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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第20章  好天【Utopia】
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第271話  ~最後の旅~



「んぅ……」


 天人都市カエリスの宿の一室、お日様が地平線の向こうから顔を出して間もなくの時間に、ファインが目を覚ました。日の出よりも早く目を覚ますことが殆どの彼女にしてみれば、今日はちょっと遅起きなぐらいである。


「――あ、ファイン、起きた?」


 そんなファインに声をかけてくれた人物は、東向きの窓のそばに立っており、今まさにカーテンを開けようとしていたところだ。声の主に、上体だけを起こした寝ぼけ眼のファインが振り向いた瞬間、しゃっとその人物が元気な手つきでカーテンを開いたことにより、朝の日差しがファインの細い目に真正面から突き刺さる。


「ぁ……」


「おはよ、ファイン」


 日差しにきゅっと目をつぶりながらも、ファインは震えるまぶたを無理にでも開かずにいられなかった。視界は光にやられて悪いが、朝日を背負った赤毛の親友の姿が、光の向こうに確かにある。眠りから覚めた朝に、彼女が自分のそばにいてくれるという事象が、あまりにも久しぶりで、懐かしくて、ファインの瞳が細い目の間できらめく。


「……おーい、ファイン? おはよ?」


「っん……お、おはよう……」


 寝起きの目をこすりながら、ファインは開ききらない目のままで、朝のご挨拶。大好きなこの友達に、おはようを言うのも本当に久しぶり。声にどことなく張りがないのは、感慨深さが勝って発声が詰まりそうだったからだ。


「……んふっ♪」


「え、ちょと、サニ……わぷっ?」


 そして、クラウドよりもファインとの付き合いが長い彼女は、もっとそう。今のファインの返答からだけでも、どんな想いで自分におはようを言ってくれたのかが看破できてしまう親友だ。その気持ちが嬉しくてたまらないサニーがつかつかとファインに近付いてきて、布団の上で上体だけ起こしたファインの、両膝の左右に自分の両膝を置くと、そのまま体全体で覆いかぶさってくる。抱きしめて、押し倒す。


「おはよっ、ファイン」


「……おはようっ」


「えへへ~、おはよう♪ おはようっ、ファイン♪」


「もう、それはわかったってば」


 なんでもいい、無意味な単語でも何だっていい。ファインと言葉のやりとりが出来るだけでも嬉しくてたまらず、ファインは済んだはずのご挨拶を何度も繰り返す。おはようって言えば、おはようって言って貰えるんだもの。言葉が交換される、心と心が繋がるんだもの。


「ちょっと、暑いよぅ……離れ……」


「やだよ~、ファイン大好きっ。もう絶対離さないっ♪」


「いつまで?」


「ずっと♪」


「もう~……くすぐったいよぉ……」


 ファインの首元に頬ずりするサニーが、毛先でファインの敏感な肌をくすぐるもので、ファインは肌を合わせる幸せとは別に身悶えする。サニーの股の間で膝をすり合わせ、両腕はサニーを抱き返すようにしつつも、体をよじろうとしてサニーの体を横にどけようとする。甘えたい想い全開のサニーは今のポジションを絶対に譲らず、いくらファインが足掻いても抱きついたまま、頬ずりし続けるのだけど。ファインも変な声が出そうになる。


「んぁ……何やってんだ、お前ら……」


「あ、クラウド起きた? おはよー♪」


「く、クラウドさんっ、サニーをどけて下さ……ひゃぅっ……」


「サニーお前、昨日あんなに……まーいいけどさ」


 近くでもそもそ、ごそごそされるもんだからクラウドも起こされるように目を覚ましたが、体を起こしてそちらを見れば、女の子二人でいっちゃいちゃする光景に朝一番から呆れさせられる。弱くながらもサニーの体をぺしぺし叩いて、放して放してと主張するファインを見ても、サニーの一方的な熱愛によるものだとはすぐわかるけど。


 昨夜のサニーは大泣きで、ずうっと泣き続けて二人に謝り続け、殆ど泣き疲れるような形で眠りについたのだ。あんなに申し訳なさ全開のサニーを見たまま眠りについたファインもクラウドも、翌朝サニーがどんな顔で自分達と同じ朝を迎えるのか不安だった面もあったのは事実である。

 例えば、今までのような気さくな感じを失い、すっかり自分達に頭が上がらないふうになってしまうんじゃないかとか。最悪、やっぱりあなた達とは合わせる顔が無いとか言って、目が覚めたらとっくにいなくなってたりしないかとか。心配させられるぐらいには、昨夜のサニーの号泣ぶりと謝りっぷりはいたたまれないものだった。


 まったくもって杞憂な懸念だったとわかったら、クラウドも安心すると同時、いい意味での溜め息も出た。色々あった、あり過ぎたぐらいに。にも関わらず、初めて出会って以降の毎日と同じサニーが、ちゃんと帰ってきてくれたことには、クラウドの心も温かさで満たされるというものである。


「クラウド、邪魔しないでよ?」


「おぅ、邪魔しねーよ。一生二人でイチャついてろ」


「ええっ、そんなクラウドさんっ、助け……ひゃわあっ!?」


「クラウドから許可頂きましたー。ファイン覚悟しろー、食べちゃうぞー」


「やめてー! たすけてー!」


 サニーが体全体をファインに押し付け、頬をすりつけ、ぐにぐにとファインの全身を揉み始めたことで、いよいよファインも足をばたばたさせての本気の抵抗に。いやいや言いつつ、ファインもまんざらでもない雰囲気を醸し出して許容していたら、変態さんが調子に乗ってしまった形である。サニーもあれだが、ファインもちょっと悪い。


 なんだかんだで数秒サニーのいたずらを微笑ましく見守って、はいはいそろそろな、とクラウドがサニーの肩を掴んで軽く引っ張ると、満足いった顔でサニーも体を起こすのだ。ファインのお腹の上に馬乗りになるような形で見下ろすサニーの前には、胸と胸をすり合わせられた恥辱のせいか、ファインが両胸を隠すような形で真っ赤な頬を膨らませている。


「ファイン、おはよっ」


「むぅ……おはようっ」


 流石にいたずらが過ぎるよ、と拗ねるようにファインがぷいっと顔を逸らす。それも悪手。


「ファインは怒った顔も可愛いなぁ~。もっかい……」


「やめやめ」


 またファインに全身預けようとするサニーを、クラウドが引っ張って後方斜めにこてんと倒れさせる。背中を床に着け、クラウドを見上げるサニーの顔が、実に幸せいっぱいの表情なので、クラウドも微笑む顔を抑えきれない。


「はー、帰ってきた帰ってきた。やっぱりあんた達二人と一緒にいる時が、私いっちばん幸せだわ♪」


 さんざん泣いて、起きて、いろいろ吹っ切れたサニーの態度に、体を起こしたファインもふくれっ面をすっかり消し、両手で口を隠して笑わずにいられなかった。くふ、くふふとファインの笑い声が溢れる。ああ幸せ。サニーとまた友達でいられる。ファインとサニーを横から眺めるクラウドも、声を殺して同じような笑いを漏れさせる。


 自分のしたいようにするだけで、みんなが幸せになれる。これに勝る幸せなんてない。ファインやクラウドとまた友達でいたいと思い、そう振る舞ってくれるサニーの態度が、何よりも二人にとっては嬉しいのだ。ひどいことも言って、やってきたサニーだけに、そういう私でいいのかなと思った部分もありつつの今朝の冒険だったのだが、それを快く受け止めてくれるファインとクラウドの態度は、サニーのことをもほっとさせている。


 これが三人の辿り着いた、二度と変わらぬ終着点だ。ずっと、ずっと友達である。











「御者さーん、もうちょっとゆっくりでもいいですよー。日没ぐらいに例の町に辿り着ければいいんで」


「あいよ、どうどうどう」


 ファインとクラウド、サニーの三人を乗せた馬車が、マナフ山岳を越えてからゆっくりと南下する。馬車の手綱を引く御者はセシュレスの部下の非戦闘員だ。天人都市カエリスにお別れしたファイン達が、クライメントシティまで帰るにあたり、セシュレスが気を利かせて手配してくれたのである。

 サニーは革命軍において、セシュレスと同格のお偉い様のようなもので、御者の男もいちいち敬語は使わぬにしろ、サニーの指示には快く従う。何せ地人の彼にしてみれば、サニーはそもそも革命を起こしてくれた立役者の一人であり、年下に指示される形でも喜んで従えるぐらいには腰を低く出来る相手である。


「はー、ほんと色々変わったんだな。今までじゃ考えられないことばっかだよ」


「まったくだ。お前さん、クラウドって言ったな。"アトモスの遺志"じゃあ、お前さんは有名人だったんだぞ。革命を阻む、とんでもなく面倒なガキがいるってな」


「だろうなぁ、俺らってそちらからすれば鬱陶しかったでしょうねぇ」


「それが今や、こうして俺が嬉々として送迎する関係だぜ? 時代は本当に変わったよ」


 クラウドと御者が声を弾ませて語り合うが、ほんの少し前まではこの二人、互いの顔も知らぬままにして敵対する立場には違いなかったのだ。クライメントシティ騒乱では天人の味方をするわ、レインを革命軍の戦力から引っこ抜くわ、ホウライ戦役でも革命軍を敗北に追い込むわで、アトモスの遺志に組する者達からすれば、クラウドとファインなんていうのは超邪魔者だったわけで。


 しかし今のファインとクラウドは、アトモスの遺志に属した者達にとっても、革命成就の決定打をぶち込んだサニー様のお友達ということで、手厚く歓迎できる立場になっているのだ。そもそも革命が成立しきった時点で、クラウド達を敵視する理由は無くなったし、加えてファインは天界抹消に手を貸してくれたりと、結果的にアトモスの遺志に協力した経緯もある。いがみあった過去が、本当に過去のものになり、今ではこうして楽しく談笑できる間柄になれたという一事もまた、御者が言うとおり時代が変わった象徴的光景と言えよう。


「さてさて、クラウド。ご要望どおり、情報は集めてきてますよ。皆さんの今後、あんた気にしてたよね」


「あ、そうそう。サニーもう情報集めてきてくれてんだ?」


「セシュレスさんから直でいろいろ聞いてきたからね。バッチリよん♪」


 さてさてと前置きして話の舵を切るサニーが、クラウドとファインが気にしていたことへの話の入り口を作った。革命は大きく世を変えたが、それはつまり、多くの人々がこれまでとは違う生き方をしていかねばならないことを示唆している。

 特に、これまでの数年間を革命成就のために捧げてきた大人達などは、今後どんなふうに生きていくんだろうと考えてしまう。ファインなんかは、かつて敵対し合った関係とはいえ今ではセシュレスを敬いすらしているわけで、彼の今後については興味が尽きないところである。


「じゃ、質問&解答タイム~。クラウド、この人の今後が気になる~って人の名前をどうぞ」


「んじゃセシュレスさん」


「だよね~。ファインも気になってるでしょ」


 サニーは革命成就後にセシュレスと何度も話しているから、彼および革命軍に属した者達の今後のことについては充分に情報を集めてきている。セシュレスがそもそも山ほど情報を握っており、部下の今後については手厚く色々考えていることもあるせいで、クラウドやファインが知っているような者達の将来設計については全部サニーも聞き及べているのだ。


「セシュレスさんはアボハワ地方に帰って、あっちの地方全体を立て直すんだってさ。アボハワ地方は十年ちょい前の近代天地大戦のダメージもけっこう残ってるし、天人様から見放されてたこともあって、立て直せてない所が多いんだってさ」


「セシュレスさんが、元は大商人だっていうのは聞いたけど、それでってことなのかな」


「うん、数年ぶりに商人に立ち返るセシュレスさんだけど、どうせあの人のことだから上手にやるでしょ。二人もあの人と何度か戦ってわかっただろうけど、あの人めっちゃめちゃ頭いいから」


 商人とは要するに経済界の主役、大商人とはその中でも有力者、すなわちセシュレスとはそういう人物である。金銭の流れを操り、アボハワ地方全体が潤うように舵を取り、地方全体を真の意味での復興に向けて動かしていく指導者として、今後は生きていくつもりのようだ。


 何年も商人としての本分から離れていたセシュレスが、今になってかつてと同じ地位を築けるかという疑問は出そうなものだが、それに関しても全く問題ない。何せセシュレスは、地人ばかりが住むアボハワ地方において、地人の相対的な地位向上を意味する革命を完遂した英雄様そのものである。有り体に言って、アボハワ地方へ凱旋した彼は大歓迎されるわけで、ついでに言えばセシュレスは革命活動の中においても、知己との縁を切ったりしていない。

 というかむしろ、昔ながらの信頼できる間柄の者達の協力も得てこそ、革命軍を水面下で指揮する最高指導者として天人の目から隠遁しきっていたわけで、彼が築いた人脈が忙しい革命活動で損なわれたわけではない。加えて此度の彼が為した功績も踏まえて、セシュレスのアボハワ地方における発言力は余計に増したわけで、今後は大商人という括りすら超えて、地方全体を統括する大親方としての地位が約束されているに等しいのが本質である。


「セシュレスさん、なんか軽くうきうきしてたわよ。お金めっちゃめちゃあるし、これからどんな風にアボハワ地方を良くしていこうかって、声のトーンが一段階高いっていうかさ」


「お金? めっちゃめちゃ?」


「あ、クラウド達は知らないんだっけ? 終戦協定の一端で、天界にあったお城の宝物庫から、ごーっそりとお金になるものを、たんまりセシュレスさん頂いてるのよ。もちろん私用に使うためのものじゃないけどね」


「セシュレスさん、その辺しっかりしてんなぁ」


 天人陣営と地人陣営の戦争は、革命軍すなわち地人陣営の勝利に終わったのが、革命戦争の結末だ。敗軍側の王、天王フロンが国庫に溜め込んでいた富の大半を、勝者のセシュレスがたっぷりとせしめておいたのだ。おかげ様で今後アボハワ地方を立て直していくにあたり、資金難という一番ありえそうな困難が完全にクリアされたこともあって、セシュレスはわくわくしているのである。元商人、元手となる資本がたっぷりと手元にあると、これでさあ何をしていこうかと想像するだけで胸が躍るのが(さが)というものだ。


 もっともこれは欲のみでの徴収ではなく、天人達の総大将であるフロンの手元に、過剰な貯えを抱え込ませないための執行でもある。革命とはつまり天人達にとっては面白くない話であり、フロンだって今でもそうだろう。そんな奴に大金を掴ませたままでいると、よからぬことを起こそうとした時にそれが大きな弾倉になる。

 お金がいっぱいあれば傭兵をしこたま雇えるし、武器を作るのもしやすいのだ。革命成就後の新時代において、今度は天人側が反撃戦争を仕掛けてくる可能性も加味し、そのための資金的体力を天人側のトップから削ぐ目的も含まれているのである。


 余談だが、相当ごっそりフロンの国庫つまり私財から持っていったセシュレスだが、それでもフロンの生活がわびしくなるようなことはない。それは、フロンも天界王時代は相当たっぷり貯め込んでいたからである。たいしてお金を使うこともなく優雅に過ごせる天界王フロンが、なぜそんなに金を貯め込んでいたかというと、民、特に地人に金銭の多くが回らないようにし、いざよからぬことを考えようとしても資本的な体力に余裕を得させない目的があったから。

 要するにフロンも、天人優勢の世を確固たるものにしていたことも含め、経済的な意味で造反し得る者達を圧迫していたわけだ。セシュレスがフロンの貯め込んでいた富を没収したのは、そうした過去の状況を一新することが最大の目的であり、その没収した財はアボハワ地方の再開発を経て、地人達にじんわりと散開されていく。そうして真の意味で、天人と地人の立場は今までと異なり、より対等になっていくのである。


「セシュレスさんには一つ夢があるらしくてね。アボハワ地方に、村を一つ作るつもりでいるらしいよ」


「へえ、それがセシュレスさんの夢なんだ?」


「昔から、アボハワ地方の荒原の一角に、ここに村があれば相当に地方全体にいい影響があるのになっていう場所があったらしくて、そこに村を作ることが夢だったらしいの。今は資金も潤沢だし、思わぬ形で夢が叶えられるかもしれないって、なんだか感慨深い顔で言ってたよ」


 商人の夢と言えば、自分の店を持つとか、商団を築くなどが夢であったりするのだが、村ひとつ作るとなればスケールが違う。抱いても、流石にそれは無理かなって思うような夢だろう。革命組織の参謀あるいは最高指導者としての時間が長かったセシュレスだが、商人としての性分こそ本質の彼をして、今こそ人らしく夢を追える時だと言えそうだ。


「村の立ち上げにはドラウトさんを始め、ニンバスさん率いる"鳶の翼の傭兵団"も力を貸すみたいでさ。なんだか大きな話になってるけど、聞いてる限りでも上手くいきそうで私も心が弾んだわ」


「あ、気になってた人の名前が次々に出てくる」


「革命団の矢面に立ってたような人はだいたい、セシュレスさんについていく形で今後を歩いていくみたいよ。あの人についていきゃ、正直なんにも不安ないよね。あの人そういう風格あるよね」


 戦人として革命に携わった者達の多くは、今後も今までと同じように、信頼できる大親方についていく形になり、セシュレスも自分を慕ってくれる者達への還元は惜しむまい。血生臭い革命集団としてではなく、頂点に立つ親分に発される絆で繋がるファミリーとして、アボハワ地方の一角で慎ましやかな余生を過ごしていく。響きがなんだかカタギはずれしているが、そう表現して揶揄されても笑う連中の良き人生が、今後あることは間違いあるまい。


「んーでまあ、もうちょっと質問タイムを続けようかなとも思ってたわけですが」


「はいよー、残念ですが村に到着です。この話は一旦お開きですな」


「まだ一人しか質問できてねえんだけど」


「ミスティさんとかザームさんとか、これからどうするのか気になる人けっこういるのに」


「ふふ、また今度ね。っていうかファイン、ミスティのことさん付けなのね?」


「あ、うーん……なんか、すっごく私なんかよりしっかりしてそうだし……」


 馬車が目当ての村に到着してしまったので、御者が言うとおりこの話は一旦おしまいだ。もっとも、それでいい。全部今聞いてしまうのも勿体ない。今夜、宿に泊まってゆっくりしての夜話にでも、話の種を残しておくのも一興だ。馬車を降り、御者に一礼して見送る三人は、辿り着いた村でとある宿に向けて歩いていくのだった。











「いらっしゃ……おお、お前らか! 歓迎するぞ!」


「ご無沙汰してます」


「お世話になりますね」


「やっほー、ご主人お久しぶり」


 宿に入った三人に、大きな体でつかつか近付いてきて、満面なる歓迎の笑みを浮かべるご主人に、三人とも嬉しそうに一礼だ。


 このご主人とは、並々ならぬ縁がある。初めてこの宿に泊まった時は、ファインとご主人が料理対決をしたという楽しい思い出があり、クラウドとファインの二人は二度目この宿に泊まったこともある。その時は、カラザという追っ手からこのご主人が匿ってくれたこともあり、二人にとっては命の恩人であるとさえ言える相手だ。


「あれ、ご主人もう価格設定変えてるんだ?」


「おう、こういうのは早く済ませちまった方がいいと思ってな」


 サニーが宿の料金表を見て驚いたのは、早くも宿泊料が、天人も地人も混血種も均一価格になっている点。かつては、何かことあるごとにつけ、天人とそうでない者にはお金の支払いに差が生じていたのだが、革命成就で世相が変わるや否や、このご主人は仕事が早い。地人と混血種は宿泊料金が割り増しだったのが、天人の価格に合わせてずいぶん安く再設定されているではないか。


「完全統一は数年後っていう話だと思うけど、さっそくやっちゃうんですね」


「元よりこうあるべきだろ。前のがおかしかったんだよ」


「尊敬するわぁ、ご主人マジで。あなたみたいな天人に、私もっと早く出会っておきたかったよ~」


「ははは、光栄だよ、元天界王様」


 元よりこのご主人は、天人の中では異端とさえ言える、色眼鏡なしで天人地人を見られる価値観の持ち主であり、それはかつて混血児のファインを極めてフラットに評価していた姿からもうかがえる。一方で、商人だからやはり社会の暗黙には従わぬわけにはいかず、価格設定も世間に合わせていたが、本意ではなかったのだろう。たとえばもしも革命前の去年に、天人も地人も同じ価格で泊めますよなんて言ってたら、天人達から白い目で見られて商売あがったりなんだから、仕方ない。


 今となっては、価格平等が正義という世になったのだから、何の気兼ねもなくこう出来るのだ。今ならすっぱり価格変更しても、世相に敏感に対応した商人だとしか天人には思われないし、むしろこうした手早い対応が、地人達にはなんていい宿だと思われて客足が増える要因にすらなる。

 世間一般、殆どの商人は、世相が変わったからって急に価格変更なんて出来ないのだ。収支が変わってしまい、後々の商売計画に大きく響くからだ。だからセシュレスも、天人地人の価格完全統一にはまだ時間の猶予を設けるよう天王フロンと結論付けているが、やれるなら先んじた者の勝ちであり、それが出来るここのご主人は商人としてもやり手ということである。


「そうそう、ご主人。この子の就職先を紹介してくれたんだって?」


「まあな。せっかくのこんな才能ある卵、料理界にご招待しなきゃ勿体ねえったらねえからよ」


「その節は、本当にありがとうございます。以前の件といい、何とお礼を申し上げればいいか……」


「以前? なんかあったか?」


「俺達のこと、カラザさん達から逃がしてくれたでしょ。あれ、本当に助かったんですから」


「あー。まあまあまあ、あれは忘れろ。俺らはやりてぇことやっただけだ」


 ここのご主人は商人歴が長く、弟子も数人とった過去がある。その弟子の一人が、既にこのご主人から一人立ちし、クライメントシティで料亭を構えているのだが、なんとその元弟子にファインを紹介してくれたらしい。おかげでファインはサニーとの決着を迎え、クライメントシティに帰ってすぐ、探す必要もなく就職先に恵まれてしまったのである。


 なんでそんなに優しくしてくれたかって、わざわざ尋ねるような無粋は誰にも出来ないが、単にこのご主人の人柄がよく、混血児のファインを気遣ってである。あんなに料理が出来るのに、きっと就職先を探すのにも難儀して苦労するんだろうなと慮って、ひっそりそういう話を進めておいてくれていたのだ。カラザ達からクラウドと纏めて匿ってくれたことといい、ファインにとってこのご主人は、もはや一生忘れられない人物だろう。

 そりゃあカラザも、こんなよく出来た大人を、天界王サニーの勅命に背いたから粛清だなんて馬鹿げていると、小金掴ませて見逃すわけである。カラザもカラザで千年生きてきただけあって、ファインに就職先を用意するご主人の姿など見ていなくても、信念を以って二人を守ろうとしたご主人の瞳だけ見て、その人間力を見抜く目は持っているわけで。


「で、泊まっていくんだろ? 知らねぇ仲じゃねえし、ちっとぐらいはサービスさせて貰うぜ」


「いえいえいえ、ダメですダメです! ちゃんと払います払います! 皿洗いでもお掃除でも何でもお手伝いします!」


「ファイン、それはやりすぎでしょ」


「だめだめ、すっごいお世話になってる人だもん!」


「ははは、この嬢ちゃんは相変わらずだな」


「あなたが逃がしてくれたから、今も元気なんですよ」


「忘れろって、あんなの」


「薪割りでもなんでもしますよ。ちょっとぐらい、恩返ししたいですし」


 すっかりいい関係である。もはや顧客と宿主だなんて金銭だけの繋がりではなく、一人の大人を尊敬してやまないファインとクラウドと、可愛い若者にしてしっかり者だなと見ているだけで感心できるご主人。旅の中で、ある日ぽつりと巡り会えただけの三人が、今後の生涯付き合っていけるであろう関係に、それもこれだけ年が離れていてそうなるというんだから、人と人の縁はどこで繋がるものなのかつくづくわからない。


 言い出せば、ファインとクラウドとサニーの三人だってそうなんだから。最高の出会いは求めても訪れない。恵まれた幸運と、それを大事にする人間力がはっきりと噛み合った時、掛け替えのない絆が生まれるのだ。






「ああ、そうそう二人とも。今は二人とも、クライメントシティでお仕事してるみたいだけどさ」


「んー、仕事っていうか……俺は日雇いで色々やってるだけだけど」


「私はまだだよ。お店で実際に働くのは来月からっていう話だから、今はお店が終わった後に色々と教えて貰ってるだけだしね」


 宿に泊まればいつものように夜話。この空気も懐かしい。何気ない言葉の数々も、以前以上に無意識の心を温かくさせてくれる。


「二人とも、十日ぐらいお休み取れない? 色々二人には、来て欲しい所があるのよ」


「俺はそう難しくないと思うけどな。別に定職に就いてるわけじゃないし」


「んー、私もなんとかなると思う」


「よかった、都合は合うのね」


「来て欲しいってのは?」


「セシュレスさんがあなた達を招待して、宴会を開きたいって言ってるの。色々迷惑をかけたし、お世話にもなったから、せめて一度もてなしたいんだってさ」


「アボハワ地方か。遠いから、けっこう纏まった日が要るんだな」


「あと、タクスの都にも行きたいしね。リュビアさんにも会いたいしさ」


「あ、それいいね。私もレインちゃんに会いたいなぁ」


 新時代、出会った数々の人々も各地に散らばる形で、それぞれの人生を歩んでいく。ファインもクラウドも、今後はクライメントシティで生きていくわけで、遠出が無い限り親しくなれた人と再会できない環境となるわけだ。ならば今のうち、身軽なうちに各地を回り、ご挨拶しておくというのはいい話である。


 大人になるにつれて、かつての友達と会える回数も少なくなるのだ。それでも心のどこかで遠い誰かのことをふと想い、今の隣人との思い出を築いていくことを思えば、それも一概に寂しいことでは決してない。とはいえ、これから大人になっていく過程の二人にとっては、やはりゆっくりと変わっていく環境に寂しさを感じるし、サニーの提案してくれる小旅行は魅力的な響きだ。


「それじゃあ私、明日クライメントシティに帰ったら、向こうの大将さんに説明してくるね。多分、いいよって言って貰えるとは思うけど」


「あはは、大将さんね。ファインももう立派な社会人なのねぇ」


「俺もオッケーだよ。別に今は、ヒマヒマしてるしな」


「よし、決まり。それじゃ、そんな感じでいこっか」


 母を探す旅、それに出会って行動を共にした道、別れ、出会い、帰郷、離別、再会、平定。クライメントシティに始まり、イクリムの町を経て、タクスの都や天界都市カエリス、マナフ山岳にアボハワ地方、ホウライ地方の果てに故郷に帰り、やがては天界と天上界にまで至った長旅が、一つの収束点を迎えようとしている。人生という名の旅路は確かに永遠だ。しかしその一方で、これまでとははっきり違う、一つの地に安住しての半生をこれから歩んでいく少年少女にとって、野山を歩く旅暮らしの終わりは、大きな節目を迎えている。


 本当の意味で自由に世界を歩けて、好きなことが出来るのは、やはり若いうちだけなのだろう。そうした日々の経験は、小世界に落ち着いた後の生涯に、一生忘れられない金色の記憶として刻まれる。未来のクラウドとファイン、サニーにとっては"過去"である"今"の、最後の旅が明日より始まるのだ。


 わくわくする、同時に一抹の寂しさ。それは、掛け替えなく貴き"現在"を未来が予示する、時を越えた贈り物である。

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