第269話 ~新時代の幕開け~
一週間の時が過ぎた。
「ファインー! こっちこっち!」
「サニー!」
天上界での戦いで負った体の傷も、時を経て完全に癒えたファインが、サニーを見つけてぱたぱたと駆け寄る。昔と変わらず、サニーを見たら飼い主を見つけた犬のように、本当に嬉しそうに駆け寄る子だ。ファインに尻尾があったとすれば、走りながら尻尾をぶんぶん上機嫌で振り回していると思われる。
「クラウドも、来てくれたんだ」
「なんだよ、サニーが来いって言ったんだろ。なかなか見れないもの、見せてくれるってさ」
「いや、まあ……もう私には二度と会いたくないんじゃないかな、とかさ」
自分の胸に顔をうずめて、ぎゅうっと抱きしめてくるファインの頭を撫でながら、その上でサニーの表情がばつの悪そうなこと悪そうなこと。数日ぶりに顔を合わせる、サニーと二人なのだが、今でもサニーはファインとクラウドに対する後ろめたい想いが晴れていないようだ。そりゃあ沢山、友達と呼んできた相手にひどいことをやってきたわけだから。
「いたっ」
「もう終わったことだろ。忘れてないけど、気にしてないよ」
額を小突かれ、自分とファインの頭に片手ずつ撫でながら、サニーも苦めに笑って返す。あれだけのことをやって、殺そうとまでしたっていうのに、許してくれるっていうんだから言葉もない。いっそ、もっと、なじられ批難された方がましだったのかもしれないぐらい、優しい友人を欺いていた自分の罪深さが深い。
「サニー」
「……行きましょうか」
胸元から見上げてくるファインを、朗らかな笑顔で向かえたサニーが体を離し、ファインの手を引き歩いていく。クラウドは、その後をついて歩く形。そんな中で、目に見えて歩く速度を落としたサニーの行動が、二人に追いついたクラウドを成立させ、そこから三人は横並びになり等しい速度で歩いていく。
ファインを挟み、クラウドとサニーが、並んで共に歩くのはいつ以来だろう。きっとそんな大昔のことではなかったはずだ。それを懐かしむように今を実感して歩くサニーは、前を向きつつもちらちらとファインとクラウドに目を移ろわせる。
「なんか今日のお前、お前らしくないぞ」
「あはは……そうかもね」
お喋りで、三人の会話を率先して回していたサニーの姿が、クラウド達の目には懐かしく感じる。これも大昔のことではなかったはず。短い別れと再会が、宿命が、あれだけ楽しく付き合っていた三人の仲を、こうも違う形に変えてしまったことは、間のファインが一番寂しがっている。
元通りというわけにはいかないのだろうか。ファインとクラウドがそう思うほどには、三人の絆は完全に癒されたわけではない。こうして三人で並んで歩けるようになっただけでも前進――そう割り切って諦めるには、かつての本当に楽しかった頃は眩しすぎるのだ。
目が覚め、天界にてセシュレスと再会したサニーは、執政参謀の彼と一つの方針を固めた。その夜、ひとっ飛びでファイン達の所まで帰ってきたサニーは、ファインとクラウドに一つ頼んできた。一週間後に、天界都市カエリスに来て欲しいと。ファインには協力して欲しいことがあり、クラウドに頼みたいことは無かったのだが、歴史的な出来事が起こるから、せっかくだから見ていって欲しいという話だ。
その時ファインとクラウドは、サニーに王を続けるのかどうかを改めて尋ねた。サニーは、はぐらかすようにして明確に答えなかった。それはともすれば冷たい返答だったが、少なくともファインには些かの希望を感じられた気もした。私は王をやめるつもりはないよ、ときっぱり返答されるよりは、半分だが良い方の答えだったからだ。
その日からの一週間で、ファインとクラウドはじっくりと体を癒した。サニーは再び天界都市カエリスに戻り、これから起こす大きな出来事の準備をいそいそと進めていった。カラザやミスティを筆頭に、ドラウトやネブラ、ザームを含めた、革命に携わった面々総出で、随分忙しく駆け回ったそうだ。
戦争の中で何人もの命を失ったのは"アトモスの遺志"もそうだが、戦時中のセシュレスの采配の賜物もあってか、まだまだ生存者は多い。要するに、人手には困らないということ。一週間では余るんじゃないかというペースで、サニーとセシュレスとカラザの三人で定めた今後に向け、天界都市カエリスのごく一部が形を変えられた。
なかなかうるさい一週間だったらしい。ばっこん、どっかん、がらんがらんと、日中は破壊音が響くわ響くわ、前天界王フロンはずーっと不機嫌だったそうだ。敗軍の王として、勝者に好き勝手されるのは屈辱的ですらあっただろうし、その気持ちは当然拭えまい。
ただ、サニー達が掲げた方針はフロンにも共有されており、それはフロンにも、ひいては天人陣営にもそこまで悪い話ではなかった。勿論、それなりにこってり損失を被らされる部分もあったが、戦争で負けたのだからそれは少々仕方ない話である。尊大で傲慢な天人陣営のトップ様だが、最低限の物分りのよさは持ち合わせていてくれて、その辺りにはサニーもほっとしていたようだ。
そんなこんなで一週間が経過した今、すべての準備は整った。あとは、やるだけ。新たな歴史が幕を開けるこの日、ファインとクラウドとサニーの三人が、天界都市カエリスの新聖地予定地に到着だ。
「あ、来た来た! ファインちゃん、待ってたよー!」
「う……」
出ました、三色トリコロールカラーの混血児。カラザとセシュレスの間でファイン達に振り返ったミスティが、待望の人物との再会を喜ぶように手を大きく振るが、ファインは足を止めかけてサニーに我が身をすり寄せる。もう少しこの動きを大袈裟にすれば、サニーの後ろに隠れることも出来よう。
「あーダメだ、やっぱり怖がられちゃうなぁ」
「諸々の事情あってとはいえ、お前も相当あの子にひどいことをしてきたそうだからな。致し方あるまい」
「む~、ファインちゃんとは仲良くしたいのに」
びくびくしながら近付いてくるファインを待ち迎えつつ、拗ねるよりも残念がる顔でミスティは溜め息をつく。元気を出せとばかりにセシュレスが頭を撫でてくれるものの、それがなかったらもう一段階落ち込んでいたかもしれない。過去とは価値観を変えたファインも、今ではミスティのことを敵視しているわけではないのだが、色々あり過ぎて今でもまだ、ミスティを見てしまうと身がすくんでしまうらしい。
「お久しぶりです、カラザさん」
「ああ、会えて嬉しいぞ。元気そうで何よりだ」
本気の殺し合いを繰り広げた二人だが、そんなことはもう昔の話だとでも言わんばかりに、クラウドとカラザは親しげな握手を交わしていた。クラウドの表情は敬う年上との再会を喜ぶ笑顔だし、カラザも気高い若者との再会を心から喜ぶ笑顔。この二人の割り切りのよさは、見習えばきっと人生が相当楽になる。
「にしても……なーんか随分と豪快にやったんですねぇ」
「これだけの土地が必要だったんだよ。天界王様は、贅沢な城にお住まいだったようでな」
「言ってくれたら手伝いましたよ。大変だったでしょ」
「なに、人手には事欠いていなかった。地ならしも含めて、一昨日のうちには概ね終わっていたよ」
クラウドも来てみて驚いたが、前方が凄い。なんにもない。恐らくそこには、いくつもの家屋や建造物があったであろうのに、全部取り払われて綺麗な更地になっている。それも、かなり、かなり広大にだ。どれぐらい広大かって、どういう事情でこんな更地を作ったのかをあらかじめ知らされていなかったら、ホウライの都のようにカラザの爆撃で以って、暴力的な破壊で吹っ飛ばした戦場跡じゃないのってぐらい広大。
これだけ広ければ、仮にここに城ひとつぐらい降ってきても、綺麗にすっぽり収まりきると思う。つまりは実際、そういう目的で作られた更地である。
「役者は揃いましたな、フロンどの」
「……ふん」
少しだけ距離をおいてだが、前天界王フロンもそこに居合わせていた。何人かの側近を連れ、渋げな表情で腕組みをした体の大きな老人は、サニーに敗れた王という汚名を背負ってなお貫禄を失っていない。クラウドやファインも久しぶりにこの人物を見るが、こうした風格を見ていると、この人が天人達に無条件で敬われるという話もちょっとわかるような気がした。
「さあ、サニー。ミスティ、ファイン。始めて貰えるかな?」
「ええ、参りましょう」
「はーい♪」
「はいっ」
セシュレスの一言を受け、サニーは片腕をぶんぶん回し、ミスティはぴょんぴょんと二度跳ね、ファインは静かに小さくうなずく。各々がそれぞれの所作ののち、背中に風の翼を顕して、地を蹴り空へと舞い上がる。
赤い翼をはためかせるサニー、ぼんやりと薄緑がかったような透明の翼を広げるミスティ、空色の翼を最も無駄のない動きで動かすファイン。同じ飛翔の魔術でも在り方が全く違う三人の姿を、地上の者達が見上げている。
見上げる側とは、クラウドとカラザ、セシュレスとフロン。そして、ザーム達を先頭に集まった革命組織の面々、あるいは天界都市に住まう人々。歴史的この瞬間を目にしようと、今日のギャラリーは非常に多い。セシュレスが広く視野を持っており、少し更地に近付き過ぎている者には手つきで以って、もう少し退がれと命じたりもしている。
「さて、やるか」
「手伝うぞ」
「ああ、力添えがあると助かる。私も流石に、ここまでやるのは初めてだからな」
遥か上天に旅立っていったファインとミスティ、サニーの三人の姿が見えなくなった。かと思えば、空高くからまるで合図のように、ぴかりと強い光が地上に返される。上空にて三人が力を合わせ、天界と現実世界を繋いだ証拠である。
「――さあ! みな、見逃すなよ! 生きているうちは二度と見られぬ、貴重な一幕だぞ!」
声を上げたのはカラザである。歴史家が本分の彼は相当わくわくしているようだ。この瞬間に立ち会えること、そしてそれに自分が力を与せること。色々思えば楽しむというのも不謹慎な気もするが、やはりこうした瞬間に抱く高揚感は偽れない。
それでこそ、最高の魔力を生み出せる。魔力を生み出す精神が、これ以上ないほど昂ぶるからだ。人智を超えたか見紛うほどの大魔術を叶えようとするカラザだが、これなら絶対に失敗しない。
「さあ、カラザどの……! 参りますぞ……!」
「ああ……!」
セシュレスも魔力を生み出す。アトモスと共に変革の志を掲げ、新時代を夢見た黎明者二人の魔力がシンクロし、夢の実現へと踏み出すのだ。
「栄華の秋落!!」
カラザが口にし地面に勢い良く掌を振り下ろした瞬間、目の前の更地は更地でなくなった。子供千人が走り回っても余るほどの、土だけが広がる地面全体が、ばこんと凄まじい勢いで隆起したのだ。それはもはや、上空から見下ろした時、更地の形と同じ上面を持ついびつな形の巨大岩石柱と言って的を射る。その太さ、巨大さに、柱という言葉が適切に感じられるかどうかは別として。
「来た来た! ファイン、ミスティ! しっかり繋ぐよ!」
「うん……!」
「ま~っかせといて!」
上空の三人は、地上からものすごい速度でせり上がってくる、更地型の頭をした巨大岩石柱を見下ろしながら、天界と現界を繋ぐための魔力を全力で注ぐ。界と界の境界で翼を広げる三人に導かれるように、あるいは自らそこに我が身を飛び込ませるように、地柱は天界までその背丈を届かせる。
恐らく、この光景を横から見たら、事情知らねば誰でも天変地異かと思うだろう。地上から凄まじい勢いで背を伸ばす、ばかでかい大地の柱が、空のある一点で異空間を越えたかのように頭を消すのだから。その結果を以って、カラザの大仕事は半分終了である。
「届いたか……!?」
「ああ、あとは降ろすだけだ……!」
興奮で体を震わせるカラザが操る魔力に従い、とんでもない勢いで天に上り詰めていた巨大な柱が、今度は下半身から順に地中へと沈んでいく。その頭の上に乗せたものを、そのまま地上に降ろしてくるためにだ。地上は砂煙でいっぱいになり、せっかく集まったギャラリーの視界も非常に悪い。
「ひゃー! こりゃすっごいわ!」
「ここ、ほんと特等席だねぇ! これを間近で見られたの、私達だけだよ!」
「す、凄い……カラザさん、本当にやっちゃうんだ……」
サニーもミスティもハイテンション、ファインも息を呑むほど上空での光景は圧巻。現界の空と天界の境界から、ずぼりと頭を引き抜いた地柱の上には、どっしりと天界の城が座っているのだ。それが、沈む形で地上へと帰っていく地柱の上に乗せられたまま、ファイン達は見下ろすように見送る形になる。天界に荘厳に構えられていた城そのもの全体が、形を崩さず地上へと降りていく姿を見下ろすなんて、確かに一生見られない光景を特等席で眺める形であろう。
「クラウド」
「っ、なんです?」
地上は沈む地柱がまき上げる土煙でいっぱいで、クラウドも片腕で額の前を覆って片目を閉じている。カラザとセシュレス以外は全員そうだろう。そんな中でいきなり話しかけてくるカラザだが、楽しそうな声ですこと。
「揺れるぞ、気をつけろよ」
「はぁ、わかりました。そういうのって、先に言っておくべきことじゃないですか?」
「はっはっは、すまんな。完全に忘れていたよ」
はっはっはじゃねぇよとクラウドも苦笑するばかり。よっぽど嬉しいんだろう、色々と。落ち着きのある大人の声でありながら、ここまで無邪気な響きを交えた声もなかなか聞けるものではあるまい。
「セシュレスどの、感謝する……!」
「お互い様だ……!」
革命組織の創始者二人が、志のゴールを互いへの賛辞で締め括り、二人が同時に顔を上げる。その瞬間、ずしんと巨人が地面を踏み鳴らしたかのような揺れが、地上を大きく上下させた。立っていられた者は武人一握りのみ。クラウドやフロン、あるいはザームやドラウトなど芯の強い者達数名のみだ。戦い慣れていて強い体を持つネブラ辺りまでもが、転びかけて片膝つく始末。立ってこの揺れに絶えられた者は一割にも満たない。
「おぉ……!」
「これが、天界王様の……!」
土煙でいっぱいだった地上の視界が晴れるまで、もう少しかかるはずであろうところ、上空から与えられた強風の塊が土煙をにわかに吹き飛ばす。みんな早くこの歴史的瞬間を見たいでしょ、と気を利かせたミスティの手によるものだ。そうして土煙の晴れた地上には、数秒前に広々と横たわっていた更地が無い。
地中へと去っていったカラザの地柱が消えた地上には、真っ白で荘厳な王宮が居座っていたのだ。それは長らく天界にどっしりと構えていた、天界王おわす天界の城。界を隔て、カラザの操る大地の一部にいざなわれ、千年近く天界のみを自らの居所としていた城が、この大地へと移り住んだのである。
「すっげぇなあ……天界王様ってのは、こんな所に住んでたのか」
「確かにこれは、美しいな。皮肉を垂れるのも無粋というものだ」
地上はざわめく。天界に招かれたことのない天人は、天界王の城を初めて目にできたことで、感動に身を震わせる者が大多数。革命の使徒達、地人達は、あまりにも美しいその城を目の前にし、自分達を差別して得た財でこんな贅沢な城で住んでいたのかと、皮肉を想う心地も失うほど。最高の芸術品は、あらゆる雑念を見る者から奪い去り、ただただその存在感だけで魂を揺さぶるのだ。
「フロン様……」
「……いつかは、こんな時が訪れることもあっただろう。それが今だというだけだ」
無念そうに主の名を呼ぶ側近に、フロンは表情を変えず、冷静かつ厳かな声を返した。天人が支配者たる時代の象徴、天界から完全不動なる王の城。それが地上に降ろされて、覇権が終焉を迎えたことに対し、当代の天人達を統べる者として複雑な感情が渦巻いているのは確かだろう。
それでも流石は王と呼ばれた人物だ。この世に、永遠不変のものなど存在しないということを、彼も理解していないわけではない。千年以上続いた、天人が支配者であるという時代すら、その例外でないことも。天人達の楽園と呼ばれたホウライの都が滅びかけ、クライメント神殿に眠るオゾンの魂を獲得されたという、これまでの出来事からも、諸行無常は証明されてきた。
多くの天人は、それでも自分達の時代が終わることまではないと現実から目を逸らしてきたが、フロンはそうではなかったのだ。だから、全身全霊を以ってサニーと戦った。自分達の時代を守るために。たとえ無残に敗れても、王として戦い抜いた彼の過去までもが失われるわけではない。
天人覇権の時代の幕切れ、そして天界の終焉。空を見上げるフロンは、生まれ育った天界を名残惜しむような目を浮かべていた。王たる彼が、人前では決して見せたことのない、寂しい表情だ。
「さて、仕上げね」
「これで全部終わり、か」
「…………」
城を見送ったサニーとミスティ、そしてファインは天界にその身を浮かべていた。城を失った天界には、何も残されていない。雲が広がるばかりで、鳥も舞わない。空が広がっているだけだ。
天界は、その役目を失った。天人達の支配の象徴として生まれ、王を膝の上に迎えるために在り続けた天界は、存在価値を失ったのだ。
三人は、自ずと悼む感情を抱かずにはいられなかった。命無き世界、虚無の空。淋しく広がる天界の青空を、サニーは無表情で見下ろし、ミスティは閉じた目を開いて見上げ、ファインは哀れむような目で見回す。千年もの時を、ただそこにあるだけで祀られ、信仰の対象とされてきた天界が、そこにある意味すら失って屍と化した姿には、哀悼の念すら禁じ得ない。
自分がそこにいることに、意味はもう無いのだと突きつけられるのは、どれほど寂しいことだろう。天界は千年もの間、その存在感だけで大きな使命を果たしてきた。それが生まれてきたことには、大きな意味があった。それが失われたことは、死に等しい。
「ファイン、わかるわよ。でも、やらなきゃ」
「私達の目的のためだけじゃない。役目を終えたものを見送るのは、私達にしか出来ないことだよ」
「……うん」
新時代を迎えるにあたって、この天界という場所は大きな不安要素になる。ファインとサニーとミスティを除けば、天界王フロンだけがその門を開けるこの天界は、使いようによっては天人の不動要塞にいつでも変わり得る。葬らなくてはならないのだ。平和な時代への第一歩として、天人陣営にとっての最強の武器になり得るこの天界は、今後存在しない形にしなくてはならない。
自らの存在価値を否定され続けた、混血児のファインとミスティ。革命を為すことこそが己の生まれてきた意味と信じ、それをすべてとして生きてきたサニー。三人にとって、己がここにいる意味を失って、葬られなくてはならない今を迎えた天界には、感情移入すらする。生まれてきた意味を失うこと、排斥されること、それがどれほど耐え難いものであるかを、三人はそれぞれが違う形で知ってきたのだから。
「やるわ。二人とも、及ばずがあれば力を貸してね?」
「任せて」
「うん」
年長者のサニーが、翼を上下させてホバリングし、胸の前で二つの掌を上に向ける。ぽう、と輝く何かが掌一つずつから宙に浮く。アトモスと、オゾンの魂だ。敢えてその二つを目に見える形で世界下に顕現させたのは、ずっと自分を支えてくれた二つの頼もしい魂を目にして己を奮い立たせることと、歴史の節目を二つの魂の前で迎えさせること、二つの目的を持つ。
新時代を託して世を去ったお母さん。千年前に敗北し、地底深くにて無念にも果てていったオゾン。両者が望まなかった天人支配の時代が、この天界の崩壊とともに、終わりを迎えるのだ。目を閉じたサニーが、二つの魂を自分の周囲を旋回させ、それが生じさせる魔力を我が身に集めて集中する。
大願、ここに為せり。感無量と寂しさが織り成すサニーの胸中に、僅かに混ざり込んだもう一つの感情は、これより見送る天界への惜別の念である。
「――崩界!!」
両手を掲げたサニーの挙動、その後に続く詠唱。サニーの手の上に強い光が生じ、それはあまねく天界のすべてに届いていく。青空がゆっくりと色を失い、雲が消え、モノクロの天界へと変わっていく。それに伴い、サニーとミスティとファインの体が、自分達の意思とは関係なくゆっくりと下方に沈んでいく。
まるでこれより消えていく天界が、三人に別れを告げるかのように。この世に存在しなくなる自分と共にいては、君達まで僕の後を追うことになるよと言わんばかりにだ。界の意志と例えて遜色ない、不思議な力に導かれるまま、三人の少女の体は自ずと天界の出口へと向かっていく。出入り口ではない、出口としての最後の役目を果たす界の境界へ。
「……お疲れ様」
サニーはファインやミスティを振り返らず、見上げたままの灰色の空に向けてそう言った。ただそこにあることに意味があった、あまりにも大きく、長く、天人達を包み込んでいた天界に向けて。そしてその役目を終えたことで、この世から去ろうとする姿無き英雄に向けて。
優しい風が、三人の髪を揺らした。それは哀悼の意を以って自らを見送ってくれた少女達に対す、天界が最後に見せた別れの言葉だったのかもしれない。その一吹きの風に目を閉じた三人が目を開けた時、その周囲には青空が広がっていた。天界ではない、現界の空である。
それは、今までと違う空。新たなる時代を厖然と見下ろす空である。三人の帰りを待つ者達が立つ大地もまた、新時代を泰然と見上げて広がっている。




