第273話 ~前向きファインの一世一代~
「じゃ、二人とも楽しんできてね」
「おう。サニーも忙しいみたいだけど、頑張ってこいよ」
昼前になって、泊まっていた宿を出発するサニーを、クラウドとファインが手を振って見送る。サニーはこの日、カラザやミスティと話すことがあると言い、二人とは別行動するそうだ。セシュレスならびに革命のために尽力した者達と同じ町にいる機会でもあるし、彼らに少しでも多くの還元を今後の政策でもたらせるよう、そこから意見を聞きつつ今後のことを考えていくという目的もあるそうだ。勿論その話し合いには、セシュレスも混ざるだろう。
それも別に嘘の話ではないのだが、それ以上にサニーは今日、ファインとクラウドが二人きりになる状況を作りたかった私情も強い。昨夜はこんこんと、クラウドには内緒で、ファインに今日のデートプランを教え込んだ。押し付けたとも言う。そんなわけで、自分は席をはずすから、あとは二人で上手くやんなさいよと、ファインを勝負の舞台に送り出したのが今日のサニーの行動の本質である。
「俺らもどっか行くかー。宿でごろごろしてるのも勿体ないもんな」
「…………」
サニーを見送ったクラウドが隣のファインに話しかけるが、返事なし。口元に弱く握った手を当て、もそもそ何か独り言をするかのような仕草。明らかにクラウドの声が耳に入っていない。
「……おーい、ファイン?」
「ひゃいっ?」
二度目、クラウドがファインの顔を覗きこむようにして言ったことで、ようやく気付いたファインがはっとして返事。声が裏返っているのはまあさておいて。
「お前、大丈夫か? 風邪でも引いたか?」
「か、かぜ……? あ、ああ、風邪ですか、風邪ね、風邪、はいはいはい……えっと、どうしてです……?」
「なんかぼーっとしてるし、顔赤いし……んー、熱はないみたいだけど……」
「!?!?!?」
クラウドが片手をファインの額にあて、もう片方の手を自分の額に当てて体温比べ。熱はないみたいだけど、と普通に首をかしげるクラウドのすぐそば、ファインが全然普通じゃない。今の心境でクラウドさんに直接触れられるだけでも、異常に胸が早鐘を鳴らしてしょうがない。
今日はデートである。恋してやまないクラウドさんとのデートなのである。久しぶりに色々意識してしまい、まともにクラウドと話せなかった頃の彼女に近くなってしまっている。
しかも今日は、デートの最後にとんでもないノルマが課せられており、それが余計にファインを普通じゃなくさせてしまう。ノルマと言っても、いっちゃいなよと言われているだけなので、別にしなくても構いはしないのだが、するかしないかはその時考えるにせよ、今からそれを意識している時点で普通の調子ではいられまい。
「気分悪かったりしないよな?」
「は、はいっ、大丈夫ですよっ? 私、風邪なんかひいたことないですし?」
あります。意味もなく嘘をついたのではなく、頭がまとまっていないから適当すぎるわけのわからない返事になってしまっただけ。大丈夫だって主張したいのはわかるけどそれは言いすぎだろ、と、クラウドは単なる冗談として受け取ってしまい、ファインの動揺の根源にまでは気付かない。鈍いわけじゃない、当事者のくせに気付けるなら、鋭すぎるか自意識過剰疑惑。
「ま、大丈夫ならいいけどさ」
その一言と笑顔で会話を締め括り、行こうかとばかりにクラウドが歩きだす。ファインもかちこちになりそうな足でその後ろをついてくる。おかしい。普段は横に並びに行くのが彼女なのに。
「なんだそのポジション。やっぱ今日のお前なんかヘンだぞ」
「は、はゎ……」
苦笑しながらクラウドが手を引いてくれて、ファインを横に並ぶ形に持ってきてくれる。ほんの僅かな時間とはいえ、手を繋いで歩く形になって、ファインもクラウドのことを直視できない。立ち位置がそこに収まって、二人で並んで歩く形になったらクラウドも手を離したが、離れても手に残るクラウドの体温が忘れられず、空になったファインの手が握られた時の形のまま戻らない。
デート開始。ゴールは告白。ファインにとって、人生最大級の勝負の一日である。
「レインへのお土産、何にする? サニーとやってたみたいに、花の髪飾りにでもするか?」
「えー、あー……そ、そうですね……レインちゃんも、お洒落したがる年頃でしょうし……」
何やら意識し過ぎて緊張してしまっているファインの口調が、少々たどたどしいことを除けば、まあまあ二人でいつもと同じように町を歩く、平常運転の風景だ。いまいちファインが上の空で、会話が弾まないことにクラウドが首をかしげそうにもなっているが、なんか今日はファイン変だなって思う程度で、まあいいかと割り切ってそれ以上考えない。
ファインはクラウドに近い方の手をわきわきさせ、クラウドに近づけようとして、でも無理だと引っ込める仕草を繰り返し、挙動も実はかなりおかしくなってきている。デートという言葉の響きにそそのかされて、クラウドと手を繋ぎたくなっているらしい。それを実行に移せる勇気があったら、こんな挙動不審にならないが。
「おいこら、ファイン。危ないぞ」
「はぇ……!?」
そんなことばっかり考えているもんだから、前に不注意だったファインは、はしゃぐ子供達が前方から接近していたことにも気付かない。子供は天真爛漫に駆け、勿論ファインを避けるように走っていくが、ファインの方も多少は立ち止まるなどして注意を払うべきだ。まるでそれにも気付いていなかったファインの手を、クラウドが握って引っ張る形で立ち止まらせる。
「お前、本当に大丈夫か? なんか考え事でもしてるのか?」
「べべべっ、別にっ、何もないですよ? すみません、すみません……」
あなたのことで頭がいっぱいですなんて言えるはずもなく、手を握られたままファインがあたふた。ほんのり顔も赤くなるが、失敗した自分を恥ずかしく思ってそうなっているようにしかクラウドには見えないから、恋色の顔色とはバレないのである。
しかしながら、奇しくもこれはチャンスだった。どうにも様子のおかしいファインを心配げに感じながらも、クラウドがファインの手を離そうとするが、離れない。手と手が触れ合ったこの思わぬ好機、ファインの方から握り返してクラウドを手放さない。
「あの……ファイン?」
「な、なんですか? わ、私の顔に、何かついてます?」
「いや、その……手……」
「あ、て、手ですか? な、なんですかね、その……クラウドさんに握っていて貰えると安心するというか? ほら、今日の私、なんか頼りない感じですし? あ、た、頼りないのはいつものことでしょうか?」
空いている方の手をわたわた動かしながら、真っ赤な顔で汗をぴすぴす舞わせつつ、しどろもどろでファインが真意を隠そうとする。クラウドの手を握っている、ちょっと震えた左手だけは絶対に開かない。なんとか、いや、なんとしてもこのまま手を繋いだままいきたい。
「だ、駄目ですかね? クラウドさんがお困りなら、やめておきますけど……」
「いや、まあ……ファインがそうしたいって言うのなら、いいけど……」
「そ、そうですか? じゃ、じゃあお言葉に甘えますので……い、行きましょ? 行きましょ?」
押し切る勢いでファインがゆっくりと前進し始めたので、クラウドもそれに続く形で横並びに前へと歩きだす。クラウドの右手とファインの左手が繋がったまま、町を歩くこの姿、いよいよ非日常感が形になってきた。ファインの柔らかい手の感触を指先から感じるクラウドは落ち着かず、周りの目を気にしてファインの方へと注意が向かなくなり、ファインは顔を上げずに左手に全神経を集中させている。
どうしよう、手なんか繋いじゃってる。デートだデートだ、それも大好きなクラウドさんと。この幸せな心地は、もしも誰もいない場所だったら、地面にでも転がって丸くなり足をばたばたさせたいぐらい。半笑いになりそうな口元に危うさを感じ、ぎゅうっと唇を絞るファインは、色んな意味で自制するのが大変だ。
「えぇと……土産物屋、こっちだったっけ? サニーとミスティが教えてくれたとこ……」
「あ、は、はい、合ってますよ。もうすぐ着くはずです」
問われて応える形でファインはクラウドの方を向いたが、返事して口を開けば唇に込めていた力が抜け、口の端が上がってしまう。笑顔になる。だって幸せでしょうがないんだもの。気恥ずかしさからファインを直視できず、前だけ見ていたクラウドが、このちょっとだらしないぐらいの笑顔をお目にかかる機会を逃したのは、ある意味で勿体ない。
「花の髪飾りもいいけど、着いてから色々……考えましょう?」
「そうだな……せっかくだからレインが一番……喜ぶものを持っていってやりたいもんな」
何気ない会話を続けようとするファインと、応じるクラウドの発し合う対話は他愛ない。本来ありえない、おかしなところで各々の発声が途切れる辺りが、調子の狂った二人の有り様を如実に表していると言っていい。
ここまでされて、クラウドだって何も意識しないわけがないのである。二人の心臓の音は互いに聞こえないが、それは徐々に大きく育っていた。
「赤い薔薇のつぼみの花言葉は"純粋と愛らしさ"なんですよ。咲いてしまうと花言葉が変わっちゃうんです」
「へ~、花言葉も奥深いんだな」
土産物屋に入って、花を模した髪飾りの数々を眺めながら、二人は普段どおりの調子で会話する。店に入る直前ぐらいに、自然に二人の手が離れたが、触れ合ってさえいなければある程度はいつもどおりの調子に戻れる。逆に、手を繋いでいるだけで動揺しっぱなしになるぐらいには、二人とも思春期真っ盛りということであって。
「こっちのシルクジャスミンも、花言葉は"純真な心"でレインちゃんにはぴったりなんですけどね。多分、花言葉を大事にするんだったら、この二つが一番合ってるかなと思うんですけど」
「あとはレインに似合うかだなぁ。あいつ、銀髪だったよな」
「ですから白いシルクジャスミンよりも、赤い薔薇つぼみの方が似合いそうではあるんですよね」
白寄り色の髪に白い花の髪飾りをつけても目立たない、赤い髪飾りならよく目立ってアクセントになる。それに、見るからに幼いレインだから、つぼみの形の髪飾りも、これからとても綺麗な女性に育っていく彼女の未来を暗示するデザインとしても合致している気がする。ファインは赤薔薇つぼみの髪飾りが一押しのようだが、クラウドも似たような思考で同意する想いである。感性は似ているし、やはり気は合う二人なのだ。
「んじゃ、それにしようか」
「はい。――すいません、これ下さい」
赤い薔薇のつぼみの形をした髪飾りを、店主のもとへと持っていく。二人とも財布を用意する。二人からレインへ贈るものだから、半々でお金を出し合って買いたい。
「あいよ。すぐに身につけていくかい?」
「あ、いえ、これはお土産なので包んでもらえると嬉しいです」
「あぁ、そうなのかい。てっきり彼氏さんから君へのプレゼントなのかと思ってね」
「か……っ!?」
ファインは片手に髪飾りを持っていたせいか、クラウドよりも財布を手にするのがほんの少し遅れ、店主にはクラウドだけが財布を出したように見えた一瞬があったのだ。おかげで、今のファインには冗談きつすぎる誤解をぶちかまされ、ファインの頭上からぼふりと煙が出た。動揺したのはクラウドもそうで、ファインほどではないにせよ、一気に顔を紅潮させられる。
「わわわ、私達はそういうのじゃ……いえ、ほんとに……」
「あぁ、すまないすまない。そう見えちまったんでね。気を悪くしたなら謝るよ」
謝るよって言っておきながら、顔は全然謝っていない。抑える程度ににやにやしていらっしゃる。二人の反応を見て、満更でないのは一目瞭然だもの。不快感を与えた可能性がゼロなのに、本気で謝る必要は特にない。
「…………ま、まだ……ですけど……」
「あ、あの、いくらになります? 待ってるんですけど」
「おぉ、すまんすまん。失敬こいちまった手前、ちょっと値引かせて貰うとしようか」
出さなくてもいい所で勇気を出し、ごにょごにょぼそぼそ"まだ"付き合ってませんと意地を見せたファインだが、声が小さすぎてクラウドに聞こえなかったのは幸か不幸か。店主にだけはうっすら聞こえたらしく、ちょっと応援してやりたくなってサービス精神もはたらいたようだ。どこの地方にも、いい人は結構いらっしゃるようで。
どぎまぎしながら二人で支払いを終え、店の外へと出て行く二人を、店主は実に微笑ましい気分で眺めていた。そんな視線に気付くはずもなく、互いを見ることも出来ずに前だけ見て歩くクラウドとファインは、片や染めた頬が元の色に戻らず、片や茹で蛸のように顔全部が真っ赤っ赤である。
「び、びっくりするよなぁ、ファイン……俺ら、そんな風に見えてたんだってさ……」
「ね、ねぇ、びっくりしますよねぇ……あははははは……」
二人とも集中力の無い笑みを浮かべて言葉を交換するが、全く目を合わせられない。自覚があるほど茹で上がった顔色を隠すように、全然関係ない方をきょろきょろするファインを、落ち着かない心地を表すかのようにちらちら見るクラウドが並んで歩いていく。
「ど、どうしようかファイン、飯でも食いに行くか……?」
「ま、まだ早いんじゃないですか……? ちょっと前に食べたばかりですし……」
「あ、そ、そうだよな……ファインも女の子だし、ばくばく食べるのは嫌だよな……ごめん」
「いえいえいえ、そんな……ふ、太るかどうかの線引きはちゃんと自分でしてますから……」
会話がちぐはぐ、普段は言わないようなことを言う、過剰に気遣う、全く以って調子が乱れている。クラウドから目を逸らしたファインは今にも目を回しそうで、クラウドも前方上空の空を見上げるようにしているのは目のやり場に困っているから。ついさっき、前をちゃんと見て歩けってファインに言っていたクラウドが、こんな風になってしまう時点で、思考回路が壊れかけている。
「……あっ」
「ん、どした、ファイ……」
こんなタイミングで、見つけなくていいものを目に留めてしまって、思わず足を止めてしまったファインに倣い、クラウドも同様に。そうしてファインの目線の先を追った途端、クラウドだって言葉が途中で止まる。
別にたいしたものがあったわけじゃない。クラウド達と同じ年頃ぐらいの男女が、とある店の出店の前で手を繋いで、楽しそうに談笑しながら買うものを選んでいるだけの光景である。要するに、いつでもどこでも見てきたような、街角にありがちな若いカップルというやつ。ただそれだけ。
「…………」
「…………」
この時二人の頭の中で、具体的にどんなことが巡り巡っていたかは計り知れないが、恐らくどちらも全く同じようなことを考えていたのだろう。どちらも無言でそれを眺めている、その態度の一致ぶりが、証明要素の一つである。
やがて、そのカップルが結局そこでは何も買わず、出店の前を去っていくだけの姿に変わるまで、どちらもだんまりで立ち止まっていたのだから、余程その光景が今の精神状態にきたのは間違いない。今この二人が立っている場所を、馬車か何かが通ろうとしていたら、すごく邪魔になっていただろう。
「……い、行こうか?」
「…………」
口を開かず小さくうなずいたファインは、クラウドに声をかけられなかったらずっと突っ立っていただろうか。促されて歩きだす二人だが、この後一切の会話が無くなってしまう。行く先の相談も出来ない、そもそもどこに行くかも決めていない、歩くには歩くが目的が無い。自分の頭の中身と、形のない相談をしながら、放浪歩きをただ二人で一緒に進んでいるだけである。
気まずささえ覚えて、クラウドも何度かファインに言葉を向けようとするが、直視することすら難しくて、考えた言葉も喉の手前で止まってしまう。ファインは歩く以外の動作が完全に硬直している。顔を上げない、目の色や表情をクラウドに見せない。
今ほどクラウドが、ファインがどんな顔をしているのか知りたいと思ったことはあるまい。しかもそれが叶わない、ちょっと覗き込むことも出来ないなんて、もどかしくて仕方ない。
ようやく二人の硬直した空気に変化が訪れたのは、沈黙一貫のまま町を歩いていた二人が、小さな公園の前に差し掛かった時のことだ。ふい、とファインが公園の方を向いたので、クラウドもようやく動きを見せたファインの目線の先を追う。
父親が我が子を肩車し、高い高いをして喜ぶその子供を、夫のそばで微笑ましく見上げる母親の姿。どこにでもある、三人家族の幸せそうな光景である。ファインが足を止めて、その光景を目を細めて眺める横顔をようやく拝めたクラウドに、声をかけるきっかけがようやく生まれた。
さあ、正解は何だろう。クラウドの豊かな想像力は、今のファインが何を想い馳せているのかを推察する能力がある。選択肢を設けるほどに。両親を共に喪っているファインにとって、家族三人で遊ぶ光景というものが、寂しい記憶を掘り起こすきっかけになったのかなとも仮説は立つ。優しいから、そういう想像も出来る。
「……大丈夫だよ。ファインならきっと、素敵な旦那さん見つけて、ああいう幸せな家族を作れるさ」
そっちじゃないと解答を選んだクラウドは、見事聡明に正解を導いたと言える。結婚し、子をもうけた幸せな家族、それを見たファインがそんな自分を夢見たのだと、一度立てた仮説も捨ててこれが答えだと考えたクラウドは、本当によくファインの性格がわかっている方だ。
それで、選んだ答えが正解とは限らないけど。確かに、優しくて、優良可で言えば可以上に間違いはないけれど。
「…………」
「……………………ファイン?」
確かに生じた短い沈黙も、クラウドにはかなりの不安を覚えさせた。自分の発言にここまで自信が持てないクラウドは過去にあるまい。
しかし、短い沈黙を経てながら、ファインがゆっくりとクラウドの方を向いてくれた。土産物屋を出て以来、初めて二人の目が合った瞬間である。そのファインの表情に、悲しみや寂しさの色はない。
「……はい。諦めないで、頑張ってみます」
赤らめた顔のままようやく振り向いてくれたファインの笑顔に、クラウドはほっとしただろう。ちょっとは、気の利いたことが言えたかなって。
混血児であるという理由で、友達にも恵まれなかったファインだ。自分を選んでくれる人なんているとは思えない、という旨の弱音をファインが漏らしたこともある。ちゃんとそれを覚えていて、そんなことはないよとここで言えるクラウドって、やっぱりファインに優しいのだ。
果たして、ファインにとってのクラウドの言葉は、正解だったのだろうか。そのうち旦那さんになってくれる人が見つかるよ、と発してくれたクラウドだが、それは言い換えれば運命の人が"今は見つかっていない"と同じこと。ファインの好きな人は、いつか結ばれたいと思っている人は、クラウドが知らないだけで目の前にいるのに。そんなクラウドが、ファインの未来の旦那様を他人事のように言い表したことは、少なからずファインの胸をずきりと痛めさせたものだ。
じゃあ、不正解なのか。無神経さは常に罪だろうか。
「……行きましょうか、クラウドさん」
「……ん」
自分から動かなければ、絶対に夢は叶わないとファインにはわかった。いつかもしかしたら、言わずとも気付いて貰えるかもって、告白に臆病なファインは心のどこかで思っていたのかもしれない。そんな甘えは、夢追い人が一度は必ず抱いてしまうものである。
それじゃあ駄目なんだって、伝えなきゃいつまでもこのままだって、己の甘えを自覚したファイン。その心持ちが今、完全に一新されたことは、クラウドの目にはわからない。未来に希望を持てたことで、少し元気が出てくれたようにしか見えないんだから。
元気が出たわけじゃない、むしろ不安の方が膨らんでいる。告白して、拒絶されたらどうしようって。それでも、自分から踏み出さなきゃ何も変わらない、そう確信して前進することを、ここではっきりと決断できたのは、ある意味その臆病さをも帳消しに出来るファインの最大の強み、前向きさだろう。
「クラウドさん、どこ行きます? やっぱりちょっとぐらい、何か食べていきましょうか?」
「え……いいのか? 女の子だし、太るの気にしたりしないのか?」
「おやつ気分で、ちょっとぐらいなら。あ、ほら、わたあめ売ってますよ」
「ああ、そういうのなら、か……じゃあ、行くか?」
「はい」
確かに、はっきりと、徐々にだが、ファインがクラウドを先導し始めた。行く先を考え、クラウドと一緒に行く先を定め、歩く方向を選んでいく。
デートとは男がエスコートするべきものだろうか。ファインはそう思わない。夢の実現のために動き出した彼女の行動力は、今までの彼女が証明してきたとおり、力強い推進力を自他にもたらす。
「タクスの都に行ったら、レインちゃんにも甘いもの買ってあげましょうね」
「そうだな。あいつ、甘いもの大好きだもんな」
時が流れる、太陽が西の果てに向けてゆっくりと進む、クラウドとファインの会話が弾み始める。紅に染まったファインの頬の色は戻らない。さりとてむしろ、普段よりも前向きだ。口が上手でないファインを、クラウドが何とか主導して会話を弾ませていた常時の逆、ファインが積極的に言葉を発して、クラウドとの会話を少しでも長く続けようとする。
頑張れ、慣れるんだ私、って。完全に決意した末日の決戦に向け、いよいよと言う時に言うべき事を言えるよう、ひたむきに己を高めようとする女の子の姿がそこにあった。そんなファインをすぐそばに見て、徐々に心音が大きくなるクラウドに対しては、きっと既に訴えかける何らかがあったのだろう。一途な想いが醸し出す淡い気迫は言葉以上に雄弁なのだから。
役者は揃った。昨日までの二人とは違う、ファインとクラウドだ。それを一日で育て上げたのはファインである。
「日も沈んできたなぁ。そろそろ、宿に帰るか?」
「あ……そ、それじゃあ、もう一箇所だけ寄っていきませんか? ミスティさんに教えて貰った、眺めのいい穴場があるんですよ」
「ん、そんなの聞いてたんだ」
「はい、夕暮れ前ぐらいが一番いい眺めになるそうで……」
さあここだ。クラウドを例の場所に誘うなら、こういう口実がいいんじゃないかと、昨夜の女子会で知恵を授けられていたファインは、西の空が赤みを帯びてきたこの時間帯を勝負の時に選んだ。つき慣れない嘘をたどたどしく並べ、クラウドをある方向へと導くように歩いていく。
その下で想い人に告白すれば、その想いは必ず成就するという伝説がある桜の木。まあそんなのミスティの作り話だし、一夜明けたらファインもちょっと疑っている。
真偽なんか今さらどうでもいいのだ。あるかどうかもわからない伝説にすがってでも、ファインは夢を叶えたい。勇気を出すきっかけが欲しい。
「こ、ここだそうです……!」
「へぇ……確かにいい眺めだな」
今は咲く季節ではない、桜並木を進んでいった先、その並木道からすこしはずれた場所の、つぼみも咲かせぬ一本の桜の木。それは土手の上にそびえ立ち、西に夕陽を拝める上で、そちらを向けば流れる川がある。夕陽が川から照り返し、赤々と輝くまぶしい川を体現するその光景は美しく、この時間帯に眺めのいい穴場であるという話自体はあながち嘘ではなかったらしい。
「ほ、ほら、クラウドさん。ここからだと、一番眺めが綺麗ですよ」
「んん……?」
おもむろにファインがクラウドの手を握り、噂の桜の木の下にクラウドを導く。ポジションを確保する。対してクラウドは、確かに眺めの良い光景を目の前にしながら、まぶしい西日に目を細めている。
ちょっと立ち位置をずらしただけで、眺めが極端に良くなったりはしない。だけどファインがそう言うなら、この場所からの眺めを楽しむのがいいんだろうなと、ファインの感性に合わせてあげるのがクラウドさんである。気遣いが出来る彼ゆえに、それを大事にして、まさか今から何をされるかなんて想像にも及ばない。
「…………」
「……………………ぇと」
完全に、舞台は整っている。あとは言うだけ、それが簡単に出来たらどれだけ楽か。無言で素敵な眺めを前方に眺める中、ファインが沈黙の末に絞り出した短い二文字は、とても小さくて聞き取りやすいものではなかった。
しかし、ファインが隣のクラウドをゆっくりと振り向いた時には、既にファインの方を向いたクラウドの顔がある。聞き逃してなどいない。ファインの確かな勇気ある第一声を聞き取り、自分に話しかけようとしたファインの、次の言葉を待つ構えに入っている。
「……あの、クラウドさん」
「ん……」
「わ、私、ですね……クラウドさんに、お尋ねしたいこ……」
出た、つまづいた。前回、クラウドに告白しかけた時と同じ失態が、デジャヴで溢れたのか全く同じ切り出しに。言葉半ばではっとして、目を見開いてぱしっと口元を手で塞いだファインは、前回より成長したと言えるかもしれないが、緊張のあまりにしくじった出だしはもう覆せない。
「……ファイン?」
「あ、いや、あの……そ、そうじゃなくってぇ……」
まずい、泣きそう。私ってどこまで駄目なんだ、馬鹿なんだ、それでこの前は失敗したのに、また。ただならぬ予感は確かに感じつつも、ファインが何を言おうとしたのかまでは届ききらないクラウドが無性に緊張する前で、伏せたファインの目が潤み始めている。
「わ、私は……その……そ、の……」
ファインを苛むのは自己嫌悪の気持ちだけではない。告白は怖い。失敗したら今までの関係まで壊れるかもしれない。つまづきが、さらにファインの喉を強く締め付け、次の言葉を紡がせない。あの時と一緒だ。
「クラウドさ……」
「ファイン、ファイン」
ふと、クラウドがファインの手を握ってくれた。ファインの右手を自分の右手で握り、握ってあげたことが伝わりやすいように、その手を引き上げてだ。そうして、導かれるように顔を上げたファインの潤んだ瞳には、か弱い少女をいたわる優しい笑顔を携えたクラウドの顔がある。
「落ち着いて、な? 言いたいことがあるんなら、何でも聞いてやるからさ」
サニーが見たら、頭を抱えて溜め息つきたくなる態度だったかもしれない。クラウドどうやら、まさか自分が今まさに告白されようとしているだなんて、夢にも思っていないらしい。誰しも、尋ねにくいことを誰かに尋ねたくなることはあるものだし、何かはわからないけどファインは勇気を持って、聞きにくいことを聞こうとしているんだと思うだけ。それを優しく受け入れて、何を言われても怒ったりしないよと心持ちを整えている。
お尋ねしたいことがあるんです、って始めるからそうなったのであって、クラウドの鈍感さを責めるのはちょっと酷な話だけど。ファインにも責任の一端はある。
「っ……く……」
ぎゅうっと喉奥を締め付けられる心地を覚えても、ファインはそんなクラウドの優しさに精一杯すがり、言葉を形にしようとする。握られた右手でぎゅっと握り返し、左手でも自分の胸元を握り締めて。伴い、既にばくばくと騒ぎ立てている胸の苦しみに耐えられずに顔を伏せ、クラウドの顔を直視できなくなっている。それでもいい、言葉さえ紡げるなら。きっと届く。
「く……クラウド、さ…………」
駄目だ、出ない、どうしても出ない。私はあなたのことが好きです、これが答えだってわかっているのに。それを言えれば他のどんな言葉も要らないのに。またクラウドの名前を呼び、間を稼ぐ一方のファインには、好きですの単語がどうしても口する勇気が無い。
「っ、う……うううぅ……」
想いだけが止まらない。今にも爆発しそう、言葉だけが塞がっている。泣き声に近い声が口の端から溢れ始め、クラウドもいよいよ心配になってきた。以前もこんなことがあった、今度は泣き出すのか。そんないたたまれないファインは見たくない。
「ファイ……」
「……………………クラウドさんっ!」
爆発した。気遣う言葉を発そうとしたクラウドが少し驚くほど、儚くも少し大きな声とともに顔を上げたファインが、握られていない方の左手でクラウドの肩を掴む。虚を突かれたクラウドには、突然の行動に何らかの反応を示す暇もない。
川に自らの姿を映した夕陽が見守る桜の木の下で。
言葉よりも、態度よりも雄弁に、行動で以って。
前にあるべきステップをいくつもすっ飛ばして。
クラウドの顔を見上げていたファインが少し背伸びし、前に自らを傾けて。
ぎゅっと目を閉じたファインの唇が、クラウドの口元にそっと優しく触れていた。ほんの一秒唇を触れ合わせ、顔を離したファインだが、繋がり合ったその短時間は、二人にとってはもっと長かった。その時確かに、ほんの僅かな間なれど、二人の時間が止まっていたのだから。




