、それはサニーにとっての最善だ。クラウドの促した道を後押しするかのように、うなずく二人の反応を見て部屋を暗くするサニーは、誰も見ていない闇の中で、綻ぶ顔を抑えられなかった。
確かにファインが別れを惜しむはずだ。本当に、ファインとよく合う素敵な友達と巡り会えたんだと思う。




