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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第19章  晴天【Conviction】
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第261話  ~人生航路~



 人々の一日は朝日に始まる。東の山から顔を出したお日様が、空に浮かんで明るい光を届け始めた時間帯から、多くの人々が行動を始め、街は徐々に活気付いていく。朝食時を過ぎた時間帯から、都は特に人の往来が増え、名も知らぬ人同士の話し声がどこにいても聞こえるようになってくる。


 そんな朝、タクスの都の裏手にある小さな公園に、一人の少女が歩いていく。待ち人の相手を探すための目と首をきょろきょろさせる準備をしながら、待ち合わせ場所に到達した彼女だが、探し人は簡単に見つかった。赤白青の三色限りなる斜のストライプ模様の服を纏った待ち人の姿は、風変わりである上に目立つ色使いなので簡単に目に付いた。


 来た側の少女が相手を見つけ、そちらに向かって歩いていこうと一歩目を踏み出す瞬間には、向こうもこちらに気付いて大きく手を振っている。相手がこちらに気付いた、となれば尚更、待たせる時間を少しでも短縮するため小走りになる少女。性格は行動によく出る。


「おはよう。来ちゃったね」


「はい……お待たせしました」


「いいよ、そんなにご丁寧じゃなくて。同い年でしょ?」


 ファインと、ミスティ。年も同じく、この世に数少ない混血児という共通点を持つ二人だ。近しく顔を合わせるや否や、一度深めにお辞儀するファインには、ミスティも手をひらひらさせて結構な丁重さだと気さくさを見せる。戦場以外で顔を合わせたことの無かった二人ではあるが、ミスティの方から一方的にずっと思っていた印象、淑やかで礼を重んじるファインでありそうだという見解は、やっぱり合ってたんだなとミスティに思わせる。


 出来る限りの笑顔を作って気さくに努めるミスティだが、その表情はぎこちない。ファインなんかもっとである。さんざん痛めつけ合ってきた、厳密にはミスティがファインを一方的になぶり倒してきた関係だけに、昨日今日で容易に近付き合える間柄にはなるまい。ミスティは手を伸ばし、ファインの手を握りに行くのだが、それに際してファインがびくりと肩を跳ねさせた姿には、ミスティの胸もちくりと痛む。


「朝ごはん、もう食べた?」


「い、いえ……まだ……」


「じゃ、何か食べに行こ。お腹すいたままじゃ、力も出ないだろうからさ」


 ファインよりも少し背の低いミスティが、優しく握ったファインの手を引いて歩きだす。童顔のファインよりもさらに幼顔のミスティだから、二人の関係を知らない者から見れば、ちょっとだけ年下の元気な妹が内気な姉の手を引くような光景だ。肩の力抜いて、と言って微笑み振り返るミスティと、緊張気味の表情と体が解けきらず歩くファインの姿を併せれば、よりそんな見えように拍車がかかる。


 ミスティだってわかっている、心を許して貰える自分じゃないことぐらい。それだけのことをしてきたのだ。うつむきめながらもそわそわとしたファインの手を引くミスティは、痛む胸を表情に表してしまった顔だけは、振り返って見せるようなことをしまいと努めていた。











「……私、聞き間違えたかしら」


「間違ってなどいない。ファインという名の少女は、生きている」


 天界、新王サニーの座る玉座を構えし謁見の間。側近、あるいは大老という肩書きも似合おうセシュレスから受けた報告を耳にして、サニーが言葉を失っている。あまりにも予想外であったこの結末には、絶句という言葉がこれ以上ないほどよく当てはまる反応だ。


 カラザが敗れた、それもミスティやドラウト、ザームやネブラを含む軍勢を率いた彼が、たった二人の少年少女に遅れを取ったなどとは、流石にサニーも信じ難い。カラザは強い、絶対に強い、間違いなく。驕りや慢心をファインやクラウド相手に見せるような、詰めの甘い人物でもないはずなのに、それが真っ向から敗れたというのがサニーには想像もつかなかったことである。


 ニンバスやタルナダによる助力があっただとか、色々他にも情報はあったのだが、セシュレスはばっさりとその辺りの情報をサニーに伝えることは省いた。今となっては、ファインとクラウドがカラザ達を退け、生き延びているという現実が全てだ。どのような過程を経て彼らが生還したかなど、今さらどうだっていいことである。


「サニーよ、一つ尋ねたい。かの少女の性格を、お前はよく知っているはずだな」


「……ええ、まあ」


「生き延びた彼女は、今後どうすると思う? 安穏の日々を目指して穏やかに暮らすか、あるいは」


 一度そこで、セシュレスは言葉を止めた。僅か3秒。サニーにその次の言葉を想像させるため、最後に添えた接続詞と設けた時間。それだけ揃えば、サニーもセシュレスの言いたいことが先に読み取れる。


「再び、ここへ訪れるのか」


「来るでしょうね。あの子は、そういう子だわ」


 理屈が間に全く挟まらず、サニーはそう断言することが出来た。直感とでも言うべき感覚だ。サニーの命、厳密には許可を受け、ファインを亡き者にしようとしたカラザを退けたファインは、必ずまた自分の所に姿を現すと思えた。

 それもきっと、そう遠くないうちにだ。思い立った時のファインは、行動がひたすらに早い。


「どうするかね」


「どう、って……言わずもがな、でしょう」


「やはり、消すのか」


「あの子が前と同じことを言うんだったら、残念だけどそうしなきゃ駄目ね」


「……ふむ」


「何か引っかかる?」


「まぁまぁ、な」


「……何がそんなに引っかかるの」


「ファインの生存を聞いた時のお前に、あんな嬉しそうな顔をされてはな」


 やはり年上、かつ過去には大商人であった男、人の表情の奥底に隠された感情の揺らぎにも敏感だ。決してそんな顔を見せたつもりはなかったサニーも、この指摘には声を詰まらせ、しばし沈黙する。


「悔い無く済ませられる自信はあるのかね」


「…………」


 きっと、そう簡単に答えを出していいような問いかけではない。サニーもセシュレスの声を聞き受けると同時、一度足元に目線を落としている。きゅっと口を絞ったのも、短いシンキングタイムの間で、いくつもの思い出が脳裏を駆け抜けた表れだ。

 カラザに命を狙われ、もうこの世から去ることが決まっていたと思っていた親友との思い出である。意図してそれらの過去を頭から閉め出し、今の自らの"あるべき姿"を脳裏の中心に重く据え直したサニーは、再び目を上げセシュレスと瞳を合わせる。


「ある。今の私は、あの子に道を譲るわけにはいかない。あの子が私をこの場所から突き落とそうとするならば、それをみすみす受け入れるわけにはいかないわ」


「…………」


「次は無いって、忠告だってちゃんとした。それでもまだ立ち向かってくるなら、私は約束を果たしましょう」


 黙ってサニーの言葉を聞くセシュレスも、動かぬその瞳に目を合わせるサニーも、はっきりと胸の奥にある答えを揺らがせない。サニーだけではない、セシュレスもだ。覚悟を口にするサニーに対して思う感情というものが、聞き手のセシュレスにも当然生じている。


「そうか……お前がそう言うのであれば、私は止めないよ」


「冷たい執政者だと思う? でも……」


「そうは思わない。お前はお前なりに、今の地位に責任を感じてくれているのだろう? 私達はその姿に頼もしさを覚え、お前を支えていくべき立場にある」


 帽子のつばを下げ、一礼するかのようなセシュレスの仕草は、報告ならびに会話の終了を示唆するもの。私は止めない、そう言ったのも一つの締めだ。若者が強き意志を以って行わんとすることを、老兵はただ見守るのみ。


 踵を返して歩きだし、謁見の間から去り行くセシュレスを見送ると、サニーは深い溜め息をついて後ろに身を倒す。両の肘掛けに手をかけ、背もたれに背中いっぱいの体重を預け、天上を仰いではぁと息を吐く姿は、執政に悩む王の姿として様になっているではないか。まだ、17歳だというのに。


 執政者というのはつまらない。始めからわかっていたことだ。したくないこと、残酷なことをしなくてはならないことが多々あろう。すべて、覚悟した上で革命を為し、サニーは今ここにいる。


「……馬鹿」


 一人になれば脳裏に浮かぶ、よくなついて笑顔で見上げてきたファインの顔。思い出の彼女に罵声の一つでも投げかけずにはいられぬほど、サニーの心は穏やかでいられなかった。











「それじゃ行こうか、ファインちゃん」


「……はい」


 近場の定食屋で慎ましやかに朝食を済ませた二人が、タクスの都の関所から外に出て向き合う。短い時間ではあったものの、近しく隣り合ってご飯を食べた時間が二人の溝を僅かでも埋めたのか、ミスティから必要以上の距離を取りがちだったファインも、そう離れていない立ち位置だ。心を許したと言えるような様子ではないにせよ、少々は過度なる緊張感も抜けたのだろう。


 ファインに背を向け、ぽそぽそと小声で何かをつぶやいたミスティが、背中を丸めて自分の足元に掌を向ける。次の瞬間には、ミスティの足元からもくもくと、濃く白い煙のようなものが発生し、ミスティの膝より下を埋める雲のような形に固まった。面積もそれなりで、ミスティのすぐ後ろにファインが歩み寄れば、この雲に立って乗れるだけの猶予もある。


「さ、ファインちゃん。乗って乗って」


「…………」


「しっかり捕まっててね。けっこう飛ばすよ?」


 ミスティが生み出した雲は、少女二人を背に乗せたまま少し体を浮かせると、少しずつ斜め上へと向かって動き出す。徐々に速度を上げ、地上からぐんぐん離れ、後方のタクスの都が遠くに見え始めた頃には、空を北へと滑空する雲はかなりの速度に達していた。自分の力で空を飛ぶことには慣れているファインだが、誰かにこうして空を運んで貰うのは初めてであり、ミスティの両肩を握って身を寄せている。


「――ふう、そろそろ安定かな。座ってくれても大丈夫だよ」


「わ、わ……」


「大丈夫だいじょーぶ。ほら、座って?」


 両肩を握られていたミスティが振り返り、支えとしていたものが動いて慌てかけるファインだが、代わりにファインの両手をミスティの両手が握って支えてくれる。屈託の無い笑顔で向き合い、ファインの両手を握り、導くように座るミスティに引かれる形で、ファインも雲の上に座る形になる。


「ファインちゃんも、雲の上に乗る魔術は使うでしょ? おんなじだから、安心してくれていいよ」


「あ、あの……前は見なくても……?」


「平気へーき、ほらもっとリラックス、リラックス♪」


 三角座りのミスティが膝立ちになって、女の子座りのファインの両二の腕を掴み、ほぐすように手首のスナップを利かせて揺すってくる。その間にも雲はすいすいと北上し、進行方向に背を向けたミスティの態度には、ファインもちょっとどきどきする。


「で、でもでも、鳥にぶつかったり……?」


「しないよ~、向こうが避けるもん。ファインちゃんは心配性、だなっ」


「はゎ……!?」


 くるっと体の向きを回したミスティが、ファインに背中を見せる間も無く、ファインの太ももに後頭部を乗せてきた。座ったファインの下半身を埋め尽くす、雲の奥にミスティの顔がとぷんと沈み込み、直後ふうっと一吹きで顔の周りの雲を吹き飛ばしたミスティが、膝枕の上からファインの顔を見上げる形になる。ちょっと顎を引けば進行方向が見える、そんな体勢でミスティが雲の上に体を寝かせている。


「――ファインちゃん、綺麗な顔してるね。女の私でも、可愛いなって思っちゃうぐらい。もしもあなたが混血児じゃなかったら、きっとすっごいモテてたと思うよ」


「…………」


「しょうがないよね。私達、そういうふうに生まれちゃったんだもん」


 後ろ向きな言葉を発するミスティだが、その表情に運命を呪うような感情もなければ、それを哀しむ色もない。淡く微笑んだその表情は、迫害される存在として生まれつつも、胸を張って歩いていける生に辿り着いた彼女の現在を、ほんのりとだが感じ取れる色の方が強い。


「ファインちゃんは、混血児に生まれたこと、イヤだった?」


「……はい。誰かに近付くだけで避けられるし、一人ぼっちでしたもの」


「独りって、つらいよね」


「うん……」


 太ももの上に乗せたミスティの頭を、そっとファインは両手で優しく挟んでいる。同じ気持ちで育ってきたであろう、世界に数少ない同い年の、性すら同じの混血児。優しい笑顔でファインに共感の言葉を発してくれるミスティに、今はファインも親近の想いを抱いているのかもしれない。


「でもさ、ファインちゃんは、寂しく一人ぼっちの子には見えないよ」


「そう、なのかな……」


「孤独ってさ、人をすっごく駄目な心に変えちゃうんだよ。私、混血種の人に会うのは初めてじゃないんだ。革命軍の中には、二人か三人ぐらい、混血種の人がいたからね。どれも私よりずっと年上の、男の人だけどさ」


 少ないとはいえ、ゼロではない、天人と地人の間に生まれた者達。出会えないのは、彼ら彼女らが隠すからだ。加えて、それを隠さず天魔と地術を使うことで何かを為そうとしても、ファインやミスティのように魔術の才覚に秀でる者ばかりではない。革命軍に属していた混血種のその人物らも、わざわざ自分がそうなんだと頻繁に周りに言いふらすようなことはしていまい。


「どの人も正直、あんまり近付きたくなるような人じゃなかったよ。いっつも世の全てを恨むような目つきで、ぎすぎすしてて、単に短気なおじさん連中とは違うとげとげしさがあったもん。思い切って話しかけてみても、誰も信用できないっていうあの目は、会話するのもなんだか虚しく感じたぐらい」


「…………」


「わかるんだけどね。私より年上なんだから、私なんかよりずっと長く、ひどい目にあってきたんだろうからさ」


 幼い頃から誰にも近寄られず、孤独に生き、自分の力だけで生きていかねばならなかった者の性根は、大人になって革命軍に属し、血筋による差別をしない者と肩を並べられるようになっても、そう簡単には矯正されない。三つ子の魂どころか、二十歳過ぎまでの魂は百まで死ぬまい。差別されることが当たり前、何をされたとしても誰も庇ってくれない、そんな半生を歩んできた混血種というのは、孤独に蝕まれた心が一人ぼっちの世界を常に自らの周りに作ってしまう。誰も信用できない人間を、誰かが信用してくれることは極めて稀なのだ。


 哀しい負のスパイラルと形容して何らおかしくない。かつてテフォナスやハルサも、ファインを見た時に感じたことの一つとして、"混血児にしては"まともに育った女の子だという印象がある。それは二人が、ファイン以外の混血種も見てきて抱いた感想だ。

 人は、親のみならず周囲の人のすべてから何らかを受け取り、育ち、己を形成していくものなのに、混血種達にはそれが無い。人と手を繋ぐことすら学べず大人になった者は、他者の気持ちを考えることが出来ない。それは、社会不適合者に最も近付く要素のひとつである。


「ファインちゃんは、そうじゃない。戦ってても、真っ直ぐな心が、信念が、向き合ってれば伝わってきた。縁もゆかりもないホウライの都を守ろうとしたり、レインちゃんを助けようとしたり、他の混血種の人達だったら絶対にしない――普通の人達でも、正義感だけじゃなかなかやれないこと、やってきたでしょう。だから私、もう二度と敵対したくないぐらいには、人としてファインちゃんのことは好きなんだよ?」


「え、えぇと……」


「あっ、顔赤くなってる。ああもう可愛いなぁ~♪」


 重い話をはぐらかすことも兼ね、意地悪な笑みでファインの頬を掌で撫ぜてくるミスティもまた、過去の自分がそうであったことを自覚している。誰も、信用できなかった。初めて出会った時のカラザには、命すら奪うつもりで魔術を行使したのだ。野犬や狼のように性根から獰猛だった過去の数々を、ミスティは忘れていない。


「ファインちゃんは、私の知ってる、私以外の混血種の人達とは全然違ってた。優しくて、人の気持ちを考えて、想像で補って、手を差し伸べられる人。きっとあなたは、素敵な人に出会えて、大事にされて、ここまで歩いてこられたんだろうなって、私ずっと思ってたことだよ」


 ファインの心がちくりと痛んだ。そう、優しい人に巡り会えて、不幸な生まれも忘れて過ごしてこられた日々がここまでにあった。その第一人者である親友と、今から喧嘩をしに行くこの状況で、赤毛の彼女の優しかった頃の姿を思い出すのは少しつらい。


「……今でもファインちゃんは、幸せに生きていくことは出来るんじゃないの?」


「…………」


 きっと、そうだ。クラウドがいる、レインがいる、お婆ちゃんがいる、リュビアを含む闘技場の人達がいる。もう、ファインは孤独じゃない。慎ましやかに、大好きな人達と暮らしていくだけで、人並みの幸せを得られる環境にあるはずなのだ。ファインだって自覚している。


 それを捨ててまで、サニーとの対話に向かう旅。失敗すれば、人生そのものが終わる旅に、恵まれたすべてを投げ打って赴くこの道のりは、きっと賢明な選択じゃない。


「ニンバスさん、心配してたよ。あなたはまたきっと、サニーさんに会いに行くんだろうなってことも予見してさ。そうはして欲しくないって、言ってたんだからさ」


「あ……」


「心当たり、あるんでしょう?」


 言われて初めて気付いたことに、なおもファインの胸が痛む。ミスティが来るより先に、こそこそしながらもファインに会いに来てくれたニンバスの、最後の言葉を思い出すのだ。


 長生きしろ、と言ってくれたニンバス。口にはしなかったものの、あれはサニーとの戦いに赴くであろうファインを予見し、それを引き止めようとしてくれていたのだ。せっかく拾った命を、捨てに行くこともないはずだというのは、もはやニンバスに限らず何人もの人が口を揃えられるであろう一般論だ。


「クラウドさんにも、ちゃんと話をつけて出てきたの? あなたのこと、誰よりも一番、大事にして、必死に守り通そうとしてくれたのはあの人だよ? あなたがまた、死ぬかもしれない道に進んで、良くない結果になっちゃったら、あの人どんな顔すると思う?」


「っ……」


「私も自分の命を大事にしない性格してる自覚はあるから、人のことは言えないけどさ。それでも言わせて貰うなら、今のファインちゃんってけっこうひどいことしてると私思っちゃう」


 ひどいこと、という言い回しでも、まだ包んで言っている方だ。不義理、恩知らずなど、ファインを批難するための、より辛辣な言葉は山ほどある。返す言葉も無いというふうに押し黙るファインの表情が、見上げるミスティの視界の真ん中に常にある。


「……今からでも、遅くないんじゃない? 引き返して、あなたの大好きな人達と一緒に、静かに暮らしていくのはなんにも間違ってないと思うよ」


 ファインも気付かぬうちに、雲は前進速度をすっかり落とし、空中にふわりと浮かぶだけの状態になっていた。気付かないのは、それだけ自責しているからだろう。自分のやっていることが、どれだけクラウドやレインを含む、自分を守り通そうとしてくれた人々の尽力に反するものなのかは、彼女にだってわかっているはずだ。特にだが、クラウドの名前を出された辺りから、再認識しただけで嫌な汗が出るほどに。


 黙って、何も答えなかったファイン。しかし、数秒の間を挟んで、小さく、確かに首を振る仕草から、彼女に今から引き下がるつもりはないという、残念な回答が示される。


「どうしても?」


「……はい」


「そっか……」


 再び、ミスティは雲をゆっくりと北上する運びにする。これだけ言っても改めないファインなら、今後もどれだけ説得したって考えを変えまい。ミスティもまた、個人的に、ファインに命を粗末にして欲しくない立場として、胸がずきずきする想い。今、こうして力を貸しているのはあくまで、ファインの考えを肯定して支持しているからではなく、余力を僅かでも大きくファインに残し、彼女の生存の可能性を高くしたいからに過ぎない。


「――ファインちゃん。あと一つだけ聞いていい?」


「……はい」


「私が昔言ったこと、覚えてる? あなたは、誰かと一緒に戦ってこそ力を発揮できるタイプだって」


 戦闘中に、辛辣な口で言われたことだ。誰かと力を合わせ、支え合う形でこそ本領を発揮するファインに、自分に一対一を仕掛けた時点で負けだと突きつけた過去がミスティにはある。ファインも覚えている。


「サニーさんと、一対一で勝てるの?」


「…………」


「クラウドさんと一緒じゃ、駄目だったの? あの人なら、頼めば力を貸してくれたんじゃないのかな」


 先の返答よりもずっと早く、ファインは首を振って見せた。それはミスティの言葉に対する反論、要するに流石にクラウドもこんなことに力を貸してはくれない、という意志を表明するそれではない。別の否定だ。


「……私、クラウドさんと一緒じゃ、ダメなんです」


「んむ?」


「クラウドさんがそばにいると……甘えずに、いられないですから……」


 ああ、確かに今そんな顔してるねえってミスティも思った。本当にこれまでさんざん、クラウドに支えてもらって生きてきた自覚があって、彼にべったりなんだなあって。クラウドのことを思い出すだけで、ここまで信愛と敬意を蘇らせた眼を出来る相手なんか、ミスティにとってのカラザと同じで他にいまい。

 ファインにとってのクラウドという人物に抱く感情は、もはや好意とか恋慕とか、そんなものを超越したものなんだろう。言葉は悪いが、一緒にいると依存してしまうほどに。


「……サニーを相手に、それじゃダメなんです。私が、私として、あの人の友達として、話をするんです。いつまでも、クラウドさんに寄りかかったままで……サニーとお話するなんてこと、私にはしちゃいけないんですよ」


「…………」


「私にとっては、サニーだって……大事な、他にはいない、"親友"なんです」


 親友と友達の境界線はどこにあるのだろう。ファインは、そうした大事な言葉を使う相手を、安く定めない。あれだけ仲良くなったレインやリュビアでさえ、冷たく聞こえるかもしれないが、ファインは親友と定義しない。"すごく仲のよい、絶対に絶交したくない友達"止まりだ。比肩なきほど自分にとって大事な友人にしか使わない、価値の重い親友という単語を、ファインはたった一人のための特等席として揺るがしてこなかった。


 クラウドが二人目の"親友"になってくれたことが、とんでもなくファインからすれば特別なことだったのだ。クラウドもまた、そうした大事な単語を軽々しく使わない方。彼もまた、ファインを無二の"親友"として定義し、何度もファインをその言葉で呼んできてくれた。

 嬉しくて、嬉しくて、ファインにはどうしようもなくって。人生を幸せに生きるために最も大切なもの、その言葉の意味を最も重んじるファインをして、親友は只一人なるものだったのに。そんな強固な砦を打ち壊し、今もファインの心の真ん中に今もいるクラウドは、彼女にとっても究極的イレギュラーだった。


 だからこそ、そんなクラウドを裏切るような真似をして、死地に赴く自分の罪深さはずっと意識するけれど。だけど、でも。


「ちゃんと、私が私のままで、話がしたい相手なんですよ……サニーっていうのは、私にとってはそれだけ特別な……特別すぎる、人なんです」


 孤独が人の心を蝕むなら、サニーと出会わなかった自分はどんなふうに育っていたのだろう。クラウドと出会えた旅すらも、サニーが発案してくれたこと。自分を独りにさせないようにしてくれたサニーの存在そのものが、クラウドと友達になれる自分を作り上げてくれたという考えは、きっとあながち間違っていない。恩という言葉で片付けきれない、捧げても捧げても捧げきれぬ感謝の想いが、ファインにはサニーに対してずっとある。


 クラウドが今のファインの幸せを育んでくれる希望の花だとするならば、サニーはファインの過去のすべてを救ってくれた太陽だ。この道を選んだファインは、過去に囚われていると形容できるのか否か。


「……わかった、頑張っておいで。私も、応援してるよ」


「ミスティさん……」


「別に私、サニーさんのことは嫌いじゃないよ。でも、あなたの方が好き。どっちも好きだけど、あなたの方が上」


 こんなふうに、すっぱり上下を、優劣をつけられたらどんなに楽だっただろう。友情や愛は重い。好きであればあるほどに、いっそうつらくなることもある。


「私の立場でこんなことを言っちゃいけないんだけど……あなたが勝って、生きて未来を歩いていけることを、私は祈っているからね」


 雲が北へと、天界都市へと向けて加速する。二人の乗る雲の後方に、長い長い細い雲の尾を引いて。地上から見上げる人々の目にも映る、晴天の空に一筋長く走った白い雲が、苦悩を絡めた少女の最後の旅路の足跡だと視認出来る者は誰一人としていまい。


 何かをやりたい。そう強く思ってしまったが最後、いくつもの葛藤を経てもなお、後悔の予感すら投げ捨てて前進したくなることが人にはある。これをやってしまったら、手痛い失敗をするかもしれないと思ってもだ。自分でそういう可能性すら見越せてしまっている時というのは、往々にして踏み出せば痛い目を見ることが殆どであり、そういう時は踏み止まるべきだというのも、ある人生から学べる一つの教訓である。

 それを経験を経て学んでいくのもまた人生。そうして、己なりの人生観を形成していくことで、人は大人になっていく。ファインはまだ、若いのだ。自らの選んだ道の是非を、結果とともに学び、知り、後の人生を生きる自らの魂の一角としていく駆け足を、誰も止めることは出来ない。


 未来とは、生きてこそ。ミスティやニンバスを含む数多くの人が、それを望んでくれている。

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