第3話 ~サニー~
「……どうですか?」
「……美味しい」
「そうでしょそうでしょ、ファインってば凄くお料理上手なんだから」
一人暮らしで自炊していれば、毎日食べるものが自分好みの味に偏るものだ。結局自分の作ったものが一番美味い、となっていたクラウドの舌が、ファインの手料理に静かな喝采を送っている。
野菜と缶詰肉を水洗いしたもの、それからじっくり出汁を取る合間、削ぎ落としたとうもろこしを炒めた前菜には、ほどよくまぶした香辛料がよく利いている。メインディッシュの肉団子も、あり合わせの調味料を混ぜて茹でただけのソースが絡んで、食材の旨みを引き出す甘味が如実に表れている。最後に仕上げたスープの完成品がまた秀逸で、ほんの少しのスパイスと調理油を垂らし、山菜と海藻をちょっと浮かせただけで、こんなに美味しくなるものとは信じられない。深みに満ちた味のスープだけで何杯でもいけそうなのに、スープを吸った山菜や海藻が歯ごたえに味を沁み込ませており、器の中の具が奏でる調和の美しさたるや。これは、ちょっとずつ食べないと勿体ない。
クラウドだって、スプーンを動かす手がいつもより早い自覚がある。仕事中の休憩がてらに食事を摂った昼食と違い、自由時間な夕食はゆったり食べるのが日頃の習慣。普段は節制のため、炊いた米もあまりたくさん食べないクラウドだが、今日はおかわりせずにいられないほど、おかずが魅力的だ。食が進んで仕方ない。話しかけられた時以外に無言なのは、無愛想なのではなく夢中になっているからだ。
自分でも予想外なぐらい、お腹いっぱいたいらげたクラウドは、はぁと息をついて数秒経ち、ようやくごちそうさまの一言を口にした。たまに世話になる定食屋などの外食、あれも充分おいしいが、新鮮なファインの料理の味わいは、意外さも相まって少し呆けてしまうぐらいだった。既に食べ終えていたファインとサニーも、クラウドの完食を見届けてから手を合わせる。サニーはごちそうさま、ファインはお粗末様と一声。
「思った以上にあなたの家、いい食材多くて助かったわ。安物ばかりだけどいいもの選んで買ってるのね」
「一言も二言も多いぞ。しかもサニー、料理してないよな」
「だって調理はファインに任せておけばすぐ絶品だもん。準備や仕込みは私がやる、理想的分担でしょ?」
食膳台を囲むように座る三人の座り方はそれぞれで、家主のクラウドはあぐら、ファインは正座、サニーに至っては片立て膝に肘を置いて胸を張っている。食後の語らいの姿勢ひとつで、性格の違いが表に出てくるのがわかりやすい。
「まあ、サニーにこの繊細な味付けは無理そうだけどさ」
「何よ失礼なっ! 今日会ったばかりのレディーに不躾なこと言わないの!」
「ここまで散々無礼な口利いておいて何言ってんだ」
あしらうクラウド、返される言葉にぷんすか笑うサニー。二人とも、ここまで言うぶんには相手も大丈夫だろうな、というラインをしっかり見極めている。軽口を叩くだけあって、少々失敬なことを言われても笑うだけのサニーの性分がクラウドにわかり、それもまたサニーの語り口が為す、とっつきやすさと人間力。そうした態度を表面化させても、クラウドならへそを曲げまいと見たサニーの踏み込み方の絶妙なのだろう。
「私だってその気になれば、美味しい料理作るぐらいちょちょいのパッよ。ねー、ファイン?」
食器を台所へ運ぶファインへ、自信満々で語りかけるサニーの態度は、虚勢なのか真性なのか。声をかけられたファインが露骨に固まったことから、後ろから見たクラウドにも明白。顔を立てた返事をしてあげるべきか、素直なところを言うべきか、迷うファインの気持ちが見て透ける。
「正直なとこ教えてくれよ。俺の人を見る目が腐ってないか、確かめたいし」
「……サニー、あんまり見栄張らない方がいいよ」
「えっ、ちょっと」
台所に食器を置いたファインは、残念そうな笑顔で振り返っていた。親しい友人、フォロー入れてあげたいのは山々だけど、あの料理勘で"その気になれば"というのは大言が過ぎる――と、哀れむようなファインの目が物語っている。
「具体的にはどんな風にメシ音痴なんだ?」
「塩辛いクレープとか食べたことあります? 昔サニーが作っ……」
「待って待ってファイン! 恥をかかせないでっ!」
ファインに慌てて近付くと、彼女の口を両手で塞ごうとするサニー。やだ、いい機会だから言わせて、と、もがもが言いながら足掻くファインは、サニーの両手を口元から引き剥がす。
「ぷはっ……! 聞いて下さいよ、サニーってば隠し味とか言って、漬物を生地に……」
「やめてー! 私の女子力が疑われる!」
仕舞いには後ろからファインを引き倒し、寝転がって組み付いて口封じしようとするサニー。意地でもファインは過去の苦労話を吐き出してやろうと、こちらも激しく抵抗だ。這うようにしながらも強引にサニーの手を口元から剥がし、時々また口を塞がれて言葉を詰まらせながらも、ファインが思い出の数々を解き放っていく。そのたび大声を出してかき消そうとするサニーの抵抗が虚しい。
どたばた揉み合う二人だが、お掃除済みの室内には埃が舞わない。暴れるように見えて、活動範囲を狭い床の上に絞った二人の攻防ゆえ、高所のランプを蹴る心配もないだろう。サニーの痛い過去をふんふんと頷きながら聞くクラウドも、騒がしい客人に機嫌を悪くすることのない夜を過ごしていた。
「あーもう汗かいた! ファインしつこいのよー!」
「いたた……いつもの仕返しだもん。私だって、けっこう気を遣ってるんだからっ」
激しく運動した後の二人は、顔を紅潮させて息を切らしている。サニーに関しては、恥ずかしい過去を晒し者にされたせいもあって顔が赤いのかもしれないけど。
「お風呂ある~? 汗流したいんだけど」
「そっち。お湯は自分で沸かしてくれよ」
当たり前のようにこの家を使おうとするサニーに、もう慣れたのか風呂場を指差して教えるクラウド。あの態度に突っ込むのは時間の無駄だと、そろそろ慣れてきたようだ。というかあいつ、もしかしてこのまま泊まる気じゃないだろうなっていう気もし始めている。まさか男の一人暮らしの家に、年頃の女の子が宿貸してくれなんて言ってこないだろうと思ってはいるが。
「水はこっちで作るから、そっちはファインよろしくね」
「はーい」
風呂場に入り込むサニーは、水の魔術で浴槽を満たす役割を担う。家の外から風呂釜の下に焚き木をくべるのは、火の魔術を扱うファインの仕事と言うわけだ。地人であるクラウドも、生活用の火の魔術ぐらいは経験から身につけているが、天人のみの水の魔術は扱えないから、浴槽に水を満たすのは井戸から汲んでこなければいけなかった。天人と地人が一人ずついれば、水も火も無から生み出せるし、色々便利なものなんだなとクラウドもしみじみ考える。どうにも現代、あるいは遥か昔から、天人と地人の溝が深いのは、非効率な世の中だとも思う。
「ファインいいよいいよー、最初はガーッといっちゃっていいから。――クラウドももう少し待ってね、すぐに沸くからさ」
「サニー達が先に入れよ。二人が沸かしてるんだから」
「え、何言ってるの。家主あなたじゃない、一番風呂はあなたでしょ」
「いいよ別に、俺の残り湯なんかに浸かっても嫌だろ」
「私ら別に平気よ? ファインもそうでしょー?」
勿論ですー、と外から返ってくる声。サニーもあれで案外、細かいところで気は回してくれているようだ。他の部分では忌憚なさ過ぎるとも言えそうなサニーだが、大事なところに対しての思慮だけはちゃんと押さえているようだ。
「あ、沸いてきたわよ。湯加減調べて。丁度いいとこで言ってね」
混ぜる竿で浴槽に満ちた湯をかき混ぜながら、クラウドに語りかけるサニー。そう言った時点で湯加減はいい具合に仕上がっており、湯に手を入れたクラウドも小さくうなずいた。
「まあ、これでいいよ」
「ファインー、今の感じで」
はーい、と外から聞こえてきたところで、サニーは浴室を出て行った。扉の向こうから、ごゆっくり、の一言が聞こえて数秒経つと、そろそろいいかなとクラウドも服を脱ぎ始める。日々の仕事や、この街に辿り着くまでの過酷な日々で鍛えた体は、16歳にしてはよく完成されたものだ。引き締まった筋肉は、強く生きてきた彼の生き様を体現するものでもある。
服を乱雑に畳み、浴室と居間の間に位置する脱衣所の籠にひょいと投げ入れると、ゆったりとした入浴だ。人に沸かしてもらった風呂に入るなんて何年ぶりだろう。疲れた体に染み入る熱々の湯は、一日の終わり前に、安らかな眠りに繋げてくれる最高の栄養剤だ。
「……あのぅ」
自分だけの世界に入って一息ついていたクラウドに、ふと扉の向こう、脱衣所から聞こえてきた声。気兼ねなさに満ちたサニーとは異なる、遠慮がちなファインの声だ。扉一枚挟んだとはいえ、全裸で近しい位置から女の子に語りかけられたクラウドは、思わずどきりとして身をすくませる。
「お着替え、置いておきますね? 勝手にタンスを開けたのは申し訳ないんですが……」
そういえばそうだ。一人暮らしで客人なんか招いたことなんかなかったから失念していたが、女二人がいる家で、タオル一枚腰に巻いて着替えを取りに行くわけにもいくまい。一人暮らしに慣れすぎていた弊害か。
「こっちの服は洗濯しておきますね?」
「ん……あぁ」
戸惑うようにクラウドが返事する扉の向こう側、去っていくファインの足音が聞こえる。一日働いて汗まみれの男の服を、下着も含めて抱えて去るファインを想像すると、嫌じゃないのかと思わずにいられない。今日初めて会ったばかりの男の、生下着やソックスなのに。
ひとまず風呂を上がったクラウドは、体を拭きながら綺麗に畳まれた着替えを見る。シャツとパンツが一枚ずつ、加えて湯冷めしてはいけないと思ったのか、ズボンだけでなく羽織やまで添えてくれている。風呂まで沸かして貰って至れり尽くせりだな、と、これまでの半生を思えばクラウドも感じずにいられない。俺は地人なのに、と。
風呂上がりのクラウドを迎えたのはサニーだ。どうだった? と、よかったよ、を交換するサニーとクラウド。ファインは外で、クラウドの服を洗濯しているらしい。クラウドの湯上がりを確認したサニーは、そんなファインのいる方に、腰を上げて歩いていく。
「クラウド上がったってさ」
「そう? サニー先に入ってていいよ」
「えー、一緒に入ろうよ」
「やだ。サニーすぐ抱きついてくるもん」
「堅いこと言わずにさー。ほらほら早く」
「あ、もう……待って待って、せめて洗濯終わってから……」
胸をファインの背中に押し付けてべったりのサニー、ちょっと敬遠気味のファイン。二人の絡みを横目で見守りながら、井戸と浴槽を往復するクラウド。風呂上がりだというのに労働するクラウドに気付いたファインが、ふっと途中からサニーとの会話を止め、目でクラウドを追い始める。気付いたサニーも同じくクラウドを目で追うが、二つの視線に突き刺されてクラウドも途中で足を止めてしまう。
「……風呂の湯、抜いたから。手間だけど、もう一回沸かしてくれるか」
もう一度湯を沸かすという手間を、ファイン達に強いるクラウドの行動は、考えなしのうっかりなどではない。男の残り湯を、二人に押し付けることを避けてくれたのだろう。真意をすぐに読み取った二人は、顔を見合わせてくすっと笑う。押しかけ気味に上がり込んだ自分達にさえ気を回してくれる配慮には、顔も綻ぶというものだ。
「……なんだよ」
「いいえ、何でもありません。お心遣い、ありがとうございます」
「あなたいい男になるわ。私が保証するんだから間違いなし!」
嫌な顔ひとつせず男の洗濯物を手にするファインと、親指をぐっと立てて片目つぶったサニーの笑顔が明るい。今日の二人との会話でも、何度か小さな笑顔も見せたクラウドではあったが、胸の奥から自然と溢れる今日一番の笑顔、それが顔に出てしまったのは今が初めてだ。
やがて洗濯を終えたファインがそれらを干すと、サニーに手を引かれて二人で浴室に入っていく。クラウドも火の魔術は多少使える。入浴中の二人がお楽しみの中、風呂を焚く役目を担ったクラウドは、家屋の外から二人に声をかけ、しばしば湯加減を確かめたものだ。その都度上機嫌な二人の声が返ってきて、一人暮らしの時には無縁だった、会話ありし夜を楽しめる。
「ファインまた大きくなってない? そろそろ私に追いつきそうじゃない」
「やっ、ちょ……! もう、触り方いやらしいよサニーは!」
ざばざばと浴槽の湯がはじける音に、ファインの裏返った声とサニーのにまにました声が混ざっている。仲のいいことで、と、屋外から風呂釜を焚く火加減を操るクラウドも、微笑ましく聞くだけだ。
「おーい、あんまり暴れるとお湯が減るだろ。ちょっと火を緩めるぞ、水は作れるだろ?」
「助かるわー、気遣いのできる男の人って大好き」
「ちょっとっ、そこは駄目ホントに駄目っ! 怒るよサニー!」
絡むサニー、絡まれて落ち着いて体を洗う暇もないファイン、結果的にそれなりの長風呂になってしまう。やがて上がった二人の顔は、片やお腹いっぱいという顔、片やちょっぴりふくれっ面だ。二人の湯上がりを確認したクラウドも屋内に帰ってくるが、スペアの旅着に着替えた二人は、出会った頃よりもずっと可愛らしく見えた。旅暮らしで砂埃にまみれた服を綺麗なものに替え、お風呂上がりでさっぱりした顔に一新しただけで、女の子っていうのはここまで変わるものらしい。
「はー、さっぱりした。もう宿まで行くの面倒だし、ここに泊まっちゃってもいいかな?」
「あぁ、やっぱりそういうつもりだったんだな。別にいいけどさ」
宿屋に泊まればお金がかかるし、行きずりの誰かの家で雨露凌げれば、旅費も浮くという側面もある。やっぱり上がり込んできた時点で、あわよくばのそういう計画だったんだろうな、とクラウドもわかった。サニーの提案に、嘘でしょ流石にそこまでは悪いでしょ、とばかりに振り向くファインの姿が、この二人における常識人サイドであることを物語っている。
「や、あの、クラウドさん……」
「いいよいいよ、こんな狭い家でよかったら別に泊まっていっても」
「わーい、言質取った! それじゃお世話になりまーす!」
無邪気に喜ぶ年上サニー、頭が上がらないという表情でうろたえるファインを尻目に、寝室を整えに行くクラウド。男の自分が毎日就寝しているようなベッドを二人に押し付けるのは抵抗があったが、その話を聞いた二人が、家主をベッドから追い出すなんてあり得ない、と否定したため悩みは杞憂。ただ、野宿慣れした二人の提案は、寝室でクラウドが就寝、居間で自分たちが雑魚寝で充分というもので、これにはクラウドが首を振る。流石にクラウドも、女の子を布団もなしに雑魚寝させるのは気が引けた。
結局双方の意見を総括して、クラウドは普段どおり、自分のベッドで寝ることに。ファインとサニーは居間で寝ることになったが、クラウドの掛け布団を押し付けられる形になった。ファインとサニーが旅中で愛用する寝袋は砂まみれだし、流石に屋内では使えまい。一人ぶんしかないシーツと掛け布団を、下はクラウドが、上はファインとサニーが使うということで話は纏まった。
しばらくちょっとした世間話を挟み、ファインが小さくあくびをした頃に、灯りを消して就寝に移る。風呂場では片方がしつこいセクハラを重ねていたようだが、一枚の掛け布団を共有して小さく纏まる二人は、ここに至ればおとなしい。背中を向けたファインを抱き枕代わりにするサニーは相変わらずだが、変な触り方をしてくるわけでないのなら、ファインもサニーの手を優しく握って受け入れてくれる。クラウドの耳に届く、嬉しそうに小声で笑うサニーの声や、安らかな心地を吐息にさえ含むファインの寝息は、一人じゃない夜の温かさを届けてくれるものだった。
寝る直前、ちゃんと戸締まりしたかをしっかり思い出し、大丈夫だなと確信を持ってから眠りにつくクラウド。盗られて困るものなど何もない我が家、戸締まりなんか気にしたことなど殆どない。今日に限ってそれを強く意識したのは、不用心をきっかけに、安らかな二人の眠りが邪魔されるような間違いを起こしたくなかったから。今日初めて会った二人に対して、ここまで想える自分も新鮮だ。
今も昔も天人と地人の溝は埋まらず、人間社会は不条理に満ちている。人里で暮らすようになってからそんな現実ばかり目にしてきたクラウドも、ちょっと今までの認識を改めようかと感じ始めていた。こんな奴らがいるのなら、世の中も捨てたもんじゃないなと。