第2話 ~クラウド~
クラウドの仕事は運び屋だ。早朝は街の各地に新聞配達、落ち着いたら商人間の書簡や荷物を運ぶ。市場が活気付く昼間には、顧客に品を届けたい商人を雇い主にして速達員。昼過ぎには郵送局に赴いて、町の各地に手紙を届ける郵便屋。あとは夕暮れまで、昼と同じで商人間を駆け回る速達員の仕事に戻る。日が沈む頃合いになれば、夕刊を配る新聞屋の仕事で締め。
本来ならば荷馬車乗りを使って果たしたいような仕事も含め、重い荷物も馬車では利かない小回りを活かして迅速に運ぶクラウドは、商人間でも評判の運び屋だ。馬車乗りを雇えばずっと金がかかるし、小さな荷物を任せたいならクラウドに任せればいい、という好評は、すっかりここ、イクリムの町に定着したものである。
日によっては、日暮れ後にも倉庫を所有する商人の下へ招かれ、倉庫整理を手伝うこともある。今日はそうした仕事がなかったため、夕刊配達で仕事は終了だ。今日も一日よく働いた、でもちょっと普段ほど勢いに欠けたかな、なんて自己評価しながら、星の見え始めた空の下でクラウドが帰路につく。
「あ、来た来た! おかえりー!」
ぼろ家を借りて一人暮らしのクラウドを、今日は迎えてくれる者がいた。暗い中でも目立つ赤毛の彼女は大きく手を振り、その横では月光に映える青みがかった銀髪を揺らす少女が、顔の横で慎ましやかに手を振っている。おかえり、と言われるのは、一人住まいのクラウドにとっては新鮮な経験だ。
「待たせたか?」
「ううん、私達も今来たところよ。ね、ファイン?」
赤毛の親友にそう言われ、ふんわり笑ってこくりとうなずくファイン。昼間に自己紹介は済ませているのだが、ファインの隣に立つ彼女はサニーという名前らしい。紺色のアンダーウェア一枚の上、裾の破れた橙の道着を羽織って黒帯を巻く彼女は、ファインと対称的で非常に活発な女性の印象を受ける。拳法着のような紫の下衣でゆったり脚を包んでいたり、拳には固めるように包帯を巻く風体からも、女だてらに喧嘩慣れしていそうな風格がにじみ出ていると言えよう。ショートカットの赤髪がその中でも最も目立ち、歯を見せて笑う快活な笑顔によく似合っている。
16歳のファインやクラウドと比べ、少し年上と見えるサニーは、旅暮らしのファインにとって保護者であり良きパートナーなのだろう。昼間はサニーがファインの頭を拳で挟み、ぐりぐりお仕置きをしていたが、そんなことはもう忘れたかのように笑い合う二人の姿からは、仲の良さしか垣間見えない。それを目の前にしたクラウドも、きっといい関係なんだろうなと改めて思う。
「わぁ、汚い! ちゃんと掃除してる?」
「一人暮らしの男の家なんてこんなもんだって」
家主のクラウドよりも先に靴を脱ぎ、見た目図々しく家に上がり込んだサニーは、口ぶりがまた行動以上に図々しい。マイペースに靴を脱ぐクラウドが、足をその家に上げるまで、じっと待って靴さえ脱がなかったファインとは綺麗に真逆である。
ファインをしばらく面倒みてくれたお礼と言って、日中のサニーはクラウドに、夕食をご馳走したいと言い出したのだ。昼のクラウドはまだ仕事が残っていたし、ひとまずその仕事が終わってから落ち合おうと、自分の家の場所を教えて待ち合わせた形である。で、どこかで飯でも奢ってくれるのかと思ったら、どうやら家に上がって料理してくれるという発案だったようだ。え、そういう意味だったの? とファインが驚いていたことからも、サニーが一人で勝手に進めていた計画のようである。
「掃除しようよ、掃除。箒とか雑巾とかどこにあるの?」
「いやいや、いいってそんなの。勝手に掃除されても、どこに何があるかわからなく……」
「あった! よーし、綺麗にするぞー!」
気持ちいいぐらい話を聞かず、室内箒を片手に部屋を掃き始めるサニー。クラウドが諦め半分に呆れた顔を見せる隣、おずおずとファインが肩を縮こまらせている。うちの相方がごめんなさい、というのが、上目遣いで見上げてくる姿勢からよく伝わってくる。
まあ、女二人を招くには汚い屋内だとはクラウドも思うけど。玄関を抜ければ台所を兼ねた部屋一つ、ふすまのような扉一枚の向こうに寝室を設けただけの狭い家は、最低限の清掃はされているものの埃まみれだ。机の上に纏められた仕事絡みの紙束は、日替わりで紙が変わるから室内で浮いたように綺麗だが、決済書や証文控えなどが纏められた部屋の隅の紙束は、何日も放置されているのがわかりやすいぐらい色褪せている。ランプいくつかで光を得ただけの薄暗い室内だが、それでも埃が目立つのだから綺麗ではないだろう。
動いただけで埃を舞わせるように、どたばた室内を動くサニーだが、手さばきそのものは非常に丁寧で、家具の上に置かれたものを降ろす時も案外手優しい。はたきでぽふぽふ棚の埃を払いながら、けほけほ片目をつぶってと、姿勢そのものもひたむきだ。タンスの上に積もった埃を足元に落としたら、ひとまず素足の裏で部屋の隅に押しのける。汚い仕事も手際優先の体の使い方でこなす姿は、女の子にしては少し意外である。
もう好きにして、と、部屋の真ん中で座り込むクラウド。そしたらふと、家の裏口の方から、水の満ちた桶を持ってくるファインの姿がある。裏口を出た所にある、井戸を見つけてしまったらしい。
「あの……私も……」
「あー、うん。好きにして」
なんだかんだで、ファインもこの汚い家は気になるようで。雑巾を絞って、サニーが埃を払った棚の上を拭き始めるファインの後ろ姿を眺め、クラウドはひっそり溜め息をついていた。一人でゆっくり床につくのが毎日の夜なのに、今日はえらく騒がしい夕暮れ時だ。
やることもなく、のんびり二人の姿を眺めていたクラウドの前、気付けば部屋が随分と綺麗になったものである。元々朽ちた家屋の中、一朝一夕で素敵なお部屋となることもないが、部屋中に積み重なっていた埃や細かいゴミを片付けただけで、見栄えもなかなか変わるものだ。こう見えても、ある程度の清掃は済ませていたつもりのクラウドだったが、いざ綺麗好きの手にかかれば、思った以上に小奇麗な部屋を作ってくれるんだな、と少し感心。
「いかがですか? ご主人様」
「誰がご主人様だ」
腰に手を当てその手にハタキ、得意げに胸を張るサニーの後ろで、まだ細かく部屋の隅を雑巾で拭いているファインの姿もある。多分あっちの方が、その気になればサニーよりも目ざといのだろう。押入れの手をかける場所まできっちり拭いて、細かい仕事ぶりがよく目立つ。
「はいはいファイン、終わりにしましょ。ご飯作るわよ」
「あ、うん。もうすぐ終わる」
手を叩いて年下のファインを招くサニー。見た目どおり、二人の行動において主導権を主に握るのは年上のサニーのようだ。で、ご飯って言うけど、何をするつもりなのやら。
「クラウド、食材どこ?」
「……台所、下の棚に詰まってるよ」
ああ、やっぱり手ぶらで来ていたし、食材は家主持ちのようだ。ご馳走するって言っても、女の手料理を振る舞ってあげるという意味合いだったようで、奢ってくれるとかそういう意味合いではなかったらしい。もっとも、家で誰かに料理を作ってもらうのはクラウドには久しぶりのことだし、別に悪い気はしないが。
クラウドが指差した方向へ駆けていくサニーは、缶詰がいっぱい入った棚を開いて、中のものをかき出していく。順調に散らかす。一つ一つを物色して、どんな食材があるのかを確かめているようだ。
「肉体労働者よね? お肉いっぱい使うけどいい? あ、野菜もちょっと使うけど」
なんでもいいよ、と返したクラウドの前、選りすぐった缶詰を台所に並べ、使わないと決めた缶詰はしゃんしゃん棚の中に片付けていくサニー。出す前にどんなふうに入っていたのか、ちゃんと元の順番どおりに並べているのが細かい。よし、と一言漏らして、鍋やフライパンを火場に並べたサニーの後ろから、概ね掃除に満足したファインがちょうど駆け寄ってくる。
「調味料探してみるから、あとはよろしくね」
「任せて」
井戸から汲んできた水を鍋に入れ、かまどから離れた場所にある壷の中から焚き木を拾うファイン。それをかまどの中に放り込むと、パチンと指を鳴らす。すると焚き木があっという間に燃え、一つの大きな火となって、かまどの中に居座る。
「……ファインって、地人?」
ファインが行使したのは火の魔術。それは天人には扱えない、地人だけの術だ。振り返ったファインは何も言葉で応えず、代わりにふんわりと柔らかい笑顔を以って、見ていて下さいねとばかりに応じた。
身なりからして綺麗なファインが"地人"であることは、クラウドにとっては非常に予想外のことだ。それならまだ、朽ちた旅着を身に纏うサニーの方が、地人と言われた方が納得しやすい。しかし一方、見つけた片栗粉を小さな器に注ぎ、指をはじいた瞬間に器を僅かな水で満たすサニーの姿が、ファインの隣にある。サニーが行使した水の魔術、それは地人には扱えない、天人だけのもののはず。
高貴な位は天人にしか与えられず、地人はろくな権利も与えられないまま、平民暮らしが関の山。そんな世界が現実なのだ。名家のお嬢様のように可憐な風貌のファイン、土にまみれた旅暮らしが板についた着こなしのサニー。前者が"地人"で、後者が"天人"であるという目の前の事実には、"地人"クラウドも不思議な光景だと思って眺めていた。