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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第19章  晴天【Conviction】
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第262話  ~ファインの人生最後の私闘~



 天界とは、この世界とは物理的に隔絶された空間に存在する、いわば人の手によって生み出された異空間とも定義することが出来る。その一方で、夜も訪れるし雨が降ることもあり、天界から空を見上げれば上天の光景は地上と何ら変わりない。

 隔絶された世界と定義されつつ、俗世と同じ世界観を共有する部分も併せ持つ天界という世界であるのは、創造者も所詮は人の子であり、天と地の狭間で生まれ育った者であることの裏打ちだ。想像できない世界を造ることは、誰にも出来ないからである。


 この日は朝から晴れていた。地上に広がる天界都市カエリスと同じ天気である。先代天界王のフロンとは違い、サニーは謁見の間にずっとどっしり構えているタイプではなく、一日の間に何度も日の下に出る。一日じゅう部屋にこもって仕事なんてしていられないタイプなのだ。晴れの日は好んでお日様の光を浴びたがるその性分は、クライメントシティに暮らしている頃に、植物みたいな子だなと微笑ましく揶揄されたものである。もっとも、親しげにそう言ってくれた人々達との縁も、ファインとの繋がりを周知されて以来切れてしまったが。


 真昼時までは、この天気が気持ちよかった。夕時前にセシュレスから、嫌な速報を聞くまでは。それを聞いた途端に、綺麗に赤く染まり始めた夕焼け空すら、落日の寂しさを思わせる情景に見えて気が淀むのだから相当だ。決して軽くない足取りで、謁見の間に向かったサニーは、他のどんな仕事も放り出し、ただただ玉座に腰かけて"客人"を待つ構えに移っていた。


 天界都市カエリスに、ファインが到着した。セシュレスのそうした報告は、間もなくファインが天界に訪れ、自分のもとへとやって来るという報告と同義である。


「……そろそろ、か」


 天界の新たなる王たるサニーには、何者かが天界に踏み入ることあらば、いつであろうと天界にいる限りそれを察知することが出来る。天界への門を開ける自分の力を借りず、天界に誰かさんが侵入した気配を数分前に感知したサニーをして、今がちょうど言葉どおりの頃合いだ。


 胸に手を当て、深呼吸。神の庭と呼ばれた、謁見の間を含む王宮周囲の広大空間を横切って、いよいよこの部屋に訪れんとする少女の気配を、サニーは風の魔力で感知している。自分の目の前に、かの人物が姿を現すのも時間の問題、恐らく30秒もかからない。深呼吸ののち、そのために丸めていた背筋を正したサニーが、謁見の間の出入り口にあたる扉を真正面見据えたその瞬間が、まさにその時の訪れだった。


「サニー……!」


「…………」


 荘厳なる謁見の間には、その玉座に17歳の少女が座っている光景という浮き具合を踏まえても、立ち入る者が平常と変わらぬ足取り、言動を保つのが不思議と少々憚られる空気が漂っているものだ。そこに扉を開いて現れた少女には、王おわす空間という独特の空気すら何の効果ももたらさない。自分と相手の間を隔てていた扉一枚を開き、サニーを目にしたその瞬間、久しぶりの親友と顔を合わせた時の大声を遠くから放つファインに、サニーは口も体も動かさぬ沈黙で返答した。


 駆け寄るようにぱたぱたとサニーに近付いてくるファインの足取りは、勝つべき相手に襲いかかる速さではなく、ただただいてもたってもいられぬ想いで、慕い続けた親友に接近するそれ。あぁ、自分はこんなにも変わったのに、この子はちっとも変わらない。無表情で近付いてくるファインを見据えたサニーの心情は、努めて表面化させない仮面めいた表情に隠されている。


「――サニー、また来たよ」


「…………」


 つかず離れずの距離で、少し高い位置の玉座に座るサニーを見上げ、ファインは立ち止まってそう言い放った。サニーは何も答えない。感情をあらわにもしない。目を合わせているのだから、無視はしていない。その上で、自分の姿以外の何一つをもファインに教えぬかのように、無表情で無言である。


 第一声を放ってのち、ファインも一切の声を発しなくなる。二人の間に流れるのは、時が止まったかのような静寂だ。ファインも何一つ語らない、サニーも全く動かない。ここまで走ってきたせいか、鎖骨の上の肌に僅か汗が浮き、少しだけ普段より早くなった呼吸のせいで胸が前後するファインの動き以外、この空間に一切の挙動がない。

 その間、二人はずっと目を合わせたまま。ファインがサニーの瞳を見据えたまま、それを絶対にはずさないからだ。何も言ってくれないサニーに、自分自身も第二声を発さない。あなたが何か言ってくれるまで、私も絶対譲らないよと、意固地の眼差しを真っ向ぶつけるファインの姿がある。


 譲らぬと言ったら絶対に譲らないのがファインである。サニーが一番よく知っている。


「……ねえ、ファイン。何しに来たの?」


「やめて、って言いに来たんだよ」


「そうじゃなくってさ」


 自分に非情なる王であって欲しくない、そう思っているのはもうわかってるから。前にもあなたはそういう理由で来たんでしょうと。それで私に、手も足も出ずにやられて無様を晒したんでしょうと。重要なのはそこである。


「あなたさ」


「……うん」


「私に、元親友殺しをさせたくてここに来たわけ?」


 恫喝的な物言いであれど、努めて冷徹なその声の皮一枚下からは、したくないことをさせに来るのはやめてという感情が僅かに滲み浮いている。口を動かせば、声を放てば、水に満ち満ちた壷の蓋を取るのと同じで、滴るほどには内面が溢れる。この機微を、サニーと最も長い時間を過ごしたファインは見逃さない。


「……サニーが、やめてくれればいい」


「それは無理」


「だったら、やってみせて」


「……馬鹿にしてる?」


「してない」


「してるわよ」


「してないよ」


「ファイン」


 サニーの声が強くなった。努めて封じていた感情が露骨に溢れ、ファインが一歩退きそうになるほど。憂いの青い声ではなく、怒気を含むかのような赤黒い声だったからだ。


「あなた、気を付けて返事しなさいよ? どういうつもり?」


「…………」


「ねえ、どういうつもりなの?」


 ファインとサニーは、遥か昔はよく喧嘩した間柄。親しくなった後でも、口喧嘩が無かったわけではない。しかし今日ほど、サニーがファインにここまで据わりの利いた声を発した例は一度も無い。ふざけた返答をしようものなら顔を殴り飛ばすのも厭わない、そんな静かな怒りを確かに含んだサニーの声は、ぶるりとファインの体を震わせる。


「……私、絶対に譲らないよ。サニーを、王様のままではいさせたくない」


「…………」


「私のことを殺したくないんだったら、そう言って。王様として私を殺さなきゃならない、そういう道をサニーが貫きたいんだったら、そうしてくれても構わない。やってみせてよ」


 戦う。ファインは暗にただそれだけの意味しか含まない言葉を連ねた。王権の継続のためなれば、邪魔者の排斥、殺生抹消も厭わぬ王たる親友を許容できないファインは、その王位からサニーが退くことをただただ望んでいる。一方で、サニーがその頼みに、うなずいてくれないこともわかっている。


「……私は、ここにいるんだよ」


 二つに一つ。選択権は、サニーにある。王位から退くか、ファインを滅却するか。自分がここに、そのために来た以上、あなたは片方を選ぶしかないんだとファインは突きつけた。


「完っ全にあなた、私のこと舐めてかかってるのね」


 さぞかし鬱陶しげに首を一度乱暴に傾け、サニーは玉座から立ち上がった。出来心では済まされないほどの悪事をはたらいた我が子に対し、そのまま歩いて近付いて殴り飛ばさんかのような立ち上がり。サニーの目線が高くなり、数秒前より少し高い位置からファインを見下すサニーの目は、冷ややかかつ、だからこそ、ぞっとするほどの怒りを匂わすほど尖っている。


「一度見逃してあげたから、調子に乗ったのかしら」


「……違うよ」


「あなたがそう思ってても、あなたのやってることはそう」


「絶対、違う……!」


 サニーを見上げて顎を上げ、腰の横の両拳を握り締めたファインは、凍てついたサニーの声とは対照的なほど、熱き感情を乗せた声を発した。内心では、そう言われても思われても文句の言えない、そんな自分の行為だと客観的には認めつつ、否定の声を強く放った真意とは、熱情をその発声に表すことそのものだ。


「生きてる限り、ずっと言う……! 私、サニーには、王様でいて欲しくない……!」


「どうなっても構わないっていうのね?」


「どうにだってしてよ、出来るんだったら……!」


「そ」


 あらゆる迷いを吹っ切ったかのような、サニーの素っ気無い返答が、ファインの全身の毛を逆立てた。今の己を貫くためなら、邪魔者は滅するしかないと判断したサニーが、それに対して意を決した態度。明確にそう発されたわけではないにせよ、それは殺気と呼ばれるものと変わらない。


 ファインの横を素通りし、謁見の間の出口へと歩いていくサニーから、ファインは目も逸らせないし、追うように体の向きも改めずにいられない。怖さを感じるのも当然だ。相手の強さは知っている、それが自分に静かなる殺意を抱いている。


「外、おいで? ここでやったら、汚くなるからさ」


「っ……」


 振り返り、立てた人差し指でくいくいと招くサニーの挙動、発言、すべてがファインには痛烈だった。血飛沫を、八つ裂きを連想させる、サニーからファインに暗喩された殺生の未来。首筋を伝う冷や汗に肌を震わせながら、生唾を飲み込んだファインは、神の庭に向けて歩いていくサニーを追う足取りを運んでいた。











「カラザに勝ったんだって?」


「……クラウドさんが、助けてくれただけだよ」


「でしょうね。あなた一人でカラザに勝てるとは思えないもん」


 平坦、広大、茜色の空を見上げられるまっさらのバトルフィールドで、距離を隔てて立ち会う二人の最後の会話である。

 サニーはやはり、ファインのことは何でも知っている。カラザ達の襲撃から生き延びたファインだと聞いても、それがファインの力によって得られた勝利によるものではないと、真実をはっきり推察しきっている。


「あなた、自分のこと自分でちゃんとわかってる? あなたは、一人で戦うことで、あなたの強さの真価を発揮できるタイプじゃないでしょう」


「……わかってるよ」


「だけど、一人で来た。クラウドと一緒に来て、あいつの力を借りて私に挑むとかだったら、まだわかる部分もあったんだけどね」


 結局、ファインのことをよくわかっている人物であればあるほど、誰でも必ずこう思うのだ。ミスティも然り、天界に単身赴いたファインを見たセシュレスも、口にこそしなかったものの然りである。今朝もミスティに同じことを言われたばかりのファインには、つくづく耳が痛い指摘だろう。


「……でもね、サニー」


「ん」


「私、一人じゃないんだよ」


 じわ、とファインの全身から溢れ始めた魔力の気配に、なるほど言いたいことはわかるとサニーも目を細めた。天の魔力、水と風の色。それも、かつてサニーが知ったファインのそれを上回る、濃さと密度を感じる強い魔力。

 あの時の最後、ファインが垣間見せた強き魔力の気配のデジャヴを感じた。一人じゃないと口にしたファインの言葉と併せれば、それが何を意味するのかは推察しきれよう。


神酒纏い(グロッグネクタール)……!」


 スノウの魂の存在の示唆、ファインが口にした聞き慣れぬ魔術の名、それが彼女の全身に風と水の魔力を纏わす気配。ファインが本来得意としないであろう、風と水の魔力によって、速度と重みと守備力を得る擬似的な身体能力強化の魔術の行使は、今までサニーに見せたことのないスタイルで挑むファインを体現している。


「へえ、面白いじゃない。私が一番得意とするその戦い方に、あなたも入門してくるのね」


「負けないよ、サニー……!」


「ええ、結構。やれるだけ、やりなさい」


 胸の前で両掌をぱちんと鳴らし、それをきっかけとしたかのようにしてサニーが、術の名の詠唱も無くファインと同じことをする。風の魔力を、水の魔力を身に纏う。荒事のたびにこれを行使してきたサニーをして、思い切った心構えをなしにしてこの程度の魔術、呼吸と同じレベルで容易に叶えられる。


 構える二人。歴戦の格闘家と比較しても遜色ない、前後足幅の黄金比と両手の位置のサニー。慣れぬ構えに気持ちだけを乗せ、体を震わす小さなファイン。はっきりと両者の間にある年季の差は明らかで、表面的にこれを覆すものがあるかと問われ、うなずける者はいないだろう。


 一発勝負、最後の戦い。勝敗が決するその時まで魂を振り絞らん、ファインの人生最大の大一番だ。


「ファイン」


「…………!」


「――じゃあね」


 決着後に放つべき言葉を開戦の合図とするかの如く、サニーの姿がふっと消えたかのように動いた。真っ直ぐに、ファインに向け、足元のひと蹴りで矢のように急接近する突撃だ。まばたきひとつしている間に、存在すら見逃しかねない速度で目の前に現れたサニーに、ファインも咄嗟に両腕を構えて防御の構えを作る。見よう見真似、クラウドさんがよくやっていたように、交差させた腕で盾を作る。


 突撃任せに放たれるサニーの正拳突きが、ファインが構えた腕の交差点に突き刺さった。激突の瞬間に空気がびりつく衝撃、押し出される形で殴り飛ばされるファイン。くぁ、と激痛に喘ぐ声を漏らしながらファインはサニーから大きく離れ、しかし重心を落として地面に両脚で触れ、擦りながらのブレーキをかけて踏ん張り留まる。

 倒れない、構えたままの腕が激烈に痺れるも、それを下ろさず構えたままの姿でいられるなら致命傷にあらず。苦しげな表情でサニーを睨み返す童顔少女だが、演じずに折れていない闘志を顕せるその顔色には、サニーもふっと笑う。


 ファインは試した、線を引いたのだ。サニーの一撃を受けられる体を今、果たして作れているのかどうか。体ひとつで壊されずに耐えられる自分でいることを確かめたファインが、これなら何とかなる、という確たる希望を得た気配に、サニーが不敵に笑うのは当然だ。


 いい度胸だ、って。


「せいぜい頑張りなさい……!」


「っ……!」


 攻撃的な笑みを顔に貼り付け、再びサニーが急接近してくる。強いバックステップの脚運びで、後方高めに跳んだファインの立っていた場所に、サニーの拳が空を切る。

 サニーから離れた上空に身を逃したファインが、ひと振りの手で放つ強風で、サニーを後方に吹き飛ばそうとする。重心を沈めて堪えたサニーも、アクションなく発する魔力で生じさせた逆風で、自らを押し返そうとする風を相殺だ。


 ほんの2秒の間に交錯し、完結した攻防の終わり、即座に次の前進へと地を蹴りかけたサニーだが、そうはさせなかったのがファインである。接近戦など不得意も不得意、自他共にそう評価されるファインが、自らサニーに距離を詰め、開いた掌を振り抜いてきたのだ。これにはサニーも虚を突かれ、カウンターの一撃を放てる間が僅かに残っていたにも関わらず、素直に構えた腕でファインの豪快な平手打ちを受けるに至る。


 ばちん、というには生易しい、火花がはじけるような激しい音が、ファインの掌とサニーの手首の下で高鳴った。こんなに痛いと感じたのは、サニーにとっても何年ぶりだろう。振り抜かれたファインの掌を受けつつ流し、身をひねったサニーのすぐそばを、前のめりな勢いで交錯して振り向くファインの目が、自らの手も痛む色を含んでサニーを見据えている。


「っ、やるじゃん……!」


 竜巻のような回転速度を即座に生じさせ、ファインを蹴飛ばす踵を振り抜くサニーが、ファインが腹の前に控えた掌にその一撃を叩き込む。強烈な重みを含むそれにファインが後方に退かされ、あるいは短く吹き飛ばされ、しかし姿勢を崩さない。

 両足が地に着いた瞬間に蹴り出す足で跳躍すると、翼を広げて滞空権を得る。これがファインの本来の戦い方。サニーに向けた両掌、特に今の平手打ち一発で真っ赤になった右の掌から、それよりもさらに熱い色と光を放つ熱閃魔術を行使する構えに入っている。


「天魔、重熱線(メガブライト)!!」


 サニーの全身を呑み込む太さの熱光線の発射。当たれば一気に勝ちが近付く大味な一撃を放てただけでも、前戦と比べれば大きな進歩だ。何もさせて貰えず、一方的になぶり倒されるばかりの前回とは異なり、ファインがサニーと同じ土俵に立てている。

 だが、サニーもこの程度の砲撃の回避は容易。ワンステップで熱閃から身を逃すと、直後に踏み出す足でファインの熱光線のすぐ横を、これまた自身が光のように対向前進だ。向かう先は当然ファイン、翼を広げて空に身を置くファインに急接近したサニーが、触れ合う寸前に顎を引いて前方回転し、ファインに踵を振り下ろす一撃を放っている。


 翼で得る推進力では、この急襲を回避する動きは為せまい。ファインが空中点を蹴る風の魔力で以って斜方上空へと跳び、サニーの一撃を回避して見せる。サニーも空中戦においてよくやることだ。空振った足が下向きになった瞬間にはもう、ファインの逃げた先を目で追っていたサニーは、その勢いのまま空中点を蹴りだし、矢のような速度でファインへと追い迫る。


 逃げ切れない。サニーがファインに追いついて、ぎゅるりと体を回して放つ回し蹴りが、胴の横に両掌を構えたファインのそれへと痛烈に突き刺さる。

 しかも、地表に平行な円軌道で振り抜いていた回し蹴りを、直撃の瞬間に下向きの力に折るサニーの小器用さが、ファインを斜め下方に蹴り落とす軌道で吹き飛ばす。ファインに得意の空中戦をさせないためだ。表情を歪めて地上へと、流れ星のように墜落させられるファインが、地上寸前で広げた翼で空中座標に留まるも、空を蹴って急接近するサニーがもう目の前にいる。


 腕全体を振るっての、慣性も乗せた拳の一撃が、かろうじて構えたファインの両掌に綺麗に収まった。その勢いと重みを止められる力もすべもない、殴り飛ばされるまま近い地面に叩き落とされる形で、ファインの全身が地面に打ちつけられる。跳ねる、転がる、サニーもそんなファインを目で追いながらさらに接近。容赦のない追撃が1秒後に放たれようとしている。


「っ、はあっ!!」


「むぅ……!」


 背中を真下にした瞬間、両腕全体で地面を叩いたファインが、その拍子に魔力を伝え、自分の触れている地表小円を勢いよく隆起させた。ファインの全身が上天に押し上げられ、人の身長の倍ほどまで一気に隆起した円柱状の地表は、突撃していたサニーの眼前に突如そびえる障害物に。ファインを目で追いつつも、それへの激突寸前でくるりと体を回したサニーが、壁面を蹴る形で後方に跳び退く形になる。ずざりと着地したサニーは、すぐさま改めてファインを見上げている。


 サニーの動きが確かな時間止まり、それなりの高みに身を移したファインが、そのアドバンテージを得ながら上空から狙撃魔術を放ってくる気配が薄い。接近戦より飛び道具での攻めを得意とするファインのはずなのに。

 サニーから受けた攻撃によって受けたダメージが大きく、すぐに攻勢に移れないためだ。高所で翼を広げて体勢を立て直しつつ、行動が続かないファインを見上げるサニーの心中では、先ほどまでより余裕が大きくなる。


 やっぱりどう戦っても負ける気はしない。サニーがそう確信しかけた、まさにその時のこと。


「…………」


 思わずサニーは、明らかな優勢にありそうなこの局面では、慎重さを欠くような勢いで地を蹴っていた。上空のファインに向けて、逆流星のように我が身を迫らせる。優勢状況で畳み掛けるのも確かに一つの攻め方、しかしこのサニーの行動は、攻め急ぎ過ぎていると評価するのが妥当な姿である。


 闘志失わぬ目で自分を見下ろしていたファインと目が合った瞬間に、妙に胸騒ぎがしたのだ。思わぬ何かをファインが目論んでいる、漠然としたそんな予感。それが事実だとすぐ後にわかるのだから、知り尽くし合った友人同士の直感も馬鹿に出来ないものである。


「サニー……っ!」


「く……!」


 急接近するサニーをはっきりと見据え、これ以上ないタイミングでファインが掌を振り抜いた。勝負の一撃だ。拳を突き出してファインを打ち抜かんとするサニーに、カウンターの強撃。決して迫撃勝負に秀でないファインが、身をひねりながらサニーの一撃を頬の横にかすめ、サニーの肩口を強化された平手打ちで捉えられたことは、後を思えば例えようもなく大きかった。


 ファインの一撃は、サニーの全身を包む防御に大きなダメージを与えられず、叩き出す形でサニーを自分から離れる方向へと退けさせただけだ。サニーは飛ばされた先で空中点を蹴り、容易に体勢を整えている。戦況に響くような痛手とは程遠い、当たったから何だという程度の攻撃が大きな意味を持つのは、この時サニーと距離を作れたことにある。


崩呪纏い(グロッグアプサント)……!」


 サニーを押し返した反動で自分も軽く空中を舞いながら、ファインが決意の詠唱を口にした声が、ノイズ無き空の戦場でサニーの耳にも届いた。この時、サニーの背筋を走った静かな悪寒はえも言われぬもの。前戦と今を含め、完全に優劣のついたはずの相手を前に、意図不明の詠唱一つ耳にしただけで、ここまで嫌な予感を感じたのは異質なことだ。ファインを何年も見てきたサニーでなければ、この予兆すら抱きもしなかっただろう。


 勝つための前進ではない、確かめるための一手。サニーが勢いよく空中点を蹴り、浮遊するファインに矢の如く急接近する。握り締めた拳、引いた脚、いずれもいつでも放てる構えで。殆ど間もなくファインを射程圏内に捉えたサニーが、ぎゅるりと体を回して蹴りを放った選択は、ファインを討ち取るための最善手だったのか否か。


「ん゛……っ!?」


 正解などなかったのだ。ぎっと精一杯の強き眼差しを取り戻したファインが、右から自分の胴を真っ二つにする勢いで迫っていたサニーの脚を、両手を振り下ろす形で迎撃してきた。サニーが驚いたのはその威力だ。今にも胴に触れる寸前だった回し蹴りを、振り下ろした両手で叩き落とす勢いだけで、自分の足の下を空振りするほどに軌道を折ってしまうなど、どれだけの威力で為したというのか。


 考えられぬ形で蹴りをはずされ、体勢まで崩れかけたサニーがファインに目を向けた瞬間に、ぎゅっとサニーと距離を詰めたファインが、小さな平手を振り下ろしてきた。頭を狙い棲ましたその一撃に、サニーも咄嗟に両腕を交差させる形で防御を作るが、ファインの掌と自分の腕が触れた瞬間、伝わる重みが想定を超えている。

 神の右手が小鳥を叩き落とすかのように、サニーの体があまりの勢いで地上へと墜落する。堪えられなかったのだ。防御に使った腕がみしついた実感と共に、背中が下になりそうな全身をかろうじて回し、足を下にしたサニーが凄い音と共に着地するので精一杯。痛む腕に少々の苦痛を表情に表しながら、真上のファインを見上げたサニーだが、ファインはサニーから離れた位置の地上へ、くるりと舞い降り着地する。


 息を切らしたように肩を上下させるファインを、片膝立ちの姿勢でサニーは見つめて動かない。この目で異変の正体を突き止めるまでの、短い時間の沈黙だ。意図の計り知れぬ詠唱、それを境に唐突にファインが得た攻撃力、それも完全にサニーを押し返すほどの威力。あの詠唱が、ファインにとっての切り札と呼べようものであることは既に想像に難くない。


「そこまで、やるんだ……!」


 一度負けた相手に、劣勢が確立する寸前まで切り札を温存したのは何故か。それが自分にとってのリスクを孕む切り札であるからだろう。地に降り立って、どことなく体を縮め、背を丸めずにいられないファインの、苦しそうな表情が、明確にその現実を物語っている。

 サニーは知っているのだ。混血児であるファインは、闇の魔術も使えること。闇の魔術はその引力の応用で、擬似的にではなくほぼ本質的な肉体強化も可能であること。一方で、それは使い慣れぬ者にとっては身を滅ぼす、極めて危険な魔術であること。だからその魔術は流行ってこなかったこと。現代においてそんな魔術をリスクなく行使できるのは、アストラの魂の力を借りたカラザを除いて他にはいまい。


「サニー……! 私、絶対に、負けない……!」


 わかっているとも、そういう覚悟で臨んできたことは。あなたはそういう子だもんね、って。それで敢えて、その意志力を口にしたファインの姿は、知っているつもりでもサニーの知らない彼女である。

 誰よりも負けたくない相手、誰よりも負けたくないこの時。過去のどんな窮地にも勝り、ここだけは絶対に落とせないと決意したファインの姿に、既視感を覚えるなら大きな間違いというものだ。


「言うじゃないの……!」


 17年間の人生の中で、サニーは初めて脅威と思える相手に出会った。最強の天人と謳われていた天界王フロンですら、直面して間もなく、問題としない相手だと容易に確信できた彼女をして、かつての親友がこれ以上ないダークホースとして目の前にいる。

 確かに強い子、だけど私の下であることには変わりない。長らくそう、間違いではなく事実を認識していたサニーが、ここにきて考えを改められる慧眼もまた、彼女を王に押し上げた強さの一因である。


「見せてみなさいよ、ファイン……! あなたの、器を!」


「勝つんだ、私が……!」


 二人が地を蹴り迫り合う。私闘が死闘に姿を変えるこの第一歩を、誰より親しみ合った相手をねじ伏せる意志に満ちた眼で、ファインとサニーは踏み出していた。

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