第27話 ~なんとか穏便に~
「新人か。おい、いっちょ外出て力試ししてみねぇか?」
3人の男達の中で、一番背の低い男がクラウドに持ちかけてくる。見た目はふとっちょ寄り、しかし腹がずいぶん出ている割には、手足も充分に太いため、正しく言うならあんこ形体型といったところか。主張の激しい腹の方も、脂肪にしては張りがあるから、だらしなく見えるものではない。
「見ているだけなら楽しそうだがなぁ。あんまり激しくやり合うと、後から色々面倒だぞ」
背が高くほっそりした男が、意気込む仲間をたしなめようとしている。酒を飲んではいるようだが、無用のトラブルを避けようとする理性がちゃんと残っているあたり、3人の中では理知的な立場にいる人間だと見える。
「いいや、調子に乗ってるガキにはしつけてやらにゃあな。明日には闘技場に乗り込む立場だってくせに、女と戯れてるなんて鼻につくしよ」
クラウドに絡み始めた中肉中背の男の理屈が、一番よくわからない。酔っ払いの沸点は時として意味不明だ。こういう場においては、珍しいものでもないが。
「待って、待って下さい。まずはごめんなさい、ぶつかっちゃったのは本当に謝ります」
どうしたら勘弁してもらえるかな、と頭を悩ませるクラウド、剣呑な雰囲気に肩をすくめ始めるファイン。悪い流れに傾き始めた空気の中、口を開いたのはサニーだ。椅子から立ち上がり、あまり腰を高くしない姿勢で、クラウドを睨みつけている中肉中背さんに歩み寄る。
「不愉快にさせちゃったのはごめんなさい。でも、喧嘩はあんまり……」
「お嬢ちゃんに謝られてもな。俺はこいつと話がしたいんであって……」
「いや、あの……本当にごめんなさい」
「何がごめんなさいだ? ちゃんとそれをわかってない、形だけの謝罪じゃ気が収まりゃしねえぞ」
「こらこら、悪い絡み方になってるぞ。もうそれ以上は……」
仲裁するサニー、クラウドに絡む中肉中背、参った気分で改めて謝るクラウド、そんな彼にしつこく絡む男を横から諌める背の高い男。かなりめんどくさい状況になってきた。喧嘩開始に向けて突っ走り始めた中肉中背の男を、なんとか鎮めなくては。向こうにも味方はいるようだし、どうにもならない状況でもなさそうだが、穏便な解決への道筋がなかなか見つけにくい状況だ。
「そんなこと言わずに、ねっ? 可愛い私に免じて……」
「あぁん? 自分でそんなこと言い出す奴、可愛いとは思えねえな」
ざっくり。下手糞色仕掛けを敢えて打ち出したサニーに、予想以上に鋭い言葉の刃が刺さる。いや、別に少し前にクラウドに褒められたから調子に乗ったわけではないのだが。
「っ……こらぁ! うら若き乙女を前にしてなんて言い草よぉ!」
「自分で言うから価値が落ちるんだろうが。お前は引っ込ん……」
「ちょっとクラウド、どう思う!? この言い草!」
「いや……あんまり的外れとも……」
「はぁ!? あんたどっちの味方!?」
第三者のサニーがかっかし始めた流れを作り、男の睨む矛先を自分にすり替える心積もりのようだが、徐々に声の張りが強くなってきている。当初は芝居でこういう流れを作るつもりだったようだが、ばすばす耳が痛い指摘を突き刺されて、ちょっと本気で熱くなってきているような気が。
「あ、あの、サニー? あなたまで……」
「ファインは黙ってて! ちょっと引き下がれなくなってきたっ!」
ファイン目線でも、今のサニーの激おこが本気なんだか演技なんだかわからない。多分両方なんだろうなと思うけど。とりあえず、本気の方の熱はある程度抑えてくれないものだろうか。
「ちょっとおじさん! 今の言葉撤回してくれないなら、私が喧嘩の相手になるけど!?」
これはまあ、計算された発言だろう。向こうも大人、女の子相手に喧嘩を買うような節操の無さはあるまい、と期待していいかもしれない。これで向こうが怯んでくれたらいい流れになる。まあ、もしも向こうが、何だよやんのかと乗り気になったらまずいけど。
「生意気なジャリガキだな……! やりてぇなら……」
「あっ、あっ、ごめんなさい、嘘です嘘です、すみません」
失敗。流石に女であることを逆手に取っての駆け引きはあざとかったか。睨み返してやってやろうかと凄んできた男の眼差しに、慌てふためいたサニーは二歩下がる。火に油だったかもしれない。
「やめろって。向こうも喧嘩はしたくないって態度じゃねえかよ」
「ここまで舐められて引き下がれるかよ……! おい、お前ら表に……」
「姉ちゃんいいケツしてんなぁ。触ってもいいか?」
「ちょっ、むがあっ! いいわけないでしょうがあっ!」
向こうの仲裁役が荒れる男をなだめようとする中、ふとっちょの酔っ払いは全然関係ない角度からサニーにセクハラしてこようとする。お尻に伸ばしてきた男の手を凄い反射神経ではたき上げ、睨み返すサニーのリアクションは間違いなく素。それはそれで正しい。
もういっそ表に出て、喧嘩一発受けた方が丸く収まるのかな――いやいや駄目だろ、と頭を巡らせるクラウドも悩ましい局面だ。何を言っても怒れる男には火に油となりそうで、黙っていることしか出来ない現状が苦しい。自分の迂闊さに端を発したことだし、なんとか責任取って場を鎮めたいところだが、謝っても通じない相手との和解策を考えるのって本当に難しい。
「おいおい、うるせーぞ!」
「酒が不味くなるだろうが! 喧嘩ならよそでやれ!」
騒がしい6人の輪に、周囲の不満が怒鳴り声として集まってくる。まずいのは周囲の酒だけではない、そろそろ本格的に、さらにやばい事態に発展しそうな空気に、ファインも肝を冷やしながら周りを見渡す。他の客まで巻き込んでの大喧嘩なんかになったらえらいこっちゃである。
「ああっ、ちくしょうが! てめぇ、マジで外出ろ!」
「お前な……!」
中肉中背の男も、周りに怒鳴り返すような理不尽はしなかったが、代わりにクラウドへの怒りがさらに燃え上がる。なだめようとしていた背の高い男も、聞かんちんな男に対して苛立ちが募ってきたか、そろそろ表情が険しくなってきた。なんだよぉ、とお触りを許してくれないサニーにふくれっ面のふとっちょに、しっしっと牽制し続けているサニーも、広角の視野でこの流れを見て、内心かなり焦っている。
「……あの、一発ぶん殴って下さい」
席を立ったクラウドが、自分に対して怒髪天の男の前に歩み寄る。クラウドと男の背の高さは等しいが、状況が状況だけに腰を高くしないクラウドが、相手を見上げる形で距離を近しくする。
「ちょ、ちょっと、クラウドさん……!?」
「騒ぎになるのは、やっぱり……なんとか、それで収めて貰えませんか」
吠えていた男も、しばし言葉を失う提案だ。慌てて席を立ち、クラウドの後ろに立つファインだが、睨む眼差しを突き刺してくる男を目の前に、決意の込もった目を返すクラウドは振り返らない。
「いい度胸だな……怪我が明日の試験に響いても構わねぇって言うんだな……!?」
「や、やめて下さい、お願いですから……! クラウドさんも、馬鹿なこと言わないで……!」
クラウドの後ろから前に飛び出し、二人の間に割って入るファイン。両者を繰り返して見上げ、哀願する瞳で最悪の回避を望むファインだが、向き合う男達の怒りと決意を揺るがすことは出来ない。怒りの収まらない男、自分の不始末で始まった諍いを鎮めたいクラウド、両者の望みと提案が悪い形で噛み合ってしまっている。
「いいだろう……歯ぁ食いしばれ……!」
「やめて……!」
胸の前で掌と拳を合わせ、骨をぱきぱき言わせる男の手を、ファインが両手で包みにかかる。ぎゅうとその手に力を込めるファインの行動は、男の眼差しを少女に見下ろさせるに至る。
「お願いです、本当にやめて下さい……! わ、私も謝りますから……どうか、どうか……!」
必死な顔で懇願してくるファインの表情を見れば、男の方もちょっと頭が冷えてくる。クラウドも、そんな彼女の後ろ姿を見ただけで、こんな状況を招いてしまった少し前の迂闊な自分を、悔いる想いで胸が苦しくなる。全くこの空気お構いなしで、サニーにお触りの手を伸ばそうとするふとっちょを、毛を逆立てる猫のように睨み返すサニーはなかなかこっちに戻ってこられない。
何気に今一番苦しいのは、自責の激しいクラウドであり、ファインの姿を前にして歯噛みするクラウドの顔が、反省に満ちたものだとは誰にでもわかるものだ。いかにして酔っ払いであれど、こういう顔を見せている相手の顔を、容赦なくぶん殴っていいものだろうか。頭を冷やせ、と男の肩を後ろから引っ張る背の高い男の手に引かれ、怒れる男も小さく舌打ちせざるを得ない。俺は悪くないの思考がよく働くのも酒の魔力だが、きっかけ一つあれば頭も冷えてきたりするものだ。
「おいおい、どうしたよ。えらく可愛らしいお嬢ちゃんまで泣きそうで、いい雰囲気じゃねえな」
膠着状態、しかし最悪の一歩手前のまま動かない空気に、不意に割り込んできた声。この場の6人、一同に声の主に振り返ったのは、それぞれが異なる思惑からだ。悪い状況に思考が後ろ向きに傾きがちなファイン達3人は、新たな火種が来たのかとぞっとして声の主に振り返る。そして、3人の男達が驚くようにして振り向いたのは、明らかに聞き覚えのある声だったからだ。
「タルナダの親分……!」
「周りも少々迷惑してるみてえだしな。話、聞かせろや」
一目見ただけで、この酒場にいる多数の客の中でも一番の巨漢だと思えるような体躯。黒いジャケットを一枚だけ羽織、開いた体の前面には、岩石のような腹筋と鎧のような胸板がちらついている。白髪がかったよれよれの髪を後ろで括った初老の男は、まるで背の高い男が口にした二つ名のように、山賊の親分か何かのような風貌だ。
腹を斜めに横断する大きな傷跡が物語るのは、誰の目にも彼が歴戦の強者であることを感じさせる風格。タルナダと呼ばれた大男の推参には、その姿を見た周りの客も、言葉を失ったかのように静まり返っていた。




