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晴れのちFine!  作者: はれのむらくも
第18章  雹【Ordeal】
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第255話  ~最後の試練~



「――ミスティ!」


「はっ……へっ……?」


 立ち上がれないミスティに駆け寄り、片膝をついて語りかける誰かがいた。聞き覚えのある声なのに、瀕死の傷を負っていると、意識が飛びかけて堪える回数が多いせいか妙に久しぶりに感じる。今朝も会ったばかりなのに。


「レインに負けたか……お前でも勝てねえ相手だったのかよ」


「ざ……ザーム、さん……?」


「……それにしても」


 ミスティを抱き起こし、彼女とは違う方を見るザームの、いかにも気まずそうな顔。ミスティを打ち果たしたと思しきレインに対しては、やっぱあいつすげぇなってなもんだが、そんな彼女に寄りそって泣くもう一人がきつい。

 タクスの都の闘技場の闘士達に、職場に対する不信感を煽って操る作戦を以前遂行したことがあるが、それに利用するために誘拐したリュビアの姿を見ると、今さらながら顔なんか合わせようがない。向こうはザームが誘拐の主犯格であることは知らないだろうが、そういう問題ではないのである。


「っ、く……え゛はっ……!」


「あんまり喋ろうとすんな……! 腹がおかしいのは服の上からでもわかんだよ……!」


 レインに砕かれたミスティのボディは、やや肌に張り付き気味の薄手の服に包まれているはずなのに、明らかに普段と比べて皺が多すぎる。レインの一撃を受けてついた、靴裏の砂の残りかすだけ見ても充分に何かを察せるが、中身が本来の形と違うようにひしゃげさせられ、服がしわついて戻らないのがわかるのだ。ザームも今のミスティが何か口にしようとするのは得策ではないと、普段から口数の多い彼女だけに必死で説得する。


「……生きてるか」


「た、タルナダさん……レインが……レインがあっ……!」


「ん……ひでえ有り様だが、助かるとは思う。まずはお前が落ち着け」


 一方レインの方にも、彼女にとっての味方が駆けつけていた。闘技場の闘士達と、ザームが率いた軍勢が火から逃れる動きにはひととおり決着がついたようで、両軍の頭であるザームとタルナダだけがこちらに来たのである。向こうも決してきっちりすべてが片付いたわけではないので、人は残らねばならない。後から知られる事実だが、そちらでは敵味方関係なく、きつい目つきで牽制し合いながらも死傷者を増やさぬよう協力し合っているようだ。


 レインは全身服もびりびりで、見るからに無残な姿である。全身、所々に火傷もあり、肌も大半が真っ赤な有り様。せっかく、ようやく再会できた妹を前にして、もう助からないんじゃないかとリュビアが取り乱すのも当然の容態と言えよう。

 闘技場生活が長く、良くも悪くも怪我人を見てきた数の多いタルナダだから、流石に最初はこれはまずいと思いつつも冷静にレインを診断できた。ひどい服の破れが特に、見た目以上にレインを重症たらしめる有り様に一役買ってしまっているが、そうした補正めいたものを差し引いて冷静に見れば、命に関わるほどのものではないと充分に言うことが出来た。


「はぁ……はぁ……お、お兄ちゃん……お姉ちゃんは……?」


「む……クラウドとレインのことか? あいつらならきっと……」


 離れた場所から轟音が聞こえてくる現状から、ここに辿り着いた時点でタルナダもザームもわかっている。こんな場所で今、あんな破天荒な戦闘音を奏でて戦う化け物達なんて、あいつらしかいるわけがない。音のする方に少し顔を向け、その後の言葉を濁したタルナダだが、そこは濁して正解だったと思う。なんとなくだが、今も二人は敵の親分と戦ってるよなんて言ったら、何かまずいことを言い出しかねないとタルナダは直感したのだ。


「……もう、大丈夫だ。お前はもう、充分に戦った。引き上げよう」


 二人が気になるだなんて言われたら敵わん。タルナダだって気になるが、そんなことを言われる前に話を進め、撤退とその後の治療をレインに最優先させようとしたのは、タルナダの好判断である。


「ざっ、ザームさんっ……! わたし……カラザさまの、とこに……」


「アホかお前っ……! 今のお前が何できるって……」


「おね、がい……っ、げほっ……! 私には……私には、あの人しか……」


「絶対勝ってる、信じられるだろ……!? お前は自分の心配を……」


「いやあっ……! おねっ、お願い、だからあっ……!」


 爪だけは立てず、しかし傷ついた体の全力でザームの腕を掴み、必死の眼差しで懇願されると、ザームも彼女を抱き起こすことで手が塞がっていなかったら頭をかきたくなる。わかっているとも、ミスティにとってはカラザの存在そのものが生き甲斐そのものなんだって。混血児の自分を、暗い世界から自分を救い出してくれた人がいたと、昔ミスティ当人から聞いたことがある。"アトモスの影の卵"として動き続けてきた彼女にとってのその人が、"アトモスの影"と判明したカラザのことであるとも、後から充分に察せることだ。


 そして、カラザが今戦っている相手のことも知っている。強い強いカラザだとはわかっていても、あの二人だけはわからない。カラザだからと言って必勝を確信するには、ホウライ戦役での一度きりの敗北があまりにも余計だ。ザームでも僅かに、万一を想定してしまうのに、カラザがいなくなったら自害すら厭わないミスティからすれば、自分だけ逃げるなんてことは出来ないのだろう。


「う、恨むよ……ザームさん……! もし……もしも……!」


「――あ゛ぁもう、わかった! お前、何も出来ねえことはわかってるよな!?」


 こんな有り様でも、もし自分を無理にでもカラザ様から引き離したら、一生許さないと目を鋭くさせてくるミスティを見ると、何を言っても駄目だってわかる。連れて行くのは得策ではないだろう、どういう結果になるとしても、百害あって一利ない。時々、そういう理屈も全部わかっていて投げ捨て、年下のわがままを聞いてやる大人っていうのは確かにいるのだけど。


 話のわかる大人でい続けるのも大変なのだ。なんだって自分は、こんな間違ったことばっかりやってんだろうってザームも、ミスティを背中に背負い直して溜め息が出そうである。


「何もするなよ……! 目の前で、何があってもだぞ……!」


「へ、えへへ……ザームさん、大好き……」


「答えろボケぇっ! 約束しねえと連れてかねえぞ!」


「は、はーい……約束、しますぅ……」


 少し機嫌のよくなったミスティにうんざりしながら、ザームがミスティを背負ってゆっくり走りだそうとしていたその時、また別の方向でも同じように駄々をこねていた女の子がいたのだから困りもの。こっちはこっちで、せっかく彼女を安全な所に連れて行って治療してやろうというのに、蹴って暴れてタルナダの手を振り払う。キック力が尋常ではないのでタルナダもたじろぐレベルである。


「あ、あのな……お前も決して軽い怪我じゃ……」


「レイン、お願いよおっ……! もう、無理しないでよぉ……!」


「うぅ~~~っ……! う~~~~~っ……!」


 流石にリュビアの差し伸べる手はその足で蹴ったりしなかったが、手でぺしぺし乱暴に振り払って寄せ付けない。反抗期の子供は気遣う者の心知らずである。レインだって、カラザと戦っているとしか思えないクラウドとファインを見届けず、自分だけ帰るなんて嫌なのだ。こればっかりは、例え実の姉の頼みでも絶対に譲れない。


 結局根負けし、タルナダがレインを担いで彼女の望む方向へと走っていくことになった。それはそれでリュビアがまたついて来そうになったが、こっちは真剣にタルナダが恫喝したら、泣く泣く引き下がってくれたので助かった。まだ話のわかる18歳と、幼い13歳の差はこういう時に大きすぎて、こっちの方が泣きたくなる。


 奇しくもついさっきまで戦い合っていたタルナダとザームが、わがままな少女を抱えて同じ方向に駆けていく結果になった。流石に仮にも敵対する状況、近付かずに離れて並走する形になったが、不思議と両者の走る速度が、遅い方に合わせて同じになっていたのは、単に担いだ怪我人を気遣っただけのことではない。


 お互い大変っすね、まったくだ畜生め、と、目だけで会話できてしまうのだから、苦労人は悩みが共有されると並びたくなるのである。こんなに強い二人なのに、年下の女の子に弱いところだけは似ていると思う。

 結局二人とも、年下に優しすぎるのだ。若くして苦労人、が集う闘技場という職場で働いていて、なおかつ慕ってくれる後輩を一人でも持った経験があると、性根が荒っぽい一方でもそういう性格の奴にならされてしまう傾向が強い側面もある。











 闇の魔力の本質とは引力である。全てを呑み込む、引き寄せて。他者の魂を取り込む闇の禁忌術もまた、本来は触れられぬものを引き寄せ、術者の手中に収める引力が為せる業と含めることが出来る。


 引力とはすなわち、物理的な力も含めての言葉だ。人の体は、限界を超える負荷を受ければ壊れるようになっている。切れば二つに割れる、無理な力を受ければ骨が折れたりはずれる、限界を超えた力を発揮しようとして無茶をしても同様のこと。人の体が壊れるというのは、筋肉なり骨なり、何らかが離れるということだ。

 もしも壊れるほどの負荷を体が受けても、体のどこも"離れない"のであれば、それは壊れない、怪我をしないのと同じことである。


 また、人を殴ったり蹴ったり、あるいは物を持ち上げるだとか押すだとかでもそう。肉体が力を込められるのは、筋力に見合った現界がある。しかしながら、何らかの手段で、限界以上の力を加えることが出来るなら、その手段の限りでは肉体の限界を超える力が発揮できる空想論に達する。

 ものにはたらきかける力が"押す"力なら、"引く"力とは所詮その反対方向というだけで、本質自体は何も変わらない。何かを掌で押す時に、何らかの手段で、自分の掌を押し出す方向に"引く"ことが出来るのであれば、肉体が生み出す力を超えた力を生み出すことは可能、ということになる。


 引力を操る力は、魔術は、その力の持ち主にそれを可能にさせる。当然、それをそのまま行使しても、何かに触れて力を加えれば相応の反発、反動があるわけで、自分の限界以上の力を発揮すれば我が身を滅ぼしてしまう。ここに、我が身が離れない、"壊れない"引力を己に課すことが両立できるなら、それは"肉体の限界以上の力を発揮しても壊れない肉体"を叶えることとほぼ同義になる。


 思いついても、誰も出来ない。そんな緻密で、精密で、しかもそれを為す繊細な魔力を行使したままで実戦をこなすなど、集中力と併用することが出来るものではない。理屈そのものは誰かが想像できても、結局は机上の空論を逸せず、実行に移せなかった者達が歴史上には星の数ほどいる。


 それを実現させてきたのが、同胞の歴史から脈々と継承されてきた魔術の極意を集積し、門外不出の秘術として完成させた羅刹族(ラクシャーサ)。クラウドの肉体が人並みならぬのは、そうした者達の血を引き継ぎ、時代を隔てて血が覚醒した賜物である。

 そして、もう一人。百年あって幸いの寿命では到底到達できぬ道を、千年の中で究め続けてきた結果、ついに一人で、独学で、羅刹族(ラクシャーサ)の秘伝にも頼らず、それを実現させた者がいる。そんな彼でも、アストラという絶大な魔力を生み出す人物の魂を借りてようやく、実戦で使えるほどの魔術として完成させることが出来た境地なのだから、決して普通の者が辿り着ける世界ではないことが推して知れよう。


 自らの身体能力を、擬似的に、無双の肉体を持つ羅刹族(ラクシャーサ)と同じ境地にまで引き上げる秘術。時流冬結(ウィンタークロノス)の名が語るとおり、自らの肉体の時が止まったかのように破壊を許さず、諸行無常の現世にして不滅の肉体を作り上げる魔術の使い手。それが今のカラザである。






「やはり、これでも互角か……!」


「っ、がっ……あ゛っ……!」


羅刹種(ラクシャーサ)というものは、これほどのものを当たり前のように行使していたのだな……!」


 カラザはこう言うが、全く互角とは程遠い。カラザの振るった杖は、世界に無二のカラザが秘蔵練成した、格別の強度と軟性を持つ究極的な武器。それを介して防ぎ腕に一撃くらわされたクラウドの表情が、かつてないほど苦悶に歪んでいる。タルナダとの戦いにおける打ち合いでも、ドラウトとの激突でも、いよいよ追い詰められた時にしか見せない顔を、ただの一撃でクラウドがせざるを得ないのだ。


 互角と称するのはカラザが謙虚な性格をしているからだ。だから傲慢に陥れられない。そのくせ、そのせいで慎重になりすぎて、攻め所を見落とすこともないというのだから、相手からすれば余計に性質(たち)が悪い。


「つくづく羅刹族(ラクシャーサ)というやつは、人の子であることを疑うよ……!」


 杖をクラウドにぐっと押し当てたまま、それに抗う力を必死で絞り出さねばならないクラウドの動きを制限する。そのまま放つのは蛇の下半身の地に接する場所を軸に、素早く体を捻っての裏拳。これにも逆の掌で庇い立てるクラウドだから、苦境の中でもクラウドの強さは光っている。


「はっ、がっ……!?」


 それでも、人の裏拳をクラウドがその手で止められないことなど今まであっただろうか。クラウドの掌で止まることなく、彼の手ごと押し込んでクラウドの腹まで押し届いたそれは、充分な威力を孕んだまま慣性任せにクラウドのボディを貫く。これだけで、頑強なクラウドの肉体の最も強い所、胴の筋肉と骨を傷つけて彼を吹き飛ばしてしまうのだから、明らかに今のカラザは、身体能力でもクラウドを上回っている。


「天魔、双拡散熱光線デュアラディエイトレイズ!」


「悪いが今は、それも脅威にはならん……!」


 地面に倒れ、起き上がることにすら難儀して血を吐くクラウドへ、カラザが迫る一瞬前を予見した少女がそれをさせない。両手に従えた二つの光球、それから発射される無数の光線を、地上に向かって雨のように降り注がせてくる。

 カラザを狙うものもあれば、最も多いのはカラザとクラウドの間に降り注ぐ、隙間無きほどの目で降り注ぐ熱閃だ。敵を狙いつつ、危機の中にあるクラウドを守ろうとする狙いが最も大きいのは明らか。ここまで露骨にファインがクラウドを守らねばならぬほど、両者の地上戦は大人側が優勢だったのだ。


 地面に無数突き刺さり、穴と小爆発、硝煙と砂塵で地上をいっぱいにするファインの魔術だが、広範囲に不規則にばらまくこの攻撃でも、機敏に動くカラザを全く捉えられない。柔軟性に富む足代わりの蛇腹は、静も動も巧みでそのくせ動きも滑らか、降り注ぐ熱光線の多くをすれすれでかわしているカラザなのに、惜しいと全く思えない。僅差の回避数度がこれほど余裕に見えると、当てられるビジョンも薄れていく。


「安全圏からちょっかいを出すのは、手癖の悪いことだと省みよ……!」


 滑空しながら熱閃をばらまくファインは、砲台位置も能動的で、光も放つから迎撃しづらい方。構わずカラザがファインの魔術を回避しながら、上空のファインに杖を振るうのだから、当てる見込みあっての魔術に相違ない。杖先から放たれた、十数の土の塊が空へと舞い上がり、ファインの周囲空域で彼女を包囲した瞬間から、安全圏など存在しないことが思い知らされ始める。


飛びかかる土壌(ファンギング・ランド)!」


「くっ、あ……!」


 土の塊の中に秘められていた植物の種が、十年分の成長を一瞬で遂げたかのように、土を発射点としファインに向けて太い茨を突出させた。その速度が、尖った先端が人の体を貫いて風穴を空ける勢いなのだ。四方八方からファイン目がけて、鋭い凶器が槍のように発射される鳥篭領域内にて、ファインが背筋を凍らせながら巧みな飛翔を叶えている。服をかすめて小さな破れ穴を作られ、その拍子に体を傾けさせられる危機を挟んでなお、彼女の高い飛空能力は直撃の惨劇を免れている。


「甘いな……!」


 恐ろしいのはここからだ。飛空能力を得意としないのに、空の敵にも全く怯まぬカラザという術士が相手である。カラザがもう一度振るった杖は、空に向けて中サイズの岩石を多数放っている。ファインに当たれば相当なダメージを見込める弾丸、しかし。


「ひぅっ、ゃ……!?」


 いくつかは確かにファインを狙っている。しかしいくつかは、空中で突然重い巨体を顕現させた茨の群れ、それらの狙った数点各所に突き刺さる。重力に引き寄せられて地上に落ちるだけだったはずの茨、それが空中でカラザの第二撃により打撃を受けたことで、空中で長い全身を回転させるのだ。敵を突き刺す為に伸びた茨だが、先端以外の刺々しいトゲの数々も決して飾りではない。


 伸びた有刺鉄線が嵐に振り回されるかの如く、人肌を裂く凶器を携えた茨がいくつも回転するのだ。絡まったものは相互に力を加えあい、乱回転することもカラザの計算のうち。カラザによって自分向けに、あるいは自分の向かった方向へ先読みする形で放たれた岩石弾丸を回避するのに必死だったファインに、茨が襲い掛かってくる。時間差の凶器の気配に、表情を恐怖に染めて全身を傾けるファインが、なんとかぎりぎりで回避を叶え続ける。


「これで、終いだ……!」


 カラザが掌の上に火の玉を生み出し、それをファインの方向へと投げつけた。それが済めばもう、カラザの意識はファインの方向から改められる。不屈の少年が一秒でも早く戦場に復帰し、ファインを苦しめる自分に強襲してくる根性主であるのは知っている。


「っ、ぐ……! 強いな……!」


 構えた杖で、突撃力に乗せたクラウドの正拳突きを受け止めたカラザも、全力全開のクラウドの攻撃力には眉を歪める。それでも確かに食い止めている。殴り飛ばせない、あるいは破壊できないものに拳を全力でぶち当てたクラウドの方が、そう無い経験に反動から最も苦しい顔。


「っら、ぜやあっ!」


 それでも怯まず追撃に踏み出す、だからこそ怖い。蹴りを放ち、裏拳を振るい、肘先で構えられた杖をはじこうと振り抜く。杖術に秀でたカラザが、今の身体能力を以ってしても、凌ぐのに全力を投じねばならない勢いだ。かわせた時はいいが、杖で受けざるを得なかった時に手に伝わる振動は、恐らく落盤を投げつけられたにも匹敵する重みによるものだ。


「ぬぐ、っ……!」


 好機が生まれた。クラウドの振るった裏拳が右側から振るわれたことに対し、カラザが杖を縦に構えて防いだ。ここを逃せばもう次は無いかもしれない、そんな時に焦らず、しかし最速で最善手を選ぶのがクラウドだ。

 続けて放つ回し蹴りで、カラザの杖を敵の左から横殴りに叩き飛ばすための一撃。体の外側から懐側への一撃を食い止めた直後のカラザの杖に、次の瞬間逆方向から強烈な一撃が入ったことは、普通ならなすすべなく武器を手元からはじき飛ばされる結果に繋がるはずである。


 手放さないだけでも上等だ。しかし吹き飛ばされる勢いで横殴りにした杖を、片手で捕えたままのカラザの体はどうしても少し持っていかれる。この体勢の崩れを狙うクラウドの眼差しと姿勢は、既に完全に整っている。


「おぅ、りゃああっ!」


「っ……!」


 これ以上ない隙に打ち込む、振りかぶったクラウドの正拳突き。カラザとて危機感を感じ、刹那の間に腹を括る。杖を握らぬ方の腕を、盾の代わりにする形で、クラウドの拳を真っ向から受け止めるのだ。クラウドの強さを知っているなら知るほどに、本来それは悪手以外の何物でもない。


「痛みは、あるが……お生憎様だな……!」


「かっ……がっ……!」


「今の私は、お前には壊せぬよ……!」


 カラザの時流冬結(ウィンタークロノス)の魔力は、彼の攻撃力を高めるだけでなく、彼自身の肉体すべての結合力を強靭に向上させている。クラウドのパワーでなら破壊できるはずのカラザの腕が、凄まじい重みを乗せた一撃を受けてなお無傷なのは、体表を包む鱗の守備力のせいなどではない。衝撃は骨にまで響いたはずなのに、筋肉にも骨にも損傷はただの一つも無いのだ。壊れぬ金塊を殴ったかのような、破壊の感触なき手応えには達成感もなく、反動だけがクラウドの拳を、効き目のない事実がそれ以上に彼の精神に傷をつける。


 いち早く体を一回転させ、クラウドの腹部に蹴りを放ったカラザの一撃も、速さのあまりクラウドは膝を上げて防御するのが精一杯。カラザのパワーは、その膝ごとクラウドの腹まで押し出し、殺しきれない余りある重みがクラウドの腹まで届く。吹き飛ばされる中、肺まで響く衝撃に目を白黒させるクラウドは、今の交錯でさらに力の差を知らしめられたかのような現実に、彼らしくないほど力なく地面に叩きつけられる結果となる。


炎天夏(サマーフレア)……!」


 そして、ファインの方向へ放った火の魔術の発動へ。大規模破壊のためのものではない、しかしファインに接近する中で膨れ上がっていた火の玉は、既に充分な大きさに育っている。それがすぐ近くで炸裂する気配を感じさせられたファインが、思わず体ごとそちらに向き直り、首を引いて両腕で頭を守りに入ったのは正解に近い。


 詰みの一手だ、正解などない。不正解の中で最もましなものだったというだけ。ファインのすぐそばで爆発した小太陽は、地上に炎と爆風をばらまく以前と異なり、そこ一点のみでの大爆発を生じた。本来あるはずの多重爆発を、一点集中させたその爆裂は、そのぶんだけ壮絶だ。炸裂寸前の小太陽に的確なタイミングで振り返り、背を丸めて両腕全体で頭を守ったファインが、ぎゅっと目をつぶって防御の魔力を纏ったのもまた、生存のためには最善手であったと言えるだろう。


 途轍もない突風、それも殆ど火を直接浴びたに等しい熱風に覆われながらも、纏う水の魔力でファインが即死を免れたのは、きっと内に抱く母の魂がもたらす魔力のおかげでもあるだろう。凄まじい風は、小柄な少女を空から追い出すかのように下方斜めへと吹き飛ばし、熱を抑えつつも熱く焼かれる全身に苦しむファインは、浮遊力を維持して減速することも辛うじて。


「くっ……うっ……!」


「ここまでだ……!」


「ぅぁ……!?」


 それでも何とか身をぐるりと回し、脚を下にして翼を広げたファインが、空中点にて動きを留めたのは見事である。それが出来る彼女だと、ある種の信用すらしていた男が、既に駆け迫って地を蹴っていたのだ。ようやっと体勢を整えたその瞬間に、見上げた先からカラザが迫っていた光景は、ファインにとっては絶望の一幕である。


 もうかわせない、そんな間で迫って杖を振り下ろさんとするカラザに対し、ファインは両手を庇い手にすることしか出来なかった。クラウドを一時的にでも戦場から排斥することを叶える、その肉体力を高めた男の杖の振り下ろし。耐え切れるはずがない。カラザの一撃は綺麗にファインの両手に収まったが、彼女を下方に殴り飛ばす結果に何一つ変更はない。


 流星のような勢いで背中から地面に叩きつけられたファインが、緩衝の魔力をいかに集めようが、一撃で人の体が潰れていたはずの衝撃を殺しきるのは不可能。生き残っただけでも奇跡のようなものだ。スノウの魂とファイン自身が生み出す膨大な魔力が術者を生存させたが、息が止まって吸えなくなるほどのダメージで、ファインは体を痙攣させたまま動けなくなる。


「ファイ、ンっ……!」


 頼む、間に合え、間に合ってくれって、何とか立ち上がったクラウドが、先ほどの空の爆発点を頼りにファインの方へと駆けていく。終わっていませんように、もってくれていますようにと、切望する想いで傷だらけの体を強く引きずる少年の目は、折れぬ強さとすがる弱さを共に孕んでいる。


 しかし、結末は。


「まずは、勝負ありだな」


「ぁ……」


 思わず、クラウドも足が止まる。目の前にいる敵に近付く前、かなり距離を取った上でだ。


 希望の終焉を象徴する光景と言っても過言ではない。倒れたファインの腹に、杖先をあてがうカラザの立ち姿は、すでにファインにとどめを刺した姿にしか見えなかった。ファインの死を目の当たりにした実感を得たクラウドが、頭が真っ白になってしまうのも無理のないことだ。


「安心しろ、まだ殺めてはいない」


「っ……!」


 カラザの言葉が、茫然自失としかけていたクラウドの意識をはっとさせるのが皮肉な話である。しかし、いつでも杖の一押しでファインのボディを粉砕し、命を奪うことが可能なカラザを前に、せっかく思考能力を取り戻してもクラウドは動けない。


「クラウド」


「っ……何だ、よ……!」


「この少女を、助けたいか」


 カラザにファインの生殺与奪が渡ったこの現実は、ただそれだけで、強いはずのクラウドが目に力を失うほどのもの。そんなクラウドに対し、思わぬ問いが飛んだことにより、彼の目が闇一色から僅かに色を帯びる。


「答えろ、クラウド……! ファインを助けたいか……!」


「……当たり前だろ!」


 予想外の問いに答えを返せなかったクラウドに、カラザが強い声でもう一度問う。クラウドも、目に鋭さを取り戻して強い声。完全に優位に立たれた今でもなおクラウドは、やりやがったら絶対に許さねえという眼をカラザに突き刺している。それほどまでに、彼の唯一の希望は手放せない。


「……チャンスをやろうと言ってるんだ。貴様が乗れるならな」


「あぁ……!?」


「一騎打ちだ。貴様が私に勝てるなら、哀れなこの少女の命は助けてやる」


 何を言っているのかわからないのは、客観目線でないクラウドでも尚更そう。ファインを殺すことを目的にここまでしてきた男が、目的達成を目の前にして、あまりにそぐわぬ提案を自分から持ちかけている。クラウドの側に、彼にそうさせる交渉材料があるのかと言えば、決してそんなものもないはずなのに。


「さあ、クラウド! 今すぐに答えろ! 哀れなる少女を救うために、私を相手に命を懸ける覚悟はあるか!」


 きっと、何時間考えてもその真意になど辿り着けまい。考えるだけ無駄だ。そう突きつけるかのように、カラザはクラウドを強い声で囃し立てる。決断力に富むクラウドですら、戸惑いに返事が遅れていた姿に対し、カラザが知れた結論を急がせる。


「やってやる……!」


「いいだろう……!」


 宣言どおりだ。カラザは意外なほどあっさりとファインから杖を離し、ひとっ跳びで大きく距離を取ってクラウドに向き直る。蛇腹をうねらせ、位置取りを構え、戦闘区域外になるであろう位置にファインを置き去りにすると、意識を完全にクラウドに集中する。


 いったいどうして、この期に及んでそんなことをするのか。力比べを好むような人物でもなければ、目的達成のためには手段を選ばぬ、殺生も厭わぬ冷徹な参謀も努めたことのあるカラザなのに。かつて親しかった頃の人物像はホウライで既に改められ、スノウの死を以って完全にカラザを敵視していたクラウドをしても、この提案が不可解であるのは当然だ。

 それでも、どんなに不可解であっても、希望は紡がれている。カラザに勝つことが、ファインを救うことに直結するのだ。


「クラウドよ」


「…………」


「言っておくが、手加減はせぬ。妙な哀れみを期待するなよ」


 ファインを殺せる絶好の機会を投げ捨てた自分を見て、勘違いを起こすなよと釘を刺すカラザの言葉には、彼から漂う殺気が説得力を持たせている。理に合わぬ行動の果て、しかしクラウドを手がけるその手に容赦は無しと宣言したカラザの言葉に、一切の嘘は含まれていない。


「安心しろ。ファインが死ぬのはお前のいなくなったこの世界でのこと。お前は、あの少女が殺されるという現実を見なくても済むということだ」


 そう言って邪悪に笑う男が、この勝負に慈悲をもたらしてくれるとは到底思えない。クラウドは構える。過去最強の敵を目の前に、今から自分を本気で殺しにかかろうとする男を目の前に。この日、自分を圧倒した強者を前にして、その記憶も薄れぬまま、再び決死の覚悟で勝利を目指さんとする意志力が、いかにファインを救いたいかの表れそのものだ。


「カラザ……!」


「見せてみろ……! この時代の強き者よ……!」


 たった一日間の逃亡生活。過ぎ去った今も長過ぎて感じるほどの苦しみの果て。多くの人に助けられて到達した、ファインを救うための最後の試練が始まろうとしている。地を蹴る二人が急接近し合うその光景を、薄れた意識で顔も上げられないファインは、目にすることすら出来なかった。即ち、完全なる一騎打ちである。

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