第33話 ~公式戦~
「ふふ、凄いわよねクラウド。いい結果出せるだろうなとは私も予想してたけど、あそこまでわかりやすくやってくれるとは思わなかったわ」
「うん、かっこよかったね」
クラウドが闘技場の入門試験で優成績を残した夜、昨夜に引き続いて部屋を借りた宿で、ファインとサニーは今日のクラウドの勇姿を思い返していた。クラウドが出来る人物だと知っていた二人目線でも、予想を遥かに上回る快勝劇であり、彼を初見の闘技場側なら尚更驚いてくれているはず。わかりやすく目に見えたクラウドの成功は、彼と親しいファインやサニーにとっては、思い返すだけで気持ちのいい思い出だ。
試験を終えたクラウドは、あの後受付の中年男に、今後の展望を聞かされた。合格なのは試験終了から1時間経たぬ間に決まったことであり、闘技場の公式戦参加は既に認められたということ。クラウドにはランクが与えられるようだが、Dランク闘士にあれだけの勝ちっぷりを見せた姿からも、Cランク以上の階級が与えられるのは間違いないであろうこと。そして試験で体を痛めたり疲れさせたりした気配もないことから、明日からは早速公式戦に起用されるであろうこと。ひとまず明日の朝、闘技場に来てくれという旨を伝えられ、細かいことは明日伝えるという話のようだ。話を総じ、ほぼ確実に決まっていることをまとめれば、明日はCランク以上の階級を背負い、早速の公式デビュー戦ということらしい。
クラウド自身もこの早い展開は予想外だったのか、今は宿を出て、夜風に当たってくると行ったきり帰ってこない。意気込んで来たのは間違いないけれど、心の準備より遥かに早く、明日からいきなり、勝てば賞金も出る闘技場生活が始まるのだ。改めて今の境遇を見つめ直し、明日から始まる日々に向けての心の準備を整える時間も必要だろう。なかなか帰ってこないクラウドだが、宿の外すぐの所にいるのは知っているし、ファインもサニーもそっとしている。しっかりした友人だとはわかっているから、寝なきゃいけない時間になれば、勝手に帰ってくるだろう。
「明日どんな相手とクラウドが当たるか知らないけど、私は上手くいくと思ってるよ。闘技場では賭け事もやってるみたいだし、私もクラウドにいくらか張ってみようかな」
「もう、サニーったら」
「ふふ、冗談冗談。友達でそんなことしたくないわ」
ファインも笑って応じるのは、サニーがそういう子だと知っているから。たとえ話でそういう表現が出てくるぐらいには、明日のクラウドの勝利をサニーも信じているということだろう。相手が何者かもわからないうちからそう思うのも早計だが、それを差し置いてなお信じられる程度には、今日のクラウドの勝利は先行きの明るさを思わせるものだった。そういうサニーの言葉に、それは早いよと言わない、思わないぐらいには、ファインも同じことを考えている。
「楽しみね、明日。クラウド、きっと輝いてくれるわ」
「……うん」
クラウドの成功を疑わないサニーの、明日を思って綻ぶ表情を抑えられない態度。それを受け、同じくクラウドの勝利を信じてやまぬファインの、ふんわりとした笑顔を返す姿。二人にはっきりと共通するのは、友人であるクラウドの明るい未来を願う想いと、それが叶い始めていくであろう明日が楽しみな想いだ。
「祈ってあげましょうよ、あいつの成功。それがあなたの望む、あなた自身なんでしょう?」
「……うん。そうだよね」
僅かに浮かないような表情のファインを、ちゃんとサニーは見逃さない。友人の成功を信じられる状況がはっきりと目の前にあるのに、明日が楽しみと素直に喜べないファインの心を、ちゃんとサニーは見逃さずに見てくれている。語らずとも深い想いを察し取ってくれる、唯一無二の親友の心遣いには、ファインも心中、敵わないなと頭が上がらない想いだ。
明日もクラウドは華やかに勝利し、闘技場生活の良きスタートを切り、勝ち得た職場で上手くやっていく。それでいいじゃないか。胸の奥にじんわりと潜む想いに蓋をして、友人のサクセスを願う真意を色濃くして、ファインはサニーに心からの微笑みを返した。
宿の外で月を見上げるクラウドは、地べたにあぐらをかいて座って、今日のことを思い返していた。ほのかに抱いていた自信は過信でなく、結果を出せる自分にはひとまずほっとした。約束に近い良い言葉も聞けたし、明日から本格的に、この地で稼いでいく生活が始まるのだ。予想以上に早い、そうした生活のスタートには戸惑いかけたものの、単に嬉しい誤算でしかないというのは、前向きな思考ですぐに理解できることだ。
僅かに引っ掛かるのは、控え室で待つクラウドを迎えに来た、ぼろぼろの服を着た少女。あれが、まともな立場で働くような女の子でないことは、誰の目にもわかることだ。あの闘技場には、そうした暗部がいくつもあるのは明らかで、そういう職場で今後もやっていくことを思うと、ちょっと考えてしまうのも自然なこと。
潔癖すぎるのかな、とは自分でも思う。あんなこと、この世界ではどこの境遇でもあることだ。天人は地人より上、等しい権利も与えられない地人の側は、持たざる者に押しやられれば、ああやって生きていく道を見つけるしかない。それはクラウドが暮らしていた街でもそうだったし、悪いことをしなければ満足な生活もままならなかった地人の知り合いも、山ほどいたものだ。あの少女のことをいちいち哀れんでいたら、この世界じゅうにいるもっと苛烈な境遇に置かれた人々の数々を、どれだけ憂いてやらねばならぬかわからない。そういう世界だからこそ、"アトモスの遺志"と呼ばれる集団が、今も地人の利権獲得を目指して各地で活動し続けているのだから。
自分の幸せは自分で掴んでいくしかない。世知辛い世の中の不文律であり、明日は来月は来年はどうなるかわからないクラウドも、人のことを気がけていられる立場じゃない。クラウドだって、それを誰よりわかっているから、今日のあんな経験は頭から締め出して、明日に集中すべきだと思っている。それは正しい。わざわざ口にして、そんな憂いを思っていると話したら、わかっている人間なら誰だって、お前の思うべきところじゃないと正論を返してくるだろう。
だから、誰にも言わない、言えない、ファインやサニーにも。自分の心で割り切って、解決していくしかないのだ。世の中には、理不尽なことやおかしなことがいっぱいある。それに自分で答えを見つけ、そうした世界で強く生きていく生き方を見つけるのが、大人になるということ。決して後ろ向きな意味でなくだ。
体とともに心も大人になっていくことは、その人物にとって幸か不幸か。その証明を果たしてくれるまでの長い時間を、人は総じて人生と称する。
昨日と違って、闘技場の観客席は満員御礼だ。特に今日は、メインイベントたる最終試合に、この闘技場の看板選手が出ることもあって、観客の期待値も高い。有望なる新人、つまりはクラウドのデビュー戦があることも、集まった客の興味をそそっているが、それ自体は集客要素として添え物ぐらいの価値だろう。今日の試合の内容次第では、それが明日以降の集客力の肝にさえなり得るが。
午後の部が始まってしばらくの、中間地点あたりの箸休めにあたる位置で、クラウドは今日の公式試合を予定されている。大会の構成で言えば、中だるみしそうな時間帯に新人の試合を入れることで、客の興味を保とうとする段取りだろう。いい試合を頼むぞ、と、闘技場のお偉い様の言葉を代弁した受付の中年男の言葉を受け、クラウドもいい意味で意気が込むところである。
やがて試合開始時間を迎えれば、控え室で待つクラウドのもとに、闘技場で働く少女の一人が来る。昨日とは違う女の子だ。身なりも昨日の少女と同じで、囚われたような生活が予想される女の子だが、昨夜の悩みは脇にどけ、今のクラウドは試合に集中している。僅かに昨日と同じ想いがフラッシュバックしかけたものの、今は目先のことに集中すべきだと決意し、案内されるまま闘技場の舞台へ歩いていく。メンタルコントロールも重要なことであり、クラウドもその辺りは与えられた時間の中で、しっかりとこなしてきた。
最後の敷居を跨ぎ、闘技場の戦いの場に踏み出したクラウド。屋根の無き、空が見える開けたバトルフィールドに彼が姿を現した瞬間のどよめきは、観客がまばらだった昨日の比ではない。
「さあー、現れたぞ! デビュー戦からCランクの称号を手にしたクラウド! 16歳の彼の処女航海が、今日この舞台から始まります!」
戦場のど真ん中に立つ、メガホン片手のアナウンサーは昨日と同じ人物だが、声量が昨日よりだいぶ大きい。あくまで昨日は試験試合、本番用の声ではなかったようだが、何千もの観客を収容したこの闘技場の公式戦においては、騒がしい客にも届くほどの大声が必要なところ。さすがに本職、近場でその声を聞くクラウドには、びくっとしてしまうほどの声の張りだ。
「……あっ」
ただ、クラウドには目を引く事象が他にもあった。武舞台に、クラウドよりも先にいた、アナウンサーとは別の人物、すなわちジャッジ役。それが思いもよらず、一度見た顔だったことに、クラウドは目を丸くする。
「よぉ……あの時は、悪かったな」
酒場でクラウドに絡んできた、中肉中背の男だ。もとより険の強い人相だが、酔っ払っていたあの時とは違い、敵意とは逆の気まずそうな目でクラウドを見ている。突然の再会にクラウドも驚いたものだが、無意識に警戒してしまいそうな再会であったにも関わらず、その目を見ればそんな想いも沸かない。
「お前のデビュー戦のジャッジ役を預かることになった。贔屓はしねえ。お前の力、気兼ねなく見せてくれりゃそれでいい」
闘技場のジャッジ役は、激しい戦闘もあり得るバトルフィールドでも問題なく立ち回れるよう、それなりの技量が求められるものだ。ということは、この戦いのジャッジを務めるこの男も、それなりの手練と見て間違いないだろう。あの時は厄介な印象しかなかった人物だが、穏やかな口調でばつの悪い顔、そう言ってくれる彼を見ていると、あまり気にはすまいとクラウドも気持ちを切り替える。積もる話があるんだったら、それは終わってからでいい。
「しかししかし、少年の前に立ちはだかる試練も大きいぞ! 現れたのはBランク闘士、ここ数戦負け無しのホゼだあっ!!」
やがて、クラウドの対極の位置から、一人の男が入場してくる。トンファーを両手に持つふとっちょの男の登場に、またもクラウドは驚かされたものだ。彼もまた、あの日酒場でクラウドと遭遇した、3人の男達の一人だったから。
「あの……」
「はっはっは、気にするな。俺とこのジャッジはツレ同士だが、試合の判定にゃ影響しねえよ。信じろ」
ホゼと名前をコールされた彼は、ずんぐりとした裸体上半身と、黒いズボンを履いただけの簡素な服装。酔った酒場ではサニーにセクハラしようと言い寄っていた調子のいい男だったが、こうして向き合ってクラウドに笑いかける姿は、素面だと陽気な男なんだろうなと感じさせるもの。言いもしていないクラウドの懸念を、あらかじめ気遣って念を推してくれるぐらいには、状況に対して冷静な思慮の届く人物だということだろう。
「さて、構えな。戦場に立てば言葉はいらねえ。思うところもあるかもしれねえが、それは結果を導き出してから考えりゃいい話だろ?」
「……そうですね」
邪推しようと思えばいくらでも出来る。親しい間柄だとわかりきっているホゼとジャッジ、クラウドにとって不利な判定を下されたりするのだろうか、とか。クラウドのデビュー戦に、先日揉めた3人組のうち2人が関わってくるというのも意図的なものを感じるし、変な推測も立つものだ。しかしホゼの言うことももっともで、何か起こるうちからそんなこと考えても意味がない。ちょっと引っ掛かるが、物事は何でも、疑わしきからまず糾弾に入っていては、話が進まないものである。
雑念締め出し片足引いて、手甲を備えた両手を構えるクラウド。トンファーを両手に持つ、クラウドと同じぐらいの背丈のホゼも構えた。横幅があるぶん大柄に見えるのはホゼで、ランクが上なのもこちら。クラウドが挑戦者、迎え撃つはベテラン闘士という図式に、観客も徐々に熱を帯び、この試合の結末から目を離したくない想いが強まっていく。
試合開始直前、闘技場の高くに掲げられた巨大掲示板に、ホゼ1.33、クラウド3.32の文字が貼られた。その数字の意味するところを知る観客の一部は、数字を見てもう一段盛り上がる。ホゼに賭けた者は賭け金が1.33倍になり、クラウドに賭けた者は賭けた金が3.32倍になるというオッズである。それはもう、この戦いに金を張った者たちの熱狂は、周囲以上に凄まじい。
「凄い盛り上がり……」
「こらこらファイン、余所見しちゃダメ! 始まるわよ!」
クラウドの勇姿を見届けるべく、混雑する観客席でも最前列を獲得していた二人も、胸が高鳴る想いで見守っている。ファインとサニーは特別だ。金なんか賭けなくても、勝利を掴んでくれるクラウドを願う想いは他の誰より強い。開戦前に集中したクラウドにその姿は目に入っていないが、観客席のどこかから、自分の勝利を願ってくれているであろう二人の想いを受け取って、勝って帰るための決意を固めている。
「新たなるスター候補が立ち向かう登竜門、その舞台の幕開けです! それでは、っ――」
盛り上がる会場にも負けない勢いで声を張るアナウンサー、開いた両膝に手を置いて開戦前に身構えるジャッジ、そして睨み合うホゼとクラウド。アナウンサーが試合開始前に設けた1秒に満たぬ溜めも、張り詰めた空気の中で際立っている。
「試合っ、開始いっ!!」
その一言と同時に踏み出した両者が一気に距離を詰める。触れ合うような距離に近付いて、接さぬままに火花を散らしたような勢いある両者の姿に、一気に会場は天まで届くほどの歓声に満たされた。
ホゼが勝った場合の配当が、クラウドが勝った場合の約5分の2倍ということは、ホゼの勝利に賭けられた総額が、クラウド勝利に賭けられた総額の約2分の5倍ということだ。オッズっていうのは、主催者側が決めるものではなく、客の賭けたお金の比率で決まるものだから。
公式戦のデビュー戦からCランクの称号を背負って望む、大型新人クラウドに対しては、観客の多くも期待を抱いているだろう。しかし、ギャンブルとなっていざお金を賭けるとなれば、客の目線もシビアなもの。夢や理想よりも、当てて稼ぐことの方が優先されるからだ。クラウドの相手はBランク、しかもここ数戦を負け知らずで来た熟練闘士であり、いくら期待の新人とはいえ、ここを破れるとまでは考えない博徒の方が多いということなのだろう。具体的にはクラウド勝利に賭けた人の2.5倍くらい。
さて、笑うのは、安定したキャリアを持つ闘士に賭けた側か、それとも有望株に夢を賭けた側か。どちらも、充分あるはずの勝算に対してお金を張っている。勝者は片方だけだ。
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