表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第19章  晴天【Conviction】
282/300

第263話  ~こうなることはわかっていたのに~



 サニーは絶対的に確信している。自分が、ファインに負けるはずがないと。理由も根拠もその結論への過程には無い。ただただ理由なく、十年近くの付き合いから、ファインに自分が負けることは無いとはっきり信じている。


 さあ、現実はどうだ。手足に馴染んだ格闘術を武器に、ファインに迫って拳を蹴りを、放つサニーの攻撃がファインに通じていない。回し蹴りも、裏拳も、振り上げる肘も、正拳突きも。すべてがファインの回避により空を切るか、当てられる間で放ってもファインの掌がそれをはじき返してしまう。恐らくクラウドが相手であっても、真っ向勝負できよう速度でサニーが放つ連続攻撃が、まるで今のファインには通用しない。


「んぐ、っ……!」


 反撃もある。体術に秀でるサニーとは対極、接近戦に不得手のファインは、クラウドやサニーがやるような立派な攻撃を返さないし、返せない。開いた掌をスイングしてサニーに殴りかかるだけだ。

 それを、かわしきれぬ間で放たれたサニーが、腕を構えて防御しても、ファインの攻撃力がサニーの守備力を上回り、彼女を突き放して腕に腫れ後に近い赤みを残していく。


 今のサニーなら、たとえば闘牛に真っ向からぶつかられても、魔力で高めた強固な防御力で踏み堪えることが出来るはずなのだ。そんな彼女が今確かに、ファインにはっきり押されている。


 前かがみ気味に構えた姿勢ながら、サニーが立てた二本指をくいっと招く形で、ファインに来なよと挑発する。押されているのにこの余裕は、表面上の優勢劣勢を超越し、自分が上だと信じてやまぬ王のそれ。頂点への挑戦者ファインが、地を蹴りサニーに一気に迫る戦い方は、もはや遠距離戦を得意とする彼女本来の戦い方ではない。


 接近しても不格好だ。クラウドのように型の定まった力強い拳を打つでもなく、サニーのような鋭い蹴りを放つでもなく、広げた掌をフルスイングするのみ。人の殴り方を知らない少女が、手なりで繰り出す攻撃は、その掌に強き魔力が纏われていなければ、甘んじて受けてやってもいいぐらい頼りない。


 風を切りながら頬を打ちにかかった、ファインの瞬速の平手打ちを、ファインは力任せの裏拳で殴り返す。力の相殺、あるいはむしろサニーが押し切られ、体をひねらされて痛む拳とともにファインの平手が道着にかする結果を生む。

 ひねる体をその回転方向にむしろ加速させ、カウンターの肘をファインの脇腹に迫らせる速さは流石のサニーだ。普段のファインなら絶対に、対処することも出来ずにボディを打ち砕かれ、戦闘不能に陥っていたはず。これをまるで先読みしていたかのように、ひゅっと後ろに蹴り退がるファインが、サニーの回転肘鉄をあっさりかわしてしまう。


 そうして生じた距離も驚くほど最小で、すぐに一歩踏み出しながら逆の掌を振り抜いてくるファインの手は、サニーの肩口に届く軌道を描いている。少し上がり気味の横振り抜きの平手を、サニーが腕を構えて防ぐのだが、がっつり受けた瞬間にみちりと腕が痛むこの威力は、やはりサニーの表情を少し歪めさせる。


「サニー、っ!」


「つ……っ、らあっ!」


 ファインの平手打ちにはじき押されて距離が生じた二人の間を、詰め寄るファインがすぐ埋めた。平手を押し出す形、言い換えれば掌底の一撃を迫る勢いに乗せて打つファインと、回し蹴りを放つ要領で体を回転させつつ、ファインを迎え撃つ迎撃点に自らの膝を運んだサニー。掌底と回転膝蹴り、その二つが激突し合ったインパクトは、両者の魔力が生み出す絶大な重みのぶつかり合いの産物だ。


 押し出し合う形で二人が離れ合う。立ち構える二人は、ある種この日最もわかりやすく対照的だ。確かに何度か打撃を貰っていながら、苦しみを表情に表さないサニーと、攻めているはずなのにまるで全身を鞭で打たれた直後のように、立っているのもやっとかと思えるほど苦しそうな表情のファイン。戦況と、二人の態度が噛み合っていない。


「……ムカつくわぁ」


 はっきりとそう口にせずにいられないほど、サニーの胸中は苛立ちに満ちていた。この一言を発した直後、地を蹴りファインに接近したサニーの速度は、ここまでよりもさらに凄まじい。

 慣性に任せた正拳突きを放つサニーに対し、両の掌を前に構えて受けたファインが、踏ん張りきれずに地面を靴裏で擦って後退する。苦しげに片目を閉じるファインの前には、切れた目のサニーがファインを睨みつけている。


「あんた本当、私のことバカにしてる……!」


「くっ、うっ……! んんんっ……!」


 まるで数秒前までは準備運動に過ぎなかったのかとさえ思えるほど、一気にサニーの猛攻速度が上がった。手足がファインにあらゆる角度から時間差で迫り、傍から見ればその連続攻撃の残像が見えようほど。必死でそれらの攻撃をかわし、受け流し、致命打を貰わずに凌いでいるファインは苦しいが、それが出来ているだけでも相当にあり得ぬ話である。今までのファインを思えば尚更に。


「勝つ気が無いの……!?」


「くうぁ……ううっ……!」


「それで私に、言うことを聞かせようとしてるつもりなの……!?」


「あっ、あ……くあぅ……!」


 一秒の間に十近く鳴る、サニーの攻撃とファインの防御がぶつかり合う衝突音の中で、サニーの口から発される怒りの声はほぼ紛れる。攻められる中で少しずつ後退するファインの耳に、そんな声が届いているのかどうかも定かじゃない。


「人のこと舐めるのも……! 大概にっ、しなさいよおっ!!」


 怒号とも言える大声と共に、サニーがファインの胸めがけて突き出す回し蹴りを、ファインは交差させた腕で防ぐのがやっとだった。踏ん張りが利かない、叩き飛ばされる。地面に背中を打ちつけて、倒れたファインの目線の先から、低く跳躍した放物線を描いて飛来するサニーは、地面に屈した相手にとどめの追い討ちをかける容赦ない狩猟者だ。


 倒れた状態から足を振り上げ、迫るサニーをこれ以上ないほど的確なタイミングで迎撃したファインが、サニーを自分の頭上方向に跳ね上げた。蹴りを腕で受け返しつつ飛ばされ、ちっ、と舌打ちしたサニーは空中で身を回してあっさりと着地する一方、転がり起き上がったファインは立ち上がるも、しっかり構えられるまでの時間がサニーよりもかかる。ファインの体はもう悲鳴をあげている。


 ファインの行使した神酒纏い(グロッグネクタール)が、母の天魔の魔力を借りて擬似的な身体能力を為す魔術なら、今その上に上乗せする崩呪纏い(グロッグアプサント)は、彼女自身の地術の魔力を加えての本質的な身体能力強化の術。カラザが使った時流冬結(ウィンタークロノス)と理屈は同じだ。闇の魔力の引力を用い、自身の肉体の本来を超える力を引き出せるようにする。それで初めてファインは、サニーと五分以上に渡り合える肉体を顕現している。


 アストラの魂の力を借りたカラザでさえ、それで初めてようやく実現することが出来たその術を、見よう見真似で16歳のファインが模倣しきれるはずがない。肉体の限界を超えた物理的な力を、その身に宿すだけなら簡単だ。闇の魔力による引力で、体を押せば、引っ張ればいいだけなんだから。

 難しいのは、それを維持する壊れない肉体――裂けない、折れない、切り離されない骨肉を、引力で以って維持するのを両立させることである。その緻密な魔力の、引力の循環を為す技術がファインに備わっていない。己の器を超えた力を実現させると共に、それに耐えられない体は、術に従い動き続けるだけで、ありとあらゆる部分が駄目になっていく。崩呪を纏うとはまさしく体を表す術の名である。


 それでサニーと戦い抜いて、ファインに何が残るというのだろう。たとえ勝っても死んでしまう見込みの高い戦いに、未来を見据えているとは思えない。だからサニーは憤慨する。


「あなたいったい、何が望みなのよ……!」


「くっ、ぅ……けはっ……」


「答えなさい! ファイン!」


 駆け迫るサニーに、ファインは身構えることすらしっかり出来ていない。接近して頭を狙った高い蹴りを放つサニーに、ようやく構えた腕で防御を為すのが精一杯で、防がれたサニーが逆回転して肘で殴りかかってくる一撃を、両掌で受け止めるのがやっと。痛烈すぎる一撃が、ただでさえ壊れかけのファインの体を完全崩壊に近付け、押し返す力ももはや生み出されない。


「あなたが私に勝つことが出来れば、私が今の立場から退くとでも本気で思ったの……!?」


「ううぅ……っ……!」


「私は辞めないわよ、今の道……! 殺されでもしない限り、絶対に自分の意志では曲げない!」


 受け止められた肘を引かず、ぐぐっと押し、ファインの力と拮抗する形で止まったサニーは、その鍔迫り合いの形のまま睨みつけて詰問する。心身ともに折れかけとも思えるファインの表情と、声に表れる激情を上回るほど鬼気迫るサニーの表情は、それだけでも勝敗まで予示するかの如く明暗を分けている。


 17年間の人生を、サニーはすべて今の結果のために心血注いできたのだ。百歩譲ってファインとの戦いで負けたとしたって、あなたの方が強いわね、言うことを聞きましょうなんて言おうものか。ここまでファインの喧嘩を買ってきたのだって、力で盾突く相手には力で応ずるとしているだけだ。そして、負けない。

 ファインはサニーに、王であらないでと言う。それを叶えるための手段がこの戦いなら、ファインがサニーを殺す以外に結末は無いはずなのだ。それがわからず挑んできているのだとしたら、ここまで上り詰めるために、サニーが固めてきた決意を軽んじていると言ってもいい。サニーがファインに舐めるなと言うのは、そうした意味も含まれている。


「殺す気で来てるのよね、あなた……!? 私のこと……!」


「っ……く……」


「そうなのよね!?」


 尋ねたサニーは、睨みつけたままファインのリアクションを待っていた。反撃でもいい、言葉でもいい。試されたファインが、じわりと涙を目に浮かべかけ、確かに小さく首を振る姿が、サニーにとっては最も頭にくる最悪の回答だった。


「っ、舐めんなあっ!!」


 肘をぐっと押し、引き、ファインからほんの僅かな間合いを稼いだサニーが、ぎゅるりと体を一回転させファインの腹へと蹴りを突き放った。両手をその前に構えて防御することしか出来ないファインが、蹴りに押し出された手の甲を腹部にめり込ませられ、後方に吹き飛ばされて倒れたその時が、決着の瞬間の一つであったのは間違いない。


 すぐに立ち上がることが出来なかったから。ひくひくと体を震わせて、肘で上体を少しだけ起こしたファインのぼやけた視界の前方から、とどめの追撃が即座に可能だったサニーが歩いてくる。その表情をファインの目がはっきりと捉えることは出来なかったが、殺意を上回る激怒を覇気からも醸し出すサニーの迫る姿には、ファインも心臓を握り締められる心地だっただろう。


 立ち上がるファインは、がくがくと震える脚に力を込め、ようやくと言ったところ。時間の経過とともにだけでもファインの体は崩壊していくのだ。結末の見えている戦いではないか。こんな無理をした術を行使してまで戦っても、どうせこうなることはファイン自身にもわかっていたはずなのに。


「あなたと私の違いは何? 前に教えなかったかしら?」


「ふっ……ふうっ……!」


「宿命の差だって、覚悟の違いだって、教えたわよねぇ?」


「っ、う……えはっ……!」


「あなたは私との戦いに、何を目指しているの?」


 ファインが勝てば、それでどうなるというのか。サニーは殺されでもしない限り、決して王位から退かない。それに背いて勝利を叶えられたとしても、ファインの望む世界は手に入らない。サニーを殺すことは無理だって答えたファインの回答は、それをはっきり表明している。


「……殺して、よ」


 サニーの息が、うっと詰まり、歩み寄っていたその足もぴたりと止まった。止まると同時に揺れた体も、過剰なほどであっただろう。この日初めて、あるいは縁を切ったはずのあの日以来初めて、サニーがファインの言動によって動揺した。


「サニーが、私を……逆らう人を殺さなきゃ、王様でいられないっていうんなら……私のことを、殺してくれてもいいんだよ……!」


「ファイ……」


「そんなあなたがいる世界で私、生きていくことなんて出来ない……! サニーは、優しかったよおっ! 目的のために、誰かを殺して、仕方がないことだって納得するような人じゃ、なかったはずじゃんかあっ!」


 いつまで自分に、そんな理想を描いているんだ。何のためにあれだけ冷たく、乱暴に突き放し、負かして心までへし折って縁を切ってやったと思ってるんだ。革命家としての本性を表し、世を変えていくために冷徹な執政者である自分の姿を見せてやったのに、かつての親友はまだ過去のサニーの残影を追いかけている。


「あ、あなた……まさか、そこまで馬鹿な子だとは思わなか……」


「私にとってのサニーは、そういう人なんだもん! 優しくて、かっこよくて、頼りになって……! そんなあなたと一緒の世界で生きてるってだけで、私はそれだけで幸せだったんだよおっ!」


 嘲笑気味に渇いた笑みすら浮かべたサニーに、ファインは笑われたって気にも留めない勢いで大声を発している。信者根性もここまで行けば滑稽だとでも笑うべきなのだろう。客観的にはそうである。サニーがただその一言にファインを切り捨てられないのは、その信奉を捧げられている相手が自分という立場ゆえ。


 自分を敬い、慕い続けた過去を持ち、あれだけ冷酷に突き放してやってもなお、過去に実在した虚像を追いかけ、あなたは今でも大好きな人だと言ってくれる相手。果たしてそれを、馬鹿だと単に言えるだろうか。

 あなたが好きだと昔から、今も、言ってくれる相手に、あぁそうだから何、と言える冷徹さが、今のサニーには備わっていない。備わればその時から、人はある世界に足を踏み入れてしまう。


 今まで努めて捨ててきた、ファインと楽しく過ごしてきた過去のいくつかが、この時突然にしてサニーの脳裏にフラッシュバックする。やばい、とサニーが冷や汗を流したのがまさにこの瞬間だ。この危険な雑念を振り払うために、一歩前に出られるなら話も変わったかもしれないが、涙目でサニーを見つめるぼろぼろのファインの姿が、サニーの心に手をかけて前進させずにいる。


「サニーは、私の、全部だったよ……! あなたがいたから、私は今日まで生きてこられたの……! 友達だって、いっぱい出来た……! そういう私に、なってこられた……! 全部、全部、サニーに出会えたおかげだよ……!」


 これまでの人生のすべてを革命成就のために投じてきた、絶対堅固のサニーの心に、意を唱える声を発して僅かでも揺るがせられる声の持ち主がいるとしたら、きっとそれは世界をおいてたった一人だけ。カラザでもない、セシュレスでもない、仮に母アトモスがこの世に存命だったとしてもその人じゃない。サニー自身も、絶対にそんな奴はいないと思っていた仮説が全くの間違いで、その人物はサニーの目の前にいる。


 どうして、そんなのあなたの勝手な思い込みでしょうと、簡単に吐き捨てることが出来ないんだろう。それこそがすべてだ。サニー、サニーと、大好きな人を追いかけてずっと後ろからついて来たあの子の声は、何度も耳にしたはずのあの時と変わらず、ただただ一途に今も呼びかけてくる。自分はこんなに変わったのに。変わったことだって見せつけてやったのに、まだ。


「黙りなさい……!」


「嫌! 私は、サニーに元に戻って欲しくて、ここまで来た!」


「黙れ……!」


「嫌だよおっ! ひどいことをしても平気なあなたなんて、見たくないし想像だってしたくないよおっ!」


「っ、黙れえっ!!」


 もう駄目だ、何かが曲がっていく気がした。危機感に近い衝動に駆られて地を蹴ったサニーが、合理的な戦い方を無視した拳を、ファインの顔面に向けて差し向けていた。


 ファインが交差させた腕で盾を作る。愚直すぎるその一撃は、中身まで傷だらけのファインをしても対応が楽な方だったほど。みちりとファインの腕の内側が裂けたような音が小さく響いたのが、なぜかこの時のサニーの耳には、嫌になるほどはっきりと聞こえた。衝突音の方が、遥かに大きかったはずなのに。


「さ、サニーっ……わ、私……私ね……」


 黙れ、黙れ、もう喋るな、聞きたくない。そう望んでいるはずのサニーが、追撃一発ぶちかまして黙らせるのも容易だったこの局面で、次の一手がどうしても出ない。ファインの口から溢れるかすれたような声が、サニーの心を捕まえて放さない。


「殺されたって、いいから……!」


「ふぁ、ファイン……っ……」


「それで、あなたが……立派な王様になれるんだったら……!」


 クラウドと一緒に来れないわけだ。戦いの勝利によって目的を叶えられないことも知っていて、負ければ命を奪われることも知っていて、それでも来たファイン。この戦いに何を見出そうとしているのか、ファインの掲げた夢の正体は、あまりにも無責任で、不義理で、それもすべては一人の親友に己の何もかもを捧げるため。

 サニーが心変わりをしてくれるか、あるいは自分を殺してでも王たる己を貫くか。その分岐点としてファインはその命を投げ打っている。冷酷な王たるサニーの生きる世界では、幸せに生きていくことは出来ないと、心から思える少女にしか出来ないことに違いない。


「それでっ、いいからあっ!!」


 決死の気合と共に魔力を発したファインが、押し出す腕の力と勢いだけで、接点の拳を介してサニーを後方へと押し返す。よろめくように数歩退がったサニーが、心を乱しているのは明らかだ。少し押し返されただけで足元がおぼつかなくなるサニーではない。


「……クラウドは、そんなあなたに何て言ったのよ」


「はっ……はぁっ……」


「……………………裏切ったのね、あなた。あいつのこと」


 息切れという名の沈黙を見せたファインの態度は、その決意をクラウドには話さずに来たという返答と同義である。やってしまったんだろうな、とサニーにもわかった。何人もの人が束になり、ファインを生かすために戦ったという話は、セシュレスの報告からサニーも知っているんだから。

 そうしてみんなに残して貰えた命を、こんな形で捨てようとする行動は、何人の人に対する裏切り行為なんだろう。特にクラウドなんか、間違いなく、誰よりも必死に、ファインを守ろうと頑張った奴であるはず。彼と一緒にいた時間の長かったサニーには、当然のように想像できることである。


 他者の恩を、重く受け止めることが出来るファインであるはずなのに。それほどまでに、ファインにとってのサニーという人物は特別すぎた。自分を殺すことで、サニー自身の信じた己の道がより肯定され、胸を張って不動の王となっていくならそれでいいとさえ思えるほどに。そんなあなたは嫌だけど、そんなあなたがいる世界にはもう私はいないから、とまで決意してだ。


 偏愛もここまで来たら狂人のそれであると、顰蹙を買うべき思想なのだろう。命を懸けてでも、綺麗なままのあなたでいてよと訴える、その対象が自分でなければサニーだってそう思えているはずだ。一人称と二人称でいる限り、人は本当の意味で客観的な第三者になることは絶対に出来ない。あなたのことが本当は今でも大好き、そう心から訴えてくれる相手を突き放すには、十年近くの友情がとんでもなく大きな壁になる。


「……殺すわ、ファイン。あなたのこと」


「っ……」


崩呪纏い(グロッグアプサント)……!」


 ファインが一度口にした術の名をそのまま頂き、それと同じ魔術を行使するサニーの胸中に、もはや理に叶った何かは存在していなかった。あなたに出来ることは私にも出来る、私はあなたの遥か高みにいるとでも主張し、それで迷いを紛らわせようとでもしたのだろうか。人は惑えば惑うほど、それを吹っ切るためにはきっかけが必要で、出来る者はそのきっかけを自分で作ろうとする。


 サニーの肉体に循環する魔力の正体は、ファインの目にもはっきりとわかった。自分の全力を発揮してなお、やはり敵わなかった相手であるサニーが、さらなる力を得て自分を攻め込もうとしている事実。生きていられるのも今日までだと、疑いようもなくファインが確信するには充分すぎる現実である。


 必死で訴えた末の、サニーの回答がこれだったのだ。ファインの夢は、この時はっきりと壊れた。一抹でも、かすかでも、サニーが話を聞いてくれることを心のどこかで期待していた想いが、目に見える形で否定されたのだ。世の中、気持ちだけで何かを変えられることばかりじゃないんだって、当たり前のことを最期に教えられた形である。


「……諦められない?」


「…………」


「そうよね……あなた、そういう子だもんね」


 希望が潰えた目を確かに浮かべながらも、ファインは震える体でしっかりと構えた。その震えも、軋む身体ががたついているそれだというだけでなく、定まった死に対する恐怖のせいでもあるのだろう。

 それでも最後まで全力を尽くそうというのが、サニーが誰よりよく知っているファインという子。構えるサニーが意図して無表情を強調するのは、それを今から手にかけようという己の罪深さから、はっきり目を逸らそうとしている表れだ。


「恨まないでよね、ファイン。私、一度、言ったんだから」


「……うん」


「これが、私の、宿命なの……!」


 死にかけの体でありながら、まるで全てを受け入れる聖母のような表情で笑ったファインに、サニーは地を蹴り接近した。接近速度はこれまでとさして変わらない。ファインを射程圏内に捉えたその瞬間、振り抜いた蹴りをファインが腕で防ぐものの、ここまでとは遥かに重みを増したその一撃が、ファインを横殴りに吹っ飛ばすことが最大の変化である。


 叩き飛ばされて地面に体を打ちつけ、跳ねた全身でありながら、なんとかファインは身を回して地に足を着ける。追い迫るサニー、振るわれる拳、ファインの許容範囲を超えた威力、打ち据えられるファインの肉体。もはや対処もままならないファインの体を、サニーの拳と脚が何度も痛めつける。

 その都度生まれる衝撃音の下で、ファインの喉は悲鳴もあげない。あげられない。息がもう詰まっている。吸うか吐くかすれば気が抜けて、その場で崩れ落ちそうなほど限界に近いファインの体は、サニーの攻撃に手足を構えて防ぐだけを繰り返し、反撃の一つも繰り出せない。


「はあっ!!」


 口を利けるのはサニーだけだ。振り上げたつま先で、前に構えてサニーの拳を受け止めていたファインの両腕を上方に叩き上げる。がら空きになったファインのボディが目の前にある。それに対して追撃したとして、もはや何の対処も出来ないファインの、燃え尽きたような表情が妙に目に焼きついた。


 一瞬のそんな光景を視界記憶から抹消し、サニーが放った回転蹴りの突き出しが、完全にファインの腹部に入った。めきめきと何かを壊したような手応えは、靴を介してでもよく伝わる。あまりにも(むご)いその感触は、二人の間の時間を何十分の一にも鈍くさせ、その一瞬で目を見開いて大口を開いたファインの死相もまた、サニーの脳裏に深く刻み付けられる。


 吹き飛ばされたファインの肉体は、後方にあった天界王の宮の壁に一直線だ。矢のように離れていくファインに、無慈悲に追撃する直進を為すサニーの足は、果たして全力のそれだっただろうか。今の彼女なら、ファインが壁に激突する前に追いついて、駄目押しのもう一撃を叩き込むことすら可能だったのに。

 宮の壁面が砕け散るほどの衝撃で、背中からそれに叩きつけられたファインの喉元に、サニーの親指と人差し指の間が突き刺さったのは、激突とほぼ同時のこと。生身のファインの体なら、頭と身体が二つに切り離されていた必殺の一撃である。以前その形でファインを捕えたことのあるサニーという側面を見ても、これで完全に決着はついたと言えるだろう。


 違う、そうじゃない、とどめを刺したかったのならそれも遠回りだ。ファインの左胸に拳で風穴を空けるのが絶対に最速手だったはず。それが出来なかったサニーの中では、無意識の行動によって別の勝敗がついている。


 両足を地面に着けられず、サニーの手で壁に吊るされ、両手両足をだらりと力なく下ろすファインは完全に無防備なのだ。ここから見逃したのが前回、今日はそうじゃない、とどめを刺す日。やってしまえ、それで終わり、そうはっきりと胸中で自分に訴えかけ、逆の拳を握り締めて引くサニーが、貫くべきファインの心臓を見据えている。


「さ……サニ、ぃ……っ……」


 今、自分がどんな顔をしているのかを、サニーは全く無自覚だっただろう。歪む目、口元、荒れる呼吸。震える拳をファインの胸に突き刺せば全てが終わるこの局面で、どうしてその結末が導き出せない。ファインの前ではただの一度たりとも泣いたことのなかったサニーが、限りなくそれに近い表情になっていた。




「ッ……え゛はっ……!!」




 止まりかけていたサニーの世界に割り込んだそれは、思わずサニーの両目を閉じさせた。べしゃりと何かが、サニーの顔を、首から上に襲い掛かった実感。ぬるつくそれは、目を開けたサニーの目元の上から、どろりと流れてサニーの左目に入りかける。


「ぁ……」


 それが左目に入っても、サニーは目を閉じることが出来なかった。濡れたその時点で、何が自分に降りかかったのかはわかっていたからだ。

 少し前、鬼気迫る表情でファインを攻め立てていたサニーの表情とは真逆。血飛沫を乱暴に散らされた赤い顔とは正反対に、血の気の引いた表情で拳を開いたサニーが、自分の顔をぬるりと撫でたのも思わずのことだ。


 腹部への一撃、喉への致命打。血を吐き出したファインの血を、その指先で舐め取って目の前に確かめたサニーの手が、みるみるうちに震え始めた。


「っ……ぐっ……!」


 ファインを宙吊りにしていた手も放し、サニーはよろめくように後方に退いた。その前方で、解放されたファインが膝から地面に崩れ落ち、両肘でなんとか構える半四つん這いの姿勢になっていることも、今のサニーは見ていない。

 自由に使える両手で、手首の下で、何度も何度も自分の顔を拭う。手と腕に粘りつくように移るファインの血を、サニーは自分の顔が綺麗にならぬうちに目の前にし、がたがたと震える両掌から目を離せない。


 もう駄目だ、ずっと我慢していたのに。誰が大義のためだと言って、心から割り切って親友を殺せるっていうのだ。利害を求めて近付いたはずの混血児、情が移ったのは最大の過ちだ。走馬灯のように凄まじい速度で、サニーの脳裏にファインとの過去が駆け抜ける。楽しく笑い合った過去、からかい過ぎて拗ねられたこと、ごめんと謝ればむくれながらも許してくれたファイン、その数時間後にはべったり自分に甘えてくる親友の可愛い姿が、こんな時になっていつよりも鮮明に蘇る。


「あっ、あっ……あああぁっ……!」


 好きだ好きだといつだって後ろをついてきた、可愛い可愛い年下じゃないか。殺せる奴の方がどうかしている。サニーだって、倫理の根底でその当然はわかっていたはずなのだ。血にまみれた両手が、楽しかったファインとの数々の想いすらも突然に真っ赤に塗り潰し、サニーの心を強襲する悪魔の呪詛の如く、今日のファインの姿を明朗に想起させてくる。


 己の肉体の崩壊も厭わず魔術を行使し、息も絶え絶えで睨み返してきたファインの必死さ。

 あなたのためならこの命だって捨ててやると叫んだファインの声。

 恨まないでと言ったサニーに対し、あの日のように微笑み返してくれたファインの一途さ。かつてサニーが彼女を天人の袋叩きから救った日、私のことを殴っていいよと笑いかけたあの日と同じように。

 致命的な一撃を腹にくらわした瞬間の、意識を、あるいは命を一瞬この世から吹き飛ばして光を失ったファインの目。


 鮮血に染まったその掌を、視界内に捉えることももう出来ない。耐えられない。ファインの血、親友の命。指先を額に押し付け、指の付け根を目の前すぐそばに、顔を伏せて頭を振るサニーの口から溢れる、くぐもった声の正体は何だろう。悔恨か、呵責か、あるいは恐怖なのか。長い長い革命の日々の中、カラザにあの子だけは殺さないようにしてと頼んでいたはずの親友を、この手にかけて亡き者にするというのも宿命なら、真っ赤なこの手はいったい何を掴むためのものなんだろう。


「ううっ、ああぁっ……! うううぅぅ……!」


「さ……サニー……っ……」


 戦意すらもう消え果てた目で、ファインは顔を上げ、苦しむサニーを見上げていた。前も見れずに背中を曲げ、うつむき気味に顔を覆うサニーの姿は、隙だらけという言葉では足りないほど。嘆き、苦しむ、こんなにも弱いサニーを見るのは初めてだったファインをして、名を呼ぶ限りで絶句するほど、今のサニーは強さを失っている。


 ファインの知らなかったサニーの姿、サニーには想像にも及ばなかったほどのファインのサニーに対する想い。知り尽くしたと思っていたはずの親友同士が、互いの真を知り合うにはもう遅すぎたのだろうか。


 よろりと立ち上がり、ファインはサニーに手を伸ばしていた。攻撃する意図でもなければ、明確な意図があったわけでもない。ただただ無意識に手を指し伸ばしていたファインの行動は、完全に自分以外の世界に目が行っていなかったサニーにも、すぐには気付かれない。


「っ……いやあっ!!」


 本音か、単なる悲鳴か。差し伸べられたファインの手にはっとしたサニーは、まるで恐ろしいものを見た年相応の少女のように、血染めの両手でファインの胸を突き飛ばしていた。

 幾重にも魔力を纏っていたはずの、強い力を生み出せるその肉体が、思わず全力でファインを突き飛ばしたというのに、それは過剰にファインの体を破壊しない。憔悴しきって燃え尽きかけていたファインの体もまた、身体強度を高めるための魔術は不完全で、サニーの乱暴な力に押されて後方の壁面に背中を打ちつけるだけ。


 戦うための攻撃力を失った二人の女の子が、等身大の力で触れ合っただけだ。クライメントシティで別れて以来、初めて二人が生身で触れ合ったこの時が、もはや後戻り出来ない終着点であったことは、つくづく何もかもが手遅れであることを象徴する一事である。


「はっ……はあっ……! はあああぁっ……!」


 息を乱しても、それが擬似的な深呼吸であっても、もう壊れかけたサニーの心は正せない。胸の前で握り締めた、血染めの両拳を見下ろすサニーには、親友殺しを為そうとした己への嫌悪感しか残らない。

 固い壁面に後頭部を打ちつけたファインは、壁に寄りかかる形でサニーに目を向けていた。焦点の定まらない目でだ。歪んで、ぼやけて、ものが鮮明に見えないファインの瞳が、不治の病に苦しむ少女のような表情のサニーを認識できなかったのは、彼女のことが大好きなファインにとっては良いことだったのだろうか。


「ふぁ、ファイン……ごめんね……私、本当に……最低なのはわかってるんだけど……」


 表情が見えなくても、その震える声ははっきりと聞き取れた。涙声に近かった。視力で認識できなくても、今のサニーの目元に溜まっているものの存在は、辛くもファインに認識できてしまう。


「私、こうするしかないの……! それが私の、生まれてきた理由なの……!」


 (ゆる)されるはずがないのに言い訳し始めるのは末期症状だ。それでもファインは赦してくれるんだろう。反してサニーはきっと今後、自分を赦すことが出来なくなる。そこまで自分で自分をわかっていながらなお、他に前に進む道を見つけられないのが、生きる目的を生まれた時から一つ授けられた少女の悲劇である。


 宿命だからと、何事にも耐えられた。宿命だから、もう変えられない。母アトモスがサニーにもたらしたものは、魂が生み出す強き力だけではない。彼女の生涯を一本道から逃がさない呪縛もその一つだ。


「だから、ファイン、っ……!」


「さ、サニー、待っ……」


 命も惜しくなかったはずのファインが、思わず待ったをかけていた。あまりにも悲痛な声を発する親友に、命ある限りもっと伝えたいことが生まれたから。

 だけどもう、間に合わない。ファインに近付き、完全なる終わりへの拳を引いていたサニーの前に、その言葉は最後まで紡ぎきられない。


「……バイバイ」


 はっきりと涙を頬につたわせ、ぐっと拳に改めて力を込めたサニーの挙動は、かき消えそうなほどの寂しい声からファインにも伝わった。ああ、終わってしまう。ぎゅっと目をつぶって顎を引いたファインが、最後の最後に脳裏に思い浮かべたのは、まさしく一番楽しかった日々を今わの際に回想する、走馬灯の中心の1ページ。


 サニーと、クラウドと一緒に、リュビアを助けることが出来たあの日のこと。三人で一緒に、苦難を乗り越えて大きなことを為したあの時が、ファインにとって一番幸せな瞬間だった。


 まさか、救い無き、人生の終わりであったはずのこの時に、残された三分の一が手を差し伸べてくれるだなんて想像できたものだろうか。


 ファインのすぐ前で、サニーがうめくような声が聞こえた。目を開いていなかったファインには、何が起こったのかわからなかった。離れた場所の地面から、ずざあと何かが擦る音が聞こえ、しかし自分のすぐ前には、まだ誰かがいる気配がする。死を迎えるだけだったこの瞬間、待てども終いの一撃が来ないことに、目を閉じてから数秒の間を隔てて、恐る恐るファインは目を開けていた。


 一度閉じた目を開いてみても、クリアじゃない視界の真ん中、目の前にいる人物の像ははっきりと捉えられない。それでも、それが誰なのかを物語る情報は充分に揃っていた。ずっと、一緒に旅をしてきた誰かさんなのだから。こんな所にこの人がいるはずがない、という当然の先入観だけが、ファインに現実を理解させるまでの時間を引き伸ばしている。


「っ、ぐ……! なんで、あんたが……!」


 サニーだって驚いただろう。ファインとの日々を終わらせる一撃を下そうとしたまさにその瞬間、横殴りに凄まじい速度で接近した彼が、無双剛腕の拳でサニーを殴り飛ばしたのだから。思わず引き構えた腕で突き出された拳を防いだサニーだったが、強化されたファインの肉体の一撃を遥かに凌駕する彼の一撃は、屈強な魔人と化していたサニーすら殴り飛ばし、彼女を随分遠くまで距離を作らせたものである。


 既に頭に血が昇りきっている彼は、遠方のサニーを睨み付けたまま荒っぽい息を吐いていた。それでいて、世界で一番失いたくない人、ファインのそばを守るためのように離れない。その人物が他でもないクラウドであるとようやくファインが知れたのは、彼がファインを窮地から救って数秒経ってからのことだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ