表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第18章  雹【Ordeal】
274/300

第256話  ~男の世界~



 カラザの最たる武器はその杖だ。クラウドの拳と蹴りをそれで打ち払い、時には構えて食い止め、それが砕けぬものを殴ったクラウドに反動のダメージを与えるほど。一秒間に何度も鳴る、手甲や膝当てと杖の激突音が響く平原上で、今はカラザが少しずつ退がりながら戦っている。この速すぎるクラウドが相手では、花盛りの春(スプリングフェスタ)栄華の秋落(ダウンフォール)のような大技も、集中力をそれに割けない都合から封を切る機会が無い。


 手数で押し切る勢いのクラウドが反撃の隙を与えまいとしても、腕二本ぶんの距離を作った瞬間に、カラザがひと吹きの呼吸と共に顔面目がけて火球を放ってくる。魔術に抗える掌でそれを叩き上げるクラウドだが、意識が上に向いた瞬間に、カラザが絶妙な間で蛇の尾を振るい足払いをかけてくる。後方に跳んでかわすクラウドの瞬発力が光るも、すぐさま一歩ぶん距離を詰めるカラザが振り抜く杖が、構えたクラウドの腕に激突して重い衝撃を与えてくる。


「っ、ぐ……!」


 吹き飛ばされる勢いで大きく体を横に流されるクラウドだが、踏ん張り利かせて留まった地表を蹴りすぐさま迫る姿勢には入っていた。地面を杖で引っかくとともに、土が爆裂してクラウドへ津波のように襲いかかる魔術をカラザが行使していなければだ。既に前に傾いていた重心を瞬時に改め、過剰なほど横っ跳びにかわしたクラウドの行動が正解だったのだと、前方広範囲を土石流が押し寄せるカラザの攻撃範囲が証明している。


 攻勢の勢いを絶ってしまったクラウドに急接近するカラザが、攻守交替を表すかのように連続攻撃を仕掛けてくる。主たる杖術の連続攻撃は、振り抜く一撃から突きまで幅広く、あらゆる角度から仕掛けられる速い攻撃はバリエーションに限りがない。いずれもを、回避半分防御半分で凌ぐクラウドは、受けるたびに軋む骨と筋肉に苦悶を抱きながら、次の瞬間には尾の先で顎を突き上げてくるカラザの奇襲に、反射神経任せに跳び退がることしか出来ない。


「はっ!」


 隙ありと言わんばかりの力任せの杖の強振に、腕と掌を構えて防御を作ったクラウドも、今のカラザの全力の一撃に殴り飛ばされてしまう。数歩走れるほどの距離を経て地面に叩きつけられ、砂を巻き上げ半身を擦り傷に満たし、それでもすぐに立ち上がる。苦しみを顔に隠せない少年に既に迫ったカラザが、再び渾身の杖のひと突きをクラウドの胸元に差し向けている。

 合わせた手甲二つを構えて盾としても、勢いにも乗ったその一撃はさらにクラウドを押し飛ばし、今までの彼を思えば無様なほど背中から倒れる結果を導いてしまう。げはっと息を吐くクラウドに、既に跳躍したカラザが上方から迫っている。勘だけで殺気と気配を感じたクラウドが、両手で頭の両横を押して足を踏み出し、後方に回って立つと同時にさらに後ろへ跳んだ直後、カラザの振り下ろした杖がクラウドのいなくなった地面を叩き砕く。


 仕留め損ねたカラザが顔を上げた真正面から、すかさず突撃するクラウドの、杖突きへの意趣返しを思わせる正拳突き。構えた杖でそれを食い止めるカラザの行動が、激突し合って動かぬ二人を起点に発する衝撃で大気も振るわせる。

 カラザの手も痺れる、クラウドの拳が砕けてもおかしくない。なのにすかさず体を回し、踵をカラザの二の腕めがけて突き刺す回し蹴りを放つクラウドのなんと速いことか。防御が追いつかず、それから離れる方向へ身を跳ばせていたカラザの腕に、クラウドの蹴りは浅くだが入った。


赤呑(レッドオース)……!」


「く、そ……!」


 ダメージは確かにあった、痛みも伴っている、だが壊れない体。打ち抜かれたはずの腕に表情を歪めながらも、健常時と変わらぬ勢いで杖を振るったカラザが、クラウドに炎の砲撃を放ってきた。クラウドの全身を呑み込む以上の巨大な火炎砲撃を、まぶしさに目を細めながらもクラウドは開いた掌を振り上げた。クラウドに届き彼を食らおうとしていた炎が、クラウドの掌に押し上げられる形で軌道を曲げられ、彼の斜め上の空へと逸れてしまう。


「貰うぞ……!」


 自身の炎の砲撃を追うように迫っていたカラザは、既に火を退けた直後のクラウドの目の前。杖の一振りでクラウドの頭を狙い、それを手甲を構えて防いだクラウドの動きを誘発する。直後その場で回転して振るう、もう一方の手による裏拳が真の狙い手だ。


「ぐがぅ……っ!?」


「っ、ぐ……!?」


 それを膝を振り上げて打ち上げようとしたクラウドの動きが追いつかず、カラザの重い拳はクラウドのボディを貫いた。しかし遅れながらも振り上げられていたゆえ、膝当てに覆われていたクラウドの膝はカラザの腕に下から突き刺さる。手と肘の間、腕をへし折る勢いで突き上げてきた威力には、カラザも片目を閉じかけるほど痛烈だ。それでも壊れぬ肉体は頑強だが、次の行動が怯みによって遅れる結果にはなる。


 ボディを打ち抜かれ、叩き飛ばされて地面に倒れたクラウドは、呼吸がままならず意識も危うい。地面を拳でがつんと殴ったのは、そんな自分に起きろと一喝する行動だ。自分が負けたらファインはどうなる。開ききらぬ目と閉じない口で、片膝立ちが限界、それでも立つ。

 しかし自身の腕が折れていないことを確かめたカラザは、クラウドに向けて容赦なく接近する。立ち上がりきれぬクラウドに向け、放たれる攻撃はつくづく重く、横殴りの杖の一撃は構えて防いだクラウドの肉体を、じわじわとひび割れさせていくばかり。


「ぐブ……っ!?」


 意識が飛びそうになるクラウドに、至近距離からした火を吹こうとカラザだが、自ら体を後方に倒して足を振り上げたクラウドの蹴りが、カラザの顎を蹴り上げた。どんな姿勢でも油断ならぬ相手だとわかっているカラザをしても想定外過ぎた一撃に、彼の体も僅かに後方へ傾く。蹴り上げた勢いのまま後ろに転がるクラウドも、カラザという相手がこれでも倒れず、すぐさま反撃し得る相手だとわかっている。


「はがっ……!」


 やはり来るのだ、クラウドの予想の外から。身をのけ反らせながらもぐいっと顎を引き、クラウドの動きを視界内に捉えたカラザが、長い下半身を伸ばしてクラウドを横殴りにした。追いつかぬ防御、構えたわけではない腕を挟んで殴り飛ばされたクラウドが、勢いよく地面に叩きつけられて転がる中、ちかちかする意識を首を振って正したカラザは既に目で追っている。クラウドは胸をして立ち上がれない。


 跳ばず駆けてクラウドに迫るカラザは、屈した体勢のままようやく膝を引いたクラウドを叩き潰す構えに入っている。顔も上げずに歯を食いしばり、地を蹴りそのまま突っ込んでくるクラウドを予想できようものか。

 間合いを狂わされたカラザの腹に、クラウドの肩口が突き刺さる強烈なタックルが直撃し、凄まじい勢いで体を半回転させられたカラザが背中と後頭部を地面に叩きつける。二人とも、受けたダメージと反動でもはや声も出ない。


 これで先に動くのが、攻撃を受けた側のカラザなのだ。組み付いた姿勢から体を起こした直後のクラウドの頬を、ここで動けねばまずいとしたカラザが拳でぶん殴る。今さら語るまでもないパワーが、低姿勢のクラウドを横に殴り飛ばし、触れ合う状態から引き離す一撃だ。

 ごふ、と咳き込みながら苦しい顔のカラザも、便利な蛇腹で地面を押して体を起こす中、地面に転がったクラウドはようやく片膝立ち。殴られた箇所を手の甲で押さえて、口の中を切って出た血の塊を、下に鋭く吐き出している。


 迷わず接近を選んだカラザと、今度は待たずに地を蹴るクラウドが、突き出しあう杖先と拳のぶつかり合い。常人なら既に全身粉々のダメージをさらに蓄積させ合いながら、苦悶に苦しむ目の奥に宿った闘志を、眼差しを通じて衝突させ合う。恐ろしき不屈の少年、かつてなく負けられない最強の術士、双方が互いを認識し合う印象は、刹那勝負の戦場で脳裏に言葉として刻まれるのも追いつかない。


 ぜぁ、と息を吐いたクラウドの振り上げた足が、カラザの杖先を叩き上げ、重心移動で前に乗り出したままカラザの腹部にクラウドが肘を突き刺しにかかる。確かに当たった、カラザも口の中の液を吐き出す。表情を改められぬままながら、杖を握らぬ方の手でクラウドの頭を掴み、全体重を下に浴びせる形でクラウドの顔面を地面に叩きつけていく。

 自ら首を引いて、額からぶつかっていくクラウドは、それが一番ましな結果だと知っているのだ。両の掌で地面を踏ん張り、引いた膝で腰を振り上げると、かろうじて捻った頭でカラザの顔の位置を確かめ、そこへ足を振り抜く。側頭部を削り去るような一撃にカラザが頭を蹴られ、離れた手から逃れるように転がるクラウドが立ち上がった時、既にカラザは逸らしかけた体を引き戻している。


「うぅっ、らあっ!」


「ぬうあっ!」


 遠くない距離感で、二人はなおも距離を詰めるのだ。懐にまで侵入したクラウドの拳がカラザの胸に突き刺さり、杖の過剰射程範囲内に入ったクラウドの肩には、カラザの振り抜いた肘が突き刺さる。クラウドの一撃がカラザを後方へ押し飛ばし、カラザの一撃はクラウドを大横に殴り飛ばす。

 互いの押し出される方向が90度近くを描き、二人が開戦後最も遠き距離たる位置取りに。呻き声を漏らして僅かに前のめるカラザと、地面に屈してようやく顔を上げた二人が、苦悶の眼差しをぶつけ合う。


「天魔……! (メガ)熱線(ブライト)……!」


「なに……!?」


 魔力の波動を感じたカラザが振り向いた先、よろりと両膝立ちになった少女が両掌をこちらに向け、そこから極太の熱光線を放ってきた。今までにないほど露骨に苛立った顔を見せ、人を殺す勢いで杖で地面を殴ったカラザは、目の前に岩石の壁を召喚してそれを防ぎおおす。


「ふぁ……ファインっ……!」


「っ、ぅ……はくっ……」


 今の砲撃で全体力を使い果たしたんじゃないかというほど、憔悴しきって生気のないファインの姿を目にし、クラウドも表情が凍ってしまう。立ち上がりきれぬ体、横入りしてカラザを狙い撃ったファインという事実、そんな彼女の身動きもままならぬ姿。そこから連想されるのは、カラザの魔手が彼女を葬る未来しかない。


 カラザを熱閃から守っていた岩石の壁が、ファインの砲撃が途絶えたその時に砕け散る。ファインの方を向いた、カラザの表情が怒りに満ちている。やばい、やばい、早くこの体よと、クラウドが震える全身に力を込めようとする。


「貴様……!」


「く……クラウドさ……」


「男の勝負に邪魔を挟むんじゃあないっ!!」


 カラザがファインに向けて放ったのは、魔術による遠距離攻撃でもなければ我が身の接近でもない。冷静さと冷徹な戦場での様が全印象だった彼とは思えぬ、凄まじい覇気を孕んだ怒鳴り声だ。その声は、どんな相手でも怯まずに立ち向かっていたファインが、声の強さだけで体をすくませ、両目をぎゅっと閉じてしまったほどのもの。


 気持ちはわかるとも、クラウドに僅かでも力を貸したいのだろう、きっと自分が何を言ってもその気持ちは止まるまい。

 ファインに向けていた目を、ぎらりとクラウドに向けてカラザが向け直す。ふいと一度強く首を振り、ファインに何か言えという仕草まで添えてだ。ファインを止められるのはきっと、クラウドをおいて他にはいない。カラザはクラウドとの、単身同士での勝負付けを、それほどまでに望んでいる。


「……ファイン」


「クラウド、さん……っ」


「……黙って、見てろ。かっこいいとこ、見せてやるからさ」


 四つん這いの姿勢から、ようやく片膝立ちまで持っていって、なんとか向けた顔で言い放つ弱い声。あれだけファインにとって頼もしかったクラウドが、こんなにも頼りない姿を見せるのは初めてだ。微笑む顔を作ってファインを諭すその表情にも、力はない。

 いくつもあるはずの言葉から、その言葉を選んだクラウドの真意は、ファインに伝わっているだろうか。何度も何度もカラザに打ちのめされ、何度も砂と血の味を知らしめられているクラウドだって、体以上に心が限界寸前なのだ。絶対勝つって意地でも言えない自分は、きっとクラウドにとっても初めてのことだろう。


 だけど、どうしても、ここで負ける道だけは受け入れられないのだ。勝つよって言えない、じゃあ引き分けでもいい、刺し違えてでも絶対にファインは守りたい。たとえ、自分が死ぬことになってもだ。

 格好つけや見栄だけで、あんな言葉がクラウドの性分から出るはずがない。悲壮なほどのこの覚悟を、すぐに人を心配して動きたがるファインから隠したのが、クラウドの選んだ言葉と力無い笑顔である。


「――カラザさま!」


「っ、こら、動くな……!」


 さあ、もう一人来た。カラザにとっては、レインを抑えてくれるだろうと信じていた少女。その目的を半分叶え、相討ちの形ながらもレインを戦闘不能にしたミスティが、戦えぬ体でザームに背負われて来たこと自体は予想していないが、自分の戦いを終えた彼女がここへ来ることは予想できていたことだ。


「ミスティ、手を出すなよ……! クラウドにも、ファインにもだ……!」


「は……」


「絶対にだぞ……! この命令だけは、絶対に背くことを許さぬ!!」


 ザームの腕と背中から無理くり抜け出し、カラザの方へと駆け寄ろうとしていたミスティに、カラザは一度も振り返らない。果たして彼女が手を出せる体かどうかも、今のカラザははっきり確かめていない。もっとも今、ザームに背負われてここまで来て、今も足取りの覚束ないミスティの姿を確認したとしても、術士の彼女は離れた位置からでも、カラザに加勢することは出来る結論というには至るだろう。


 来た以上は手出しし得るミスティに、カラザはファインに向けた声と同じだけ強く釘を刺した。ミスティですら、これほど激情に任せた声を放つカラザを見るのは初めてだ。いつものように、はいと返事することが出来なかったのは、逆らうつもりがあったのではなく、呑まれて返事も出来なかったからだ。


 クラウドがカラザを向き直り、よろりと立ち上がる以前から、カラザの眼差しはずっとクラウドを向いたまま動いていない。ファインとミスティに発した言葉が表す以上にその眼は、クラウドとの一騎打ちに執着する意志の表れとして遥かに雄弁だ。


「……カラザ」


「貴様がいなくなれば、彼女もまた死ぬのだ……! 見誤るなよ、その本質を……!」


 マナフ山岳で初めて敵対した、ホウライの都を焼き払った、ファインの母を殺めた、憎むべき対象となって以降それがずっと変わらなかったカラザが、初めてクラウドの目に一人の男として映った。たとえその口が発する言葉の意味が、理不尽に親友の命を奪わんとするものであっても、そのための最善手をいくつも捨て、淡くも希望を残してくれた敵に抱く感情は、単に憎しみのみとはなるまい。

 果たして、そう見改められることを嫌うのだろうか。杖を一振りし、火の玉を放ち、クラウドの顔のそばを通過させていく態度には、その一撃に限り当てる気がないのと同時に、雑念を捨てる事をクラウドに促すかのよう。


 男の勝負。カラザが言った言葉だ。既に打ちのめされ、中身までずたずたの体のクラウドが、拳と拳を、手甲と手甲をぶつけ合わせ、自らに喝を入れるかのような行動を挟んだのは、きっとそれに対する返答である。無駄な動きで自らの体に響きを走らせることは、この戦場において愚の骨頂である前提をして、その行動は決して無駄ではない。


「行くぞ、カラザ……!」


「かかって来い……!」


 手を出すなよとザームに肩を掴まれるミスティが、同時にこの戦場前に辿り着いたタルナダに抱かれたレインが、そしてファインが見守る前で、クラウドがカラザに駆け迫る。第三者が離れた場所から見て、クラウドの初速があまりにも速く、目で追うのも一瞬遅れるほどなのだから、脚を含めた彼の全身はまだ死んでいない。


 杖のひと突きをかがんでかわすまま、拳を突き出したクラウドの一撃。体をひねってそれを回避したカラザが、跳ね上げる尾でクラウドを叩き上げようとする。

 掌でそれを庇うクラウドだが、強化されたパワーを孕む尾の一撃は、食い止めたクラウドの手に痛みを伴わせた上、彼の体を僅かに浮かせる。浮いたクラウドにすかさず拳を振り上げるカラザの鉄拳は今、クラウドのそれにも匹敵する速さと威力を持っている。


 掌に収まっているカラザの尾を唯一の支えに体をひねったクラウドが、顎を殴り上げにかかる一撃を回避した直後、カラザの腕にしがみつく勢いで組み付いた。そのままさらに体を回転させるクラウドが、力任せにカラザの腕を引き巻き投げの要領で引き込んでいく。蛇の体を含めれば長い全身、重い体がクラウドに浮かされ、投げられる過程でカラザの頭が下向きになった瞬間もある。

 この時見上げるようにして、下方のクラウドと目を合わせた瞬間、自分の腕に組み付いたままのクラウドの顔面に火球を吐くカラザだから油断ならない。抱え込んでいたカラザの腕を手放し、振るった裏拳で火球をはじき飛ばすクラウドだが、腕同士が絡む至近距離でそれが出来る反射神経はやはり恐ろしい。この結果クラウドから離れたカラザが、投げ飛ばされる形で地面に背中から叩きつけられる。


 素早く立ち上がるのはほぼ同時、前に出るのが速いのはカラザ、射程距離が長いのも杖が武器である彼。満身創痍で疲労も積もったクラウドは、振り下ろされるカラザの杖の一撃を、頭上で交差させた腕で防ぐのがやっとである。腕が折れたような気がしたのは今日何度目もである。すかさずクラウドからは手の届かない距離から、カラザが腰を突き上げるようにして振り上げた蛇腹を操り、尾の先でクラウドのがら空きの腹を突いてくるのだから堪らない。


 目を見開きながらも口を引き絞り、空気と口の中のものを吐き出すまいとしながら突き飛ばされたクラウドが、背中から地面に叩きつけられてついに後頭部を打ち始めた。倒れた時に首を引き、頭を守る習慣すらも、軋んだ全身が叶えてくれなくなっている。

 それでもカラザは迫っている、クラウドの頭もそう来るはずだと読んでいる。思考だけが追いついて体がついて来ない現実に抗い、一度地面を強く叩いた反動に助けてもらうかのように転がったクラウドが片膝立ちになったところで、クラウドの喉元にカラザの杖のひと突きが迫っている。


 その体勢のまま体をひねり、振るった裏拳で杖先を横殴りにし、逸れた杖が自らの横を通過していく形に免れる。回りざまに腰をさらに浮かせたクラウドが、靴の裏で地を踏みしめる方の足を踏みしめ、背を向けたままでカラザに突撃だ。

 思わぬ動きにクラウドの背中を腹で受け取る形になったカラザも、仮にも体当たりの形でぶつかられた衝撃によろめきかける。クラウドの両腕が上がり、自分の右肩の上にあるカラザの頭を、背を向けたまま両手で抱え込んだ行動も、速すぎて対応しきれない。


「ゴぐ……っ!?」


 足を畳んで全身を浮いた状態にしていたクラウドはカラザの頭を抱えたまま、さらに両手でカラザの頭を下方へと引きこんで短い落下を果たす。あぐら型の左脚全体、三角座りの右脚の裏、尻の三点でクラウドが着地した瞬間、カラザの顎がクラウドの肩に打ちつけられ、頚椎まで響く衝撃がカラザの目を白黒させる。長い舌を噛まなかったのは幸いでしかない。この瞬間に手を離したクラウドの行動に伴い、カラザの上半身が跳ねるような勢いでのけ反った。


 離して正解だったのだろう。天を仰ぐほど身を反らせながら、カラザの片手はクラウドの背中に向けられていた。すぐに片足で地面を蹴り、体すべてを横に跳び逃がしたクラウドのいた場所に、カラザが掌から火術を放った。地面の草が一瞬で灰になる。捕まえたままで動かなかったら、掌を背中に当てられた上であれを放たれていたのだ。


「っ、がぐ……!」


 跳んだ先で、両手両足で地面を捕まえ、ぎゅるりと体をカラザに向ける方向に向け直していたクラウドも速かった。しかしそんなクラウドに、蛇の下半身を力強く操り、突撃的に迫っていたカラザの方が速かったのだ。カラザの振り抜いた杖はクラウドを殴り飛ばし、直撃したクラウドの右腕にただならぬダメージを与え、少年相応の体重であるクラウドを遠き地面に転がしてしまう。


「くっ、ぐ……! つくづく、油断、ならぬ……!」


 頚椎へのダメージが意識を歪ませる。クラウドが両手で地面を押してなんとか立ち上がろうとするも、がくがく震える体に言うことを聞かせられずに立てない姿は、攻め込む絶好の好機なのに惜しい局面だ。ぐわりと目の前が歪んで意識が飛びそうな中、クラウドの動きから目を切らないことだけを意識づけつつ、カラザは片手で頭全体を支えるように側頭部を押さえて動かない、動けない。壊れない肉体とて、このダメージが意識に介入してくるエコーまでは消しきれない。


 もっと、力を。カラザではない、クラウドの心の叫び。一矢報いんと体をぶつけても、いくらぶちかましたってカラザが崩れない。浴びる攻撃で自分の体だけが壊されていき、死が目の前に迫る一方。勝てるのか、このままで、無理だろう。俺の体、俺に流れているらしい血、もっと力を振り絞れ、力を貸してくれと、祈るだけで全身から血が噴き出そうなほどの想いでクラウドが立ち上がろうと努めている。


 カラザに勝てるなら今日で死んだって構わないから。ファインを守れるなら死後の世界が地獄でもいいから。今だけ、今しかない、この時だけでもいいから、カラザを打ち破り得る力がどうしても欲しい。立ち上がるだけでも今の渾身を要するクラウドが、はあっと息を吐いて強く地面を押し、胸を浮かせて膝を引き、ようやく片膝立ちの姿勢にまで持ってくる。


 上げた顔の先にカラザが見えた。持ち直した天敵、ファインの命を狙う敵。クラウドの頭を横殴りにするための杖を構えた腕は、もはや武器を振り抜く一瞬前。回避できない、防ぐしかない。既にもう壊れかけの体で、これ以上カラザの攻撃を受け続けることは、いよいよクラウドでも危ないのに。


「ファイン、っ……!」


 左の手甲を構え、杖を迎えて防ぐ形を作る中で、思わずその名が口から溢れていた。戦う理由であり、今の自分にとっての全て。カラザには水を差すなと怒鳴られたとはいえ、あんなぼろぼろの立てない体でなお、自分を助けようとなけなしの魔術を行使した少女の名。


 負けられるものか。胸にその言葉を刻み直したクラウドの、カラザに向けていた眼差しの色が、この瞬間に急変した事実が、まさかの危機感をカラザに思い起こさせる。


 反射的にカラザは腕を胸の前に構えていた。絶対に正しかっただろう。クラウドの右拳が、カラザの攻撃を受けた直後とは思えぬ速度で突き上げられていたからだ。そのパワーは今のカラザを以ってしても耐え難く、声にならない呻き声らしきものを口の端から溢れさせたカラザが、押し返されるまま大きくクラウドとの距離を作らされる。


「っ、ぐ……! 間に合わなかった、か……!」


 こうなる前に決着をつけるべきだったのに。粘りに粘ったクラウドの執念が結んだのは、彼が果たしたかった目的の完遂ではない。カラザに打ちのめされ、今のままでは勝てないと思い知らされてしばらくの間、ずっとずっともっと力をと望み続けた彼の体が、過去最大の異変を起こし始めるという展開だ。


 片膝立ちのまま、肩で息をするクラウドは立ち上がらない。あるいは、立ち上がれない。それだけのダメージを受けているのだ。そんな彼が、今絶対に目を逸らしてはならない相手から目を逸らし、一度見た相手とは、離れた場所で犬のような姿勢で身を乗り出し、泣きそうな顔で自分の勝利を願ってくれている親友だ。


「ファイン……」


 どうしても、その顔を一度だけ、この目に焼き付けておきたかった。今の、自分にとって、自分自身以上に大切な人だと思える人。考えるよりも先に体が動く正義感に任せて動く彼女と共に歩んで、多くの嬉しいことを叶えてきた過去は、クラウド自身にとっても誇るべき思い出なのだ。

 リュビアを助けた、クライメントシティを守れた、レインを解放できた、ホウライの都を滅ばせなかった。海で遊んだ楽しい思い出すらも霞むほどの、かけがえなく、胸を晴れる、最高の思い出をいくつも共有し合える親友など、人生の中で何人出会えるというのだろう。ファインと出会ってからの毎日は、それ以前のクラウドの人生の記憶全てが遠のくほど、すべてが輝き、きらめき、満たされていたのだ。出会ってからの短い時間の中で、それほどたくさんのものをくれた親友だ。


 彼女が生きて、いつか幸せを掴める日への希望を繋いでいく。戦う理由はそれで充分、そしてそれが全てである。


「絶対、守って、やるからな……!」


 たとえ命に代えてでも。言葉にはされなかった究極の覚悟が、ついにクラウドに流れる血と完全にシンクロする。そして、立ち上がるために両手で地面を押したクラウドの行動に伴い、その力だけで震えた大地が、土煙を巻き上げ彼の全身を周囲から見えなくする。


 ファインが、ミスティが、タルナダとザームが、何が起こるのかを知り得ぬ中、土煙の向こう側で起こっている大異変を推して知るカラザだけが汗を流している。同時に僅か、彼の表情に笑みが浮かぶのは、向こう千年生きてもそうそう見られぬであろうものが、よもや目の前に現れるであろうという、危機的な状況を無視してでも胸を打つ高揚感の名残である。


 間もなくして晴れる土煙、現れる姿。カラザの予想は、彼にとっては最悪ながらも正解だ。


「古き血を流す者、か……あるいは、原種を超えるかもしれぬな……!」


 両腕の外側が明るい茶の毛皮に包まれ、その中にはうっすらと黒と白の毛色が混じった三色の体毛。髪も同色、三毛猫の色に染まったクラウドの全身は、うなじも腕と同様の毛皮に包まれていることから、背中も同じような毛皮に覆われているのだろう。猫の血を流すと言われる、古き血を流す者ブラッディ・エンシェント羅刹種(ラクシャーサ)のクラウドが、カラザほどではない不完全な形とはいえ、人と血の主たる生き物の要素を人の姿のまま併せ持つ姿は、血が彼の肉体と意志に完全に同調した証拠である。


 ドラウトが大一番で見せたように。戦場で蜘蛛の足を背負うセシュレスのように。今のカラザのように。人と獣の融合体とも言えよう姿への変貌を果たしたクラウドの瞳孔は開いたままで、口から溢れる大きな荒い息が蒸気のように白い煙として放たれる。一方で、その目や呼吸とは全くの裏腹、今のクラウドは冷静だ。


 ファインの顔を、最後に一度見られたから。夢を、目的をはっきりと抱き、目指す先への旅の一歩目を踏み出す男は、その目的が気高ければ気高いほど、その精神は不動である。


「クラウド、今一度問おう」


「…………」


「ファインを、救いたいか」


 知れた問いかけをするのは何故か。カラザが聞きたがっているのは、答えそのものではなく、答えを発するクラウドの声の形である。


「必ず、そうする……!」


「いい声だ……!」


 今でもクラウドは心の奥底で、自分はカラザに劣っていることを認めたままだろう。それでいて、この迷わぬ意志を象徴したかのような声色と強さ。敵味方問わず、強固なる信念を胸に、苦難に立ち向かう男の姿というものは、金剛石の輝きを眺める以上に惚れ惚れする。


「だが、わかっているだろうな……! 私を打ち果たせねば、それは叶えられんのだ……!」


「っ……!」


「お前の見る前で彼女は死なぬ、嘆きの中お前の向かう冥界で、すぐに再会もさせてやるとも……! いずれの意味でも、お前は安心してもいいのだぞ……!」


「っざけんな……!」


 構える二人、迎える最終局面。極限まで体を酷使してきた二人の肉体はどこまでもつのだろう。もたなかった者が命を失い、掲げた希望を打ち砕かれて闇の底へと沈んでいく。


 一騎打ちとは無情なるものだ。報われる勝者は、一人しかいないのだから。


「ここまでだ、クラウド! 夢に殉じ、夢潰えて去ね!」


「渡さねぇ……! ファインのことは、絶対に!」


 最後の静止が幕を降ろした。決着への船出に漕ぎ出し、互いに駆け出した二人は、勝つか、負けるかまで止まらない終盤戦の幕を広げていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ