第259話 ~旅の終わり~
「おう、クラウド、ファイン! 待たせたな!」
「タルナダさん……!」
ロカ平原の真ん中で、特に動くあてもなかったクラウドとファインは、ひとまず肩を寄せ合うようにして座り休んでいたのだが、下手に動いたりしなくてよかった結果に繋がった。馬上のタルナダを先頭に、何人かがクラウド達を迎えに来てくれたのだ。
馬4頭、闘士4名、女の子2人。全員、クラウド達にとっては顔見知りである。馬の手綱を握るのはいずれも闘士ら、タルナダと、クラウド達とはクライメントシティでも戦った闘士のトルボー、ヴィント、ホゼ。加えて、タルナダの腹の前にはレインが抱きかかえられており、ヴィントの後ろにももう一人少女がいる。今、いてもたってもいられない顔で馬上から飛び降りた。
「あっ、こら、無茶な降り方……」
「ファインさん……! クラウドさん……っ!」
「……ふぇっ!?」
このタイミングでリュビアと久しぶりの再会を果たすだなんてことは、ちょっとクラウドとファインにとっては予想外すぎることだろう。傷だらけ、しかし生きている二人を目にして、ぶわっと目に涙を溜めたリュビアは走りだしかけていた。二人に向かってだ。
「待て待て待て、抱きつくなよ? 二人とも、体ぎっしぎしに痛めてんだからよ」
「あっ……ご、ごめんなさい……」
少し先に馬から降りていたトルボーが、クラウド達とリュビアの間に速やかに手を入れ、二人に飛びつかん勢いで前に進んでいたリュビアの足を制する。何気なく、ファインプレーであった。再会できた喜びのあまり、死の淵から恩人二人が生還してくれた感動に身を任せるまま、リュビアがファイン辺りに抱きついていたら、そこそこのダメージになっていたはずなので。
「えと、リュビアさん……お久しぶり、です?」
「っ……お久しぶりです。来ちゃいました」
「俺らも絶対に来るなって言ってたんだけどなぁ。馬まで借りて飛び出して来やがったみてえでよ」
「ま、それだけお前らのことが心配だったってことだな。怪我もしてねえし、今となっちゃあ結構だがね」
あまりにも予想外なる場所と人との再会で、ちょっと頭のついていかないクラウドとファインだが、トルボーとホゼが大まかに、ここに至ったリュビアの行動に関しては説明を補足してくれた。まあ要するに、心配で心配で心配でたまらず、来てしまったと。戦場必至、何もできない武力もない、それでも来たかったから来たというリュビアの豪胆さにはちょっと言葉を失いつつ、ファインもクラウドもリュビアとの再会はちょっと嬉しかった。それだけの想いでここまで来てくれた、そんな彼女に感謝もしつつである。
「――あ、そうだ! リュビアさん、お話が……」
「レインのことですか?」
「そうそう、レインちゃ……えっ、あっ、やっぱりもしかして!?」
ふと思い出したようにファインが問うた言葉に対し、リュビアも涙を溢れた目ながら、幸せそうな笑みとともにうなずいた。やっぱり、そうだったのだ。いつだったか、レインに生き別れた姉の名を聞いた時からまさかとは思ってはいたものの、これで一つの大きな気がかりが思わぬ形で解決したことになる。
生き別れた姉妹であった、リュビアとレイン。タルナダに抱かれて、今は疲れ果てたのか眠るように目を閉じて体を落ち着かせているレインを振り向きながら、リュビアはようやく再会できた妹を幸せそうに見つめていた。
「とりあえず近場の人里まで動きたいところだが……クラウド、お前ちょっときついな」
「え?」
「そんな状態のお前を馬に二人乗りさせるわけにもいかねえよ。落馬しかねないからな」
渾身の力を振り絞って勝利したクラウドではあるが、肩で息をしているような仕草である一方、呼吸音があまりにか細すぎるのがトルボーには引っ掛かるようだ。予定では、レインと馬に二人乗りしているタルナダ、リュビアと同じくそうしてきたヴィントを除く二人、つまりトルボーとホゼが各々ファインかクラウドと二人乗りして人里まで運ぼうという話だったが、これは少しよろしくなさそう。
馬上は思った以上に揺れるし跳ねるのだ。元気な時のクラウドならまだしも、今もいつぶっ倒れるかわからないコンディションのクラウドが、馬に二人乗りなんかしたら何かの拍子に落ちたりするかもしれない。見るからに瀕死のクラウドの安全をより確保するには、ちょっと予定通りでは手段として危うい。
「ちょっと近場の村まで行って、馬車借りてきますわ。親分、それでいいっすね?」
「おう、頼むわ」
「あの、別に……」
「黙れ」
馬車なんか借りたらお金もかかるでしょ、とか考えてるのかもしれないが、遠慮するクラウドの後頭部に手を添えて、ぐいんと振り抜くように頭を押すトルボーの乱暴さが、今のクラウドの容態を如実に表していた。強い強いクラウドが、それだけでふらついて転ぶ寸前までいくのである。どう考えたって、馬に乗せていいような体調ではない。
結局この夕飯時にも至ろうかという時間に、トルボーが近しい村から馬車を引き連れてきてくれて、クラウドとファインはそれに乗ってタクスの都にまで向かった。実際、それは正解だっただろう。何せトルボーが帰ってきてくれるまでの時間の中で、緊張の糸が切れてしまったのかクラウドは、座りこんでしばらくしたら意識をふっと途切れさせてしまったのだ。瀕死ゆえの失神ではなく、落ちて眠りに至ったようなもので命に別状はないものの、治癒の魔術を介してそう診断するファインの言葉が出るまで、リュビアが取り乱したりするわで大変だった。
少し離れた場所で動けない状態だったカラザも、ザームを含んだ部下に連れられて撤退していったようだ。荒れ模様のロカ平原を後に、戦人達は去っていく。戦いは終わったのだ。
これが今から、二日前のことである。
「ファインさん、失礼します」
「はい、どうぞ」
タクスの都の大きな闘技場。その一角には負傷した闘士が休む医療室も当然あるのだが、その一室を借りる形でクラウドは休ませて貰うことが出来た。闘技場のオーナー、ルネイドにもしっかり話を通してのことだ。
ルネイドにとってのクラウドとファインは、かつてクライメント騒乱にて暴れた闘士達を制してくれた三人のうち二人であり、ある意味自分の闘技場で働く従業員を救ってくれた恩人でもある。タルナダ達を殺さずに止めてくれたこともそうだし、より暴れすぎないうちに止めてくれたことで、死罪にもなりかねなかったタルナダ達を、天人の法から極刑を免れさせる弁論も立てやすかったからだ。そういった事情もあり、重傷のクラウドに施設の一室を貸すという話にも、そう嫌な顔ひとつせず乗ってくれたらしい。
そんなクラウドが眠っている一室に、二人ぶんの昼食をリュビアが運んで来てくれた。一つはファインのぶん、もう一つは勿論クラウドのぶんだ。そして部屋の隅には、昨日の晩にリュビアが持ってきてくれたクラウドの夕食が、ドーム状の蓋をかぶせられたまま寂しく冷めて残っていた。
「クラウドさん、まだ目をお覚ましにならないんですか……?」
「はい……命に別状が無いのは確かなんですが、やっぱり無理をし過ぎていたんでしょうね……」
二日前の夕過ぎに意識を失って以降、クラウドは一度も目を開けていない。本来なら死んでいるような体でありながら、生きていること自体が、あるいは命に別状が無いということ自体が、彼の体の強さを物語っているのも確か。
しかしそれも、ファインが自分が起きている限りの時間、ずうっとクラウドに治癒の魔力を注いでいるからに過ぎないのだ。そんじょそこらの治癒術士にも負けない、そうした魔術のエキスパートとも言えるファインを以ってそこまで。やはりクラウドは重傷なのだ。このまま二度と目覚めないだとか、そういうことは無いと断言できても、ファインとリュビアをして心配になるのは当然のことである。
「――ファインさん」
こんなやり取りは昨日もしている。今日はリュビアが、新しい話題を持ってきた。今日の出来事だ。
「ファインさんにお客様が来ているんですけど、ここにお通ししてもいいですか?」
「私に?」
「はい。ファインさんとクラウドさんに、どうしても会いたいと」
クラウドの見舞いに訪れてくれる闘士は何人かいたが、リュビアを介して、来てもいいかとわざわざアポイントを取るような相手はファインも初めてだ。ちょっと不思議な気分に陥りながらも、ファインがうなずくと、じゃあ呼んできますねとリュビアが部屋を出て行く。
それからしばらくしてのことだ。相手は闘技場の外ででも待っていて、それを呼びに行くにはリュビアも時間がかかったのか、そこそこの時間が過ぎてから無言で部屋の扉がノックされた。
「私だ。入ってもいいか」
「…………!」
声だけで、相手が誰だかわかる。少し身をひりつかせはしたものの、先日の流れを見れば敵ではない、と、思う。少しためらいはあったものの、ファインがはいと返事すると、声の主は落ち着いた手つきで扉を開けて入室する。
「甘受頂き感謝する」
「……ニンバスさん」
クラウドが眠るベッドの横、椅子に腰掛けたファインに一礼した訪問者ニンバスは、そのまま歩いてファインの横に並ぶ。普段はリュビアがよく座る、見舞い者用のもう一つの椅子に腰掛けたニンバスは、目を閉じて穏やかに息をするクラウドを見下ろした。
ニンバスの立場は極めて複雑だ。ファインとは二度も戦い、一方で先日のカラザ達の強襲からは、ファインとクラウドを守る為に剣を抜いてくれた頭目である。加えてファインの母、スノウとは親友同士であり、かつての二戦さえなければファインも、母の友人として簡単に歓迎することの出来た相手でもある。
「クラウド、と言ったな。体の方は大丈夫なのか?」
「はい。ずっと目を覚まさないのが気がかりですが……大丈夫なはずです」
「お前は」
「私はもう大丈夫ですよ。昨日は歩くのもちょっとしんどかったですけど、私は自分で治癒を施せますから」
握り拳を二つ胸の前に持ってきて上下させ、元気ですよと笑顔とともに身振りで表すファインだが、歩くのもしんどかった昨日から、全身元気いっぱいとなるとはちょっと考えにくい。歴戦のニンバスの目を以ってすれば、肘を動かせずに拳から肘までの間までしか上下していないファインの動きなどから、彼女の全身が今もきしきし痛んでいることは容易に読み取れるのだし。
概ね、クラウドのそばを離れたくないのは予想がつくし、それで寝ていることなど出来ず、こうして彼のそばにつきっきりなのだろうともわかる。少々の無茶などお構いなし、恩人のためなら何だって、というのは、彼女の母のスノウにもよく似た性分だ。離れて育ってきた二人だというのに、どこかで必ず似てくるあたり、やはり血は争えないものだとニンバスも微笑みそうになる。
「ただ、あの……ニンバスさん?」
「ん」
「えぇと、その……リュビアさんと、普通にお話できました?」
微笑まなかったのは無表情気味が基本形のニンバスというのもあるが、さんざん革命活動に加担して、ファインらに刃を向けてきた立場として、仲良く笑い合うのが難しいという事情が半分。加えて、ファインも少し心配になっているとおり、ニンバスとこの闘技場の関係は本来、あまり良くないものであるはずという事実のせい。
何せニンバスの率いる"鳶の翼の傭兵団"は、リュビアを使ってタクスの都の闘技場を、人攫いをするような場所だと濡れ衣を着せようとした過去がある。ニンバスはその大将格なので、普通に考えたら客としてものレベルでこの闘技場には出入り禁止。リュビアなんて直接の被害者だし、ニンバスと顔を合わせてどうも思わなかったのかとファインも考えるのである。
「まあ、あまり聞くな……問題は無かったからな」
「そうなんですか? だったらいいんですが……」
「いや、全く無かったわけではないんだが……無いものとして考えてくれていい」
「?」
「詳しい説明は省くが……すぐに帰れば問題はないと勝手に思っている」
「あ、はい……なんとなくわかりました」
やっぱり無いわけではなかったようだ。間違いなくこのニンバスという男、今もしも闘技場のオーナー、ルネイドと顔を合わせることになると大変まずい。来たこの時間帯も、闘技場が忙しくなる時間帯であって人通りが少なくなる頃合いだし、恐らく人目を避けてのお忍びな足取りで訪れてくれたのだろう。あまり長居して、闘技場への侵入が広く周知されるとまずかろうし、内心では少々そわそわしているのかもしれない。
リュビアとも恐らく、まともに口を利いていないはず。そもそもリュビアがニンバスに対して、非常に良くない印象を抱いている。当たり前のことだし、ニンバスだってわかっているだろう。積極的に会おうとするはずがなく、恐らくこそっと来たのはいいものの、不運にもばったり顔でも合わせてしまったのではなかろうか。そこまで想像するとなんだか三枚目。
「…………」
「…………」
しかしながら、そこまでして来てくれたニンバスの真意というのが、ファインにはちょっと想像つきかねる。しばらくだんまりの空気が二人の間に流れるが、別の意味でファインもそわそわする。直近では助けてくれた相手だし、二度殺し合った相手だから警戒するという想いは薄いのだが、単に人見知り癖がちょっと強い彼女をして、親しくない相手との沈黙空間はなんだか落ち着かない。
「……スノウの魂を、受け取っているようだな」
「…………」
唐突にだが、恐らく本題らしきものがニンバスの口から放たれた。返答のないファインだが、その言葉に三秒遅れて、自分の胸に手を当てる。彼女の表情に、驚きの色はない。
自覚はあったのだ。今までにないほどの力が、サニーとの戦いの中で、カラザとの戦いの中で溢れ出ていたことには。それも、天の魔術を行使するための魔力に限ってだ。
「新王サニーが、アトモスの実子であることはもう聞いているか?」
「はい。今は私も、同じなんですね」
地術に他者から魂を奪取する手段があるのと逆、天魔には自らの魂を他者に委ねる秘法がある。サニーの母、アトモスは自らの魂をサニーに授け、スノウもまた今わの際、愛する一人娘のファインに魂を授けた。混血種と天人の親友同士であった二人が、天人の血に流れる魔力を用い、現代でも親友同士となった二人の少女に魂を捧げているとは、実に数奇なことである。
「きっと今のお前にはもう、誰に道を遮られても負けないだけの力がある。カラザ達はもうお前に手を出すつもりはないようだし、今後のお前は自由に生きていくことが出来るだろう。怖いものはないはずだ」
「…………」
「サニーが社会の舵を取る今後の時代においても、混血児に対する差別意識は薄まっていくだろう。明るい未来を歩んでいけるだけのものが、今のお前にはある。それを今日は、伝えておきたかった」
ニンバスの言葉は、自らの胸に手を当てるファインの掌が、じんわり温かくなる錯覚を覚えさせる。これまで長く、ファインは他の人々よりも自由の少ない半生を歩んできた。差別される、混血児だからだ。それがこれからは、サニーがそうした差別社会を変えていこうとすることと、ファイン自身が母から授かった力により、今までよりもずっと多くのことが、自由に、出来ると、ニンバスは言ってくれている。
死してなお、自分にそうした新しい生き方の可能性をくれたのがお母さんなのだ。胸が温かくなるのは、比喩に限ったことじゃない。胸の奥に眠る母の魂が、肌と服を介して掌を温めてくれるのかと思うほど、ファインの胸中は他者に与えられた慈しみで熱くなる。
「長生きする道を選んでくれ。スノウもきっとそんな想いで、お前に力と魂を預けたのだからな」
ただそれだけ言い残し、ニンバスは席を立った。戦い抜いて、今も目覚めぬクラウドの額に手を添え、優しく一度撫でる仕草までつけて。もしも目が覚めたら、可愛い彼女さんを幸せにしてやるよう頑張れよ、とでも言わん仕草と取れよう。クラウドには勿論、ファインにも伝わっていないのだが。
「あ……ニンバスさん」
「何だ?」
「その……こういうことを聞くのも、どうかとは思うのですが……」
部屋を出ようとしたニンバスを、ファインが声で引き止める。振り返ったニンバスの目の前には、気まずそうな目を伏せるファインの姿がある。
「……どうして私達を、助けてくれたんですか?」
ある種、好奇心としては当然の問い。救ってくれた身として問うのは無粋と思いながらも、ファインはそう尋ねていた。あるいは一人、クラウドの目覚めを待つばかりの時間がもどかしく、去ろうとするニンバスといえど、一秒でも長くお話相手であって欲しかったゆえの行動だったのかもしれない。
「……信じられぬかもしれぬが、生前のスノウと私は親友同士と称する仲だったんだよ」
ホウライの都では、全力で殺し合った間柄であってもだ。その言葉に僅かでも説得力を持たせるのが、マナフ山岳の道中の村で、肩を組んで宿に帰ってきたスノウとニンバスの姿。あれを見られたことはきっとファインにとっても、貴重な経験であったはず。よく知らない、お母さんの人生の一部を見られた、極めて少ない光景だ。
「親友の一人娘が、理不尽な理屈で命を狙われるという事柄に、じっとしていられなかっただけだ」
これはある意味で、ファインの粛清を選んだカラザの判断に、ひいてはそれを許可した新王サニーへの反発を表す言葉であり、今のご時勢において口にするべき言葉ではない。二人きりの場ゆえ、誰かに聞かれることのないシチュエーションとはいえ、政治的に自らの立場を危うくするような言葉を口にしてくれたニンバスの態度とは、言葉以上に大きな意味と強い想いを持っている。
「ニンバスさん」
人の言葉から、それを信ずるに足るものかを判断するのは難しい。ファインにとってのニンバスのように、一度は目的の相違から命の取り合いをした間柄なら、本来のところ尚更だ。
「ありがとうございます。あなた達のおかげで、私は今ここにこうしています」
「……勿体ない言葉を、あまり使うものではない」
「いいえ、言わせて下さい。本当に、ありがとうございました」
それでも相手の真意を受け取り、信じ、他者の心の真実を汲み取れるのは、ファインの最大の才能の一つだ。かつてファインは、信じる相手になら騙されてもいい覚悟で信じると口にしたことがあるが、そういう者に限って偽りなく他者の真意を読み取り、騙されずにいくのだから世の中というのは不思議なものである。ファインに限って言うならば、その才に無自覚なだけで、人を見る目があるという話と言ってもいいけど。
「……長生きしろ。私から言えることは、それだけだ」
恭しい眼差しで一礼するファインを直視することが出来ず、ニンバスは背を向けてそう言った。そうして部屋を出たニンバスが扉を閉じた時、また二人きりの世界に戻されるファイン。クラウドに向き直り、相手の胸元に手を当て、治癒の魔力を送り込む。
精一杯の感謝の想いを込めてだ。何日経っても、この想いは決して薄れない。
「…………」
ただ、生きているだけ。多くの人に支えられてだ。クラウドの姿を見ていると、それを再認識せずにいられない。本当に、何度、この人に助けられてきただろう。ニンバスやタルナダにも感謝すべきなのだろうとしても、ファインが誰よりも先にありがとうを伝えたい相手は、今この目の前にいる彼に他ならない。
目覚めてくれないことに対して最ももどかしいのは、もしかしたらそれであるとさえ言えるかもしれない。いつかクラウドが目を覚まして、それに立ち会うことが出来ればきっと――そう思っているファインの想いは、目を覚まさないクラウドに知る由もないのだった。
夜を迎えても、ファインは寝る時間になるまでこの部屋を離れない。意識ある限りクラウドのそばを離れたくはないのだろう。懸命に魔力を送り続け、休みを挟み、時々自分の痛む箇所にも魔力を通し、自分とクラウドの傷を癒し続ける。一生懸命という言葉がよく似合う姿と言えるだろう。
「…………」
自分にもクラウドにも魔力を注がぬ、休憩を挟む時間帯を迎えるたび、ファインの脳裏にはいくつもの思索が巡る。自分とクラウドのことだけでなく、今後のことが最もだ。長生きしろとニンバスに言われたせいもあるが、生き延びた今だからこその部分もあり、これからのことを考えてしまう。
自分だけでなく、今までに会った人、戦った相手、親しき人々のことを含めてだ。
リュビアとレイン。昨日、目を覚ましたレインは改めてリュビアと顔を合わせ、相手が誰なのかわかるや否や、大泣きして抱きついたそうだ。我慢できなかったのはリュビアだってそう。"アトモスの遺志"の策謀に巻き込まれ、哀しく引き裂かれた二人は再び巡り会い、今後は誰にも邪魔されず手を繋いで生きていくだろう。
アトモスの遺志。革命は成り、彼らの悲願は果たされた。彼らが望んだ社会へと完全なる変遷を為すには、まだまだ時間はかかるだろうが、社会が変わっていく希望ははっきりもたらされたのだ。持たざる者が血眼になり、当然あるべきの平等をもたらせと武器を取る毎日は、恐らく今後続かない。革命組織は新王サニーを支持する一大勢力として残りながら、かつての過激な動きを見せることはもう無いはずだ。
ファイン自身。ここ最近の彼女の人生は、母に会うための旅に費やされてきた。
今はもう、そのお母さんがこの世にいないのだ。この胸の中にいる。旅をする理由は無くなり、レインの姉を探したいという希望すら、思わぬ形で叶った。きっとどこかに身を落ち着け、穏やかに生きていく頃合いなのだろう。
動乱の世が一度終焉を迎え、多くの者が旅の終わりに辿り着いている。他ならぬ、ファイン自身が例えでもなくそうなのだ。近代天地大戦の始まりから終わり、そこから数年の時を経て再び起こった、アトモスの遺志が宿願を叶えるまでの乱、そして革命を成立させるまで一時代を"アトモスの変"とでも称するなら、年表の上ではここまでで一括りにされるだろう。
誰も動かず、ただ時が流れるだけの平穏な時代に入ったのだ。時代の節目に、新しい生き方を考えなければならないというのは、それに立ち会った者に等しく課せられる使命である。
これから、どうするのか。ファインの脳裏にはもう、一つの答えがあった。
「……はい?」
そんな矢先、夕食も終わったこの時間になって、クラウドの眠るこの部屋に鳴るノック音。考え事に耽っていたファインは、はっとして振り向き、変な声を出すと恥ずかしいからひと呼吸入れて返事をする。
「あの~……入っていいでしょうか……」
「っ……!?」
ファイン、思わず息が詰まる。両肩がびくっと跳ねたぐらい。どうやら相手さんは、相当おずおずとした声で話しかけてくれているようだが、それにしたってこの声は嫌。ファインにとっては、色んな意味で嫌。
「…………」
「だ、駄目でしょ~か……駄目なら、帰るけど……」
「いえ、あの……ど、どうぞ……?」
ファインは座っておられず、席を立ってドアに振り向いて応えた。ニンバスに対しては、ちょっとの警戒心が自然と沸きつつも、少し考えれば信に足る相手として迎え入れることが出来た。この相手は違う。思いっきり身構える。
めちゃくちゃ気まずそうな顔で入ってきた声の主だが、やっぱりその姿を見るとファインは腰が引ける。思わず戦いの構えを取りそうにもなる。それぐらいこの相手は、ファインにとってはトラウマである。
「し、失礼しま~す……恐れ入りま~す……」
赤白青のトリコロールカラーの勝負服とは違い、地味な村娘の服で身を包み、いかにも人目につかぬ格好で表れたミスティ。割と寛容なファインですら、入っていいですよと言ったのは正解だったのか間違いだったのか、今の時点では全く答えを出せなかった。




